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なんで結婚したの?①

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 結婚ってこんな感じなんだっけ、と椎原は考える。

 「住民票発行してくる、お前その間こっち出してこい」

 そう言って岡地に渡された婚姻届、もといパートナーシップ契約書。いやこんな感じなんだっけ? 婚姻届って一緒に出して二人で記念撮影して「おめでとうございます」って言われるものじゃないのか。一人で出して職員に「おめでとうございます」と言われた椎原は考える。せっかく二人で役所に来てるのに、そこの時間の節約は必要だったのかしかし岡地と二人で祝われたかったかというと――それもまた微妙だ。そもそもおめでたいことなのか、椎原には分からない。晴れて夫となった岡地が「飯買って帰るか」と普通に話すから椎原もそうしてしまうんだけれど。

「あー、作ってもいいか。せっかくゴミ屋敷綺麗にしたから」

 岡地が忘れず嫌味を言う。
 結婚にあたり、岡地は仕事を辞めて地元に帰ってきた。椎原の家に住むことにしたが、今まで専業主婦の母親の元で暮らしていた椎原、家事が壊滅的に出来ず、家の中は酷い惨状だった。「この状態で引っ越しなんか出来るか!」と岡地に怒鳴られ、片付けをさせられ、今に至る。

「手作りいいなあ。まともに飯食ってない」

 当然、椎原は食事も外食やコンビニ弁当ばかりだった。作ると聞き、勝手にウインカーを出してスーパーへと道を変更した。助手席に座っている岡地も気づいているが指摘しない。

「仕事が始まるまでは作ってやってもいい」
「まじ? やったー」
「忙しくなったら出来んぞ。お前が暇なときは作れよ」
「家でカップ麺積み上げてた俺に言う?」

 岡地も見たろ? と椎原が返せば、岡地がげんなりする。

「人の生活をしてねぇ……」
「そこまで言う!?」
「お前が振られる理由がよく分かる。これから覚えろ」

 それは恋人としてはいいけど結婚相手としてはちょっとね、ってやつだ。椎原も直接言われたことがあるから分かる。

「そういう岡地はどうなの? 何でもそつなく出来るし、結婚考えてた彼女とかいたんじゃねーの?」

 そう椎原が何気なく返したのが、まさかの波乱となる。

「居た。別れてきた」
「え!?」

 思わず椎原がバック駐車中に急ブレーキを踏む。「っぶねぇな」と岡地に文句を言われたけど椎原が悪いばかりじゃない。

「え、え、どういうこと? 別れたのいつ?」
「二ヶ月前」

 それは椎原の両親の葬儀の頃だ。

「お前と結婚するから別れた」

 つまりあの居酒屋での雑なプロポーズの後すぐ。

 「うっそぉ……」

 椎原は手癖で駐車は出来たけど無意識だった。ショックだった。自分が誰かの幸せを奪ったかもしれない。そこまでこの結婚に価値を見出してないのに。

「お前なんでそこまで」

 椎原が言いかけて、遮るように岡地が舌打ちした。

「喫煙所がねぇ」

 視線はスーパーの建物へといってる。自販機の横に灰皿は置いてあったが、近くで小学生くらいの子がジュースを飲んでいる。岡地は車から降りるがそこに向かう気はない。

「なあ!」

 慌てて追いかけた椎原が話の続きをしようとしても、岡地は一刀両断した。

「もう終わったことだ。お前には関係ない」


 
「いや、関係ないとかあります!?」

 翌日、椎原は会社で叫ぶ。

「え、俺めっちゃ関係してない!? だって俺のせいで別れたんでしょ!?」
「そのまま旦那にも言えばいいだろ」
「言いましたよ!」

 一回り離れた上司の室島に、椎原は昨日の話を聞かせている。上司と言っても他部署で業務上の関係はほぼ無い。会社の野球部で一緒に練習する仲だ。同じ階の休憩室を使うから、たまに立ち話もする。

「でも岡地に言っても関係ないの一点張りで……え~、そんなことあるぅ……?」

 ぶつぶつ不満を口にして、椎原が缶コーヒーを口に運ぶ。

「まあ、関係無いと言えば関係ないよな。こじれてないなら良いんじゃないか」
「いやでも一言くらい言ってほしかったというか」
「言ったらお前が結婚辞めると思ったんだろ」
「うーん……」

