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19. 夜を連れてくる少年
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女の子を無事外に連れて行った。
私は、自ら逃げ道をふさぐようにドアを閉める。体育館の中から、再び光が閉ざされた。
「……どうして、指輪の力が無くなったの……?」
指輪についた宝石のかがやきを見て、怖くなる。
この指輪があれば、大丈夫だと思ってた。でもこの力が無かったら、私にあの羊をどうにかするなんて、出来ない。心の中を、不安と恐怖がいっぱいに押しつぶしていく。座りこみそうになる。
今閉じたドアを、開ければ私も逃げられる。
「……」
はぁっ。はぁっ。呼吸が、早くなって苦しい。
「……っ!!」
その早くなった呼吸ごと、全部飲みこんだ。
目を服のそでで乱暴にぬぐって、後ろを振り返る。真っ暗闇の中を、振り返る。目をこらして見渡した。大丈夫、そろそろ暗闇にも目が慣れてきたよ。
羊とホクトは……あそこだ!
『メェェェェェェ』
「きゃあっ!」
羊が思いっきり強く頭を振って、ホクトが降りあとされた!
ドンッ! とにぶい音がして、私の顔はたぶん青くなったと思う。
「ホクト!!」
音のした方へ走る。そこには、壁にうちつけられてくったりとした小さい子ぐまの姿があった。血は出てない。けど音がすごかったよ。変なところを打ってたらどうしよう。死んじゃったら……!!
ゾッ!! と、今日一番の恐怖が、私を包んだ。
「ホクト、ホクトしっかりして! お願い、返事して……!」
小さい体を抱きしめる。痛い思いしてるのに、返事してなんて無茶だって分かってる。でもそうしていないと、不安で。
……すると、まだぬくもりのある体がゆれた。ピクリ。
「ナナセ……泣かないで」
「ホクト!」
「ケガ、しないよ……ナナセをおいて、いなくなったりもしない。だってワタシは、星座だもの。ナナセの好きなお星さまなんだもの。いつだってワタシは消えずに光ってるから!」
イタズラっ子のように、笑った顔。
安心とおかしさで、心がぐちゃぐちゃで。「もうっ……」と吐き出して、私も笑った。
「それより……んっしょ、ナナセ、あの羊どうにか出来そう?」
ホクトは改めて私の腕の中で姿勢を立て直し、尋ねる。私は首を横に振った。
「分からないの……さっき、指輪の力が使えなくて」
「……それってさ、今がお昼だから、だったりするかなあ?」
え、と私はマヌケな声を出す。
指輪の力が使えないのは、お昼だから? 星が空に出てないからってこと?
ゆっくりと思い出してみる。初めてステラと会って指輪を受け取った時、からす座におそわれた時、ひぃちゃんがヒツジにおそわれたのを助けた時……ほ、本当だ。あの時は全部、星の出ている夕方か夜の時間だった!
「ステラそんなこと一言も言わなかったのに!」
「んーわすれてたとか?」
「勘弁してよ!!」
そういうことは最初に言っておいてほしいよ! ……って、最初に説明をちゃんと聞かなかったのは私だけど。だからステラも言うタイミングを逃したのかもしれないけど!
でもどちらにせよ、今私が何も出来ないのは確かだ。
「何とかして、逃げるスキを探すしかないかも……」
「えぇっ! あのヒツジを、またほうっておくの!?」
だって何も出来ないし、と言いかけて口を閉じた。
こんな大事になったのは、前回私がヒツジを逃がしたからだ。藍ちゃんの、あの青い顔を思い出す。今日だけで、クラスメートが二人もいなくなってるんだ。
「……どうにか、なるか分からないけど」
呼んでみよう。とりあえず、出来ることは全部やる!
