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広い世界の短い旅路
ひどい旅の始まり
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橋を越えて異世界への足掛かりを目指して北へ向かうと、そこは懐かしいウェイストランドの有様だ。
右にも左にもあますことなく、どこまでも広がる緑色の欠けた荒野。
スティングがあったはずの方角を見れば、あの賑やかな街の代わりに遥か彼方の山々がゆるやかな線を描いていた。
150年前に人類と共に死んだはずの果てしなく広い世界があった。
もっとも、延々と続くひび割れた道路が北部への足掛かりを確実にしているのが救いか。
「なんにもないっすね~、なんかつまんないっす」
そんな旅路を黙々と続けて、まだ二日目にもならぬうちにお気持ち表明したのがロアベアだった。
ここに至るまであったことはといえばこのデュラハンメイドの言う通りか。
せいぜい野宿にうってつけな小さな町、それも幽霊すら寄り付かなさそうな壊滅的な廃墟で一晩明かしたぐらいだ。
「そこのイングランドの妖怪が一体何を期待しているか俺には分からんが、ピクニックを嗜みにきたわけじゃないことを思い出せ」
「だって荒野しかないじゃないっすか、クリューサ様~。どこみてもずっと同じ光景でうち退屈っす」
「お前の退屈さはその生首を誰かに持たせるほど深刻なのか? というか、首もないのにどうやって動いてるんだ一体」
本当に変化に乏しいコメントに困る旅なのは確かだと思う。
現にロアベアは自分の生首一個分の重さを、人のわんこに持たせてるほどには。
「……ぼくも不思議に思う。ロアベアさまってどんな身体してるんだろう」
「ほんとっすねえ、どうして頭ないのに生きてるのかいつも思うっす」
「少なくとも前向きな理由ではなさそうだな、その不誠実な態度のことだ、古代の呪いあたりの力で動いているんだろう」
「そんな~」
首無しメイドは生首を持った黒いわん娘をちょこちょこ連れ歩いていた。
事情を知らなければそこにあるのはバイオレンスな光景なのは間違いない。
ダウナー顔な黒髪わん娘(ただし男)が喋る生首を大切に抱えてとことこ歩くそのさまはかなりおかしい。
『ロアベアさん、ニクちゃんに頭持たせるのやめよう……?』
「ん、ぼくは平気だよ。少しでもみんなの力になりたいから」
「いや~、頭つけてるとけっこう重いんすよねえ……肩凝っちゃうっす」
「そんな理由で子供に頭を押し付けるやつがどこにいるんだ、このメイドめ」
「……ぼく、もう大人だけど?」
「お前がそのなりで成人だろうがなんだろうがしったことか。喋る生首を持って、そのすぐ隣で首無しメイドの死体が歩いている有様なんだぞ、そばで見せられる俺の気持ちを考える馬鹿ども」
「あっ怖いんすかもしかして~」
「ロアベアさまは優しいから怖くないよ、クリューサさま」
「くそ、この人生がこうもストレスフルになったのもストレンジャーのせいだ」
まあでも、ただ歩くだけにしてもこんなに賑やかなんだ。
すぐ後ろで繰り広げられるお医者様の苦労から、前方に注意を向けると。
「ふむ、だいぶ向こうの様子が変わってきたみたいだ。しかし西側と違って不毛だな、動物はおろか草木一本すら見当たらないぞ」
「むーん……やはりあちらはマナの影響を色濃く受けていたのだろうな、となれば北部とやらは今までのようにもいかんかもな」
「オーガの子よ、あちらの世界の魔物がいたら私にすぐ言うんだぞ」
「もちろんだクラウディア殿、狩りなら俺様も手伝おうではないか」
「ああいや、それもあるんだが魔物の姿は食物や水のあてになるんだ。その土地にマナがあるかどうかの目印にもなるんだぞ、多ければ多いほど豊かな証拠だ」
「なるほどそういうことだったか。流石はダークエルフだ、生き抜く術をよく存じているな」
