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旧ver(※書籍化本編の続きではありません)

幸せの形⑲

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「……ヴィクトリア様!」
「ヴィクトリア!」

アルディエンヌ公爵邸内にて、顔を真っ青にさせて、主であるヴィクトリアがいる筈の公爵夫人用執務室へと走るフィルとナハト。
彼らは酷く焦っていた。
彼らとヴィクトリアは従属契約で繋がっている。故に、どこにいてもヴィクトリアの存在を感じられる筈なのに、つい先程から突然プッツリと何も感じられなくなってしまったからだ。

――バァン!!

ノックもせずに執務室の扉を開ければ、中には色欲の悪魔であるアスモデウスがいた。
彼はある意味で淫魔たちの頂点とも言えるべき存在だが、この時ばかりは、主を失った怒りによってフィルとナハトは彼を畏れる気持ちなど無くしていた。

「アスモデウス!お前…っ」

ナハトがアスモデウスに詰め寄ろうとしたが、思いがけず、フィルの方が一歩早く前に出て、アスモデウスを睨みつけながら口火を切った。

「ヴィクトリア様を何処へ連れて行った?」

フィルの問い掛けに、アスモデウスは蔑むように口端を上げて嗤った。

「はっ…珍しい。いつもの猫を被り忘れているぞ?」
「私が猫を被ってでもお傍にいたいと願う主はヴィクトリア様唯一人。お前ではない」
「ならばお前は、死ぬまで猫を被り続けるつもりなのか?」
「…お前には関係ないだろう。それより、彼女を何処へやった?……連れ去ったのは、お前じゃないのか?」

会話の途中で、フィルはハッと何かに気付き、くしゃりと乱れた前髪を掻き上げながら周囲へ視線を走らせる。

「フィル、何を言っているんだ?どう見ても、アスモデウスが怪し……」
「私も初めはそう思った。だが、よく周囲の痕跡を確認してみろ」
「…!この気配は…」

フィルとナハトの様子に、アスモデウスは鼻で笑うと、ソファーにどさりと腰を落ろした。

「お前たち、ヴィクトリアの異変には気付いていたか?」

アスモデウスからの問い掛けに、フィルとナハトはチラリと視線を交わし、フィルは首を振った。

「私は、特に何も。…一昨日のヴィクトリア様には、特に異常など感じられなかった」
「昨日は?」
「…昨日は、ずっとナハトと食事中だったので」

一昨日、フィルはヴィクトリアを独占してしまったが為に、昨日の食事はナハトに譲ったのだ。アスモデウスとフィルがナハトへ視線を向けると、ナハトは何か考え込むように視線を彷徨わせた。

「ナハト。昨日のヴィクトリア様に、何か変わった様子などあったか?」
「変わった様子なんて、特に何も……。いや、ちょっと待て」
「何かあったのか?」
昨日のヴィクトリアを思い出し、ナハトは一つだけ思い当たる出来事に気付いた。
「――目だ」
「……目?」
「ああ。…昨日のヴィクトリアは、いつもより瞳の色が濃かった。それに、酷く空腹だったみたいだ。何度も何度も、自分から進んで俺を……」

言い掛けて、ナハトはハッと我に返った。アスモデウスとフィルの、自分を見る目に蔑みの色が滲んでいると気付いたからだ。ナハトだって別に自慢しようと思って口にしたわけではない。コホン。

「…それはおかしいな。ヴィクトリア様は一昨日、私の精気を食している。それに、その前日には晩餐会があった」
「それなら、精気の量は十分だったはず。それなのに、どうしてあんなに腹を空かせていたんだ…?」

連日、十分な精気を食していたにも拘わらず、酷く空腹だったらしいヴィクトリアの様子を聞いて、二人の顔色が変わった。

――まさか、また魔力が不安定に?

魔力が不安定になれば、命の危険がある。二人の表情が強張ったところで、アスモデウスが再び口を開いた。そうして聞かされた内容に、二人は愕然とする。

「ヴィクトリア様の、サキュバスとしての魔力が増していたとは…」
魔力とは、器ではなく魂に宿る。それ故に、サキュバスへと転化したヴィクトリアの魔力は、二つの異なる魔力が混ざり合ったような形になっていた。魔物と人間の混血であったり、眷属となった人間は、殆どの者がそういった魔力の形となる。相反する魔力がぶつかり合い、無理に混ざり合う為、眷属は魔力が不安定になりやすい。混血であれば、生まれた時から混ざり合っているせいか、特にぶつかり合うこともなく馴染み、逆に特異な能力を開花させることもある。

「それに、やっぱりヴィクトリアを連れ去ったのは、あの駄犬か…」
「淫魔の魔力を取り込むだなんて、シュティにそんなことが?」

二人の疑問に、アスモデウスは眉間に皺を寄せ、大きく溜息をついた。

「あの聖獣、実はかなりの曲者だ。聖獣自身が忘れているだけで、数百年よりもっと長く生きているのかもしれない。…恐らく、淫魔の魔力のみを取り込むことには成功するだろう。だが…」
「?」
「何か問題があるのか」
「ああ。……成功した後、ヴィクトリアは未だかつてない極度の飢餓状態に陥るはずだ。そうなれば、また暫く以前のような危険な状態が続くだろう。あの聖獣がきちんと調節してくれれば、少しはマシだと思うが、あの様子を見るに、がっつり根こそぎ吸い尽くすつもりだと思うぞ」
「…!!クソッ…!」
「あの駄犬…!!」
「追いかけたいが、悪魔である私では聖獣であるアイツの痕跡を辿れない。行きそうなところも分からないしな」
「魔物である私たちや、悪魔であるアスモデウスでは、聖なる力を宿す聖獣の痕跡を辿るなど、到底無理な話だ。力の系統が違い過ぎる。ですが……」

アスモデウスの話を聞いて、フィルは一つだけ思い当たる場所が浮かんだ。そうして、それはナハトも一緒だった。導き出された答え。それは……

「――リリーナ魔法学園」

(聖獣とは、土地や国の守り神として存在しているのだと、随分昔に公爵邸の執事長から習った。ということは、シュティもそうなのではないか?仮にそうでなかったとしても、獣には必ず巣があるはず。己の気に入った場所)

――恐らくそれが、あの学園なんだ。

そう結論付けた二人は、そのことをアスモデウスに伝えた。そうして――

開きっ放しだった執務室の扉の向こうから、見知った者たちが現れ、室内へと足を踏み入れた。それぞれ額に青筋を浮かべており、その瞳からは殺気が放たれている。

「――それで?僕たちもリアのいるところへ連れて行ってもらおうか」

エリックにジルベール。アベルとレオンハルト。そして、ルカ。室内に入って来た面々を見て、元から部屋にいた三人は同時に深い溜息をついた。けれど、遅かれ早かれ伝えるつもりだったので、特に連れて行くことに関して異論はない。むしろ、揃っていた方が都合が良い。

「酷いなぁ。混血の私は除け者ですか?ヴィクトリアに会ったら一番に慰めてもらいたいですね」

エリックたち人間組からは、当然の如く仲間だと認識されていない。魔物であるフィルやナハト、悪魔であるアスモデウスは本来であれば共に行動したりしないので、そこは誤解なのだが、わざわざ誤解だと教えてあげようと思う者もいない。
フィルやナハト、アスモデウスにエリックたちは、特に何も言わぬまま、ルカも一緒に、リリーナ魔法学園へと急ぎ向かったのだった。


***
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