あたしが大黒柱

七瀬渚

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第1章/馴れ初めはこんなんで

3.すげぇぞ、葉山(☆)

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 実家の母親から聞いた住所へとタクシーが到着した。停車した際の振動でうっすら瞼を開いたハヤマが、寝起きの子どものように小さく呻いた。

 側から見たら完全に酔っ払いの介抱といった状態で、なんとかアパートの階段を登りきった。ひょろひょろだからって見くびってたけど、大の男を支えるのはやっぱり結構疲れる。

 ここ、とハヤマが指差した扉の前で1つ謎が解決した。

 印刷かと思いきやよく見ると手書き。きっちり整った『葉山』の文字に、これで合ってたんだとわかった。


 葉山がおもむろにポケットを漁り、取り出した鍵をドアの鍵穴に差し込む。おいおい剥き出しかよ。失くしたらどうすんだ。あたしは呆れ顔で、内心そんなふうに突っ込んでいたんだけど……


 ガチャ、と音が鳴ったとき。


「…………っ」


 ようやく思い出した。仮にもここは男の部屋なんだ。6つも年下だけど。あたしからしたらガキだけど。実家に電話して母親の声も聞いて、こいつが人に対して危ないことする奴じゃないってのもわかってるけど。

 薄暗い部屋が垣間見えるとさすがに緊張してくる。タクシーに待ってもらえば良かったと今更後悔する。こいつはついさっき出会ったばかりの他人で、弟でもなければ部下でもない、ましてや彼氏なんかじゃねぇぞと、とっくに帰ったであろう運ちゃんに呼びかけたくなる。


(いや。ビビり過ぎだろ、私!)

 あたしはぐっと喉を鳴らした。葉山の身体に添えているのとは反対の手をぎゅっと強く握った。

 こんなフラフラしてんだ。玄関にほっぽり出して、はいさいなら~って訳にはいかねぇだろ。せめて椅子に座らせるくらいしねぇと。

 もしこいつがすっげぇ物好きで、こんなアラサー女に対して変な気でも起こしたら?

 お~お~、そんときゃ受けて立ってやんよ! 元ヤンなめんな!?


 ……いや、中に誰か居たら?


 男友達だったらさすがにビビるし、彼女だったりしたらそれはそれで気まずいな。つーか……今部屋の奥でなんか光らなかったか? うん、せめて電気つけるまでは玄関開けとこう。念には念をだ。


 こんな具合に思考しながらあたしは手探りで電気のスイッチを探す。昔のあたしだったら考えられねぇくらい安全志向になったもんだ。

「ここ」

(うわ……っ、近ぇだろ、こいつ……!)

 突然ぺた、とくっついた頰と頰。葉山がスイッチに手を伸ばした瞬間だった。安全にやってるつもりでもこりゃなかなか危険。いや、あたしは何を考えてるんだと戸惑っていたそのとき。


 ぱっと明かりが灯った。


「…………わっ」


 ふっと戸惑いが消えた。



 あたしの腕からするりと抜けた葉山が部屋の方へと歩いていく。一瞬|硝子(ガラス)張りの部屋かと錯覚した。だけどよく見ると違った。それは壁に沿って幾つも敷き詰められた水槽だ。

 ライトでも使っているのか、青や紫や群青色した水の煌めきにくらくらする。悪い意味ではない。なんだかほろ酔い気分になりそうな……


――周りからしたら無駄なものでも――


 もしかしてこれのことか? 確かにあいつは見たところまともに食ってなさそうだし、僅かな金を自分の健康維持よりこっちに充ててるんだとしたら親としては心配だろうけど……それでも……





 ちょうど青みがかった水槽の手前で、葉山がやっとこちらを振り返った。なんだか嬉しそうな顔。幼い頃、ジャングルジムを前にしたあたしもこんな顔をしていたんだろうか、なんて思い出した。

「ネオンテトラ。あと……グッピー」

 葉山は水槽を1つ1つ指差して、ちっせぇ声でなんか教えてくれる。おのずとパンプスを脱いでいたあたしは一体どんな顔をしていたんだろう。

「見て、いいか?」

「……ん」

 ほんのちょっとばかりだけど、葉山の声は今までよりもはっきりしている。よく耳をすませてみればメダカや金魚や亀も居るらしい。そんな感じのことを言ってる。あたしは淡水と海水が混在しているかのようなその部屋へと歩を進めていく。

 そんでよく見て気付いたんだけど、ライトはそれほど多く使用されてなくて、色付きの石とか上手~く使って表現してんのな。間接照明を当てるだけでいい具合にキラキラしそう。

 大きな水槽の中でのびのびと泳ぐ色鮮やかな魚たちはどいつもこいつも元気そうだ。見渡すあたしの目はきっと色とりどりの光を受けていて、にやぁと可愛くもない笑みを浮かべているのが自分でもわかった。いつの間にかぽつりぽつりと零していた。