「私達は食いしん坊だからな、食い物への意地と情熱ならだれにも負けないぞ」
進むべき道は褐色肌のエルフが良く見張ってくれていた。
双眼鏡をお供に時折先を見据えるクラウディアの隣では、24時間いつでも殴り込めるオーガすらいる。
おかげさまで旅はスムーズだ、こうしてロアベアが自由に生きるぐらいには。
『とってもにぎやかだなぁ、ちょっと楽しいかも?』
まあつまり、肩の物言う短剣のコメント通りだ。
黙々と歩いて、時々喋ってまた進むような変化に乏しい旅はどこへいったのか。
「二人でひーひー言いながら歩いてたあの頃が懐かしいよ」
『うん。最初は二人で旅に出たんだよね』
「次にニクを連れて二人と一匹、その次はオーガが一体だ」
『それからまた旅をして、今度はロアベアさんと出会って……』
「そしてクリューサ先生とクラウディアだ、まったく大所帯になっちゃったな。おまけに今じゃ擲弾兵と兼業だ、忙しくなったもんだな俺も」
『いちクンも出世しちゃったねー?』
「いいや、先輩どもの言う通りまだまだ新兵だ。でもまあ似合うだろ?」
『うん、とっても似合ってる。前よりもっと頼もしくなっちゃった』
「ところがそうもいかないんだ、戦車はぶっ壊せるけどそれ以外は全然だめ。誰か手を貸してくれる頼もしい奴はいないもんかね」
『ふふっ、それなら私に任せてほしいな?』
「言ったな? じゃあ俺の半分は任せるぞ」
それに一緒に旅をしてきたこの相棒だって、いっぱい成長した。
もうおどおどした喋る短剣なんていない、俺なんかよりもずっと強くなってる。
俺の背後にはクソみたいな真実が狂気をまとう山脈の如く延々とそびえたってはいるが、今だけは許してほしい。
「……楽しいもんだな」
楽しいさ、人生の中で一番の思い出を歩いているんだから。
背中の散弾銃の居場所を手で確かめてから、クラウディアを追うように進んだ。
そんな行軍がしばらく続いた頃だった。
「――むっ」
周囲の地形に平坦さがやってきたころ、急にダークエルフが立ち止まる。
分かるやつは「敵か?」だ、すぐに身構えたが。
「みんな聞いてくれ、向こうに湖のようなものが見えるぞ!」
一体何を目にしたのか、褐色の細い指が西へ向けられた。
雑草一本すら生存権のない荒野を辿ると、そんな不毛の景色の中に何かがある。
単眼鏡で除けば砂色の大地の上に、緑のかかった青が広がっていて――
「マジかよ、水があるぞ。まだ残ってたのか?」
『ほんとだ……! も、もしかして向こうの世界から来たとか……?』
「……そうだな、あそこにあるのは湖だ」
それがたっぷりと蓄えられた水だと分かって驚くも、クリューサの声の調子は喜んではいなかった。
むしろ俺たちの反応を伺ってるような、そんな感じで同じ方向を向いて。
「どうしたんだクリューサ、水場があるんだぞ」
「ああそうだろうな、お前の言う通りあれは湖だ。ところでガイガーカウンターは持ってるな?」
「がいがーかうんたー? なんだそれは」
『……あっ、うん……そういうことだったんですね……』
「なるほど~、ガリガリいっちゃうんすねえ……あひひひっ」
ちょうどいい水の補給だ、とか言いかけた瞬間に出た言葉がこれだ。
ガイガーカウンター、その役目が分かればあれが何なのか全部分かる。
あそこに湖が残ってるのは間違いないが、さてそんなものがどう役立つのか。
「なるほど、先生がおっしゃるにはガリガリ言うんだな」
「残念ながらガリガリ二倍だ、なんならミュータントもいるだろうな」
「どういうことだクリューサ! 毒の沼か何かなのか!?」
「クラウディア殿、どうやらあそこは放射能という死の毒に汚染された場所のようだ。ここは先生に従うべきではないか」
つまりこうか、ノルベルトが思いとどまるほどの放射能で汚染されてると。
よく確かめてみると……確かにヤバイ、まもなく海藻と同じ色にたどり着けるほど緑がかかってる。
