上 下
1 / 61
プロローグ

朱の花は戦場に散る

しおりを挟む
 燃え上がる、鮮烈なアカ

 リアナーレ=アストレイは、荒涼の大地に旗を突き立てる。
 タイミングを見計らったかのように吹いた風は、彼女の短い朱色の髪と、シャレイアン王国の紋が刻まれた軍旗を、炎のようにはためかせた。

 終わったのだ。そう安堵した瞬間、リアナーレの胸部を鋭い異物が貫く。
 声はない。代わりに口から溢れたのは、深紅の液体だった。音もない。痛みも感じない。

 膝から崩れ落ちた戦女神は、意識の残された僅かな時間で、一人の男を思い描く。
 軍人としての仮面の下で、愛し続けた唯一の人。

 険しい表情の想い人が脳裏に浮かぶ。最期まで、彼の笑顔を見ることは叶わなかった。幼い時、確かに向けられていたはずの彼の優しい顔は、色褪せ、記憶からも失われていた。

 リアナーレ=アストレイは戦場に散った。体が壊れ、生が消える。そのはずだった。

◇◆◇

「…、…さま、…ア…様、リアナ様ぁっ!」
「うるさい」

 耳をつんざく甲高い泣き声に、リアナーレは思わず不機嫌な返事をする。あと一時間は寝させてほしい、そんな気怠さが体にあった。

「はえ?」
「え?」

 驚いたのは泣き声の主だけではない。言葉を口にした本人も同様に驚いていた。
 急速に頭が冴えていく。

 がばりと起き上がったリアナーレは、ベッドに伏せて泣く人物に問いかける。

「私、死んだよね」
「はい。今しがた、ご臨終なさいました」

 若いメイドは不思議そうに答えた。彼女が瞬きを繰り返すと、目に溜まった水滴が頬へと零れ落ちていく。
 どこかで見たことのある顔だと思うが、リアナーレは彼女が誰なのか思い出せない。

「私、何で生きてるの? ここは?」
「王宮の、リアナ様のお部屋ですけど…」
「リアナ?」
「はい。星詠みの聖女、リアナ=キュアイス様です」

 リアナーレはベッドから跳ね起き、シーツに足をとられて転びそうになりながら、化粧台へと走る。
 壁に埋め込まれた大きな鏡には、黒髪の、華奢で可愛らしい女性が映った。あどけなさが残る容姿からして、少女と形容した方が良いかもしれない。

「うわぁ」

 リアナーレは口をあんぐりと開け、鏡に映る別人を見つめる。

 星詠みの聖女、リアナ=キュアイスのことはリアナーレも認識している。何なら、戦地へ赴く前にも顔を合わせた。
 聖女様はリアナーレと名前こそ似ているが、見た目と中身は似ても似つかない。

「リアナ様、どうされてしまったのでしょう」
「奇跡だ…聖女様の、奇跡だ…。君、生き返るところを見ただろう? これはまごうことなき奇跡だよ!!」
「ドクターまでおかしくなってしまわれた…」

 感極まって声を張り上げる医者には目もくれず、リアナーレは顔に困惑を浮かべるメイドに尋ねた。

「ねぇ貴女、名前は?」
「忘れてしまわれたのですか?」
「ああ、ええっと、そうみたい。一度死んだショックで色々と思い出せなくて」
「ルーラ。貴女つきのメイド、ルーラ=ホワイトです」

 そうだ。顎のあたりで切りそろえられた茶色の髪に、鼻の上にうっすら浮かぶそばかす。本物のリアナに招かれた際に、一度顔を合わせている。

「ルーラ、セヴィリオはどこ?」
「セヴィリオ様でしたら、執務室にこもりきりのようです」
「はぁ。そんなことってある?」

 セヴィリオ=シャレイアンはリアナーレにとって幼馴染であり、上司にあたる。
 一方、星詠みの聖女にとって、彼は夫だ。嫁の最期を看取りにも来ないなんて。どうしようもなく薄情な男。

「リアナ様!?」

 リアナーレは衝動のまま走り出していた。間違いなく、リアナーレが目覚めたこの場所は、シャレイアン王宮だ。
 良く知るタイル張りの廊下を爆走し、冷酷極まりない軍事総帥様の執務室へと至る。

「聖女様!? 何事ですか!?」

 暇そうに欠伸をしていた衛兵は、ネグリジェ姿のまま駆けてくる聖女様に気づき、声を裏返した。

 王宮への出入りだけでも厳しく制限されているというのに、彼の執務室へ入室できる人物となると更に少ない。
 なにせ、セヴィリオ=シャレイアンは名前が示す通り、ここシャレイアン王国の王族でもあるのだから。