私はホクトを抱いたまま、羊に真正面から向き直った。言葉は通じない。指輪も使えない。
だから、「何か」を知ってる、あの人を呼ぶしかない。来てくれるか分からないけど。
『僕も、ナナセたちのことはいつも見守っている。助けが必要な時は……』
そう言ったよね。
「ステラーーーっ!!!!」
あの、不思議な少年を、呼ぶ。
私の声が、体育館の中でくわんくわんと響いて、ゆれた。
羊ですら一回動きを止めて、首をかしげた。
響いたステラの名前がやがて消えて、シーン、静まりかえる。夜みたいな静けさ。音はない。でも、来てくれるって信じてる。
また、羊が口を開けた。……その時。
「すまない。遅くなった。……ナナセ」
大人みたいに落ち着いていて、それでいて、少年っぽさの残る声。やっぱり来てくれた! ……そう喜ぼうとして、息を飲んだ。
──ステラは……上からふわり、舞い降りてきた。夜の闇と、一緒に。
比喩じゃない。本当に夜だった。体育館のうす暗さとは違う、明らかな「夜の色」を、ステラはその身にまとってきていた。今は昼、なのに。広がる夜のカーテン。夜が、来た。ぼんやりそう思った。
「ス……ステラ?」
「すごーい! 夜をつれてきたみたいだねっ」
こんな時にもホクトは楽しんでいるだけで。「夜を連れてくる」……確かに、その表現はピッタリだ。
コツ、地に足をつけたステラは、夜と同じ色の髪をなびかせて、私の目の前まで歩いてくる。真っすぐで澄んだ、お星さまみたいな青色に見つめられて、私は我に返った。
「ナナセ。ケガは無いか」
「う、うん。ありがとう」
相変わらず、その表情は変わらない。だけど心配してくれていたのは、うれしかった。
ステラはうなずくと、羊の方へ視線をやる。
「これで指輪の力が使えるはずだ。……僕が、夜にしたから」
本当に、不思議な男の子だ。どことなく、その目が悲しくて、さみしそうなのはなぜなんだろう。
「「ナナセ」」
また考えこみかけていた私に、二人が名前を呼ぶ。私は静かにうなずいた。
そして、指輪を使う前に。私は羊の方に向き直った。
羊の目は、黒い。額の宝石と同じ。光を失っている。
『メェェェェェ!!』
「ねぇ、羊さん」
私は両手を、祈るように組む。低い獣の声が、とどろく。
『ヘレェェェッ』
必死な感情を伴った、鳴き声。ううん、悲鳴。
この羊は正気を失ってるけど、その名前を呼ぶ時だけ、とても悲しそうだった。でも、伝えないと。
「私はヘレじゃない。あなたが連れて行った女の子たちの中にも、ヘレはいない。もういないんだよ!!」
その言葉に、一瞬羊がたじろいだ……気がした。
「ヘレはいない……って、どういうこと?」
ホクトがとまどったように私を見上げる。
私は、ホクトと出会った日の朝に読んでいた『神秘の物語~春の星座~』の中にある、牡羊座の神話を思い出していた。命をねらわれたプリクソスとヘレの兄妹を救った、勇敢でやさしい羊の話。二人を背に乗せて、空を飛んで逃げた金色の羊。でもその話には、続きがあって。
『エエエエエッ!!!!』
羊が、鳴く。私の声をかき消そうとする。
聞きたくない、って言ってる。ごめんね。
「兄妹を背に乗せて逃げている途中で」
指先が、ふるえる。
「妹のヘレは海に落ちたの」
そんなに大きくはなかったはずの私の声が、体育館にひびく。ホクトは目を見開いて、ステラはそっと目を閉じた。羊の目が、いっそう暗くなった気がした。夜よりも深くて、よどんだ黒に。
「ヘレは、死んじゃったんだよ」
もちろん羊は、それを知っていた。なのに「自分の星座」と一緒に、そのことを忘れちゃったんだ。
せっかく助け出せたのに、途中でヘレを落としてしまったこと。
きっと、それがこの羊の後悔だ。
私は、自ら逃げ道をふさぐようにドアを閉める。体育館の中から、再び光が閉ざされた。
「……どうして、指輪の力が無くなったの……?」
指輪についた宝石のかがやきを見て、怖くなる。
この指輪があれば、大丈夫だと思ってた。でもこの力が無かったら、私にあの羊をどうにかするなんて、出来ない。心の中を、不安と恐怖がいっぱいに押しつぶしていく。座りこみそうになる。
今閉じたドアを、開ければ私も逃げられる。
「……」
はぁっ。はぁっ。呼吸が、早くなって苦しい。
「……っ!!」
その早くなった呼吸ごと、全部飲みこんだ。
目を服のそでで乱暴にぬぐって、後ろを振り返る。真っ暗闇の中を、振り返る。目をこらして見渡した。大丈夫、そろそろ暗闇にも目が慣れてきたよ。
羊とホクトは……あそこだ!
