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しおりを挟む場所を変え、貴族街にほど近いアンティークな雰囲気のカフェの個室で、リシャーナはザインロイツ夫人と向かい合っていた。
丸テーブルの上には、夫人のおすすめだという紅茶と焼き菓子が並んでいる。
店の者が使用人然とした落ち着いた所作で品物を置いて行ってから、二人の間には居心地の悪い沈黙が横たわっていた。
(いや、居心地悪いと思ってるのは私だけかな……)
温かな紅茶に口をつけ、リシャーナは思った。
店員に気さくに話していた夫人は、リシャーナにも「温かいうちに食べて」と笑顔を向けた。
しかし、そのあとからは考え込むように難しい顔をしている。
(あ、美味しい……)
伯爵夫人が勧めるだけあり、たしかに紅茶は美味しかった。茶葉のほのかな渋みが口に広がるが、決してくどくなくてさらりとした口当たりだ。
手持ち無沙汰を誤魔化すためだったが、あまりに美味しかったのでまた一口飲み込む。
再び口に広がる紅茶を堪能していると、不意に部屋の隅に控えた護衛のロレンと目が合った。
微笑ましそうに笑みを向けられ、慌てて表情を引き締めた。
(いけない……最近ユーリスとばかり接していたから気が緩んでるのかな……)
彼には感情を露わにした姿を幾度も見せてしまっている。そのせいか、ユーリスといるときはリシャーナはほんの少し心が軽かった。
すでにみっともない姿を見せているから、どこか開き直っていたのだ。
(この方は伯爵夫人なんだから……しっかりしないと)
同じ伯爵家といえどリシャーナは子女であり、かたや当主を支え家のことを取り仕切る夫人である。
なにか無作法があれば、リシャーナだけではなくハルゼラインの家族に迷惑をかけることになる。
本来であれば、家を追い出されたユーリスについて話題に出すべきではない。彼のことは、ザインロイツにとっての逆鱗であるかもしれないのだから。
(でも、あそこに夫人がいたということはユーリスに関係があるはず)
リシャーナは彼が人の視線を怖がる理由を知っている。苦しんだ時間を知っている。もし、ザインロイツが再びユーリスにその頃の傷を思い出させるのだとしたら……。
(見て見ぬふりなんて出来ない……)
音もなくカップをソーサーに戻したリシャーナは、そっと深呼吸をして怯える心を静めた。
「ユーリスはすでにザインロイツから排斥されたと伺っています。そのザインロイツの夫人が、彼にどういったご用件なのでしょう」
正面から切り出したリシャーナは、夫人の怒りを受け止める覚悟でいた。しかし、護衛のものは驚きつつも剣呑さはみせないし、それどころか夫人は、顔を赤くして怒るどころか青ざめてしまった。
思わぬ反応に、リシャーナのほうが拍子抜けしてしまった。
おろおろと動揺している夫人に、なんだかこちらが責めているような気分になってくる。
やがて、夫人は諦念を匂わせるように微笑んだ。
「そう……あなたはもう知っているのね」
――それでも、あの子のそばにいるのね。
そう独りごちた彼女の笑みには、どこかリシャーナを羨むようなそんな淋しさが見えた。
「ハルゼライン家に理由も告げず婚約を破棄したこと、本当に申し訳なく思っているわ」
恭しく頭を下げられ、リシャーナは焦って顔を上げるように促す。
夫人は顔を上げても視線は俯きがちだった。それはハルゼラインへの後ろめたさからだろうか。
なんとなく、それは違うような気がした。
「知っての通り、ユーリスが貴族籍から排斥され、我がザインロイツとも縁を切ることとなったの……あのころは私たちも動揺していて、自分たちの口から嫡男が排斥されるからなどとてもじゃないけれど言えなかったわ」
沈んだ様子で言われ、リシャーナは内心で同情を示した。
そりゃあれだけ完璧で優秀な嫡男が、突如問題を――それも他家の男爵令嬢相手に起こしたなどと信じられなかっただろう。
(あの医師からは、事情知った両親が縁を切ったと聞いたけれど……)
どうやらリシャーナが想像していたように、冷たくあしらって追い出した……というふうでもないらしい。
むしろ、そんな息子の姿を信じたくなくて距離を取ったというように見える。
「あの子は今、元気でやっているのかしら……」
ぽつりと落ちた声はあまりに小さくて、一瞬リシャーナは反応が遅れた。
「ユーリス様は私の見る限り、楽しそうに過ごしていらっしゃいます」
そこまで言って、赤くのぼせたユーリスの様子が思い出されて「あっ」と声が出た。
(そうだ。私ユーリスのご飯買いに来たのに……!)
あれからどれぐらい時間が経っただろう。
ユーリスの家からこの店までそう長い時間はかからない。けれど、ここで話していた時間と今から買い物をして帰る時間とを考えると、それなりに待たせてしまうことになる。
急に慌てだしたリシャーナに、夫人とロレンは顔を見合わせた。
「リシャーナ伯爵令嬢……? なにかありましたの?」
「あ、いえ、その……」
ここでユーリスのことを話してよいものか。だが、リシャーナが迷ったのは一瞬のことだった。
――元気でやっているかしら
あの弱った声の中に、夫人がユーリスへ向ける愛情を感じたからだ。
「申し訳ありません。今、ユーリス様が熱を出して伏せっておりまして……私ユーリス様のお食事の買い出しに行かねばならないのです」
そう言って退席の許可を申し出たのだが、夫人は難しい顔で黙り込んだと思えば、意を決したように顔を上げた。
「あの、リシャーナ伯爵令嬢」
「はい」
「私も……ご一緒してもよろしいかしら」
ユーリスと同じ若緑色の瞳に縋るように見られ、リシャーナは思わず了承してしまった。
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