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第五王子の婚約者は、悪役令嬢にはなれません

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「ロベルト様っ、婚約を破棄してくださいませ!」
「は?」

 だんっ!
 猛牛もかくやという勢いで僕の部屋に飛び込んできた彼女――フローレンス=エルヴァスティ伯爵令嬢はのたまった。
 僕は、一瞬なにが起こったかわからなくて、ティーカップを手にしたまま固まった。
 
「ざまぁは、嫌なのですわーーーーーーー!!!」

 翡翠色の大きな瞳からぽろぽろと涙を流して叫び、彼女はいまはいったばかりの僕の部屋からくるっと向きを代えて、全力で走り去ってゆく。
 彼女の去ったあとには、彼女についてきた使用人二人が僕をゴミ虫を見るような冷たい目線とともに、慇懃無礼なまでのビシッとしたお辞儀をして去ってゆく。

「…………アレスタ」
「はっ」

 震える声で、僕は常に僕のそばに控える使用人を呼ぶ。
 アレスタは、僕が子供の頃から仕えてくれている。
 僕はまだ十三歳で、成人を迎えてはいないから、今も子供かもしれないけれど。

「彼女の言っていた『ざまぁ』とは何だろう。それに、その……」

 現実を認めたくなくて、僕は、そこで言葉を区切る。

「婚約破棄する、と聞こえたのだが……」

 最愛の婚約者に、そんな事を突きつけられる様な記憶が一切ない。
 ついこの間まで、

「早くロベルト様にふさわしくなれるように頑張りますわ」

 とか、

「成人まで、あと五年ですわね。あと五年で、わたくしは、ロベルト様のお嫁様に……きゃっ~♪」

 とか言いながら、かわいらしく頬を染めていたんだよ?
 それが一体、ほんとに、何が起こったの……。

「ロベルト様、落ち着いてください。よく、フローレンス様の言葉を思い出してください」
「婚約を破棄する……婚約を、破棄、する……」
「いいえ違います。婚約を破棄してくださいませ、です」
「同じ事だろう。彼女は、婚約破棄を望んでいるということなのだから」
「ならばなぜ泣いておられたのですか。あんなにもお辛そうなフローレンス様はついぞお見かけしたことがございません」
「僕との婚約が嫌になったからではないのか。第五王子とは名ばかりで、僕に嫁いでも、彼女にも彼女の伯爵家にも、メリットなんて何もないだろう」

 そう、僕は一応この国の第五王子ではある。
 母は男爵令嬢で、王妃様付きの侍女だった。
 男爵家出身とは思えぬほどに、当時の母は美しかったらしく、王である父上の気紛れで僕を授かったらしい。
 母は僕が生まれてすぐに亡くなったから、母を見たのは肖像画だけだけれどね。
 確かに、綺麗な人だったと思う。
 何の変哲も無い僕の茶色い髪と違って、輝くような金髪に、すっと切れ長の青い瞳。
 僕は瞳も茶色だから、正直、母とは実は他人ですよといわれても頷けるぐらいに見た目をまったく受け継がなかった。
 王の瞳と髪の色だから、不貞は流石に疑われなかったらしいけれど、美しかった母に少しも似ていない僕に、王は興味を持たなかった。
 
 男爵家という後ろ盾としては心もとなすぎる出身で、母は他界、守ってくれるはずの実の父である王は、たぶんほとんど僕の存在を忘れてる。
 第五王子で兄が四人いるのは当然として、この国は男女関係なく王位継承権がある。
 王妃と側妃達の生んだ姉が、八人もいるんだよね。
 八人の姉と四人の兄が全員王位継承権を失うようなことはまずありえないし、幼少期から王家の英才教育を受けて育っている彼女彼らは優秀で、僕が王位を継ぐ可能性はまずない。
 
 物心ついたばかりの頃なんて、僕は使用人と大して変わらない生活を送っていたよね。
 人に仕えていないだけで、着替えも部屋の掃除も自分のことは自分でやらされていたし、王家の英才教育なんて受けていなかった。
 アレスタが常にそばにいてくれたけれど、服装も使用人と変わらないお仕着せを着ていた僕を、王子とはまず思わないよね。