 やめたかもしれない、と椎原は思う。いや絶対にやめてる。岡地はそれが嫌だったんだろうか。

「話を聞く限り、俺には岡地がお前に惚れてるようにしか思えん」
「ね、そう思うでしょ。だから聞いたんです、岡地に、俺のこと好きなのかって」
「そうしたら?」
「なんかすごい……すごい顔で睨まれました……」

 そのときの岡地の顔を思いだしてみるが、椎原の語彙力ではいかんとも言い難い。強いて言えば般若。仁王像ほどの荒々しさもあった。あれは一体どういう表情だったのか、椎原は問い詰められなかった。

「はは、お前ら面白いことしてるよなあ」

 他人事の室島が笑い流す。椎原は岡地との事の成り行きを全て室島に話していた。それは岡地も「そうした方が良い」と言っていたことだ。周りに変に隠そうとする方が話がこじれると。

「で、いつからなんだ? その岡地がうちの会社来るのは」
「来週からです」

 椎原と同じ会社で働くのも、言い出したのは岡地だった。
 椎原が勤める会社は地元ではそこそこ大きい機械工具の専門商社で、椎原の家から近い。工作機械等の設置の際に必要なエンジニアを探していると言えば、元々メーカーエンジニアだった岡地が「ちょうどいい」と言った。そう、本当に、ちょうどいい会社なのだ。

「どうなんだ、会社まで同じってのは」
「いやそれはもう」

 住む家も一緒、会社も一緒。さすがにそこまで一緒だと嫌気がさすんじゃないかと室島が聞く。

「それなら岡地も会社の野球部に入ってくんねぇかな、って」
「ははは!」
「いやだって岡地、キャッチャーしてたんですよ。小尾町さん解放できますよ」

 椎原が元々ファーストだったのに選手不足でキャッチャーに転向させられた先輩を気遣えば、室島が大笑いした。

「それで夫夫でバッテリーを組むって?」
「いいでしょ?」
「普通の夫婦より仲が良いな」

 室島の言う通りだ。椎原と岡地は、確かに仲は良い。だって幼馴染だ。そのまま結婚したから、何のしがらみもない。同じ家だが別々の部屋で寝起きし、生活費は折半家事も分担、椎原が今まで通り毎日ランニングして筋トレしてネトフリ見て仕事して寝る生活をしても、岡地は今までの恋人のように「どこか連れて行って」「構ってほしい」なんて言わない。椎原が酷い家事をするととんでもない罵詈雑言を浴びさせてくることはあるが、それは椎原も出来なさ過ぎるのを自覚しているから我慢できる。たまに同じ映画を見たり、一緒に晩酌すると楽しい。

「それだけ仲が良ければ何の心配も無いだろ」

 室島が空の缶コーヒーをゴミ箱に捨てる。そのまま仕事へと戻っていくので、椎原も残りをぐいっと一気に飲み干した。何か釈然としない気持ちも一緒に腹の中に入れて、岡地の入社手続きへと戻った。


 
 人事課の椎原が入社手続きをしたから岡地の待遇はよく知っていた。知っていたが本人に確かめたかったから家に帰ってすぐ聞いた。

「何で俺はまだ役職無しなのにお前はいきなり主任なの?」
「……順当だろ?」

 それだけ言って岡地は自分の部屋へと入った。順当。転職者の理由として一番不可解ではないか。むかっ腹がたって「すいませんねぇ、仕事が出来なくて」と椎原が言うと「そうじゃねぇ」と部屋の中から返事が返ってきたが、椎原は聞いてなかった。
 それからこの話は喧嘩にしかならないと悟った2人はずっと話題に出すのを避けていたが、職場では無遠慮に耳に入ってくる。椎原が珈琲を淹れに行くと、後輩の女子社員が集まって立ち話をしていた。