「あたしの妹、子どもの頃の夢が“魚”だったんだよ。いいな、これ。あいつが見たらきっと喜ぶ」

「僕……子ども……ころ、同じ」

「はは、おめぇもか!」


 妹と葉山はなんで魚になりたかったんだろうなんて考えてみた。きっとあたしに答えなんで見つけられねぇだろうけど、何か忘れられない光景でもあったのかな。水族館? 海水浴? それとも……


 いや、やっぱわかんねぇ。わかんねぇんだけど、こうも惹きつけられるのがすっげぇな。こんな小さな部屋の中に川と海の楽園を作っちまった葉山こいつもやるな。あたし残念なくらい語彙力ごいりょくないからこんな感想しか浮かばねぇけど、とにかく。

「マジやべぇわ」

 無駄じゃねぇよ。うん、無駄じゃねぇ! だってこうしてあたしを感動させてる。これはこいつにしか表現出来ない世界だ。魚の知識は無くたってそんぐらいはわかる!


「葉山ぁ! すんげぇな、お前っ!!」

 あたしは柄にもなく飛び上がって叫んだ。隣で葉山が同じように飛び上がったのに気付いて慌てて口を噤んだ。

「はは、わりぃ。あたしどうしてもうるさくてよ」

 だけど反省の苦笑いも束の間。そっとうつむいた葉山が寂しげな笑みらしきものを浮かべて呟くのが聴こえた。


――ごめ……なさい。


 確かに聴こえた。泡のように今にも弾けて消えてしまいそうな声。

 あたしはやっぱりその意味がわかんねぇ。誰に宛てたものなのかもさっぱりだ。だけど思った。少なくともそれはあたしが受け取るモンじゃなくていいだろうと。小さなため息を1つついた後に口を開く。

「そうだぞ」

 その言葉を受けるに相応しい奴らがここに居ると広げた両手で示してやる。得意のドヤ顔を決めながら。

「お前には一緒に生きられる仲間がこんなに居るんじゃねぇか」

「……ん」

 小さく頷き目尻を濡らす葉山を見て、内心よしよしと呟いた。あたしは青と赤の魚がそれぞれに泳ぐ2つの水槽の前でしゃがみ込む。

「見ろよ、こいつなんてさっきから何度も飛び跳ねてるぜ。嬉しそうによ」

「ベタ……よく、はねる」

「はは、単なる習性ってか? だけど覚えておけよ、葉山。こいつらはお前がいなきゃ生きていけねぇんだ。お前が生きて帰ってきてくれて嬉しいに決まってんだろ」


「ん……っ……」


 葉山は相変わらず声も仕草も小さいけど、今度は2回頷いた。あ~あ~、もう、ウサギみたいな目をして泣きやがって。あたしはたまらず葉山の頭に触れる。乱暴にならないよう気をつけながらサラサラの髪を撫でていた。そうしてしばらく経った頃だ。


「ハヤマ……レ……」

「あぁ……? 名前? 葉山だろ。もう覚えたよ」


「レン」


「……ん。レンっていうのか? マジか。あたしの妹の旦那も玲司っていうんだぜ」


 いや、“れ”しか合ってないか。そんなことを呟いていたところ、おもむろに背を向けた葉山がこじんまりとした机の上で何やらゴソゴソし始めた。なんだよ、とあたしが笑いながら歩み寄ったとき、突然くるりと振り返った。まん丸な目を輝かせてぐい、とあたしに顔を寄せた。

「…………っ!」

 だからなんでこいつは! こうも唐突なんだ! むやみやたらに上目遣いしてきやがるし、なんだか……そう、調子が狂う。さすがのあたしも緊張する。妙な熱が登り詰めてくるくらい。


 青みを帯びた綺麗な瞳から逃れるように視線を落とした。そのときに指と指が僅かに触れた。

 奴が持っているものに気が付いた。小さなメモ紙。あたしに……くれるのか?


『葉山蓮』

『お姉さんの名前はなんですか?』


「……あたし?」


 自分に指を指すと、彼がこくりと頷く。あたしにペンを持たせようとしている。

 あたしはペンを受け取った。ちょっと借りるぞと言って机の上で書いた。そして再び彼の元へ返す。


『茅ヶ崎葉月』 


「ちがさき、はづき。だ」


 あたしがゆっくり言ってみせると、そいつ……蓮は、じんわりと目を細め、含み笑いをするように肩を小さく揺すった。何を考えてやがる。


「葉っぱ、2つ」


 そして意味のわかんねぇこの一言だ。意味わかんねぇのに、あたしの顔は熱を帯び、意味のわかんねぇ汗が滲んでくる。


「お前……ほんとに……!」


(何考えてやがるッ!!)


 アラサー女の自惚れと言われるのを覚悟の上で認めよう。あたしはどうやら葉山蓮という男に懐かれてしまったらしい。

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