東雲に風が消える

園下三雲

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暁を行く鷗

21.

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 それからというもの、牡丹は毎日簪をさした。まだ三日しか経っていないが、一人で上手に髪を纏めている。真っ直ぐに長い髪の揺れるのを見られないのは少し寂しい気もしたが、懸命に仕事をしている内にほつれてくるのもこれまた愛らしい。

「掛長。いったいいつまでそうしておられるおつもりですか」

 掛長はといえば、こちらの仕事を手伝うでもなく、日がな一日、飴狼達にピタリと寄り添うように寝転がっている。腹立たしいのは目の前でゴロゴロされることではなくて、俺が街へおりたあのたった一日の内に、掛長はすっかり碧龍達を手懐けて心を明け透けに開かせてしまっていたことだった。

「いつまでだって良いじゃないですかー。飴狼の背中、温かくて寝心地最高ですよー」

 そんな豪腕など感じさせない間の抜けた喋り方が鼻につく。齢二十四で掛長を務めるというのは特筆して早いわけではないが、やはり日頃から隙があればすぐに怠けようとするにも関わらずこうして長として立つのは、それほど神獣の扱いに長けているということだろう。……神獣に限らず、人間の扱いまで上手いような気もするが。

「寝るなら用意した部屋で寝てくださいよ。そうでないなら手伝うか、せめて掃除の邪魔になる場所にいないでください」

「お邪魔でしたか? 仕方ありませんね。それなら牡丹を連れて部屋に戻りますか」

「どうして牡丹を連れていくんですか!」

「会えていなかった分、今たくさんお話ししたいんですよ」

「牡丹はまだ話せませんよ」

「大丈夫。私の話を聞いてもらうだけですから」

 ああ言えばこう言う掛長に更に何か言ってやりたくて、何も適当な言葉が浮かばなくて息だけを溢す。目の端には、渦中の牡丹が碧龍の背に乗ってキョトンとした顔でこちらを見ているのが映っていた。

「掛長の暇潰しに牡丹を使わないでください。牡丹には牡丹の仕事があるんです」

 そうきっぱりと断ると、掛長は

「そうですかぁ、残念」

と言ってまたすぐに神獣布団にでも包まるように寝転がった。

「だからそこで寝るなって!」

 俺の怒声は寸前で閉じられた瞼に阻まれて届かない。大仰な寝息にもはや何かを返すのも煩わしくて無視を決めた。

「ん?」

 のそりと影が動く。騒がしくしすぎたかとそちらを見れば、飴狼が徐に玄関へ向かうところだった。

「飴狼、散歩か?」

 飴狼に問いかければ、

「散歩? いつも一人で?」

と掛長が反応する。

「ああ、うん。すぐに帰ってきますから」

「へえ。飴狼、私も乗せていって」

 今まで散々うだうだしていたとは思えない軽やかな動きで掛長は飴狼の傍らまで行くと、全身を預けるようにしてまたがった。

「ついていく気ですか?」

 溜め息混じりの俺の声に

「行ってきまーす」

と掛長はひらひらと手を振って応える。

(まあ、いいか……)

 飴狼の行き先には心当たりがあった。以前一度だけ着いていったことがある。目的地こそ美しい場所だが、道程は狭く険しい。ひょっとすると掛長は音をあげて先に帰ってくるかもしれない。

 それはそれで面白いか、と、扉が開く音を背後に聞きながら掃除を進める。

「うわぁ!!」

 突如若い男の悲鳴が聞こえて振り向けば、ちょうど飴狼達と鉢合わせてしまった郵便局員が腰を抜かしているのが見えた。

「おや、郵便やさん。驚かせてしまいましたか」

 掛長がのんびりと彼に手を差しのべたが郵便局員は後退りするばかりで、

「あ、あの、電報です! 空木様宛です! お渡しいたしましたので!」

と、投げるように電報を渡すと転びながら走って帰っていった。

「そんなに怯えなくても宜しいのに……」

 掛長はポツリと呟いて、それから電報に目を通した。

 空木というのは掛長の名前だ。もっとも枳殻が死んでからというもの、その名で彼を呼ぶ者は誰もいないが。

「桔梗君。綱はありますか?」

 振り返って掛長は問いかける。電報には何か良からぬ事でも書いてあったのだろう。普段通りを装っているつもりだろうが、薄く表情が引きつって、その声は僅かに固い。

「綱、ですか?」

「散歩は全員で行きましょう。彼らが自由に動けるように、出来るだけ長い綱を四本準備しなさい。飴狼、準備が出来るまで建物の中に戻りましょうか」

 何か感じ取ったのか素直に従う飴狼を「良い子ですね」と褒めてから、掛長は手招きして牡丹を呼ぶ。

「牡丹。これを羽織ったら、桔梗君から綱をニ本貰っておいで。一緒に碧龍と菫烏の準備をしましょう」

 奥に仕舞いっぱなしだった箱を引き出して綱を確認しながら牡丹の方を見遣れば、掛長が牡丹に俺の外套を手渡すところだった。受け取って牡丹はそれを肩からかける。

「駄目ですよ、きちんと釦も留めなくては」

 ぴしゃりと注意されてしまって、牡丹は落ち込んでいないだろうかと思うより先に自分の胸が痛んだ。片腕ではどうにもうまく着せてやれないのでいつも肩にかけるばかりにしていた俺のせいだ。牡丹が注意されるのは、自分が叱られるよりもうんと苦しい。

「あの、俺が釦を留めて着せてやったことがないので」

「桔梗君、君は飴狼と松虎をお願いします。くれぐれも首に綱を回すなんてことはしないように」

「しませんよ、だけど」

「留め方を知らないのなら私が教えます。いつまでも羽織るだけではこの子が困るでしょう」

 お前は近づくなと、牡丹は任せて自分の仕事をしろとそう言われているような気がして口を噤むことしか出来ない。実際、俺が牡丹の元へ行ったって何もしてやれることなど無かった。
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