「何でも良いから開けなさい!」

 彫刻の施された荘厳な扉の前で、リアナーレは衛兵に掴みかかった。
 若い彼は、薄っすら肌が透けて見える装いの聖女様から、気まずそうに目を逸らす。

「ご勘弁ください。誰も通さぬようにと仰せつかっております」
「リアナは嫁でしょう? 嫁すら通せないと言うの?」
「そうですが、総帥は今…」

 騒ぎが中まで聞こえたのだろう。中から扉が僅かに押し開かれる。男の姿は見えず、隙間から感情のない声が降ってきた。

「何事だ」
「あら。セヴィリオ様、ご機嫌麗しゅう。嫁を看取りにも来ないだなんて、何様なのでしょう。ああ、名ばかりの第二王子様でしたっけ?」

 リアナーレは腰に手を当て、扉の向こうに立つ男を挑発する。

「リアナ様、いくら貴女でも今の発言は不敬罪にあたります」

 衛兵はセヴィリオの機嫌を損ねないよう慌てて忠告するが、聖女相手に無体を強いることもできず、額に汗を浮かべて狼狽える。
 そうこうしているうちに、勢いよく開かれた扉が衛兵の顔面に激突した。

 ゴンッ、と鈍い音が廊下に響く。

「セヴィー…貴方って本当に最低」

 リアナーレは前髪をかき上げ、もう片方の手を主からの一撃にうずくまる、哀れな衛兵へと差し伸べる。
 事故を引き起こしたセヴィリオは悪びれることなく、ただ真っすぐリアナーレ、いや、リアナを見つめていた。

「リアナ…生きてたの? 体は大丈夫?」
 
 声に光が灯った気がした。いつもの仏頂面からは想像のつかない情けない顔で、冷酷王子は聖女を腕に抱く。
 彼のアイスブルーの瞳には、安堵の色と、うっすら水の膜が浮いている。
 
「うん。生きてるみたい」

 リアナーレは体を硬直させた。好きな男に抱き締められたことへの高揚と共に、胸を抉るような絶望に襲われた。

 ――彼が、望んでいるのは私ではない。

 セヴィリオは、死を目の当たりにするのが堪えられないほど、星詠みの聖女様のことを愛していた。
 その事実に、リアナーレは胸を締め付けられる。

 嫁を看取りに来ない彼の薄情さに怒ったのは建前だ、理由づけだ。本当はただ、リアナーレ自身がセヴィリオの顔を見たかっただけなのだ。

「良かった、リアナ、良かった…」

 生きていてくれて良かった。セヴィリオは震える声で何度も呟く。彼の背にそっと手を回し、リアナーレは無理に笑う。

「もう大丈夫だから。泣かないで、セヴィー」 

しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

公爵様、契約通り、跡継ぎを身籠りました!-もう契約は満了ですわよ・・・ね?ちょっと待って、どうして契約が終わらないんでしょうかぁぁ?!-

猫まんじゅう
恋愛
 そう、没落寸前の実家を助けて頂く代わりに、跡継ぎを産む事を条件にした契約結婚だったのです。  無事跡継ぎを妊娠したフィリス。夫であるバルモント公爵との契約達成は出産までの約9か月となった。  筈だったのです······が? ◆◇◆  「この結婚は契約結婚だ。貴女の実家の財の工面はする。代わりに、貴女には私の跡継ぎを産んでもらおう」  拝啓、公爵様。財政に悩んでいた私の家を助ける代わりに、跡継ぎを産むという一時的な契約結婚でございましたよね・・・?ええ、跡継ぎは産みました。なぜ、まだ契約が完了しないんでしょうか?  「ちょ、ちょ、ちょっと待ってくださいませええ!この契約!あと・・・、一体あと、何人子供を産めば契約が満了になるのですッ!!?」  溺愛と、悪阻(ツワリ)ルートは二人がお互いに想いを通じ合わせても終わらない? ◆◇◆ 安心保障のR15設定。 描写の直接的な表現はありませんが、”匂わせ”も気になる吐き悪阻体質の方はご注意ください。 ゆるゆる設定のコメディ要素あり。 つわりに付随する嘔吐表現などが多く含まれます。 ※妊娠に関する内容を含みます。 【2023/07/15/9:00〜07/17/15:00, HOTランキング1位ありがとうございます!】 こちらは小説家になろうでも完結掲載しております(詳細はあとがきにて、)