なんなら緑のもやもかかっている、一体何をしやがった昔の人類め。
「あーうん、すごい色だ。さぞ栄養がありそうだな」
「良く聞け、あれはグース・レークという湖だ。戦前はガチョウが優雅に泳ぐだの、形がガチョウそっくりだの、理由は忘れたがガチョウに基づいた名前のついた場所だったんだが」
「なるほど、ガチョウのミュータントでもいるのか?」
「いたらさぞおっかないだろうな。まあ近づいたら健康に悪いのは確かだが、問題はああいう水辺は危険だということだ」
ガチョウの名がつくその湖はヤバイ、とクリューサは指を示している。
何か説明しようとしたらしいが、遠くの風景なんて説得力がないとでもいうように諦めて。
「地図を見る限りはこのまま進めば道路からグース・レークが良く見渡せるだろう、実際に見てもらおうか」
「何があるんだ」
「北がどれだけ恐ろしいか学べる場所だ」
「私ならよほどの毒なんか効かないぞクリューサ!」
「お前だったら放射能に耐性がありそうだがそういう問題ではなくてだな」
「いくぞ」と納得できないクラウディアもろとも進み始める。
一体何があるのやら? ニクと仲良く首をかしげて向かう先へ疑問を向けた。
◇
「これがグース・レークなんだが。どうだ、一目見て気づいた点はないか?」
道路を長く辿った先、地図にしてくだんの湖の終わりあたりまで差し掛かったところだ。
西の平たい大地の向こうで、あのグリーンスムージーみたいな湖が良く見え。
「むっ、あの地面から突き出てるのは――岩ではないな」
しばらく全員で眺めてると、双眼鏡と共にクラウディアが何かにすぐ気づく。
言われてようやく分かるぐらいの違和感だ。
湿った土が湖まで広がって、そこに黒い岩みたいなものが時々突き出ていた。
数にして四つか五つといったところか、しかし自然物にしては確かに妙だ。
「……マジだ、なんだあれ? スクラップでも刺さってんのか?」
拡大された視界に移るのはどう見ても無機物だが、集中すると少し分かる。
表面の一部が妙にすべすべしてるというのか、それにかすかに模様があった。
まるで線が入ったような――もっといえば、わざとらしく泥をかぶっているというか。
「岩でも鉄くずでもない、残念だがあれは全部ミュータントだ」
その正体を探ってると、お医者様のネタバレのせいでひどいオチになった。
「……あんなところにバケモンがいるのかよ」
『みゅ、ミュータントって……じゃあ、あそこに見えるのって全部……』
「あれは水辺でよくみられるカニのミュータントだ。一体何をどうすればああなったのかは知らんが、汚染された水辺で岩に擬態するハンターになったらしい」
「おお、カニの化け物か。フランメリアにもそういった魔物がいたな」
「カニだと!? こっちの世界にもそんなごちそうがいたのか!」
なんてこった、グースレークにカニの化け物がうじゃうじゃいやがる。
ノルベルトあたりは好奇心旺盛な反応だが、俺たちからすればごめんだ。
だってあのデカさだぞ? 巨大な岩ほどがある化け物が何体もいるんだぞ。
「まあ、あいつらは起きるまで鈍いのが救いだ。試しに近づいてみようか」
お医者様はそんな俺たちの不安をぶっちぎる行為に出た。
あろうことか水辺に向かって歩きやがった、それもずかずかず臆することなく。
「おっおいクリューサ!? 何してんだお前!?」
『く、クリューサさん……お気持ちはうれしいんですけど危ないです……!?』
「心配するな、これからああいう手合いは山ほど見るんだ。お前たちの為に対処法の一つを教えておく」
仕方がなくついていった、新米擲弾兵と物言う短剣以外はお構いなしに行った。
地面は少しぬかるみがあるし、近づけば近づくほど「カリカリ」が聞こえる。
まだ人体を悪くするほどではないのは分かるさ、でも……。
「あれは変異したカニ、名前は……まあとくには定まっていないが、淡水と泥があればよく見られる化け物だ」
