嘘の世界で君だけが

七瀬渚

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第2章/君を探す為に

24.秘密の共有

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 三ヶ月前、偶然拾ったあのお洒落なネグリジェは彼女の大切にしている世界観のほんの一部にすぎなかったのだとわかった。 

 女子の部屋と言ってもいろんなパターンがあるだろう。きっと皆が皆ロマンチックなテイストを好む訳ではない。
 しかし彼女の部屋は 御伽話おとぎばなしのありとあらゆる要素を詰め込んだかのような非現実味を感じさせる。アンティーク調の小さなランプも、真っ白なチェストも、薔薇のような香りも。
 写真フレームに飾ってある小動物の絵が唯一の現実を思わせるところ。しかしそれだって彼女が絵を描くと知っているからだ。

 あまりまじまじと観察するのは気が引けたからなるべく下を向いていたんだけど、何か覚えのある感覚を辿っていくと、そう、なんとなくここは“いばら姫”の世界観に似ているような気がした。
 俺に支えられて向かった寝室で、シースルーのカーテンのかかったベッドに横たわる彼女。本当に目覚めるのだろうかと妙な哀しさが胸の奥で疼いてしまうくらい。

 センチメンタルな余韻に浸りながらも俺は小ぶりな冷蔵庫に差し入れをしまっていく。あっという間に中身はパンパンになった。


「……よくわからない体調不良のときはとにかく疲れやすくて。半日以上寝て過ごしてしまうことも……あります」

 細い声が寝室の方から。よく聞き逃さなかったなと自分でも思ったくらいだ。

 半日以上って結構な長さだ。今回の体調不良の本当の原因はまだわかってない。だけど今まで何度もこういうことがあったのなら、彼女にとってストレスとはこれほど回復に時間のかかることなのか。

「朝比奈さん、おかゆ食べれそう?」

「……はい、ありがとうございます」

「あっためるね。食器何か使っていい?」

「はい、どれでも」

 いつだって置いてきぼりだった“実感”。今は果たして追いついているのか、それはわからないんだけど、彼女との距離が戻れないところまで縮まってしまったのは事実だろうし、何より今は目的を果たさなければならない。もう遠慮は捨てざるを得なかった。


「はい、飲んで。少しずつつでいいからね」

 汗で少し湿った彼女の身体を抱き起こす。コップに注いだスポーツドリンクをまず先に飲んでもらった。

「夜野さん、私……ごめんなさい」

「大丈夫。ちゃんと聞くよ。でもまずは食べてからだ」

 俺もそれでだいぶ気持ちが落ち着いた。経験があるからこそのアドバイスだった。


 時間はやっぱりかかったけれどなんとかおかゆを食べ切ってくれた頃。

「……私、酷いことをしてしまったんです」

 薄暗い部屋の中に彼女の弱々しい声が流れ出した。それはまるで哀歌のような独特のリズムを伴って俺の中へ伝わっていく。


「あの夜、あいちゃんを裏切ってしまいました。あいちゃんの気持ちを知っていたのにあんな事を言うなんて、私、自分が信じられなくて……夜野さんにとっても本当はあいちゃんの方が良かったんだと思います」

