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眠ってしまったアリシアの寝顔を見ながら、ジュノーは首を傾げた。
「今のは、どういう意味かしら……?」
アルフレッドもまた不可解と好奇心を混ぜたような顔をして、首を傾げ瞬きする。
「我らが神ヴァースは、本来なら、何処にでも居るはずだよね」
二人は顔を見合わせると、馬車の壁の片面に掛けられた布に視線を向けた。
そこには、主神ヴァースが描かれている。
勇壮な、狼にも獅子にも見える黒い毛並みに極彩色の鬣をもつ四足の獣に、白い蛇が巻き付いている。
それが、この大陸の多くの国で信仰されている神の最も一般的な姿だが、これは仮初のものとされ、古く遡れば様々な姿で描かれる。
人々の暮らす大地に宿り、水に、岩に、木に宿り、信仰のある場所の全てに同時に存在し、全てにして一つの神とされている。
「海の向こうの、異教徒が信仰してる人の姿をした神は、空高く天の神殿か何かに御座すそうだから。普段は人の傍には居ないものだったりも、するみたいだけどね」
アルフレッドは悩むように頭をかいた。
「猊下によれば、ヴァースが万物に宿るってのは、神気が色んなものに分散して宿る事の例え話ではある。だけど実際には神のそのものはあちこちに同時に居て、どれが本体とかじゃなくて全てが本体、それが俺達の神様で……」
それが、彼らの信仰する神の在り方だ。
だからこそ、彼らにとって、『神はまだ国に居るか』というアリシアの問いは、少し不可解な物だった。
「神気が薄れたり、局地的にその場に居ない事はあるかもしれないけど……信仰のある国そのものから、居なくなる……?」
黙って聞いていたジュノーも困惑した顔で再び首を傾げた。
姿形は見えずとも傍に在るもの、と教えられて信仰してきた二人にとっては、いまひとつ想像の付かない話だった。
「……ひとまず、猊下に報告は送っておきましょう」
今は考えても埒が明かないと、ジュノーは一つ溜息をついて、紙と筆記具を取り出した。
「そうだねぇ。俺もラーヴェについたら、図書館で文献を調べてみようかな。過去にそれに該当するような事例はあったのか……」
「それに、言葉の真意も、もう少し回復を待たなければ聞けないしね」
気を取り直すように笑んで、ジュノーは傍らで眠るアリシアへと視線を戻した。
顔色はまだ芳しくは無いが、胸は静かに上下している。
◇◆◇
王太子に割り振られた執務室で、レオンは行政官からの報告を受け取っていた。
「西の各領地は連絡が取れました。目下のところ人的被害は殆ど無く、水の問題は王都同様にありますが、接している隣国との交易があるので多少は持ち堪えられるようです」
行政官の報告に頷き、報告書に目を通す。
王位を継ぐ際に備えて、王太子として、王都から遠い地方領の領主達の声を聞き束ねるのが平時からレオンに割り振られている役割だった。
普段であれば勉学と足場を固める意味合いも兼ねて貴族議会に顔を並べる事もあるが、このような緊急時であれば王都の事は議会貴族に任せて、分担してしまった方が効率が良いと判断した。
地方領の対応は何かにつけ後回しにされがちで、事態の収まった後に軋轢を残しやすいからだ。
「東側の領と連絡は取れたか?」
レオンの声に行政官は表情を曇らせた。
「いいえ……。ディルズ川の橋の復旧には、かなりの時間を要しそうです」
地震による地方領の被害はまだ全てを把握出来て居ない。
行政官が一通り報告を終えて退室すると、レオンは執務席の机に肩肘をついて、額を手のひらに押し当てて息を吐いた。
机の上には、乱雑に置かれた文献や紙の束と共に、不格好な木彫りの犬が乗っている。
あの木箱から取り出した、随分と昔にアリシアから贈られたものだ。
それをじっと見つめて、指先で撫でる。
一年前以前の記憶が、ところどころ靄がかかったように抜けていた。
昨晩自覚した、これまでの自分の行いの異常さとは別に、何かとても大切な事を忘れているという感覚が確かにある。
そして、思い出す事の出来ない記憶と共に、取り返しのつかない事をしてしまったのだという、焦りと絶望に似た確信があった。
苦く重い息を吐いて、再び報告書を捲り、地図を取り出し、今自身に出来うる事を求めて思慮を巡らせる。
民を守らなければならない、それは、自分自身がやらなければならない、今この場でただ一つ果たせる償いだという自覚があった。
水脈や河川の資料を引っ張りだし、過去の地震に関する文献を読み漁り、東側の領地の状況予測と考えうる対応を書き出していると、執務室がノックされ、侍従役も務める近衛兵が来客を告げた。
「王太子殿下、リリア様がお見えです」
掛けられた声に、しかしレオンが手を止める事は無かった。
「……要件はなんだ?」
「え……?」
昨日までとはまるで異なる反応に、近衛兵は困惑を顔に出して固まった。
「お、お茶をどうかと、申しておられましたが……」
「急ぎの重要な要件でないなら、断ってくれ。今は他にすべき事がある。時間も水も無駄に出来ない」
レオンは顔を上げることなく淡々と告げた。
近衛兵が慌てたように退室すると、閉まりかけた扉の向こうから、酷く場違いに感じる少女の抗議めいた声が漏れ聞こえていた。
扉が固く閉じれば執務室には静寂が降りる。
レオンは吐き気が込み上げてくるのを堪えて、再び文献や報告書の束に目を向けた。
