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第2章/記憶を辿って(Tomari Katsuragi)
42.大切な人ってなんだろう(☆)
しおりを挟む大切な人。実に汎用性の高い言葉だと思う。
家族にも友人にも恩師にも当てはめられる。他にもあるな。尊敬する先輩、可愛い後輩、気の合う仕事仲間、推しの芸能人やアーティスト、それから……
それから。
こんなにもいろんなパターンが思い付くのに、当人たちの素直な気持ちを前にすると、ああこれだとわかるものなんだと知った。
むしろ何故今まで気付かなかったのだろうな。いや、この二人が上手いこと建前で乗り切っていたのか。
「びっくりさせてごめんね、トマリン。近いうちに相原店長から詳しい話があると思うんだけど、私たちが付き合ってることまでは誰も知らないから」
「確かにびっくりはしましたが……その、私なんかに話して良かったんですか?」
恐る恐る訊いてみる。
二人は一回顔を見合わせたけど、すぐに笑ってこちらへ向き直った。
「うん! あすか先輩も言ってたでしょ。トマリンは誠実な人だって」
「私は他人に何言われても平気なんだけどさ、るみを傷付けたくなかったんだ。同性のパートナーに対する世間の目ってまだ偏りがあるのが現状だし。だからもし話すとしたら桂木さんだけって決めてた。相原店長もいい人なんだけど、上司だからなるべく気を遣わせたくなくて。出来ればもっと距離感の近い人に知っててほしいなと思ったんだ」
なんだか恐れ多いな。でも信用してもらえたことが嬉しくもある。二人は沢山悩んだだろうからそんなこと思っていいのかわからないけど。
自分が言うべきことは明白だと思った。
「話してくれてありがとうございます。私、誰にも言いません」
「こちらこそ突然打ち明けたのに聞いてくれてありがとね」
「ありがとうトマリン! 私トマリンのこと忘れないよ!」
「るみは退職までまだ一ヶ月あるでしょ。それまではしっかり働きなさい。どうせ辞めるんだからなんて自暴自棄になっちゃ駄目だよ。職場の人間関係を最後まで大事にするのは社会人としての基本。山崎さんにもちゃんと謝ること。いいね」
「はぁい。後で怒られてきまーす」
ぺろ、と舌を出するみさんがあまりにもいつも通りで私は思わず笑ってしまった。
すぐに我に返って「すみません」と伝えたが、二人は揃って首を横に振る。
「大丈夫トマリン。わかってるよ。笑い方の違いくらいるみは見分けがつく。馬鹿にしてる人なんて一発で見抜けるんだから!」
「見抜く力が凄すぎて傷付いちゃうんだよね、るみは。偏見でものを言う人も苦手。本当は共感力高いからさっきも自分のことのように熱くなっちゃったんだよね。危なっかしいというか……」
「もう平気ですよぉ! あすか先輩ったら心配しすぎです」
おやおや、と思いながら私はさりげなく視線を逸らした。
意味がわかるともはや仲良しどころじゃない、二人揃って立派な惚気キャラに見えてくる。それも結構な情熱を伴っていそうだ。
これほどの絆があればこの先も……
「お二人のこれからを応援しています」
自然とそんな言葉が出た。
私は無駄に正直者だ。心にもないことを言おうとすると大抵ぎこちなくなる。
だから今のはきっと、明るい未来を信じることが出来たからなんだ。
あすか先輩が遠くに行ってしまう。でも仕事は続ける。その理由がわかったのは翌日の朝礼のときだった。
他店に異動するあすか先輩はいずれそこの店長になるそうだ。つまり昇進。口が堅いと見なした人にしか話せなかったのはきっとこの件もあるんだろう。
るみさんはそんな彼女とこの機会に新生活をスタートすることになったのだ。
でもそれは私しか知らない。本当はペアの食器やマグカップでもプレゼントしたかったのだがな、若き恋人たちへのエールは内心からそっと贈ることにしておいた。
十月の始め頃にるみさんが退職していった。明るい彼女がいなくなって皆が寂しそうに見えた。
そこからの月日の流れは実に早く感じたものだ。
肇くんはどうやら私に退職を決意させてしまったことに負い目を感じていたらしく、退職のタイミングは私に任せてもらえることになった。
それならばと私も希望があった。
それは年末年始。更に言うなら年に一度の大勝負である初売りに出ること。
福袋からセール品、限定商品に至るまでずらりと並ぶこの時期は、販売員にとってもお客様にとってもある意味お祭りと言えるだろう。
売り場のレイアウトはもちろん、役割分担もしっかり決め、スタッフのビジュアルにも統一感を持たせる。どうやって競合店と差をつけるか、いかに目立ってお客様を呼び込むか、そういった戦略や準備も含めて私は皆で乗り切りたいのだ。
まさに体育会系精神フル活用。うちの店舗なら約一週間は盛り上がり続けると思われる。
そしてひと通りを終える頃には、酷使した喉も掠れてスカスカの声になっているんだろう。
そんな自分たちを労わるべく、飲み会を開催するところまでがセットだ。私はお酒駄目だけど雰囲気で充分なのだ。
暑苦しい言い方になるが仲間たちとの絆も深まる可能性が高い。私が学生時代にあまり経験出来なかったことだ。
辞めてしまうなら尚のこと、その機会だけは逃したくなかった。
そう考えれば退職のタイミングもおのずと決まる。慌ただしさが落ち着く頃、来年の二月頃が良いだろう。
年始の初売りセールが終わった頃に店長へ打ち明けようと決めた。