 第五王子とは名ばかりで、小さな頃は離宮の片隅で、いまは王宮の片隅で、本を読んで過ごしているだけだ。
 王都の学園には通っているけれど、それだって、フローレンスの、彼女の伯爵家の後ろ盾のお陰だし。

 七年前、伯爵令嬢のフローレンスが王宮の庭で迷って、僕と出会わなければ。
 僕に出会って、あまつさえ「一目惚れ」などという世迷い事を言い放って、彼女の父上に僕との婚約を願ったりしなければ。
 僕はたぶん一生、学園に通うこともなく、離宮の中で過ごしてたんじゃないかな。
 そんな僕との婚約なんて、まともな貴族なら避けるよね。
 ましてや、フローレンスはエルヴァスティ伯爵の末娘。
 父王にほぼ忘れ去られている存在価値の無い僕よりも、相応しい婚約者候補は星の数ほどいるわけで……。

 
 マジで涙が浮かんできた僕に、アレスタがハンカチを差し出す。

「ロベルト様、こちらをお使いください」
「ううっ、ありがとう」

 涙をぬぐって思わず鼻もかみたくなったけれど、僕はぐっと我慢する。
 一応、王子だからね。

「ロベルト様、きっと、何かの間違いです。あのフローレンス様が、いまさらロベルト様の政治的存在価値で婚約破棄を願い出るとは思えません。何かご事情があるのではないでしょうか」
「事情……」

 彼女の事情。
 それは、彼女が叫んでいた『ざまぁ』と関係があるのだろうか。

「フローレンス様のご様子からして、望んでロベルト様との婚約を破棄されたいわけではないはずです。今日はあのご様子からしてお会いするのは難しいでしょうから、明日にでも、学園でお話されてみては如何でしょうか」
「そうだな……学園でなら……」

 ゆっくり、話を聞けるだろうか?
 最愛の彼女を脳裏に思い浮かべながら、僕はゆっくりと、気持ちを落ち着ける為に冷め切った紅茶に口をつけた。




◇◇◇


 
「そこの君、あぁ、エミヤ嬢、フローレンスを呼んでもらえるだろうか」

 エミヤ=ポルルッカ男爵令嬢が目の前にいたので、僕はフローレンスのクラスの前で呼び止める。
 瞬間、周囲のご令嬢達から小さなざわめきが起こった。

 なんだなんだ?

 決して蔑むような、冷たい目線じゃないけれど、ちらちらとこちらを伺う視線が多いのは気になる。
 それに、こそこそと「やっぱり……」「あの噂は……エミヤ様を……」「シンデーレラストーリーですわ……」などと噂話が聞こえてくる。

 そして僕の最愛のフローレンスは、クラスの片隅でうつむき加減に座り、僕には気づいていないようだ。
 何だろう、本当に。
 ふわふわとした彼女の綿毛のような白い髪も、心なしか元気なく萎れているような。
 耳の上で二つに分けて結わっているせいかな。
 なんだか、ウサギがしょんぼりとしているみたいに見えるよ。

「フローレンス様を、わたし、じゃなくって、わたくしが、ですか?」

 エミヤ嬢が、困ったように小首をかしげる。
 淡いピンク色の髪が、さらさらと揺れた。

 エミヤ嬢は、最近男爵家に引き取られてこの学園に編入してきたから、言葉遣いが少々庶民風なんだよね。
 もともと平民として過ごしていたらしいけれど、行方不明だった男爵の妹さんの娘であることが判明したとか。
 丁度エミヤ嬢のお母様が亡くなられた日に、エミヤ嬢が働いていた花屋の近くを男爵が通りかかって、母親そっくりの顔立ちと、特徴的なピンクの髪で分かったらしい。

 王宮の隅っこで辛うじて王子をしている僕としては、庶民風な所が親近感沸きまくるのだけど、今日はちょっと様子がおかしいような。
 いつもなら、「アレスタ様、メイドと一緒にクッキーを作りましたの。よかったら一緒に食べてください」とか。
 気楽に笑顔で話しかけてくれていたのに、今日は不安げに周囲を伺っている。

 本当に、今日は一体何なんだ?