クリューサはビビることなくもっと近寄る。
やがて距離にして50mほど、更に縮まり25m、なんだったらあともう5mまでに近づく。
しかし動じない、ノルベルトを上回る巨体は沈黙したままだ。
「……そんなに近づいて大丈夫なのかよお前」
『う、うわっ……ほんとに生きてるよ……』
「ご主人、これ動いてる……気を付けて」
いつでも戦えるように、まあ武器が通用するのか怪しいほどだが、限界まで近づいてお医者様とそれを見比べた。
こうして近づけばやっとそれが岩ではないと分かってしまう。
泥から頭だけを出して、かすかに揺らめいている――間違いなく生き物だ。
「こいつは慎重な狩人だからな。ぎりぎりまで獲物を引き付けて確実に仕留められると判断すると動き始める」
「なるほど、で、こいつの鋏にやられたらどうなる?」
「残念だがお前でも真っ二つだな、言っておくが甲羅の硬さもこの世界の粗悪な戦車ほどはあると思え」
『あ、あのクリューサさん……危ないから離れましょう?』
「まあ確かに人をも食らう化け物だが臆病な生き物だ、誰かがちょっかいをかけなければこいつらの昼食にはならないさ」
さすがウェイストランド人というのか、クリューサは臆することなくそいつの近くで一通りの説明をした後。
「いいか、くれぐれも刺激するなよ。それさえ守れば遠くから見た通りの岩の塊だ、まあ一番いいのは水辺に近づかないことなんだがな」
そういってただの黒い岩を後に戻ってしまう。
俺だってこいつにはただの飾りであってほしい、しかし何を食ったらここまでデカくなるのやら。
「ご教授ありがとう、よくまああんな化け物のそばで語れるもんだな」
「メドゥーサ教団ではミュータントを材料に薬を作ることもあったからな、ドッグマンの肝臓からああいうカニの消化器官までいろいろだ、実際に現地へ赴いて狩ることもあった」
「あのまずそうなカニも?」
「しかるべき罠か戦車でもあればすぐだ。いやお前なら槍でいけるかもな」
「戦車とカニを一緒にするなよ」
戦車相手ならいくらでも戦ってやるが、流石にそれよりヤバそうな甲殻類だけはごめんだ。
耳と尻尾を立てて警戒するニクをよしよししつつ、もう一度近くで姿を拝むも。
「――カニということはごちそうだな!」
クラウディアの奴は一体何考えてるんだろう。
カニの化け物から少し離れた場所で、なぜか嬉々として得物を構えている。
「ふむ、あちらの世界のマナクラブに比べれば大したことはなさそうだな」
……そしてどうして、ノルベルトは自信満々に戦槌を構えてるんだろう。
「カニさんでておいでっす~」
そこにロアベアが石をぶん投げて、こつっと殻に当たった。
メイドさんの投擲は見事だ、どこに当たったか知らないが泥に覆われた触角らしきものがぷるぷる震えて。
「SSSSHHHHHHHHHHHHHHH!」
ぬかるんだ地面をぐらつかせるほどの揺れと共に、そいつが飛び起きた。
カニというかクモだ。刺激を受けて不機嫌そうにした泥色のそれが、とげとげの四本足で立ち上がる。
オーガの巨体を軽く追い越す薄黒い化け物はギザギザとした歯を開けて――なぜか俺の方を見た。
「…………俺が言ったことが分からなかったのか?」
「…………クリューサ、こっちの世界のカニってずいぶんとたくましいんだな」
「……それは変異した化け物だからな」
「……そうか。で、なんでこっち向いてるんだ?」
「お前がうまそうか、それかいいカモに見えるかのどっちかだ」
いや、まて、どうしてこっちに向かってるんだ。
どう見ても原因はロアベアだが、なぜかのタゲ移りで俺が狙われてる。
変異したカニはその見た目からは結びつけるのには難しいスピードで、がさがさとこっちにまっすぐ走ってくる……!
「なるほど――逃げろぉぉぉぉぉぉぉぉッ!」
『なんでこっちに来てるの!? にっ逃げてえええええええええええッ!?』
戦車さながらのカニが餌を見つけたとばかりに迫ってきた!