「…………」


 …………ん?
 あいちゃんって、岸さんだよな。
 何故ここで彼女の名前が出てくるんだ。

 早速話が読めないときた。頭の中がぐるぐるする。でも何周巡ってもわからないものはわからない。

 だけど続く言葉から徐々に……

「私の本心は確かに私自身もよくわかりません。でもあのときの私の言い方って、友達の好きな人を横取りしようとする行為でした」

「横取りって……」

 徐々に、頭の中に散らばっていた記憶の断片がまとまっていく。一つの可能性へと形を成していく。


「夜野さんは優しいから、私を選んでくれたんじゃないですか? 最初に好きだったのは……」

「ごめん! ちょっと待って!」


 本当は最後まで言わせてあげたかった。遮る形になってしまったのは申し訳ないんだけど。
だけど話せば話すほど息がしづらくなっていく様子の彼女を放ってはおけなかった。


「あの、さ。岸さんが俺のこと好きだって思ってる?」

 戸惑いながらもこく、と小さく頷いた彼女。目はちょっぴり赤くなってる。

 だから岸さんに謝ってたのか。一体いつからそんな誤解をしていたんだろう。


「だってあいちゃん、私が夜野さんに助けてもらったって話した後、夜野さんの学科とか訊き出してすぐに会いに行ったし、サークルで会ったときも二人で抜け出して……だから夜野さんもあいちゃんに興味持ってたんじゃないかって」


「それかぁ……!」


 思わず額を手でおさえてしまった。客観的に見ることの難しさを考えさせられた瞬間だ。

 ってことは、今回もしストレスが原因でこうなってるんだとしたら、彼女は何ヶ月もの間苦しんでいたことになるんじゃないか。

 なんでもっと気を付けて行動しなかったんだよ、俺の馬鹿!
 悔しさを噛みしめながらも俺は真っ直ぐと彼女を見つめた。

 わかってもらわなきゃ。全部は話せないけど、これは俺だけの問題ではなく彼女と岸さんの友情にも関わってくるんだから。


「違うんだよ、岸さんは。俺のことをそんなふうには見てない。岸さんの行動はまさしく誠実さと優しさだった。本当に俺にお礼を言いに来たし、実は……自販機の場所案内したときも君を思いやるようなことを口にしてた」

「本当、に?」

「うん、そうだよ。それから俺の気持ちも……その……」


 もう充分大胆なことをしているのに唇が震えるのを感じた。目を合わせるのさえ難しくなって。
 そんな結果、凄く情けない声色にはなってしまったんだけど、切実な願いさえ込めた想いを正直に伝えた。


「俺は最初から朝比奈さんのことばかり考えてた。同情で“大好き”なんて言わないよ。だから君もそんな悲しいこと言わないで」

「…………っ」

「ごめん、さっきから俺の気持ちばかりで。でも出来るなら俺だって信じてもらいたい」

「はい……っ!」


 彼女の頬を伝ういくつもの流れ星。指先は自然とそこへ伸びていた。
 掬い取ると当然、濡れていく。どんなに綺麗でもこれは幻想などではなく当たり前の生理現象だと実感する。彼女は紛れもない人間だ。

「でも夜野さんはいいんですか? こんな私で」

「どうして」

「あいちゃんの気持ちは誤解していたけど、横取りしようって意思があったのは事実なんですよ。私はきっと夜野さんが思ってるような人間じゃない」

「そうだね、確かに君にそんな一面があるなんてびっくりしたけど……」

 そう、汚い一面を見たと言ってもいいくらいなんだろうけど。
 何故だろうね。以前は彼女に純粋さを求めてしまうことを恐れていたはずなのに、いざとなったら案外違っていたんだ。

「無理に綺麗でいようとしなくていい。すぐに反省できた君なら大丈夫さ。きっと大きな間違いは犯さない。話してくれてありがとう」

「夜野さん……」


「あとね、それは俺が訊きたいことでもあるんだ。俺も秘めていたことがある」


 口に出してしまったからには戻れない。しかもこれは初めての試みだ。緊張が増していくのも無理はない。
 今から打ち明ける話で全てが壊れる恐れだってあるんだ。

 でも罪悪感さえ晒してくれた彼女に、唯一無二の彼女に、例え最初で最後になったって本当の俺を知ってほしい。


「夜野さん?」

「ごめん、さすがにためらいがあって。誰にも話したことないし、こんなの信じてもらえなくてもしょうがないんだけど」

 ぐっと拳を握ったとき、温かい感触がその上に重なった。見下ろすと小さな手がそこに。
 澄んだ瞳。いつだって見惚れてきた小宇宙。そこにはもう無邪気なだけではない覚悟が宿っているように思えた。だから俺は口を 開ひらけたんだ。