「今のは、どういう意味かしら……?」
アルフレッドもまた不可解と好奇心を混ぜたような顔をして、首を傾げ瞬きする。
「我らが神ヴァースは、本来なら、何処にでも居るはずだよね」
二人は顔を見合わせると、馬車の壁の片面に掛けられた布に視線を向けた。
そこには、主神ヴァースが描かれている。
勇壮な、狼にも獅子にも見える黒い毛並みに極彩色の鬣をもつ四足の獣に、白い蛇が巻き付いている。
それが、この大陸の多くの国で信仰されている神の最も一般的な姿だが、これは仮初のものとされ、古く遡れば様々な姿で描かれる。
人々の暮らす大地に宿り、水に、岩に、木に宿り、信仰のある場所の全てに同時に存在し、全てにして一つの神とされている。
「海の向こうの、異教徒が信仰してる人の姿をした神は、空高く天の神殿か何かに御座すそうだから。普段は人の傍には居ないものだったりも、するみたいだけどね」
アルフレッドは悩むように頭をかいた。
「猊下によれば、ヴァースが万物に宿るってのは、神気が色んなものに分散して宿る事の例え話ではある。だけど実際には神のそのものはあちこちに同時に居て、どれが本体とかじゃなくて全てが本体、それが俺達の神様で……」
それが、彼らの信仰する神の在り方だ。
だからこそ、彼らにとって、『神はまだ国に居るか』というアリシアの問いは、少し不可解な物だった。
「神気が薄れたり、局地的にその場に居ない事はあるかもしれないけど……信仰のある国そのものから、居なくなる……?」
黙って聞いていたジュノーも困惑した顔で再び首を傾げた。
姿形は見えずとも傍に在るもの、と教えられて信仰してきた二人にとっては、いまひとつ想像の付かない話だった。
「……ひとまず、猊下に報告は送っておきましょう」
今は考えても埒が明かないと、ジュノーは一つ溜息をついて、紙と筆記具を取り出した。
「そうだねぇ。俺もラーヴェについたら、図書館で文献を調べてみようかな。過去にそれに該当するような事例はあったのか……」
「それに、言葉の真意も、もう少し回復を待たなければ聞けないしね」
気を取り直すように笑んで、ジュノーは傍らで眠るアリシアへと視線を戻した。
顔色はまだ芳しくは無いが、胸は静かに上下している。
◇◆◇
王太子に割り振られた執務室で、レオンは行政官からの報告を受け取っていた。
「西の各領地は連絡が取れました。目下のところ人的被害は殆ど無く、水の問題は王都同様にありますが、接している隣国との交易があるので多少は持ち堪えられるようです」
行政官の報告に頷き、報告書に目を通す。
王位を継ぐ際に備えて、王太子として、王都から遠い地方領の領主達の声を聞き束ねるのが平時からレオンに割り振られている役割だった。
普段であれば勉学と足場を固める意味合いも兼ねて貴族議会に顔を並べる事もあるが、このような緊急時であれば王都の事は議会貴族に任せて、分担してしまった方が効率が良いと判断した。
地方領の対応は何かにつけ後回しにされがちで、事態の収まった後に軋轢を残しやすいからだ。
「東側の領と連絡は取れたか?」
レオンの声に行政官は表情を曇らせた。
「いいえ……。ディルズ川の橋の復旧には、かなりの時間を要しそうです」
地震による地方領の被害はまだ全てを把握出来て居ない。
行政官が一通り報告を終えて退室すると、レオンは執務席の机に肩肘をついて、額を手のひらに押し当てて息を吐いた。
机の上には、乱雑に置かれた文献や紙の束と共に、不格好な木彫りの犬が乗っている。
あの木箱から取り出した、随分と昔にアリシアから贈られたものだ。
それをじっと見つめて、指先で撫でる。
一年前以前の記憶が、ところどころ靄がかかったように抜けていた。
昨晩自覚した、これまでの自分の行いの異常さとは別に、何かとても大切な事を忘れているという感覚が確かにある。
そして、思い出す事の出来ない記憶と共に、取り返しのつかない事をしてしまったのだという、焦りと絶望に似た確信があった。
苦く重い息を吐いて、再び報告書を捲り、地図を取り出し、今自身に出来うる事を求めて思慮を巡らせる。
民を守らなければならない、それは、自分自身がやらなければならない、今この場でただ一つ果たせる償いだという自覚があった。
水脈や河川の資料を引っ張りだし、過去の地震に関する文献を読み漁り、東側の領地の状況予測と考えうる対応を書き出していると、執務室がノックされ、侍従役も務める近衛兵が来客を告げた。
「王太子殿下、リリア様がお見えです」
掛けられた声に、しかしレオンが手を止める事は無かった。
「……要件はなんだ?」
「え……?」
昨日までとはまるで異なる反応に、近衛兵は困惑を顔に出して固まった。
「お、お茶をどうかと、申しておられましたが……」
「急ぎの重要な要件でないなら、断ってくれ。今は他にすべき事がある。時間も水も無駄に出来ない」
レオンは顔を上げることなく淡々と告げた。
近衛兵が慌てたように退室すると、閉まりかけた扉の向こうから、酷く場違いに感じる少女の抗議めいた声が漏れ聞こえていた。
扉が固く閉じれば執務室には静寂が降りる。
レオンは吐き気が込み上げてくるのを堪えて、再び文献や報告書の束に目を向けた。
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