スターチスの思い出

めぐみ

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「今は、それで十分だ」

「え、あ、の…」

あまりに予想外のことに呆気に取られていると、再び私の手を引いて歩き出した。 
そうしてしばらく歩いていると、足元が草や木々で生い茂ったところへ入っていく。

「足元、大丈夫か」

「ええ、慣れているので…大丈夫です」

「でも、スカートだろ。悪いな足場悪いって先に言っておけばよかった」

大丈夫だと言っているのに倒木や川を跨がなくてはいけないときは甲斐甲斐しく手を貸してくれる。子供のように軽いなんて言える体重じゃないのに彼はすいと持ち上げてどんどん私を森の奥へと連れて行ってしまう。

「…確かこの辺」

ハーヴィルが木々を手で掻き分けると木漏れ日の入る開けた空間に出た。そこには一面ピンクのスターチスが色づいて自然のじゅうたんのようだ。

「スターチス…綺麗…」

スターチスは色鮮やかな花とも見間違うようなガクをつけている華やかな植物だ。見逃してしまいそうなところどころに見える白い部分が花弁で、思わずしゃがみこんでのぞき込んでしまう。

「あまりに綺麗だから…その、見せてやりたくてな」

ハーヴィルは照れくさいのか顔を逸らしながら、そう答えた。本当にデートのようなシチュエーションに驚きながらもなんだかこちらも照れくさくなる。

「ありがとう、ございます…」

「それに…いや、なんでもない。メシ、食うか」

ハーヴィルは荷物から麻の布を取り出してそれを引き、バスケットから弁当箱を取り出した。そんな時森の奥からがさりと音がして体を強張らせた。森も相当奥まで入ってきたのでオオカミやクマがいてもおかしくない。

「ミサ、おれの後ろにいろ」

思わず彼の背中にしがみつくように回り込んで、音がするところを凝視する。しかしそこから出てきたのは予想に反して小さな子供だった。気を張っていた私は力が抜けてしがみついた手を離した。

「わ、わかさま…?」

4,5歳くらいだろうか。男の子が出てくるとハーヴィルの脚にしがみついた。

「お前…一人か?父ちゃんと母ちゃんは…」

無言を貫き通すあたり、家を抜け出してここまで一人で来たのだろう。ハーヴィルはため息をついて子供の体を抱き上げると麻の布の上に座らせる。

「勝手に出てきちゃダメって前も言っただろ、怪我したらお前の親が悲しむ…」

しゃがみこんでハーヴィルは真剣な顔つきでそういった。子供に対してまっすぐ向き合って話す姿勢があまりにも意外でその様子に魅入ってしまう。なんかそう、子供の世話なんて苦手そうなイメージを勝手に抱いていたから。

「ほら、俺との約束。勝手にもう出ていったりするな。その代わり俺がお前と遊んでほしい時一緒に出掛けてくれるか?」

男の子に小指を差し出して無邪気な笑みを向けるハーヴィルはそんなイメージとはとてもかけ離れていて嫌になるくらい彼の姿にときめいてしまう。男の子は涙ぐみながら頷いて、ハーヴィルの小指に自分の小指をかけ、約束をした。

「よし、じゃあまずはこの姉ちゃんに挨拶、な。」

「おねえちゃんはわかさまのおよめさんだって…ベイリーのおじちゃんがいってた…」

私をじっと見つめてそう言う男の子にどう返していいかわからない。村人の大半はそう思っているんだろうけど生憎私の同意を得ていない婚約だ。だけどあまりにも子供の目が純真無垢で輝いているものだから、真正面から否定することもできない。

「まだは俺の力不足でお嫁さんじゃねぇけど、近いうちにお嫁さんにしてやるんだ」

「ちょっ、子供に何言ってるんですか!」

答えあぐねていると助け舟を出すようにハーヴィルが口を開くが助け舟になっていない気がする。子供はよくわかっていないかのように「ふーん」と首を傾げるとともにお腹の虫が鳴き声を上げた。

「しょうがねぇな、おい。俺が作った飯食うか?」

「いいの?!」

「ほらまず布きん持ってきてるからこれで手拭いてからな」

ハーヴィルは男の子の横に座って手際よく食事の準備を始めた。父性を発揮するハーヴィルに胸がキュウと締め付けられるような感覚に陥る。

「ほら、ミサも俺の横座って、食うぞ」

ポンポンと座っている隣の場所を叩かれて、おとなしくそれに従った。袋に入った布きんで手を拭いて弁当箱の中を覗き込んだ。
たくさんのサンドイッチと一口サイズのフライドチキンがゴロゴロと入っている。フォークをさして食べると悔しいくらいにおいしくて男の子も何個も頬張っている。

「お、前はマスタード苦手だって言ってたのに食えるようになってたんだな」

「わかさまのりょうりだいすきだもん!」

「そっかそっか、たくさんあるからゆっくり食えよ」

これも作戦なのかと疑ってしまいそうなくらい彼の意外な一面に横で聞いている私が見惚れてしまう。しかしそんなランチタイムもつかの間、次は突然雨に見舞われてしまう。ぽつぽつとした雨ならよかったがそれは次第に勢いを増していって荷物を片付けている間にバケツをひっくり返したかのような土砂降りに発展してしまう。
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