『メェェェェェェ』
「きゃあっ!」
羊が思いっきり強く頭を振って、ホクトが降りあとされた!
ドンッ! とにぶい音がして、私の顔はたぶん青くなったと思う。
「ホクト!!」
音のした方へ走る。そこには、壁にうちつけられてくったりとした小さい子ぐまの姿があった。血は出てない。けど音がすごかったよ。変なところを打ってたらどうしよう。死んじゃったら……!!
ゾッ!! と、今日一番の恐怖が、私を包んだ。
「ホクト、ホクトしっかりして! お願い、返事して……!」
小さい体を抱きしめる。痛い思いしてるのに、返事してなんて無茶だって分かってる。でもそうしていないと、不安で。
……すると、まだぬくもりのある体がゆれた。ピクリ。
「ナナセ……泣かないで」
「ホクト!」
「ケガ、しないよ……ナナセをおいて、いなくなったりもしない。だってワタシは、星座だもの。ナナセの好きなお星さまなんだもの。いつだってワタシは消えずに光ってるから!」
イタズラっ子のように、笑った顔。
安心とおかしさで、心がぐちゃぐちゃで。「もうっ……」と吐き出して、私も笑った。
「それより……んっしょ、ナナセ、あの羊どうにか出来そう?」
ホクトは改めて私の腕の中で姿勢を立て直し、尋ねる。私は首を横に振った。
「分からないの……さっき、指輪の力が使えなくて」
「……それってさ、今がお昼だから、だったりするかなあ?」
え、と私はマヌケな声を出す。
指輪の力が使えないのは、お昼だから? 星が空に出てないからってこと?
ゆっくりと思い出してみる。初めてステラと会って指輪を受け取った時、からす座におそわれた時、ひぃちゃんがヒツジにおそわれたのを助けた時……ほ、本当だ。あの時は全部、星の出ている夕方か夜の時間だった!
「ステラそんなこと一言も言わなかったのに!」
「んーわすれてたとか?」
「勘弁してよ!!」
そういうことは最初に言っておいてほしいよ! ……って、最初に説明をちゃんと聞かなかったのは私だけど。だからステラも言うタイミングを逃したのかもしれないけど!
でもどちらにせよ、今私が何も出来ないのは確かだ。
「何とかして、逃げるスキを探すしかないかも……」
「えぇっ! あのヒツジを、またほうっておくの!?」
だって何も出来ないし、と言いかけて口を閉じた。
こんな大事になったのは、前回私がヒツジを逃がしたからだ。藍ちゃんの、あの青い顔を思い出す。今日だけで、クラスメートが二人もいなくなってるんだ。
「……どうにか、なるか分からないけど」
呼んでみよう。とりあえず、出来ることは全部やる!