懐妊を告げずに家を出ます。最愛のあなた、どうかお幸せに。

梅雨の人
恋愛
最愛の夫、ブラッド。 あなたと共に、人生が終わるその時まで互いに慈しみ、愛情に溢れる時を過ごしていけると信じていた。 その時までは。 どうか、幸せになってね。 愛しい人。 さようなら。

心の声が聞こえる私は、婚約者から嫌われていることを知っている。

木山楽斗
恋愛
人の心の声が聞こえるカルミアは、婚約者が自分のことを嫌っていることを知っていた。 そんな婚約者といつまでも一緒にいるつもりはない。そう思っていたカルミアは、彼といつか婚約破棄すると決めていた。 ある時、カルミアは婚約者が浮気していることを心の声によって知った。 そこで、カルミアは、友人のロウィードに協力してもらい、浮気の証拠を集めて、婚約者に突きつけたのである。 こうして、カルミアは婚約破棄して、自分を嫌っている婚約者から解放されるのだった。

冤罪から逃れるために全てを捨てた。

四折 柊
恋愛
王太子の婚約者だったオリビアは冤罪をかけられ捕縛されそうになり全てを捨てて家族と逃げた。そして以前留学していた国の恩師を頼り、新しい名前と身分を手に入れ幸せに過ごす。1年が過ぎ今が幸せだからこそ思い出してしまう。捨ててきた国や自分を陥れた人達が今どうしているのかを。(視点が何度も変わります)

何もできない王妃と言うのなら、出て行くことにします

天宮有
恋愛
国王ドスラは、王妃の私エルノアの魔法により国が守られていると信じていなかった。 側妃の発言を聞き「何もできない王妃」と言い出すようになり、私は城の人達から蔑まれてしまう。 それなら国から出て行くことにして――その後ドスラは、後悔するようになっていた。

聖獣の卵を保護するため、騎士団長と契約結婚いたします。仮の妻なのに、なぜか大切にされすぎていて、溺愛されていると勘違いしてしまいそうです

石河 翠
恋愛
騎士団の食堂で働くエリカは、自宅の庭で聖獣の卵を発見する。 聖獣が大好きなエリカは保護を希望するが、領主に卵を預けるようにと言われてしまった。卵の保護主は、魔力や財力、社会的な地位が重要視されるというのだ。 やけになったエリカは場末の酒場で酔っ払ったあげく、通りすがりの騎士団長に契約結婚してほしいと唐突に泣きつく。すると意外にもその場で承諾されてしまった。 女っ気のない堅物な騎士団長だったはずが、妻となったエリカへの態度は甘く優しいもので、彼女は思わずときめいてしまい……。 素直でまっすぐ一生懸命なヒロインと、実はヒロインにずっと片思いしていた真面目な騎士団長の恋物語。 ハッピーエンドです。 この作品は、他サイトにも投稿しております。 表紙絵は、写真ACよりチョコラテさまの作品(写真ID749781)をお借りしております。

私が愛する王子様は、幼馴染を側妃に迎えるそうです

こことっと
恋愛
それは奇跡のような告白でした。 まさか王子様が、社交会から逃げ出した私を探しだし妃に選んでくれたのです。 幸せな結婚生活を迎え3年、私は幸せなのに不安から逃れられずにいました。 「子供が欲しいの」 「ごめんね。 もう少しだけ待って。 今は仕事が凄く楽しいんだ」 それから間もなく……彼は、彼の幼馴染を側妃に迎えると告げたのです。

「お前を妻だと思ったことはない」と言ってくる旦那様と離婚した私は、幼馴染の侯爵から溺愛されています。

木山楽斗
恋愛
第二王女のエリームは、かつて王家と敵対していたオルバディオン公爵家に嫁がされた。 因縁を解消するための結婚であったが、現当主であるジグールは彼女のことを冷遇した。長きに渡る因縁は、簡単に解消できるものではなかったのである。 そんな暮らしは、エリームにとって息苦しいものだった。それを重く見た彼女の兄アルベルドと幼馴染カルディアスは、二人の結婚を解消させることを決意する。 彼らの働きかけによって、エリームは苦しい生活から解放されるのだった。 晴れて自由の身になったエリームに、一人の男性が婚約を申し込んできた。 それは、彼女の幼馴染であるカルディアスである。彼は以前からエリームに好意を寄せていたようなのだ。 幼い頃から彼の人となりを知っているエリームは、喜んでその婚約を受け入れた。二人は、晴れて夫婦となったのである。 二度目の結婚を果たしたエリームは、以前とは異なる生活を送っていた。 カルディアスは以前の夫とは違い、彼女のことを愛して尊重してくれたのである。 こうして、エリームは幸せな生活を送るのだった。

処理中です...