 エミヤ嬢が、恐る恐るといった感じで、フローレンスに近づく。
 そしてここからではよく聞こえなかったけれど、パッとフローレンスが勢いよく顔を上げ、僕を見た。
 瞬間、翡翠色の瞳が泣きそうに歪む。

 えぇ、なんでさ?!

 いつもなら、「ロベルト様、迎えに来てくださったのですねっ」って笑顔で駆けつけてくれるのに。
 涙目のまま僕から目をそらして、エミヤ嬢に何かを伝えると、そのまま、机から取り出した本を読む振りをして僕をスルーする。
 何で読む振りかわかるかって?
 だって上下明らかに逆さまだし!
 可愛らしいお姫様と王子様らしき二人が書かれた表紙イラストだから、パッと見で分かるよ。

「あの……フローレンス様は、その、あの……」

 僕のところにびくびくと戻ってきたエミヤ嬢が、いい辛そうに言葉を濁す。
 うん、大丈夫だよ、僕にも見えているからね。
 男爵令嬢のエミヤ嬢が、伯爵令嬢のフローレンスに断られたら、何ももう出来ないよね。
 学園内では身分平等がうたわれているけれど、そんなものが建前なのは、誰だって知っているしね。
 仕方ない。
 無理やり教室に入って無理強いするのも良くないからね。 
 生徒会の仕事を先に終わらせておこうか。

「エミヤ嬢、気にしないで。それより、今日も僕の仕事を手伝ってもらえる?」

 エミヤ嬢は、平民出身だけど、成績優秀なんだよね。
 もともと頭が良かったのもあるんだろうけれど、自分を引き取ってくれた男爵夫妻に少しでも恩を返したいんだとか何とか。
 健気でがんばり屋さんで、良いよね。
 出来るだけ僕も彼女の成績だけでなく、内申も良くなるように、生徒会の仕事をお願いしているんだけど。
 彼女なら、男爵家でも王宮勤めの研究者になれるんじゃないかな。
 お給料もいいし、研究成果を挙げれば男爵家に褒章も出るだろうしね。

「あ、あのっ、その、今日は、その……」

 あれ?
 エミヤ嬢までなんだか涙目なんだけど。
 ちらちらとフローレンスを伺ってる感じ。
 ほんとに、今日はみんなどうしたんだろう。

「忙しい?」
「は、はいっ、そうなんです、忙しい感じがするっぽく……っ」

 言葉遣いがいつにもまして乱れたエミヤ嬢は、そのままいそいそと僕のそばを離れていってしまった。
 うーん、仕事をお願いしすぎてたかな。
 試験期間中は避けていたんだけれど、彼女の負担になってたのかもしれない。
 
 少し離れた場所で、エミヤ嬢が友人達に駆け寄られてる。
 途切れ途切れに聞こえてくる会話は、やっぱりちょっとよくわからない。
「このまま頑張って……」「……シンデーレラを目指して……」
 などなど、友人達の言葉にエミヤ嬢は必死に首を横に振っている。

 苛められている、とかではなさそうだよね。
 
 僕はほら、隅っこ王子だから。
 正直小さい頃は兄弟姉妹に苛められたこととかもあるしね。
 そういった気配には敏感なんだ。
 あ、いまは苛められてないよ?
 フローレンスが僕の婚約者になってくれたこともあるけれど、兄弟姉妹も成長して、いろいろ事情を理解出来る歳になっているからね。

 エミヤ嬢を取り囲んでいるご令嬢達は、雰囲気的に、エミヤ嬢の何かを応援している感じ。
 
 何か僕で手伝えることがあれば、僕にも相談してほしいんだけど。
 いつも生徒会の手伝いをしてもらっているからね。
 王宮では隅っこの僕だけど、一応、王子だから。
 学園内の揉め事は、大体、僕がどうにかできるはず。