私はホクトを抱いたまま、羊に真正面から向き直った。言葉は通じない。指輪も使えない。
だから、「何か」を知ってる、あの人を呼ぶしかない。来てくれるか分からないけど。
『僕も、ナナセたちのことはいつも見守っている。助けが必要な時は……』
そう言ったよね。
「ステラーーーっ!!!!」
あの、不思議な少年を、呼ぶ。
私の声が、体育館の中でくわんくわんと響いて、ゆれた。
羊ですら一回動きを止めて、首をかしげた。
響いたステラの名前がやがて消えて、シーン、静まりかえる。夜みたいな静けさ。音はない。でも、来てくれるって信じてる。
また、羊が口を開けた。……その時。
「すまない。遅くなった。……ナナセ」
大人みたいに落ち着いていて、それでいて、少年っぽさの残る声。やっぱり来てくれた! ……そう喜ぼうとして、息を飲んだ。
──ステラは……上からふわり、舞い降りてきた。夜の闇と、一緒に。
比喩じゃない。本当に夜だった。体育館のうす暗さとは違う、明らかな「夜の色」を、ステラはその身にまとってきていた。今は昼、なのに。広がる夜のカーテン。夜が、来た。ぼんやりそう思った。
「ス……ステラ?」
「すごーい! 夜をつれてきたみたいだねっ」
こんな時にもホクトは楽しんでいるだけで。「夜を連れてくる」……確かに、その表現はピッタリだ。
コツ、地に足をつけたステラは、夜と同じ色の髪をなびかせて、私の目の前まで歩いてくる。真っすぐで澄んだ、お星さまみたいな青色に見つめられて、私は我に返った。
「ナナセ。ケガは無いか」
「う、うん。ありがとう」
相変わらず、その表情は変わらない。だけど心配してくれていたのは、うれしかった。
ステラはうなずくと、羊の方へ視線をやる。
「これで指輪の力が使えるはずだ。……僕が、夜にしたから」
本当に、不思議な男の子だ。どことなく、その目が悲しくて、さみしそうなのはなぜなんだろう。
「「ナナセ」」
また考えこみかけていた私に、二人が名前を呼ぶ。私は静かにうなずいた。
そして、指輪を使う前に。私は羊の方に向き直った。
羊の目は、黒い。額の宝石と同じ。光を失っている。
『メェェェェェ!!』
「ねぇ、羊さん」
私は両手を、祈るように組む。低い獣の声が、とどろく。
『ヘレェェェッ』
必死な感情を伴った、鳴き声。ううん、悲鳴。
この羊は正気を失ってるけど、その名前を呼ぶ時だけ、とても悲しそうだった。でも、伝えないと。
「私はヘレじゃない。あなたが連れて行った女の子たちの中にも、ヘレはいない。もういないんだよ!!」
その言葉に、一瞬羊がたじろいだ……気がした。
「ヘレはいない……って、どういうこと?」
ホクトがとまどったように私を見上げる。
私は、ホクトと出会った日の朝に読んでいた『神秘の物語~春の星座~』の中にある、牡羊座の神話を思い出していた。命をねらわれたプリクソスとヘレの兄妹を救った、勇敢でやさしい羊の話。二人を背に乗せて、空を飛んで逃げた金色の羊。でもその話には、続きがあって。
『エエエエエッ!!!!』
羊が、鳴く。私の声をかき消そうとする。
聞きたくない、って言ってる。ごめんね。
「兄妹を背に乗せて逃げている途中で」
指先が、ふるえる。
「妹のヘレは海に落ちたの」
そんなに大きくはなかったはずの私の声が、体育館にひびく。ホクトは目を見開いて、ステラはそっと目を閉じた。羊の目が、いっそう暗くなった気がした。夜よりも深くて、よどんだ黒に。
「ヘレは、死んじゃったんだよ」
もちろん羊は、それを知っていた。なのに「自分の星座」と一緒に、そのことを忘れちゃったんだ。
せっかく助け出せたのに、途中でヘレを落としてしまったこと。
きっと、それがこの羊の後悔だ。
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