……という考えも説明したのだけど、肇くんはそれでも何度か情緒不安定になることがあった。
十一月頃だったか、私がシャワーを借りている間に私のスマホを覗き見してしまったこともう一度だけあり、今度は和希との関係を疑った。
和希には本当に申し訳なかったな。前回の騒動の影響もあって肇くんは疑心暗鬼になっていたのだよ。
その場で和希の許可を得て、電話で声を聞かせてもらったから女性だったのだと納得してもらえたけれど。
もうこれ以上、肇くんを不安にさせたくない。
千秋マネージャーとはどうしても関わらなきゃならないことがある。でも仕事以外の連絡はとらないし、退職したら連絡先そのものを消すと伝えた。
千秋マネージャーはあれからもうちの店舗に顔を出すことがあった。でも前ほどの頻度ではなくなった。
仕事に私情を持ち込むということはさすがにないだろうから、単にタイミングの問題だったんだろう。
彼の担当する範囲は広いし、催事やリニューアルを迎える店舗もある。年末年始もそちらが優先となるだろう。
そう、ただ本来のエリアマネージャーのポジションに戻っただけなんだ。
もう“トマリ”なんて呼ばない。相変わらずの優しい笑顔だけど、ちゃんと“桂木さん”って呼ぶ。
それを寂しく思ってしまうことが間違いなんだ、友達じゃないんだからと自分に言い聞かせた。
やはり私は千秋マネージャーに甘え過ぎてしまったのだろうな。
遠い場所できっと仲睦まじく暮らしているのであろう、あすか先輩とるみさんのことを思い出した。
るみさんは自分が本当は傷付いていたこと、私と誰かを見て気付かされたと言っていたけど、私だって自分を見つめ直す機会をもらったのだ。
それは“大切な人”のことだ。
すんなりと思い付く人が何人かいる。
まず恋人の肇くん、親友の和希、兄貴は嫌いだけど……どうでもいいかと訊かれたらそうも言い切れない、まぁいいやノーカウントで。
それから一緒に働いてくれた仲間たち、特に親身になって話を聞いてくれた相原店長やるみさん、あすか先輩には本当に感謝している。
そうだ、感謝も含まれるんだ。
それなら……
あなたもですよね、千秋マネージャー。
上司として尊敬しているから。感謝しているから、大切なんだと思っても……間違いじゃないんですよね?
でもそれを口に出してはいけない気がするのは何故なんですか。
正直になったら周りを引っ掻き回してしまう、何故、何故あなたの場合だけそんなことに。
――桂木さん。
「桂木さん、おはよう。これからちょっと時間ある?」
声をかけられて私は我に返った。
高い高い位置からこちらを見下ろしている。目を柔らかく細めている。凄く久しぶりにこの人の顔を見たと思った。
それは十二月下旬のある日のこと。
完全に成り行きだった。二人で初売りセールに向けたメイクを調査しに行くことになったのだ。ショッピングモール内にはコスメのお店がいくつかあるから。
千秋マネージャーはメイク、ネイル、ヘアアレンジなどに詳しい。私はちょうど手が空いていた。皆は他の業務で手一杯。だから二人で行動することになってしまった。
「久しぶりに兄妹でお出かけしてきなさいよ」
そう言って笑う同僚もいた。
兄妹、か。もし本当にこの人が兄だったらどんな仲になっていたのだろう。ほぼ想像がつかないけど悪くはない気がした。
「アイメイクの方はグレーやカーキをベースにしたスモーキーカラーで、でもチークは高めの位置に乗せて華やかさを演出してみたいんだ。その分リップはベージュ寄りの控えめな色。大粒ラメの要素も欲しいけど、あまり瞼にゴテゴテ塗り過ぎるとラメがとれて商品につきそうじゃない? だからグリッターネイルで取り入れてみるのはどうかなって」
「いいですね。私は肌のパーソナルカラーも踏まえてみたいと思うのですがどうでしょう。アイメイクですがイエローベースの人ならカーキ、ブルーベースの人ならグレーの方がしっくりきそうです」
「なるほど! それでいこう。アイライナーだけハッキリめのカラーにするのもいいね。深い赤系ならどちらのタイプにも似合うかなぁ」
「シルバーやゴールドという手もありますよ。リキッドアイライナーなら肌にぴったり密着して適度なツヤ感が出せます。アクセサリー感覚とも言えますね。私たちは新作商品も着るでしょうから春らしい服とも合う色が良いと思うんですよね」
「あぁ~! そっかぁ! さすがトマリ……」
言いかけた千秋マネージャーが苦笑して「桂木さん」と言い直す。今更だなんてもう突っ込めないな。
でも一緒にメイク用品の調査をしている時間は本当に楽しかった。
いくつか購入したものを実際に自分たちの肌で試したり、もっとこうしたらああしたらとアドバイスを送り合って、ワクワクと想像を膨らませているうちに時間なんてあっという間に過ぎてしまったくらい。
同じ趣味、似た感性、それは本当に素晴らしいことなんだろうなと思う。男女というだけでそこに隔たりが出来やすいのはもったいないとさえ思った。
でも人生には、折り合いをつけなきゃならないことがいくつもある。きっとこの先もそうなんだ。
初売りセール、いや、退職までのカウントダウンが始まっているなんて思いたくなかった。
ずっと続けばいいのに。目の回りそうな師走の最中にそんなことを考えているのは初めてだったかも知れないな。
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