 ……最愛のフローレンスとの事が今どうにも出来なくて、困ってるけどさ。

 僕は、ちらっと未練がましく教室の中のフローレンスを見る。
 彼女はまだ本を読む振りをしたまま、じっとしている。

 仕方が無い。
 一度、生徒会室に行こう。
 今日の分の作業がまだ終わっていないしね。

 とぼとぼと。
 本当に、足からそんな音が出そうなぐらいとぼとぼと、僕は生徒会室に向かって歩き出した。



◇◇



 生徒会室のドアを開けた瞬間、会長である一つ上の兄上が先にいて、とんでもない事を言い放った。


「おっ、ロベルト。お前、男爵令嬢と熱愛って本当か?」
「はぁっ?!」
「いま学園中その噂で持ちきりなんだが」
「知らない知らない知らない、なにそれ?! 僕が愛しているのはフローレンスだけだよ?!」
「だよなぁ。まぁ、座れよ」
「ダメ無理座ってられないっ、フローレンスのところにいってくる!」
「まぁまぁまぁ」

 全力でフローレンスのところに戻ろうとした僕の腕を、兄ががしっと引っつかむ。
 痛いから離してほしい、というか、フローレンスのところに行かせて!
 
「お前、ぜんぜん噂を知らなかったんだろ? それで彼女の所にいま行ってどうするんだよ」
「誤解を解くよ! たぶん男爵令嬢ってエミヤ嬢の事だと思うんだ。でも彼女とそんなんじゃないのは、兄上なら知ってるでしょ」
「まぁな。でも周囲はそう思ってない。あまつさえ、フローレンスが悪者になってることを知ってるか?」
「何でそんな意味不明なことになってるの……」
「だから説明してやるから、ちょっと座りなよ」

 ちょいちょいっと、兄上が隣の席を指差す。
 僕はしぶしぶと、兄上の隣に腰を下ろした。
 すかさず、兄上の護衛兼使用人が僕の分の紅茶も入れてくれる。

「まず、数年ぐらい前に『シンデーレラ』って言う小説が流行ったのは知っているか?」
「大衆小説だろうか。僕は読んだことがないと思う」
「まぁ、大衆小説といえばそうだが、庶民向けの物語だな。ざっと説明すると、継母と義姉達にいびられていた心優しい少女が、王子に見初められて王妃になる話だな」
「夢のある物語だね」
「そそ、夢物語だよ。でもこれの人気で『ざまぁ系』が流行りだしたんだよね」
「っ、ざまぁっ?! それ、フローレンスが言ってたやつだよ。どんな意味なの」

 辞書には載っていなかった。
 彼女に言われたあと、僕はすぐに調べたからね。

「ざまぁみろって意味だね。悪事を働きまくった悪者が正義に負けてさ、負けて情けない自分の『ありさまを見ろ』って感じ」
「……そういうことなら、今に始まったことではない気がするんだけど……」
 
 悪徳領主に苦しめられた領民が、通りずがりの良い貴族に訴え、悪の領主が懲らしめられる話とか。
 悪行の限りを尽くす魔物が、勇者に倒される話とか。
 昔から良くある話だと思う。

「ざまぁ系って言ったろ? いま庶民の間では、こんな小説が流行ってる」

 兄上が、僕に一冊の小説を手渡した。
 可愛らしい女の子と、綺麗な男の子の絵が描かれていて……あれ? これ、さっきフローレンスが読む振りをしていた本と同じじゃないか。

「それ一冊だけじゃなくってね。何冊も似たような話が出てるんだけど、どれもこれも悪役令嬢の苛めに負けない健気なヒロインが、悪役令嬢の婚約者と結ばれる話だね」

 兄上が、さらに数冊本を手渡してくる。
 僕は、ぱらぱらと渡された本のページをめくってみた。
 公爵令嬢や侯爵令嬢、それに伯爵令嬢などが悪役として描かれているようだ。
 身分の低いヒロインをあの手この手で苛めまくり、その性格の悪さから最後は婚約者である王子や公爵子息から婚約破棄を突きつけられ、学園を追放されたりしている。
 確かに、こんな酷い性格のご令嬢達が不幸な目に会うのなら、『ざまぁ』と言いたくなるのも分かるのだけど。