全力で逃げた! 畜生ロアベアの馬鹿野郎!!
右にも左にもあますことなく、どこまでも広がる緑色の欠けた荒野。
スティングがあったはずの方角を見れば、あの賑やかな街の代わりに遥か彼方の山々がゆるやかな線を描いていた。
150年前に人類と共に死んだはずの果てしなく広い世界があった。
もっとも、延々と続くひび割れた道路が北部への足掛かりを確実にしているのが救いか。
「なんにもないっすね~、なんかつまんないっす」
そんな旅路を黙々と続けて、まだ二日目にもならぬうちにお気持ち表明したのがロアベアだった。
ここに至るまであったことはといえばこのデュラハンメイドの言う通りか。
せいぜい野宿にうってつけな小さな町、それも幽霊すら寄り付かなさそうな壊滅的な廃墟で一晩明かしたぐらいだ。
「そこのイングランドの妖怪が一体何を期待しているか俺には分からんが、ピクニックを嗜みにきたわけじゃないことを思い出せ」
「だって荒野しかないじゃないっすか、クリューサ様~。どこみてもずっと同じ光景でうち退屈っす」
「お前の退屈さはその生首を誰かに持たせるほど深刻なのか? というか、首もないのにどうやって動いてるんだ一体」
本当に変化に乏しいコメントに困る旅なのは確かだと思う。
現にロアベアは自分の生首一個分の重さを、人のわんこに持たせてるほどには。
「……ぼくも不思議に思う。ロアベアさまってどんな身体してるんだろう」
「ほんとっすねえ、どうして頭ないのに生きてるのかいつも思うっす」
「少なくとも前向きな理由ではなさそうだな、その不誠実な態度のことだ、古代の呪いあたりの力で動いているんだろう」
「そんな~」
首無しメイドは生首を持った黒いわん娘をちょこちょこ連れ歩いていた。
事情を知らなければそこにあるのはバイオレンスな光景なのは間違いない。
ダウナー顔な黒髪わん娘(ただし男)が喋る生首を大切に抱えてとことこ歩くそのさまはかなりおかしい。
『ロアベアさん、ニクちゃんに頭持たせるのやめよう……?』
「ん、ぼくは平気だよ。少しでもみんなの力になりたいから」
「いや~、頭つけてるとけっこう重いんすよねえ……肩凝っちゃうっす」
「そんな理由で子供に頭を押し付けるやつがどこにいるんだ、このメイドめ」
「……ぼく、もう大人だけど?」
「お前がそのなりで成人だろうがなんだろうがしったことか。喋る生首を持って、そのすぐ隣で首無しメイドの死体が歩いている有様なんだぞ、そばで見せられる俺の気持ちを考える馬鹿ども」
「あっ怖いんすかもしかして~」
「ロアベアさまは優しいから怖くないよ、クリューサさま」
「くそ、この人生がこうもストレスフルになったのもストレンジャーのせいだ」
まあでも、ただ歩くだけにしてもこんなに賑やかなんだ。
すぐ後ろで繰り広げられるお医者様の苦労から、前方に注意を向けると。
「ふむ、だいぶ向こうの様子が変わってきたみたいだ。しかし西側と違って不毛だな、動物はおろか草木一本すら見当たらないぞ」
「むーん……やはりあちらはマナの影響を色濃く受けていたのだろうな、となれば北部とやらは今までのようにもいかんかもな」
「オーガの子よ、あちらの世界の魔物がいたら私にすぐ言うんだぞ」
「もちろんだクラウディア殿、狩りなら俺様も手伝おうではないか」
「ああいや、それもあるんだが魔物の姿は食物や水のあてになるんだ。その土地にマナがあるかどうかの目印にもなるんだぞ、多ければ多いほど豊かな証拠だ」
「なるほどそういうことだったか。流石はダークエルフだ、生き抜く術をよく存じているな」
「私達は食いしん坊だからな、食い物への意地と情熱ならだれにも負けないぞ」
進むべき道は褐色肌のエルフが良く見張ってくれていた。
双眼鏡をお供に時折先を見据えるクラウディアの隣では、24時間いつでも殴り込めるオーガすらいる。
