嘘の世界で君だけが

七瀬渚

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第2章/君を探す為に

19.初めての恋愛相談

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 彼女の誘いを拒んでしまったあのとき、俺が本当はどうしたかったのかならわかってる。

 きっと決断は変わらなかったと思うんだ。部屋についていくことはきっとなかった。まだそのタイミングじゃないとはっきりわかる。それだけの確信が俺にはあるんだ。

 だけどもし許されるなら、あの萎れた背中に手を伸ばして抱き締めて、そうじゃないって何度でも言いたかった。
 壁を壊してでもわかり合おうとする勇気が欲しかった。
 君に届くまで。



 時刻は19時半頃。
 俺は約束通り最寄駅の改札前で兵藤くんが来るのを待った。

 兵藤くんも明日は特に用事ないのかな。こんな遅くに付き合わせてしまってるしそうだったらいいんだけど。
 初めてプライベートで会うから、緊張したり心配したり、やはりいろいろ考えてしまう。

 人の流れが増したのがわかった。いつもならヘッドホンをつけるところなんだけど、今は大事なお客さんを探すことに集中したい。

 あっ、いた。
 改札に向かってくる人混みの中でこちらに手を振る兵藤くんの姿が見えた。とりあえず一安心だ。


「夜野っち~! お待たせ! プライベートで会うのってなんか新鮮だね」

「うん、本当ごめん、俺のせいで」

「そんなこと言うなって! せっかくこうして会えたんだからさ、いろいろ話して美味いもん食って気分転換しようぜ!」

「ありがとう」


 そうして俺たち二人は歩き出した。
 兵藤くんが積極的に話しかけてくれるおかげで、周りに人が多くてもそこまで気が散らずに済む。駅から離れればもう少し静かになるから俺も楽に話せるようになるだろう。


――夜野っちの部屋に誘ってもらえるなんて思わなかったなぁ~。めっちゃ楽しみ! いや、でも夜野っち落ち込んでるんだから俺がしっかり元気付けなきゃ!――

 
 俺は少し笑いそうになった。
 確かに兵藤くんの全身からは隠せないワクワク感が滲み出てる。
 いいんだ、あまり感情移入され過ぎると俺もつらい。程々に楽しみながら無理のない範囲で聞いてもらえるのが一番だ。

「夜野っちさ、もうお酒飲める歳なんだっけ?」

 コンビニの近くまで来たところで兵藤くんが訊いてきた。
 目がランランとしてるよ、新成人くん。

「俺は浪人してた時期があるからとっくに成人してるよ」

「えっ! 夜野っち年上だったの!? いくつ上?」

「一つかな。大した違いじゃないよ」

「そうだったんだ。ごめん、俺ずっとタメ語使ってて……嫌じゃなかった?」

「全然気にしてないって。それに俺、年上らしくないし」

 小さく笑って答えると兵藤くんがまじまじと俺を見つめて心の声をダダ漏らした。


――確かにこんなウブな年上見たことない!――

 悪かったね。



 コンビニで兵藤くんの夕食と、お酒とちょっとしたおつまみも一緒に買ってきた。
 アルコール度数低めのチューハイの方が最初は飲みやすいんじゃない? って言ったんだけど、兵藤くんはビールに挑戦してみたいらしい。
 あまり羽目を外しすぎないようにする為にも最初は少なめから。場合によっては俺が途中でストップかけるけどね。


 最近、部屋を掃除しておいたのは幸いだった。綺麗とは言えないけど、おそらくそんなに失礼にはならないだろうというくらいには片付いている。

 早速テーブルの前のクッションに腰を下ろした兵藤くんは、まるで自分の家にいるかのように自然体だ。良かった良かった。
 ホッと安心しつつ、俺は一旦冷蔵庫に入れてあった自分の弁当をレンジで温める。


「それじゃあいただきます」

「あと?」

「兵藤くんの成人を祝して乾杯」

「かんぱーい! って、あはは、今日は夜野っちの為に来たんだよ。でもありがとう!」 


 ビールの缶をカチンと合わせて、二人揃って喉を潤す。

「…………っ」

 この喉越し。久しぶりだな。なんとも言えない爽快感がある。
 兵藤くんは気に入っただろうか。
 ちらっと向かい側を見ると、兵藤くんはほんのり頬を染めてビールの缶をしげしげと眺めていた。

「これが大人の味……!」

 お酒に感動する新成人、可愛いな。上司とか先輩が飲ませたくなるのもわかる。
 まぁでも程々にだ。それでこそ質の良い飲み方ができるってもんだから。


 しばらくは他愛のない話をしていた。

 カラッと晴れた夏空みたいな兵藤くんの笑い声を聞いていると俺も自然と笑顔になれるらしい。
 聞こえてくる心の声は実に素直でたまにちゃっかりしてて、でもだんだん人ってそんなもんだよなって気がしてくる。良い意味でだよ。

 とりあえず今夜はもう、どっちがどっちの声とか、本音とか建前とか、そういうのは気にしないようにしよう。
 事実、ここまで来てくれたという“行動”が彼の善意を示しているんだ。