「僕のフローレンスは、こんな意地悪な子じゃないよ?」

 フローレンスは伯爵令嬢だから、物語の悪役令嬢になれる身分ではあるのかな。
 あと、ほぼ名前だけの王子ではあるものの、一応はこの国の王子である僕の婚約者。
 二つほど悪役令嬢の条件を満たしているけれど、性格がどうやっても無理だと思う。
 こんな物語の虐めなんて絶対しないし、むしろ現場に遭遇したらショックで倒れてしまいそう。

「まぁ、俺達からしたらフローレンス嬢の性格は分かってるけど、周りはそうじゃない。特に平民や子爵家以下の末端貴族ご令嬢なんかは、フローレンスとかかわる機会は少ないだろ」
「それは、そうだけど……」
「そして丁度タイミングよく、平民上がりのエミヤ=ポルルッカ男爵令嬢が編入してきて、お前と仲までいいものだから、周りはざわめき立っちまったってわけだ」

 兄上の言葉に、僕は俯いてしまう。
 エミヤ嬢とは、間違ってもそんな、物語のような愛し合う関係なんかじゃない。
 編入当初、まだまだ貴族としての礼儀作法がなってなくて、ほかの貴族令嬢たちに睨まれちゃってたんだよね。
 ちょっとした意地悪――物語のように酷いものじゃなくて、仲間はずれっていうのかな、フローレンスはもちろんかかわってない――に遭遇してたり。
 子供の頃苛められていた僕としては、見過ごせなかったから、庇ったり、出来るだけ傍にいたりしたんだけど。
 王子の僕の前で苛めをする人は、まずいないからね。
 そうしているうちに、彼女への意地悪はなくなってたんだけど……。
 
 それが、いけなかったのかな。
 でも見てみぬ振りはできなかったし。

 いつの間に、フローレンスが悪役令嬢扱いされてたんだろう?
 ふわふわとして、やわらかい印象のフローレンスと、物語の悪役令嬢が僕にはどうやっても結びつかない。
 下級貴族や平民は彼女の人柄を知らないっていうけれど、彼女と同レベルやそれ以上のご令嬢達なら、間違えようもないよね?

「混乱し始めてる可愛い弟に、ヒントをやろうか?」

 にやりっ。
 兄上が、僕と同じ茶色い瞳をいたずらっぽく細める。

「ど、どんな……?」
「そう警戒するなよ。ズバリ、原因はフローレンス嬢の思い込みだ!」
「えっ、それヒントじゃなくて答えなんじゃっ」
「ふふーん」

 兄上、めっちゃドヤっとした顔をしているけれど、僕を驚かせれたことが嬉しいの?
 嬉しいんだね?
 兄上って、僕をからかうのも好きだよね。
 
 でも、フローレンスの思い込み、か。
 それなら、納得できる。
 僕みたいな隅っこ王子に、一目惚れしたとか言い出して婚約までこぎつけちゃうぐらいだもの。
 彼女は思い込んだら突き進んじゃう。
 今回のことも、いろいろな条件が重なったのもあって、自分を悪役令嬢と思い込んじゃったんだね?
 それなら、「ざまぁは嫌なのですわー!」ってなきながら走り去って言った意味もわかる。

 ……そうすると、今度は、どうやって彼女の思い込みを止めるかって事になるんだけど。

「ソフィア=マクガーレン、ジュリア=フィルガンド、ブライ=デミートリ、フォガル=ボッチェリア、マーキス=モルガナイト、デークリット=フォーリア……まだまだあるぞ?」
「兄上、それは何の呪文なの」
「お前はもう少し大衆小説も読みなさい。お堅い論文ばっかりじゃなくね。ほら、これらの本を書いている作者だよ」

 フローレンスが持っていた本以外にも、兄上は数冊の似たような本を出してくる。
 その作者名をみると、なるほど、いま兄上が行った人達だ。
 でも、それがフローレンスの誤解をとくことにどう結びつくの?

