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355話 私の記憶でございます。 3

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「あいりぃ、寝る前にえ本よんでぇ!」
「はい、ただいま!」


 いつの間にか場面が変わり、お嬢様と私が大きくなっていた。お嬢様はだいたい2歳から3歳頃だろうか。そして私は小学校に通い始めたばかりの頃だ。
 十歳未満の子供では、いくら生まれた時から給仕のイロハを仕込まれてきとはいえ限度があるため、本来やるべき仕事の半分くらいしかまだ任せれていなかった覚えがある。概ね、この頃の私はお嬢様にとっての姉代わりと言ったところか。

 そんなことよりお嬢様が可愛すぎる。天使よ、天使。なんだか涙が出てきちゃいそう。


「今夜はどれになさいますか?」
「これ!」
「先日、御主人様がプレゼントなさった本ですね。了解しました」


 お嬢様は自分専用の絵本棚の中から、一際新しく綺麗な本を指さした。この本には記憶が蘇ってきた今となってはかなり覚えがある。この本を初めて読む日となるとこの場面は、私のあだ名が決まる日ということか。


「_________すると、おじょう様は言いました。『ばぁや、あたしからのおたんじょーびのプレゼント。あげるね!』おじょう様はばぁやに無事、手ぶくろを渡せましたとさ。おしまい」
「むふー」
「如何でしたか?」
「いいお話!」
「そうですね、ほっこりしますね」
「うん、このお話のおじょう様と、ばぁやっておばーさん、すごく仲がいいの! ……なんか、ばぁやってこーゆーお話でよくきくね」
「たしかにそうかも知れませんね」


 給仕係の老婦のことをばあや、男性の場合はセバスチャンなんて呼ばれてるのを非常によく聞く。そこに気がつくとはさすがお嬢様、この歳にしてなんて聡明な頭脳。将来性はケルくん並みかもしれない。


「……えーっと、わたしにとってこのえ本のばぁやは、あいりなんだよね? そーゆー……たちばっていうの?」
「はい、その通りでございます」
「そっかぁ……ね、ね、あいり」
「はい、なんでございましょう」
「私もあいりのこと、ばぁやってよんでもいいかな?」
「勿論でございます。お嬢様は私のことをお好きにお呼びくださいませ」
「やった! えーっと、ばぁや!」
「はい」
「ばぁや!」
「はい」
「えへへへ!」


 ぐっ……かわいいっ……! ただここで私が軽率に了承したばっかりに、これ以降ずっとお嬢様から私へのあだ名が「婆や」になってしまった。4つしか離れていないのに。
 そのため、私が中学生辺りの多感な時期にほんのちょっぴり嫌気がさしたりささなかったりしたのを覚えている。本当にちょっぴりだけ。


「おやすみ、ばぁや」
「はい、おやすみなさい。お嬢様」


 そして可愛い幼少期のお嬢様は眠りについた。……あ、子供の方の私がヨダレを垂らしてニヤニヤしてる。側からみたら気持ち悪いわね。


◆◆◆


 気がつけば、今度は道場。
 私は勝負くんと組手をしていた。私の見た目からして、お嬢様から婆やと呼ばれ始めて半年後といったところのようだ。この頃にはすでに私と対峙できる同年代はおらず、まともに相手できるのは中高生以上の人か勝負くんだけ。徒手格闘のみならず、薙刀や刀剣といったこの道場で扱っているほぼ全ての分野でそんな状態だった。

 それにしても、勝負くんはこの頃からイケメンの片鱗があったようだ。この頃の私は特に気にしてないと思う。ただ、言葉にはしないけど内心彼のことを認め始めていた覚えがある。


「それまでッ」
「ありがとうございました」
「ありがとうございました」
「くっそー、また負けた」
「ですが惜しかったですよ」
「そう、いつも惜しいんだ。それ以上にはまだ……」


 あら、私と付き合ってるガーベラさんはこんなに負けず嫌いだったかしら。いや、結局は私と喧嘩して勝ってるわけだから、今もそう変わらないのかも知れない。
 

「愛理ちゃん、そろそろ帰る時間だろう」
「おや、そのようですね。先生、今日もありがとうございました」
「ああ、じゃあまた明日」
「はい。勝負くんもまた明日、学校で」
「ん、じゃあね」


 ……これで終わりかしら。なぜこんなところがピックアップされたのだろう。特に変わったイベントはなさそうに思える。
 と、そんなことを考えていたらこの道場のチャイムが鳴り響いた。私達や門下生一同はそちらを振り向く。師は私に待つように言い、それに出た。


「はい……あ、どーもどーも……え……えぇ!? いやぁ、これはこれは。あ、はい。たしかに今ちょうど終わったところです。これから着替えて帰宅させるところでして。しかしまさか……」
「どうしても愛理が通っている道場を見てみたいと言ってきかなくって、申し訳ありません」
「いやぁ、とんでもない。むしろ蛇神様にこんな古い道場をお目に入れてしまい謝りたい気分というか……」


 なるほど、お嬢様が初めてこの道場に来る日だったか。ということは、勝負くん、もといガーベラさんが初めてあの方と対面する日でもある。そうだ、この日を境にたしか、勝負くんはお嬢様と1度や2度ならず何度も対面してたはず。