 腹がある程度満たされる頃には俺の中のネガティブな感情もいくらか落ち着いたように思えた。まずは食ってからとはよく言ったものだ。

 だから肝心の本題も落ち着いて話すことが出来た。


「マジで。朝比奈さん大胆……! 見た目あんなゆるふわなのに」

 兵藤くんの最初の感想はこうだ。
 わかってくれるか。俺は思わず頷いた。

「実は俺もちょっと思ったんだよ。今日はやけにぐいぐい来るなって」

「前からそんなだっけ?」

「少し……様子が違ってた気がする。でも何故なのかはわからないんだ。あの子の心ってどうも読めないから」


――読めない?――

 兵藤くんが不思議そうに首を傾げた。
 やべ、変な言い回ししちゃったかな。実際これは俺にしかわからない感覚だから説明が難しいんだけど。

 考えあぐねていたところへ兵藤くんが問いかける。


「あんなわかりやすい子なのに? 好きなら“好き”って顔に書いてあるような子じゃん」

 彼の言葉の一部に俺の胸はすぐに反応した。続いて身体が熱くなってくる。でもきっと酒のせいじゃない。


「す、好きって……」

「好きでしょ! どう考えても夜野っちのこと好きでしょ! じゃなきゃ部屋に誘ったりなんかしないって」

「それは多分違うんじゃないかと……」

「え、むしろなんで好かれてる自覚ないの? ほぼ告白みたいなこと言われてるのに。女の子のこと信じられない理由でも、あるの……?」


 そう、だな。なんでだろう。
 心の声がどうのって話はさすがに出来ないけど、俺が感じ取ったことなら伝えられる。

 共感してもらえるかどうかはこの際いいんだ。
 むしろ俺も今は、自分とは違う視点というものを知りたい。違う角度から彼女の心を見つめてみたい。
 そんな素直な気持ちに突き動かされた。


「朝比奈さんはまだ岸さんしか部屋に入れたことがないって言ってた。だから俺も多分、岸さんと同じくらいには信頼してもらえてるんだと思う。それは素直に嬉しい」

「うん……?」

「でも俺が男を簡単に部屋に入れない方がいいって言ったら、夜野さんは確かに男の人だけど私にとっては夜野さんでしかない、とか。そんな感じの言い方してたんだ」

「…………」


「だからさ、朝比奈さんは俺のこと、あまり男として見てないんじゃないかと……」

「ちょ、ちょっと待って夜野っち!」


 まだそんなに話してないんだけど早速ストップをかけられてしまった。

――そういう解釈になっちゃうのかぁ~、夜野っちは――

 かすかにため息が聞こえてくる。ちょっと同情を帯びたような悲しげな眼差しを受けて俺は戸惑う。そんなに変なこと言ったかな。


「夜野っちさ、今ちょっと聞いただけでもちょいちょい解釈間違ってる感じしたよ?」

「えっと、どの辺が?」

「“夜野さんは夜野さんでしかない”って、普段女の子しか部屋に入れないような子が言ったんでしょ。他の男と一括りにして考えてないって言いたかったんじゃないかな」

「ん……と、つまり……」


「もう! 夜野っちが特別だってことじゃん!」


 あっ……
 まただ。
 ふわっと、重力を失ったかのような感覚。身体の中身まで一緒に持ち上がるような。
 上も下も、わからなくなるような。

 銀河の輝きをまとったみたいにあまりにも綺麗だった彼女の瞳を思い出して、視界がみるみる揺らいでいく。

 俺、多分、本当はわかってたんだ。無意識の領域でちゃんとキャッチしてた。


「……そう、思って良かったのかな」

「うん、きっと」

「でも、俺あのとき、まだ駄目だって思ったんだ。だって……」

「うん」


 あ、ヤバい。酔いが回ったかも。
 新成人に安全な飲み方を教えてあげるつもりだったのに、これじゃカッコつかないじゃないか。

 だけど蛇口が緩んだみたいに止まらない。
 確かに最近涙腺脆かったけどそれとは比較にならないくらいの大粒の雫がボタボタとテーブルの上に零れ落ちた。


「だってさ……! なんか自分を大切にしてないみたいに見えたんだ。何があったのか知らないけどさ、いくら寂しくたって駄目だよそんなこと」


 事実、世の中には愛情表現にしか見えない自暴自棄がある。俺はそんな可能性を思い浮かべてしまったんだ。


「夜野っち……」

「彼女が弱ってるのかも知れないって思うと尚更、俺には無理だった。自分がどういうことを言ってるのか自覚してほしいし、後悔とかしてほしくないんだ」

「そっか。うん、そうだよな。それが夜野っちのいいところだもん。朝比奈さんのことが大切すぎて保護者目線になっちゃうんだよな」


――はは、これは思った以上の繊細さんだ。しかも泣き上戸だったなんて――


 兵藤くんに内心苦笑されているのを感じながら俺はティッシュを何枚も使って鼻をかんだ。
 年上らしくないってこれでわかったでしょ。


「あ~、今日はちょっと帰れないかもなぁ~?」

 チラッチラッと視線を感じる。
 俺は時計を見て少し我に返った。

「ごめん! すっかり遅くなっちゃって。あの、もし嫌じゃなかったら……泊まる?」

「うん! そうする!」

 あまりの即答に呆気にとられ、やはりちゃっかり者だなと思ったのも束の間。

――こんな状態の夜野っち置いていけないよ――

 そうだ、今日は何から何まで面倒見てもらってるのは俺の方なんだと思い出してまた少し凹む。

「夜野っちの話、正直ツッコミどころは沢山あるんだけど、それはまた明日、作戦会議のときに話そう」

「作戦会議?」

 俺が訊くと、兵藤くんはぐいとビールを飲み干し、カン! と力強く置いた。ニッと不敵な笑みを浮かべる。

「そう! 名付けて……」

 俺の喉がごくりと鳴った。


「朝比奈さんと仲直り大作戦!!」


 思った以上にそのまんまだった。
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