おかげさまで旅はスムーズだ、こうしてロアベアが自由に生きるぐらいには。
『とってもにぎやかだなぁ、ちょっと楽しいかも?』
まあつまり、肩の物言う短剣のコメント通りだ。
黙々と歩いて、時々喋ってまた進むような変化に乏しい旅はどこへいったのか。
「二人でひーひー言いながら歩いてたあの頃が懐かしいよ」
『うん。最初は二人で旅に出たんだよね』
「次にニクを連れて二人と一匹、その次はオーガが一体だ」
『それからまた旅をして、今度はロアベアさんと出会って……』
「そしてクリューサ先生とクラウディアだ、まったく大所帯になっちゃったな。おまけに今じゃ擲弾兵と兼業だ、忙しくなったもんだな俺も」
『いちクンも出世しちゃったねー?』
「いいや、先輩どもの言う通りまだまだ新兵だ。でもまあ似合うだろ?」
『うん、とっても似合ってる。前よりもっと頼もしくなっちゃった』
「ところがそうもいかないんだ、戦車はぶっ壊せるけどそれ以外は全然だめ。誰か手を貸してくれる頼もしい奴はいないもんかね」
『ふふっ、それなら私に任せてほしいな?』
「言ったな? じゃあ俺の半分は任せるぞ」
それに一緒に旅をしてきたこの相棒だって、いっぱい成長した。
もうおどおどした喋る短剣なんていない、俺なんかよりもずっと強くなってる。
俺の背後にはクソみたいな真実が狂気をまとう山脈の如く延々とそびえたってはいるが、今だけは許してほしい。
「……楽しいもんだな」
楽しいさ、人生の中で一番の思い出を歩いているんだから。
背中の散弾銃の居場所を手で確かめてから、クラウディアを追うように進んだ。
そんな行軍がしばらく続いた頃だった。
「――むっ」
周囲の地形に平坦さがやってきたころ、急にダークエルフが立ち止まる。
分かるやつは「敵か?」だ、すぐに身構えたが。
「みんな聞いてくれ、向こうに湖のようなものが見えるぞ!」
一体何を目にしたのか、褐色の細い指が西へ向けられた。
雑草一本すら生存権のない荒野を辿ると、そんな不毛の景色の中に何かがある。
単眼鏡で除けば砂色の大地の上に、緑のかかった青が広がっていて――
「マジかよ、水があるぞ。まだ残ってたのか?」
『ほんとだ……! も、もしかして向こうの世界から来たとか……?』
「……そうだな、あそこにあるのは湖だ」
それがたっぷりと蓄えられた水だと分かって驚くも、クリューサの声の調子は喜んではいなかった。
むしろ俺たちの反応を伺ってるような、そんな感じで同じ方向を向いて。
「どうしたんだクリューサ、水場があるんだぞ」
「ああそうだろうな、お前の言う通りあれは湖だ。ところでガイガーカウンターは持ってるな?」
「がいがーかうんたー? なんだそれは」
『……あっ、うん……そういうことだったんですね……』
「なるほど~、ガリガリいっちゃうんすねえ……あひひひっ」
ちょうどいい水の補給だ、とか言いかけた瞬間に出た言葉がこれだ。
ガイガーカウンター、その役目が分かればあれが何なのか全部分かる。
あそこに湖が残ってるのは間違いないが、さてそんなものがどう役立つのか。
「なるほど、先生がおっしゃるにはガリガリ言うんだな」
「残念ながらガリガリ二倍だ、なんならミュータントもいるだろうな」
「どういうことだクリューサ! 毒の沼か何かなのか!?」
「クラウディア殿、どうやらあそこは放射能という死の毒に汚染された場所のようだ。ここは先生に従うべきではないか」
つまりこうか、ノルベルトが思いとどまるほどの放射能で汚染されてると。
よく確かめてみると……確かにヤバイ、まもなく海藻と同じ色にたどり着けるほど緑がかかってる。
なんなら緑のもやもかかっている、一体何をしやがった昔の人類め。
「あーうん、すごい色だ。さぞ栄養がありそうだな」
「良く聞け、あれはグース・レークという湖だ。戦前はガチョウが優雅に泳ぐだの、形がガチョウそっくりだの、理由は忘れたがガチョウに基づいた名前のついた場所だったんだが」
