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第2章/恋人時代はこんなんで
9.ビビってねぇぞ! 元カノの影なんて(☆)
しおりを挟むあたしは再びキーマカレーを口に運ぶ。思った通りすっかり冷めていた。
もう……味がしない。坂口の言うようにガツンと効いてこない。どうなってんだ、全く。
「で、蓮くんは何て言ってたんですか?」
坂口は当然のように蓮のことだと決めつけてかかってんだけど、あたしももう否定する気は無い。そんな気力さえ起きない諦めモードだ。
「“違う”って。一緒に住んでたけど付き合ってなかったって」
「じゃあ違うんじゃないんですか?」
「いや、でもよぉ!? 若い男女が一つ屋根の下だそ! それで何も無いなんて不自然だと思うんだけど、え、それあたしだけか?」
「まぁ~、俺の後輩でもそういう奴いたからなぁ。実際んトコはどうだか知らないけど」
マジかよ、と思ってあたしはあんぐりする。え、やっぱアリなの? 最近の若い子ってそういうノリが普通なの?
早速ブチ当たっちまったよ、ジェネレーションギャップ。正直思考が追いつかねぇんだけど……
「あのさ……」
あたしはスプーンを置いて恐る恐る尋ねてみる。口に出すのは結構恥ずかしかったけど。
「付き合ってなければ“違う”ってことになるのかな。その……例えば、男女の関係になったことがあったとしても」
「あ~、茅ヶ崎さん、そういうの気になっちゃうタイプ? 俺は彼女の男性遍歴がどうだろうと気にしないんだけどね、茅ヶ崎さん案外乙女だからなぁ」
「……うっさい」
そうやって事あるごとに“乙女”って言ってくんのマジやめろ。あたしはもうアラサーだぞ。似合わな過ぎだろ、そんな言葉。
それに何より自分が一番驚いてんだ。
昔のあたしは彼氏の元カノの存在なんて気にしたことは無かった。バツイチの男と付き合ったこともある。
年上が多かったってのもあるかも知れねぇけど、過去は過去、今は今って自然と割り切れたんだ。あたしが遊びに行った部屋だって、かつて元カノとイチャついてた部屋だったかも知れない。でも二股かけられてるんじゃない以上は関係無かった。気にもしなかった。
なのにどうしたっつーんだよ、あたしってばよぉ。
「怖い? もしかしてまだ繋がってるんじゃないかって」
「いや、それは無いと思うんだ。蓮の部屋にはそれしか痕跡が無かったし、よく通ってきてる女の忘れモンならわざわざビニールに入れたりしないと思う。あんな嘘も上手につけねぇ奴、もし浮気ならさすがのあたしでも気付くだろ」
「なんだ、そこまでわかってるんだ。ちょっと安心したよ」
安心なんて呑気なことを言う坂口に額がピキッとなって、何が! と食ってかかろうとしたんだ。
「じゃあさ、茅ヶ崎さん。こんな風に考えてみない?」
ところが先を越されちまった。空になった皿の上でスプーンを指示棒のように振るいながら、奴はこんなことを言う。
「若い男女が同じ部屋に住んでて何も起きない、正直に言うと俺も不自然だと思うよ。じゃあその話をしているときの蓮くんの言動はどうだったかな? 不自然に見えた?」
…………っ。
あたしは言葉に詰まってしまう。
不自然っていうと、蓮が嘘をついてるように見えたか、って、ことだよな。
――ちがう――
切実に訴える彼の眼差しが蘇る。
「……違う」
あたしも自然と口にしていた。
「違うんだ。状況は不自然なのに、蓮の反応は自然だった。あいつらしかった」
「うん」
「だから訳がわからねぇんだ。あまり突っ込んだことは訊けなかった。だってあいつ、なんでも素直に話すから、なんか同棲以上にとんでもねぇ事実が出てきたらって思うと……」
「怖かったんだ」
「…………」
認めるのは癪だ。だから頷きはしなかった。まだ状況もよく掴めてないってのに冗談じゃねぇ、認められっか。
こんな葛藤も無駄に勘の鋭い坂口には見抜かれてるんだろうなってわかりつつもあたしは頑固だった。坂口は優しい微笑みなんか浮かべて、うんうん、と勝手に頷いてやがるけど。
「ごめんね、茅ヶ崎さん。厳しいことを言うようだけど、付き合ってなくても一線超えちゃう場合ってある。女の子の方がその気だったんならあり得ると思うよ。蓮くんは地元に居場所が無くて寂しかったんだからね。あくまで推測だけど」
なかなかえげつないこと言ってくるけど。
「茅ヶ崎さんにだって年相応の男の顔を見せることがあるでしょう? 例え可愛くても“子ども”じゃないってことは認識しといた方がいいかな」
