東雲に風が消える

園下三雲

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晴天に歌う雀

9.

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 雀の献上先は帝の娘に決まった。これについて特に神託は無く、初雪の降った日の昼過ぎに、掛長が二名の官吏を伴って御前に参上した。

「姫。こちらが神獣の雀でございます」

 布をかぶせた鳥籠を掲げ、正面を少しばかり捲って見せる。

「まあ! なんて愛らしいの!」

 齢九つばかりになる姫は頬を紅潮させ、口元に手を重ねた。大きい目を更に見開いて雀と掛長を交互に見る。掛長が微笑むと姫はハッとして息を整え、それから少し落ち着いて雀を見つめた。

「ああ雀、初めての場所でドキドキしているのね。大丈夫よ。ここが今日から貴方の家。貴方の部屋。ずっと私と一緒よ」

 姫は優しく声を掛ける。籠の奥で様子を窺っていた雀も、丁寧な誘いに少しずつ姫のほうへ近づいていく。

「ねえ。この雀は歌が得意だと噂の子?」

「はい。姫のお側が安心できる場だと分かったら、すぐにでも歌い出すはずです。とても歌の好きな雀ですから」

「そう。楽しみだわ」

 籠越しに何度かその頬を撫でた後、姫は雀を籠の外へ出して良いか訊いた。掛長が首を深く縦に振ると、姫はそっと籠の扉を開いた。右手を静かに差し出すと、雀は躊躇いながらその指に足をかける。

 雀が完全に籠の外に出たのを確認して掛長は控えていた官吏の一人に鳥籠を手渡すと、姫のそばに寄り「失礼します」と雀を乗せた手を支えた。

「雀、大丈夫よ。安心していていいわ。貴方が怖いと思うものは、私がすべて消し飛ばしてあげる。だから聴かせて? 貴方の素晴らしい歌声を」

 姫は安心させるように何度もその背を撫で温かい言葉をかけたが、雀はきょろきょろと落ち着かない様子で、とても歌うどころではなかった。次第に姫の表情も陰りはじめ、侍従達の動揺が広がっていく。それが更に雀の不安を増幅させた。

「少し、人が多いのかもしれません。神祇省の片隅でずっと暮らしていた雀ですから」

 掛長が姫の手と雀の両方を包んで言う。柔らかく、しかし芯の通った頼もしい声が、崩れそうな姫を支えた。

「用の無いものは下がりなさい。この者一人が居れば、それで十分よ。この子のために他の者は出ていって」

 姫の毅然とした物言いに、掛長を除いた全員が深く礼をして退室していく。

「ご立派でございました」

「この子は、大丈夫かしら。いきなり大勢の知らない人間の前に引き出されて、怖かったわよね。私ばかりはしゃいでしまって、この子を思いやることもせずに……」

 思い切り眉を下げる姫を掛長は慈しんだ。この姫であれば大丈夫だと確信し、自信を持たせるのに適当な一押しは何か、雀をじっと見つめる。

「笑いかけてあげてください。きっと落ち着きます。それから、この部屋のものを一つずつ紹介してあげるのも良いかと。例えば、これは急須と言って中に茶葉と温かいお湯が入っている、とか」

 急須を手に取り例を示して見せると、姫は少し戸惑いながら部屋を見渡す。本当にそれで良いのかと不審がる姫に、掛長は口角を上げ黙って頷くばかりだった。

「雀。これは本よ。異国の文字で書かれているの。読めないけれど、面白いわ」

 覚悟を決めたように小さく息を吐き、姫は見様見真似で雀に話しかける。これで良いかと訊ねるように掛長を見るので、彼は

「お上手です、姫様」

と、確かな眼差しで答えた。

 本棚や机、窓の外などを順に回り、最後に姫はオルガンの椅子に腰かけた。雀を乗せた手を胸元に、反対の指を鍵盤に乗せる。

「大きな音は、驚いてしまうかしら……」

 呟いて束の間逡巡し、それから雀を胸で包むようにピタリと寄せた。


  ソミミ ファレレ ドレミファソソソ


 姫はそれだけを弾くと鍵盤から指を離した。優しく空気を纏った音が、今も静かな部屋に染み入るように響いている。ゆっくりと気遣いながら奏でられた余韻を、雀はその煌めきを追うように眺めているようだった。