「なるほど、ガチョウのミュータントでもいるのか?」
「いたらさぞおっかないだろうな。まあ近づいたら健康に悪いのは確かだが、問題はああいう水辺は危険だということだ」
ガチョウの名がつくその湖はヤバイ、とクリューサは指を示している。
何か説明しようとしたらしいが、遠くの風景なんて説得力がないとでもいうように諦めて。
「地図を見る限りはこのまま進めば道路からグース・レークが良く見渡せるだろう、実際に見てもらおうか」
「何があるんだ」
「北がどれだけ恐ろしいか学べる場所だ」
「私ならよほどの毒なんか効かないぞクリューサ!」
「お前だったら放射能に耐性がありそうだがそういう問題ではなくてだな」
「いくぞ」と納得できないクラウディアもろとも進み始める。
一体何があるのやら? ニクと仲良く首をかしげて向かう先へ疑問を向けた。
◇
「これがグース・レークなんだが。どうだ、一目見て気づいた点はないか?」
道路を長く辿った先、地図にしてくだんの湖の終わりあたりまで差し掛かったところだ。
西の平たい大地の向こうで、あのグリーンスムージーみたいな湖が良く見え。
「むっ、あの地面から突き出てるのは――岩ではないな」
しばらく全員で眺めてると、双眼鏡と共にクラウディアが何かにすぐ気づく。
言われてようやく分かるぐらいの違和感だ。
湿った土が湖まで広がって、そこに黒い岩みたいなものが時々突き出ていた。
数にして四つか五つといったところか、しかし自然物にしては確かに妙だ。
「……マジだ、なんだあれ? スクラップでも刺さってんのか?」
拡大された視界に移るのはどう見ても無機物だが、集中すると少し分かる。
表面の一部が妙にすべすべしてるというのか、それにかすかに模様があった。
まるで線が入ったような――もっといえば、わざとらしく泥をかぶっているというか。
「岩でも鉄くずでもない、残念だがあれは全部ミュータントだ」
その正体を探ってると、お医者様のネタバレのせいでひどいオチになった。
「……あんなところにバケモンがいるのかよ」
『みゅ、ミュータントって……じゃあ、あそこに見えるのって全部……』
「あれは水辺でよくみられるカニのミュータントだ。一体何をどうすればああなったのかは知らんが、汚染された水辺で岩に擬態するハンターになったらしい」
「おお、カニの化け物か。フランメリアにもそういった魔物がいたな」
「カニだと!? こっちの世界にもそんなごちそうがいたのか!」
なんてこった、グースレークにカニの化け物がうじゃうじゃいやがる。
ノルベルトあたりは好奇心旺盛な反応だが、俺たちからすればごめんだ。
だってあのデカさだぞ? 巨大な岩ほどがある化け物が何体もいるんだぞ。
「まあ、あいつらは起きるまで鈍いのが救いだ。試しに近づいてみようか」
お医者様はそんな俺たちの不安をぶっちぎる行為に出た。
あろうことか水辺に向かって歩きやがった、それもずかずかず臆することなく。
「おっおいクリューサ!? 何してんだお前!?」
『く、クリューサさん……お気持ちはうれしいんですけど危ないです……!?』
「心配するな、これからああいう手合いは山ほど見るんだ。お前たちの為に対処法の一つを教えておく」
仕方がなくついていった、新米擲弾兵と物言う短剣以外はお構いなしに行った。
地面は少しぬかるみがあるし、近づけば近づくほど「カリカリ」が聞こえる。
まだ人体を悪くするほどではないのは分かるさ、でも……。
「あれは変異したカニ、名前は……まあとくには定まっていないが、淡水と泥があればよく見られる化け物だ」
クリューサはビビることなくもっと近寄る。
やがて距離にして50mほど、更に縮まり25m、なんだったらあともう5mまでに近づく。
しかし動じない、ノルベルトを上回る巨体は沈黙したままだ。