ちょっと恥ずかしくなる言い回しもしてくるんだけど……
「今までの話を聞いてて思ったんだよね。蓮くんは世間一般の事実よりも、自分にとっての真実を大切にしてるタイプなんじゃないかなって」
「真実……」
「うん。誤魔化しではなく、元カノでも同棲でもないって本気で思ってるのかも知れないよ。でも二股を疑われたくなくて不安な顔したんじゃないかな。蓮くんが純粋な子だから、茅ヶ崎さんも余計ショックだったんじゃない?」
認めるのは悔しいけど。なかなか参考にはなるんだよな、坂口の言葉。あたしより広い視野と持ってるところは単純にすげぇと思うよ。
そんで今思い知らされたのは、先入観を取り払う難しさ。
蓮は何もかも慣れてないって。あたしが恋の喜びや家族の温かさを教えてやるんだって、そう思いたかったのかも知れない。
「別にさ、自分が初めての相手になれなきゃ好きでいられないってこともないでしょう?」
心を見透かされたようであたしはドキッとなった。密かに嫌な汗を滲ませつつ必死に頷く。
「あ、ああ! そりゃそうだ! あたしはもういい年だからな! たまたま付き合ったのが年下だったってだけで……!」
「うん。じゃあ後はシンプルに蓮くんの抱えている問題に向き合うのがいいと思うよ。元カノさんの存在が関係しているならまだしも、もう関係ないならそれ以上掘り下げることもないじゃない」
まぁ……その通りだな。
すっと大部分納得に至ったあたしは冷めたキーマカレーを一気に掻き込んだ。さっきより少しスパイシー感があるぞ! 感覚が戻ってきたらしい。
「そうそう、これからの為にも体力つけなきゃね! 草食系男子くんも立派な男に育てないといけないし!」
あー、はいはい。からかいでもなんでも言ってくれ。顔見なくてもニヤニヤしてんのが手に取るようにわかるぞ。うぜぇ奴との腐れ縁も、こうやって貸しが出来たり借りが出来たり……いや、最近のあたしは借りばかり作ってるけど、こうやって出来てくんだなってのもなんとなくわかるぞ。
とりあえず来週の看板メニュー・特盛カツカレーはあたしが奢ってやるとしよう。
蓮に告白されたとき、あたしはビビって逃げちまって、数日間連絡も取らなかった。
あのときの経験を生かそう。
昨日あいつのアパートに行ったばかりだけど今日も行こう。何かあった後に間を置くと、あいつは不安になっちまう。きっと今もタオルを抱えて震えてる。
定時でさっさと上がっていったあたしに坂口は鼻につく優しい眼差しを送っただけで特に何も言わなかった。頑張ってと言ってる感じはした。
日の長い夏。
まだ明るい空の下、手土産のナタデココゼリーをぶら下げて蓮のアパートへ向かった。チャイムを鳴らすとすぐに
「わっ」
今にも泣きそうな顔をした蓮が出迎えた。まだドアも閉めてない段階であたしの胴にぎゅうっとしがみつく。顔をゴシゴシしてくるもんだからイヤーマフがゴリゴリ当たって痛い。
「ちょ、ちょっと待て、今閉めるから」
「ん……!」
「なんだ?」
蓮は既にくしゃくしゃに潰れたメモ紙を持っていた。震える手であたしにそれを寄越す。
薄暗い玄関で、だけど文字くらい読める明るさだから、あたしはすぐにそれを開いた。目に飛び込んでくる文字まで危うく震えていた。
『前にルームシェアしていた幼馴染は女の子です。彼女とは付き合ってませんでした。今でも会ってません。あのピアスはいつか返そうと思って取っておきました』
はは、だからそれはもうわかったって。
そう返したかったんだけど続きはまだあった。
『付き合わなかったから傷付けてしまいました』
その一文でなんとなく、覚悟して読み進めなくてはいけない気がした。
『どれだけ一緒に居ても、僕の心に変化はありませんでした』
『だけど少しずつ、2人での時間の過ごし方が変わっていきました。多分いけないことしてるってわかってたのに僕は言いませんでした。居場所が無くなるのが怖くて言いませんでした』
『でも彼女は出て行くときに言いました。「私ばっかり」と泣きながら言いました。僕はそのときわかりました。彼女を傷付けていたんだとわかりました』
なんとなく理解していく。きっとすれ違いだったんだと。
彼女は恋人になりたくて、蓮は友達でいたくて……お互い好きには好きだけど意味が違ってて。
う~ん、これはやっぱ、痺れを切らした彼女が恋人の関係にシフトする為に誘ったんじゃねーかな。
『僕は友達にしてはいけないことをしてしまったと思います』
蓮は断ることも出来ずに流された、と。そんな感じか?