 音がすっかり消えると、部屋はそれ以前に比べて静寂と温もりを増し、時間だけが緩やかに流れる。

 そして聞こえてきたのは、雀の歌声だった。先ほどのオルガンの旋律をそっくりなぞって、高く丸い声は川の水のように透き通って耳に届く。

「……今の、聴きましたわね?」

 姫が息を飲みながら小声で尋ねる。その瞳は思いがけない感動に強く濡れている。掛長が「ええ」と嬉しそうに微笑むと、姫は一気に破顔した。

「素敵! なんて優しい歌声なの!」

 姫が声を震わせると、雀ははしゃいだように飛び立って鍵盤の蓋に留まった。体を揺らしながら、何度も短い旋律を繰り返す。

「姫様がお喜びになっているのが分かるようです。姫様が笑っていらっしゃるから、雀も陽気に歌うのですよ」

 雀はそしてまた姫のもとへ戻り、右肩、左腕、腿の上、伸ばした指先、とパタパタと忙しなく飛び回る。そうすれば姫はクスクスと嬉し涙を流しながら笑うと分かって、雀は更に浮かれてあちこち移動しては小首を傾げて姫の顔を逐一覗いていた。

「嬉しいわ。私のもとへ来てくれてありがとう、雀」

 漸くして雀が左の肩に落ち着いて、それから姫は軽く頬擦りをした。それに応えるように「チチチッ」と雀が鳴く。互いに目を閉じた一人と一羽の幸福を邪魔するように、

「姫様。一つ、大切なお話があります」

と、掛長は真面目な声を掛けた。

「その雀は、鏡のような存在だとお思いください。姫様が雀を大切に思えば、雀も姫様のお心に寄り添って歌います。しかしもしも雀を蔑ろにしたら、もう歌ってはくれないかもしれません。姫様のもとを去ってしまうかもしれません」

「私はそんなことしないわ」

「ええ。分かっていますよ、姫様が心優しい方であることは、私も、その雀もきちんと分かっております。だからおそばに在るでしょう?」

 水を差された姫は少し口を尖らせ拗ねて見せながら、しかし雀を柔和に見つめつつ、きちんと掛長の話を聞いている。

「姫様。この子と幸せになる覚悟はございますか?」

「幸せに、覚悟などいるの?」

「ええ。この雀はまだ小さい。知らないことだって山ほどあります。この子自身が危険に飛び込んでしまうかもしれませんし、姫様を危険な目に遇わせることもあるかもしれません」

「そんなの、この部屋から出さなければ良いだけのことよ」

「いいえ、姫様。うっかり窓を開けておいたら、その隙間から外へ飛び出て迷子になって、二度と戻って来られないかもしれません。ドアを僅かでも開け放していたら、美味しい匂いに釣られて熱々のスープに身を投げて焼け死んでしまうかもしれません」

「……そんなにお馬鹿さんなの?」

「馬鹿なのではありませんよ。そうしては死んでしまうということを知らないだけです。だから姫様が一つ一つ教え導いてあげなくてはならないのですよ。雀が安全に暮らせるように、環境も整えてやらねばなりません」

「へぇー」

 何処か滑るような相槌に、九歳の子にはまだ想像が難しいのかもしれないと感じつつも、掛長は慎重に言葉を続けた。

「この子は歌が上手です。その内、姫様だけのために歌うようになることもあるでしょう。その歌はきっと、姫様をとびきり喜ばせることだろうと思います。だけど、反対に悲しませることもあるかもしれません。例えば、姫様の宝物を壊してしまうこともあるかもしれませんよ。その、綺麗な自鳴琴とか」

「え……」

「その雀に限らず、共に暮らすということは、楽しいことばかりではありません。悲しい思いも、怖い思いもするかもしれません。それでもこの子と一緒にいたいと思えますか? 一人と一羽で、幸せな未来を描くことが出来ますか? 描いた未来を、信じる覚悟はございますか?」

 嫋やかで静謐で、そして重たい問いかけに、姫は思わず瞳を揺らした。一瞬の動揺。しかしすぐに姫は頭を小さく振る。

「大丈夫よ。私はお姉さまだもの。なんでも教えて差し上げれば良いだけのこと。私はこの子が気に入ったのだもの。誰にもあげない。絶対に手離さないわ。覚悟の一つや二つ、いくらだってしてみせるわよ」

 姫は負けん気の強い目で、真っ直ぐに掛長を見据えた。ほんのりと漂う気品と風格に、彼女が紛れもなく「帝の姫」であることを認識する。

「よろしくお願いいたします、姫様。この子が頼れるのは姫様だけですから」

「任せておきなさい。この子と一緒に、世界で一番幸せになるわ」

 夢とも誓いとも野望とも違う姫の言葉に同調するように、雀も「チチッ」と胸を張った。
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