「印刷所は抑えておいてやるよ?」

 印刷所?
 ………。
 ………………っ!

「っ、わかった!!! 兄上、ありがとうっ」
「おうっ、頑張れよー」

 兄上が行っていいよという感じで手を振って見送ってくれる。
 僕は、全力で学園を走り去抜け、門のところで待ってくれていた馬車に乗り込んだ。
 行き先は当然、本の出版社だ!



◇◇


―― 一ヵ月後――



「ロベルト様、はい、あーん♪」
「恥ずかしいよ……でも、あーん」

 僕は、裏庭の片隅で、最愛のフローレンスの手づくりお弁当を食べている。
 フローレンスが恥ずかしそうに、僕の口元にサンドイッチを持ってきてくれたから、僕ははむっと一口かじってみる。
 うん、美味しい。
 中庭だとこんなこと出来ないけれど、裏庭だと、みんないないからね。
 ちょっとぐらい、フローレンスとラブラブしててもいいと思う。
 ……いい、よね?
 だって、一ヶ月近く、彼女に誤解されたまま、まともにデートもできなかったんだし。

「ロベルト様、今度のお休みは、オペラを見に行きたいと思いますの」
「もちろん、一緒にいこうね」
「はいっ」

 にこにこと終始笑顔のフローレンスに、僕もほっぺたが緩む。
 オペラを見るときは、白い薔薇を忘れないようにするんだ。
 物語みたいにね。

 一ヶ月前。
 兄上にヒントを貰った僕は、王都の各出版社を回って、ざまぁ系の作家達に連絡を取ってもらった。
 そして、筆が早くて時間のある作家数名に、悪役令嬢が幸せになる話を書いてもらった。
 あ、もちろん、意地悪な悪役令嬢が幸せになるわけじゃないよ?
 悪役令嬢と誤解されてしまったごく普通の優しい令嬢や、最初からヒロインと仲がよい悪役令嬢、それに、未来を知っている悪役令嬢、とかね。
 ありとあらゆる『性格の良い』悪役令嬢が、幸せになる話。
 出来れば、悪役令嬢の髪は柔らかい白銀で、瞳は翡翠色がいいなっていったら、どの作家さんもそうしてくれた。
 誰か一人でもフローレンス風の優しい悪役令嬢を書いてくれたらいいなって思ったんだけど、嬉しい誤算だった。
 
 人気作家達に書いてもらった原稿を、兄上が押さえておいてくれた印刷所で大至急印刷して本にして、一気に販売。
 イラストのことを僕は失念していたんだけれど、それはアレスタがきっちりスケジュールを押さえておいてくれたから、大丈夫だった。
 なのでいま書店には、フローレンスみたいな雰囲気の、愛らしいご令嬢のイラストが描かれた本がたくさん並んでる。
 あ、王子や公爵子息のイラストは、僕とは似ても似つかないよ?
 フローレンスの誤解さえ解ければ、それでよかったから、僕のことは作家達に特に言わなかったから。

 この国中に溢れる悪役令嬢幸せ物語は、当然、学園のご令嬢達にも読まれて、大人気。
 人気だったざまぁ系を一掃して、いまは悪役令嬢が流行ってる。

 そのおかげで、思い込みでざまぁに怯えていたフローレンスも、すっかり安心してこうして僕の隣に戻ってきてくれた。
 エミヤ男爵令嬢も噂には困っていたらしく、生徒会の仕事をまた手伝ってくれるようになって、僕の平和な日常が戻ってきた。

「ロベルト様、ずーっとずーっと、一緒にいてくださいね?」
「もちろんだよ、フローレンス」

 僕の婚約者は、意地悪な悪役令嬢には、なりません。
 彼女がなるのは、僕のお嫁さまだけです。

 僕は、かわいいかわいい婚約者の頭を、そっと撫でた。
 

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