「愛理ちゃん、お嬢様がお迎えに」
「えぇ!?」


 道義から着替えるのも忘れ、玄関に出る小さい私。そんな私を見てお嬢様は目を丸くしている。可愛い。


「すごい、それがどーぎ? 強そうね、ばぁや!」
「ありがとうございますお嬢様。しかし、わざわざ私を迎えに来るだなんて。どこで誰が狙ってるとも判らないのに……」
「ばぁやのパパがいっしょだから大丈夫! ね!」
「ええ、その通りですお嬢様」


 お父様も一緒に来ている。御主人様から頼まれたんだろう。
 それはそうと、気がついたら勝負くんが小さい私の隣でボケッとした顔で突っ立って、お嬢様のことを物珍しそうに眺めていた。


「この子が愛理の言う『お嬢様』なんだ。……なんかすごい」
「あ、こらいつの間に! それに『この子』はよしなさい。この方々は代々伝わる由緒正しき……ほらお前たちも覗かない!」
「勝負くん、それに皆さんも。くれぐれもあの方には敬意を払って下さいね?」
「わかってるよ、なんかすごいっていうのは聞いてるし」
「ええ、不敬を働いたら私が許しませんからね。肝に銘じてください。……お嬢様、お父様、私は着替えますので少々お待ちを」
「うん!」
「あまり待たせないようにな」


 小さい私は更衣室へと消えていった。私も私自身について行くべきか悩んだが、いくら女の子といっても自分の裸を見ても何も思わないので今の私はこちらに残ることにする。


「それで、どうですかアレは」
「いやぁ、優秀ですよ。俺の親父が見たら昔の貴方そっくりだと言うでしょうね」
「そうですか。まあ、そうでなければ困りますが」
「……? ばぁやパパもここに居たの?」
「その通りですよ、お嬢様」
「そっかー! いっしょなんだね! ところで、ばぁやの横にいたあなた!」
「は、はい!」


 お嬢様が勝負くんに目を向けた。そして、お嬢様は目をキラキラと輝かせている。


「もしかして、ばぁやのカレシっていうの? そーゆーのなの? わたし、ばぁやが外の人と仲良さそうにお話ししてるの初めてみた!」


 なっ……こんな会話をしていたのか。たしかになんだかこの日から勝負くんの態度がよそよそしくなったというか、女子として扱うようになったと言うか。そのきっかけはお嬢様だったのね。今は実際にその通りになってると考えると、さすがはお嬢様、先見の明もあったのね。


「え、ええ!? 仲良さそう……?」
「あれ違った? じゃあお友達なの? ほんとにカレシじゃなくて?」
「違います、お嬢様。友人というのは認めても良いですが」
「あ、おかえりばぁや!」


 おそらく1分ほどで着替えて私はお嬢様らのもとへ戻ってきた。それより、小さい頃の私から彼を友達と認める旨の言葉が出るなんて、この頃から勝負くんには少しデレていたとも言える。
 ちなみに勝負くんは何で思ってるのかしら。ちょっと顔を項垂れさせてて表情がわからない。照れててくれると、何となく嬉しい。


「でもざんねん、ともだちかー」
「その通りです。ともかくんお二人ともお待たせしてしまい申し訳ありませんでした。帰宅しましょう」
「ではこれで。また明日以降も愛理のことをよろしくお願いします」
「あ、ああ。はい。ではまた」


 とにかく、ややあって私達は車で帰路へとたった。
 そんな車中、お父様はすこしこわい表情で私に注意を始める。と言ってもそこまで怒ってるわけじゃないのはわかる。しかし、しかしその瞬間に今の私が、全身が凍りついたような感覚に襲われた。
 その正体は、お父様が話したその内容だった。


「……愛理、わかっていると思いますが、貴女に婚約相手を決める権限はありません。これは石上家の決まりです。改めて肝に銘じておくように。私達は決められた相手として恋愛はできないのです」
「……? え、ええ、理解しておりますとも」
「んー、なんのお話?」
「ああ、お嬢様、申し訳ありません。今のは石上家の問題。お嬢様はお気になさらずとも大丈夫です」
「そーなんだ」


 小さい私は今の話を当たり前のように受け流した。当然、このお嬢様より幼い頃からその話は聞いていたから。
 でも今の私にとってはどうか。記憶を回想し始めてからも何度も聞かされた「蛇神家に仕えているから自由がない」と言う言葉、それの本当の意味を再確認させられた。

 そう……そうだ、もし地球に戻れば私はガーベラさんと、勝負くんと結婚できなくなる。しかし、私は彼女を守るのが使命として生きていた。地球に戻らなければならない。
 今私が抱いているのは迷い。きっと、記憶を取り戻し始めた時からわかっていたことなのに……今更。私にとってはどっちも大事で選ぶことなんてできないのに……。


「あ、そういえばばぁや! さっきちょっと聞こえたんだけど、ばぁやといっしょにぶじゅつ習ってるみんなが、なんか、ばぁやのこと『ばぁや』って呼ぶの気に入ったみたいだよ?」
「おや? そうですか」


 お嬢様の言葉で私は我に帰った。そう、だめよアイリス。私は私自身の過去を全部見て……それで、ちゃんと判断しなければ。

 そしてもう一つ余計なことを思い出した。この頃から一部では、私のあだ名が『ばぁや』あるいはそれに因んだ名で浸透してしまったことを。今の私はどうも、また、何でもないかのように受け流しているけれど……。





#####

お待たせしました、1ヶ月ぶりの本編です。申し訳ありませんでした。
次の投稿は来週の火曜日の深夜~水曜日の朝の予定です。
変更する場合は当日の夜迄にここに記入致します。


追記:申し訳ありません、次話は明日か明後日に投稿します。
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