「……そんなに近づいて大丈夫なのかよお前」
『う、うわっ……ほんとに生きてるよ……』
「ご主人、これ動いてる……気を付けて」
いつでも戦えるように、まあ武器が通用するのか怪しいほどだが、限界まで近づいてお医者様とそれを見比べた。
こうして近づけばやっとそれが岩ではないと分かってしまう。
泥から頭だけを出して、かすかに揺らめいている――間違いなく生き物だ。
「こいつは慎重な狩人だからな。ぎりぎりまで獲物を引き付けて確実に仕留められると判断すると動き始める」
「なるほど、で、こいつの鋏にやられたらどうなる?」
「残念だがお前でも真っ二つだな、言っておくが甲羅の硬さもこの世界の粗悪な戦車ほどはあると思え」
『あ、あのクリューサさん……危ないから離れましょう?』
「まあ確かに人をも食らう化け物だが臆病な生き物だ、誰かがちょっかいをかけなければこいつらの昼食にはならないさ」
さすがウェイストランド人というのか、クリューサは臆することなくそいつの近くで一通りの説明をした後。
「いいか、くれぐれも刺激するなよ。それさえ守れば遠くから見た通りの岩の塊だ、まあ一番いいのは水辺に近づかないことなんだがな」
そういってただの黒い岩を後に戻ってしまう。
俺だってこいつにはただの飾りであってほしい、しかし何を食ったらここまでデカくなるのやら。
「ご教授ありがとう、よくまああんな化け物のそばで語れるもんだな」
「メドゥーサ教団ではミュータントを材料に薬を作ることもあったからな、ドッグマンの肝臓からああいうカニの消化器官までいろいろだ、実際に現地へ赴いて狩ることもあった」
「あのまずそうなカニも?」
「しかるべき罠か戦車でもあればすぐだ。いやお前なら槍でいけるかもな」
「戦車とカニを一緒にするなよ」
戦車相手ならいくらでも戦ってやるが、流石にそれよりヤバそうな甲殻類だけはごめんだ。
耳と尻尾を立てて警戒するニクをよしよししつつ、もう一度近くで姿を拝むも。
「――カニということはごちそうだな!」
クラウディアの奴は一体何考えてるんだろう。
カニの化け物から少し離れた場所で、なぜか嬉々として得物を構えている。
「ふむ、あちらの世界のマナクラブに比べれば大したことはなさそうだな」
……そしてどうして、ノルベルトは自信満々に戦槌を構えてるんだろう。
「カニさんでておいでっす~」
そこにロアベアが石をぶん投げて、こつっと殻に当たった。
メイドさんの投擲は見事だ、どこに当たったか知らないが泥に覆われた触角らしきものがぷるぷる震えて。
「SSSSHHHHHHHHHHHHHHH!」
ぬかるんだ地面をぐらつかせるほどの揺れと共に、そいつが飛び起きた。
カニというかクモだ。刺激を受けて不機嫌そうにした泥色のそれが、とげとげの四本足で立ち上がる。
オーガの巨体を軽く追い越す薄黒い化け物はギザギザとした歯を開けて――なぜか俺の方を見た。
「…………俺が言ったことが分からなかったのか?」
「…………クリューサ、こっちの世界のカニってずいぶんとたくましいんだな」
「……それは変異した化け物だからな」
「……そうか。で、なんでこっち向いてるんだ?」
「お前がうまそうか、それかいいカモに見えるかのどっちかだ」
いや、まて、どうしてこっちに向かってるんだ。
どう見ても原因はロアベアだが、なぜかのタゲ移りで俺が狙われてる。
変異したカニはその見た目からは結びつけるのには難しいスピードで、がさがさとこっちにまっすぐ走ってくる……!
「なるほど――逃げろぉぉぉぉぉぉぉぉッ!」
『なんでこっちに来てるの!? にっ逃げてえええええええええええッ!?』
戦車さながらのカニが餌を見つけたとばかりに迫ってきた!
全力で逃げた! 畜生ロアベアの馬鹿野郎!!
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