彼女が思いのほか傷付いていたのを知ったら凄まじい罪悪感が襲ってきて、男としての自信も失くして……
つーか。
今思ったけど、蓮の奴ぶっちゃけ過ぎじゃね? あたしも気になってたのは事実だけど、本当不器用っていうか、上手い誤魔化し方とかわかんねぇのかな。
「ぼく、は……!」
『僕は酷い男です』
「…………っ」
「蓮、おいコラ待て!」
涙のシミが出来た最後の一文を読み終えたところで蓮がひらりと身を翻したものだから、あたしはすぐさまその腕を掴んだ。
羽交い締めにするとジタバタともがく。ほんとこいつはすぐ自己完結して逃げようとするんだから。またあたしに嫌われたとか勝手に思ってんだろ。
「蓮、今は!?」
あんま大声出しちゃいけねぇって普段は気を付けてるんだけど、今のこいつにはこれくらい声張り上げなきゃ届かないような気がした。
「あたしが知りたいのは今だけだ! 今のお前の気持ちだけだ! どう思ってる!? 下手でもいい、ちっさくてもいい、なんでもいいから教えてくれ……!」
しばらくして。
蓮の首がくた、と下向きになった。羽交い締めにするあたしの腕をそっと掴んで呟く。
「……忘れ、ら……ない」
あたしの胸が不穏に鋭く痛んだ。
ショックのあまり腕の力が抜けそうだった。
どうしよう、坂口。やっぱり幼馴染の存在デカかったよ。やっぱり若い子には勝てないんだよ、あたしみたいなオバサンは。
「傷付けた、こと、忘れ……られ、ない。葉月ちゃ、は……傷付けた……ない……!」
「え?」
蓮、お前……
「僕、が……っ、葉月ちゃ……欲しい、から」
その言い回しはどうなんだ。
うん、でもなんとなくわかってきたよ。蓮は多分、恋愛に於いても誤解を招きやすいんじゃねぇかな。
最後まで聞かなきゃ意味がわからない言葉ばっかりだ。短気と言われるあたしだけど昔よりかはマシになったんだ。出逢ったのが今年で良かったな、オイ。
「僕、前は、間違った。でも、今……気持ち、間違って、ない」
いつもよりはっきり喋ってる蓮。そうだ、ママさんが言ってたな。こういう喋り方するときって……
「わかった、ありがとう。お前を信じるから安心しろ」
「……んっ」
「確かにお前にも悪いところはあったな。ってかお前、なんか勘違いしてるかも知れねぇぞ。彼女が傷付いたのは関係云々だけじゃなくて、地元から逃げる為に利用されてたからじゃねぇのか?」
「ごめ、なさ……」
「でもあたしに謝ることじゃねぇ。いつかその幼馴染に再会したらちゃんと謝ってやんな」
ピアス返せるといいな、そんな気休めを言ってあたしは蓮を抱き締めた。腕にポタ、ポタ、と温かい滴りが落ちる。
まさか1ヶ月後。
気休めの言葉が本当に実現することになるだなんて、思いもしなかったよ。
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