「岡地さん主任なんだって」

 誰かがそう言うと、椎原は話に入れなくなって給湯室の前で立ち止まってしまう。それから休憩室の自販機で買おうと足先を変えると「てか椎原さんと結婚してるってどういうこと!? もったいなくない!?」と聞こえてきた。噂話はもう少し静かにやってほしい。よくよく立ち聞きしたわけじゃないから逆にその台詞だけが頭に残り、どんな意図で放たれたのか気になってしまう。――もったいない。岡地の相手が俺だともったいないのか。それとも男同士の結婚のことを言ってるのか。
 休憩室の椅子に座って椎原がぼーっと考えていると、後ろからの気配に気づく。

「もうサボってるのか。暇でいいな、平社員」
「……岡地主任こそ、休憩室に来るの早すぎないっすか?」

 椎原が嫌味を返すと岡地は薄く笑う。「俺はミーティング前の煙草」と喫煙の後の匂いを追わせる。岡地は喫煙の後にコーヒーを飲むのが好きだ。自販機で缶コーヒーを買う後ろ姿を見て、椎原も「そういえば俺もコーヒー飲みたかったんだった」と思い出した。

「給湯室行ったら女性陣が話し込んじゃってて」
「何の話で?」
「俺らの結婚」

 椎原の答えに、そうだろうと分かってたけどあえて岡地は聞いた。今の社内での噂話は男同士の結婚で持ちきりだ。

「それでお前逃げて来たのか」

 そんなことで逃げてたらきりがない。もっと堂々としろと岡地が苛つくと「だって」と椎原が続けた。

「もったいないんだってさ。俺らが結婚してんの」
「ああ、なるほど。その女、お前に惚れてたんだろ」
「えッ、俺!? お前じゃなく?」
「何でだよ。俺が入社したのつい最近だぞ」
「岡地さんは元は大手メーカー勤務で入社後即主任で顔も悪くないって話じゃねーの?」

 あと岡地はすぐ猫被るし、という言葉は飲み込む。
 スラスラと椎原から出てきた自分自身の賛辞に岡地が笑う。

「はは、何だ、嫉妬か」
「嫉妬? どっちに?」
「…………」

 椎原の疑問には答えず岡地はコーヒーを口に含んだ。

「……飯にでも誘ってみるといい。そうしたら分かる」
「は?」

 岡地の提案に、思わず椎原は真顔になる。
 噂話をしていた女子社員を、食事に誘えと。

「いやいや、それ浮気じゃん」
「別にいいぞ、浮気しても。今日ちょうど定時退社日だろ?」
「今日は野球!」
「……ああ」

 この会社では週に一度、定時退社日がある。努力目標だが守る社員は多く、ほとんどの社員が定時で退勤して帰る。そんな貴重な約束されたプライベートの時間に、会社の野球部は練習日を設定しているのだと言う。げんなりする岡地。

「何でよりにもよって定時退社日に練習してんだよ……」
「定時退社日だからするんだろ。岡地もやろうぜ」
「アホか。仕事終わってまで会社の連中と顔つき合わせてられるか」

 椎原は何度か岡地を野球部に誘っているが、いつも同じ理由で断られている。あまり会社の人間と必要以上に関わりたくない。ということは、岡地は野球すること自体が嫌なわけじゃないようで、椎原の今までの経験則から言えば、これは押してればいつか落ちる。だから野球の話になれば何はともあれ椎原は押すようにしているのだが、条件反射で会話の流れを変えてしまい、重要な話を聞き逃してしまった。
 新婚にも関わらず、岡地に浮気を容認されたような……

「……ん?」

 岡地が近づいてきたと思えば、飲みかけの缶コーヒーを椎原に手渡した。

「やる。口直しに買ったけど、もういらん」
「えー、ほぼ飲んでねぇじゃん。さんきゅー」

 元はと言えば椎原はコーヒーを飲むために給湯室から休憩室まで来ていた。ようやくありつけたそれを口に流し入れながら、仕事へと戻る岡地の後ろ姿を見送った。一気に飲み切るには量が多く、何となく缶を見る。岡地の飲みかけの缶コーヒーを何の抵抗もなく受け取ってしまった。少し煙草の味がして、飲み口に岡地が飲んだ後が残っていた。椎原はそれが嫌じゃない。嫌じゃないと思う程度には、仲が良い。
 そう、仲は良いのだ。
 でも、椎原と岡地は、それだけだ。
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