「俺、人の心が読めちゃうんだ」


 彼女の目はまぁるく見開かれていく。
 ごめんね、少しだけ顔を伏せてもいい? そうじゃないと全部言えなさそう。


「多分、俺が聞いてるのは心の声なんだと思う。わざわざ聞こうとしている訳じゃないんだ。だけど伝わってくる距離ってのがあって、その範囲にいる人の心は感じ取れる。高校生のときから何故かこんな体質になった。いつかは治るかなと思ってたんだけど、むしろ最近ますます敏感になっているような気さえする」

 ちら、と上目で伺うと彼女の視線はぶれずに留まっている。それがどんどん怖くなってしまって。

 気持ち悪いよな、こんなの。
 覚悟って本当に脆く崩れる。悲しくなるくらい。
 言葉にするのが精一杯なんだ。これが限界なんだ。

「えっ、それじゃあ……」

 戸惑いの声。だよね、全部聞かれてたんだと思うと引くよね。

 ごめん、朝比奈さん。束の間だったけどいい夢を見させてもらった。

 ありがとう。

 さような……


「ええっ! じゃあ私が実はお腹すいてたときとかバレちゃってたってことですか!」

「!?」


 えっと……

 えっ、お腹がすいてたとき?


 呆気にとられている俺をよそに彼女は熱っぽい頬を一層赤く染める。林檎みたいだ。口元を覆って悶えている。
 一体何が起きているんだろう。

「私すぐお腹すいちゃうからいつもお腹鳴らないように気を付けてたのに……よりによって夜野さんに食い意地の張った女だってバレてたなんて、恥ずかしい……!」


 気にするの、そこなんだ。チーズケーキ三個買った時点で少しびっくりはしていたけど。
 というか、あっさり信じてくれてる。嘘だろ。

 またしても実感を何処かに落っことしてしまったようだが、ひとまずは彼女を安心させる言葉を選ぶ。

「いや、朝比奈さんの心の声は何故かあまり聞こえないんだ」

「本当ですか」

「少しだったらあったけど、別に変なことは言ってなかったよ」

「良かったぁ~……って、あぁっ! でも今喋っちゃったから結局バレてる! 言わなきゃ良かった~!」

「あ、あのさ」

 自分の世界に入ってしまってる彼女を引き戻すのに時間がかかった。
 不思議そうに首を傾げる彼女につられて俺も首を傾げてしまう。

「信じて、くれるの?」

「だって本当なんですよね?」

「……そうだよ。でも嫌だと思わなかった? 人って知られたくないこともあるじゃない」

 彼女は探偵のように顎に手を添えて、うん、と小さく唸った。

 しばらくして円らな瞳は再び俺を捉える。それからゆっくりと細めていく。小さな花の綻びのような微笑みだった。


「ちょっと考えてみたんですけど、やっぱり嫌じゃないですよ。知られたら恥ずかしいことは確かにありますけど、夜野さんは知った情報を悪いように使う人じゃない。信用できる人です。それに夜野さんのせいじゃないですもん、それって」


 何か、言わなきゃ。そう思うのに、俺は。

 身体中を縛りつけていた鎖が解けていくようでその突然の解放にただ驚いていた。がくりと力が抜けてベッドのふちに突っ伏してしまう。

 やっと、許された。ただ一人に。
 そしてその一人こそが誰よりも大きな存在。

 今度は彼女の温かな手が俺の髪を撫でる。

「朝比奈さ……」

 顔を上げた瞬間に彼女の腕の中へと引き込まれた。柔らかくて優しくて泣きたくなる。


「もう独りじゃありません、私たちは」


 その言葉は契約であり新たな呪縛でもあるとわかった。彼女と俺の秘密の共有。
 でも何かに縛られることを悪くないと思うどころか安心感すら覚えてしまったのはきっと初めてだったんだ。
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