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 向かいの椅子を引きながら、彼は肩をすくめた。
 「わざわざって言うほどのものでも。残りごはんで作っただけだから」
 「ありがとう。いただきます」
 手を合わせながら、本当に何から何まで、と言おうとして口をつぐんだ。
 ついさっき、聞き飽きたと言われたばかりだ。

 一口食べて目をみはる。
 「うわ、すごくおいしい! 食欲ないから食べられないと思っていたけど、これはいける」
 「それは良かったです」
 彼は嬉しそうに目を細めた。

 それにしても、気が利きすぎ。
 さすが、クライアントへの手厚いフォローで有名な浅野くんだ。

 彼の作ってくれた、鶏ひき肉入り卵粥は本当に美味しかった。
 ほうじ茶もしみじみ美味しい。

 料理男子、ポイント高い。
 会社の浅野推しの子たちが知ったら、悶絶してバタバタ倒れそう。

 「毎朝、こんなにちゃんと作ってるの?」
 「まさか、休日だけですよ。普段は食パン焼いて、インスタントコーヒー淹れるぐらい」
 「それでも、ちゃんと食べるんだね。えらいよ」とわたしが感心していると、彼は急に真面目な顔になって尋ねてきた。

 「で、どうするんですか。これから。伊川さんと話しあうんですか」

 わたしは彼の目を見て、ゆっくり首を振った。
「ううん、話し合いの余地なし。彼とは別れるし家も出るつもり。新しい部屋、すぐには見つからないだろうから、まずはマンスリーマンションを探そうかと思ってる」

「マンスリーマンションって結構かかるんじゃないですか」
「うん。でも仕方ないし。なるべく割安のところを探す」

「でも、家、見つかっても礼金とか敷金とか」
「そうだよね。うー、しばらく節約生活しなきゃ。本当、災難だよ」

 浅野くんはなんでもないことのように、あの、良ければなんですけれど、と前置きしてから言った。

「梶原さん、ここに住みませんか」
「えっ?」

 思わずお茶を吹きそうになった。
「な、何言ってんの、浅野くん」

 慌てるわたしとは対照的に、彼は涼しい顔をしている。

「何って。ここ、部屋余ってるし。敷金も礼金どころか、家賃もかからないですよ。まあ光熱費と管理費の一部ぐらいはいただくにしても」
「いや、そういう問題じゃないでしょう」

 「そうかな。俺は別に問題ないと思うけど。前から誰かとシェアしたいなって思ってたんですよ。一人で住むには広すぎるんですよね、ここ。それに帰ってきたとき、お帰りって言ってくれる人がいたらといいかなと思って」

 おかえりって言ってほしいって。
 極度の寂しがりやなのかな、浅野くんって。

 彼の真意を測りかねて、わたしはじっと見つめる。
 「それはまあわかるけど、なんでわたし?」

 浅野くんはしれっと言う。
 「だって利害が一致してるでしょう」

 「それはそうだけど。他に一緒に住む人いないの? 彼女は?」
 「彼女、いないんで」

 「まさか!」
 わたしは思わず叫んだ。

 ありえない。
 会社一のモテ男に彼女がいないなんて。

 「信じられない。浅野くん、モテモテなのに」
 「モテてなんていないですよ」
 「何、言ってんの。わたしの周りに星の数ほどいるよ。浅野推しの子」

 「でも仮に100万人に好かれてるとしても」
 そこで彼は言葉を切った。
 「好きな人に振り向いてもらえなかったら意味ないでしょう」

 「なんだ。やっぱり好きな人はいるんだ。じゃあ、だめじゃない。わたしとルームシェアなんてしたら」

 「いえ、問題なしです。はじめから叶わないって思ってた人なんで」

「あ」とわたしは小声で言った。
「訳ありってこと? 人妻とか?」
「いや、人妻ではないけど。まあ、そんなとこです。俺のことなんて、まるで眼中にない人なんで」
「浅野くんみたいなイケメンに好かれているのに? 世の中にそんな人、いるんだ」

 彼はふっと笑みを浮かべる。
「ええ、いますよ、普通に」

 わたしは少し考えた。
 
 たしかに……家が見つかるまでここにおいてもらえたら、本当に助かる。
 でも、もし、会社の女子たちにばれたら……全員を敵に回すことになりそうだし。
 
「同居の返事、今すぐじゃなくてもいい?」
「もちろんです。まあ、でも新しい部屋見つかるまではいてください。昨晩でわかったでしょう。俺が危険な男じゃないって」

 浅野くんはそう言って、唇の端を少し持ちあげた。

「うん。じゃあお願いします。助かる。お金が浮いた分、今度、豪勢なディナーをご馳走するからね」
「はい。期待して待ってます」

 浅野くんはちょっと忘れられないほど眩しい笑顔をわたしに向けた。 
 

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