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 コートを隔てていても彼の体温が伝わり、わたしを優しく包み込む。

 「あ……さの……くん」
 彼はわたしの頭に手をおいて、優しく撫でてくれる。

 「ひどい目に合いましたね。かわいそうに」

 心地よすぎて、また涙が溢れ出す。
 まずい……涙と一緒に鼻も出る。
 「コート、汚しちゃう」
 鼻をすすりながら、わたしは言った。

 「そんなの、どうでもいいですよ。梶原さん、行くところがなくて困ってるんですよね。じゃあ俺の家に来ます?」
 わたしは彼を見上げた。
 「えっ?」
 
 彼は腕をほどき、身体を離した。
 「下心はないですよ。この状況につけこもうなんて、まったく思ってない」
 わたしは即座に答えた。
 「ううん、それはぜんぜん心配してないけど」

 その言葉に彼は苦笑を漏らす。
 「そこまではっきり肯定されるのも、男としてはどうなんだろうと思いますけどね」

 「違うよ。そういう意味じゃなくて、浅野くんはモテるから、わたしみたいなアラサーは範疇外だろうと思っただけで」

 彼は肩をすくめた。
「まあ、遠慮せずに避難所だと思ってくれればいいですよ」

 熱心に誘ってくれる彼を見つめながら、わたしは首をかしげた。

「どうしてそこまで言ってくれるの?」
「うーん。一人にするのが心配だから、かな」
「一人にするのが心配って……えっ? わたし、自殺でもしそうな顔してる?」

「そんなことないですよ、今は。でも一人になったら衝動にかられるかも知れないでしょう。ね、お願いだから俺の言うことを聞いてください」

 お願いまでされてしまった。
 これ以上、押し問答を続けること自体が迷惑か。
 結局、わたしは彼の好意に甘えることにして、「わかった。じゃあ、お願いします」と頭を下げた。

 彼は顔をほころばせて、頷いた。
「家、大崎なんでちょっと遠いけど。この時間なら渋滞もないし、時間そんなにかからないと思いますよ。車、あっちに停めてるんで」
 彼はわたしのキャリーバッグを手にすると、駐車場を目指して歩きだした。

***
 
 それから20分ほどで、目的地に到着した。
「ここです」
浅野くんは、そびええ立つ高層マンションの駐車場に車を進めた。
 
 え、ここってもしかして、最近できたばかりの話題のタワマンじゃない。
 まさか、自分でここ、借りてるんじゃないよね!?

 「驚いた。すごいところに住んでるんだね」
 「親名義です。節税対策とかで。俺としては早く親がかりから卒業したいんだけど」

 やっぱり。でも節税で都心の新築タワマンって。
 どれほどの金持ちなんだろう。

 地下駐車場から直接、エレベーターで彼の部屋のある23階まで上がった。
 内廊下を進んで一番奥の部屋の前で、彼は足を止めた。
 
 ドアを開け先に上がり「どうぞ、上がってください」とスリッパを出してくれた。

 廊下にドアが3か所ある。
 間取りは2LDKか3LDK、ワンルームでないことは確か。

 そして、突き当りのドアを開けると、ドラマの主人公が住んでいるような、広くておしゃれなリビングが眼前に現れた。
 男の一人暮らしとは思えないほどスッキリ片付いている。

 「きれいに暮らしてるんだね」
 「ほとんど寝に帰るようなもんだから」

 白い壁の前には紺地のカウチソファーが置かれ、その上にはフレームに入ったモノクロの夜景写真が飾られている。
 工場なのだろうか。まるでSF映画に出てくるような近未来的な建物が映っている。

 「この写真も、浅野くんが撮ったの?」
 「ええ。それ、結構気に入ってて」
 「すごく素敵。プロが撮った写真みたい」
 彼は口角を引き上げ、嬉しそうに微笑んだ。

 「あ、ソファーに座っててくださいね」と言い残してキッチンに向かい、しばらくして湯気の立っているマグカップを二つ持ってきた。
 そしてサイドテーブルを引き寄せ、わたしの前に置く。

 ふわっと、甘い花の香りがあたりに漂った。
 「カモミールなんだけど、飲めます? 蜂蜜も入れたけど」

 「うん、大丈夫。好きだよ。ありがとう」
 その暖かくて、ほんのり甘い飲み物は身体だけでなく、心も温めてくれた。

 わたしは両手で飲み終わったカップを抱えたまま、彼を見た。
 「浅野くん、本当にありがとう。助かったよ」

 「いや、俺が無理矢理誘ったんだから、そんなに気を使わないでくださいって」
 「でも……」

 「さ、話は明日。それ飲んだんなら、もう寝ましょう。来てください。寝室、案内しますから」

 浅野くんは話を遮り、リビングを出て行こうとする。
 わたしは慌てて彼の後を追った。

 「ねえ、ほんとに、どうやってお礼すればいい? こんなに良くしてもらって」


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