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5.俺にもしてあげられることは

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「……社交パーティー?」
「ああ、急に父が2人で出席しろと」
「なら断るわけにはいかないわね……」

 はああ、と鏡花と玲は盛大に息を吐き出した。
 最近巷で流行っている社交パーティー。洋風のドレスコードが指定されて、夜中立食形式で楽しむもの。しかしながら宝石を見つめていたい玲と寝不足の鏡花にとってそれは苦痛でしかない。
 ちなみに今は鏡花が取り付けた条件の実行中だ。要するに、ただ2人でお茶を飲んでいるだけ。しかしながら鏡花は大きな商談を抱えているため、しばらくはこうして話す機会もなさそうだ。まあ、玲にとってもその方が気楽でいいだろう。

「2週間後なら、少しは準備できる時間がありそうです。玲さんは先に準備を始めていてください。私はまだまだやることがたくさんありますから」
「……分かった」

 歯切れ悪く了承した玲を見てから鏡花は立ち上がる。くるりと背を向けたとき、ふいに後ろから声がかかる。

「その、あまり無理はしないでくれ」
「……え、ええ」

 改まって言われて、鏡花はきょとんとしたまま今度こそ部屋を出て行く。


「うん、そうね、あれはきっと社交パーティーの出席を懸念して言ったのね」

 自室に戻るやいなや、そう1人納得した鏡花に、控えていたかよはわざとらしくため息をつく。玲は純粋に心配したのでは、と言ったところでこの恋愛だけは鈍いお嬢さまがそんなことわかるはずもなく。

「じゃあ、そのためにもお体に気をつけてください。それにしても、1週間すべてに商談なんて入れて本当に大丈夫なんですか?」
「……まあ、なんとかなるわよ。睡眠時間は3時間有れば十分だわ」

 鏡花はいそいそといつもの勝負服に着替え始める。その間もこの後の商談の書類に目を通したままだ。すでに睡眠不足に陥っていて、くまを化粧でひた隠している鏡花が1週間もつとは到底思えない。かよは心配で仕方なかったが、白羽家にとって大事な商談を成功させることに躍起になっている鏡花を無理に止めることもできなかった。


 ***


 最後にお茶をした日から6日目。玲はいつものように自室に篭り、宝石を見つめているのだが、いまいち没頭できないでいた。階下の音に耳を澄ませ、婚約者がまだ帰ってきていないことを確認する。ちなみに今の時刻は夜の10時を回ったところだ。帰宅する時刻はいつもまちまちですぐに彼女も自室に篭ってしまうためここ数日は顔すら合わせていない。

「……どうしてこんなに気にかかるのだろうか」

 ぼそりと呟いて、先日買ったばかりのブルーサファイアを見つめる。瞳の色みたいだと褒められてから、このサファイアが特別に思える。これが特別飛び抜けて綺麗なわけではないのに。そもそも、彼女が「悪女である」という噂を鵜呑みにして了承した婚約だ。それだけでも失礼なのに、初めて会って言った言葉が「宝石との時間を邪魔するな」だなんて我ながら酷すぎる。宝石のことを仕事以上に好きだという感覚を理解してくれるかも、と期待した。実際彼女は宝石にも興味を示してくれているしこの酷い婚約話も承知してくれている。噂に聞いていた悪女と全く違っていた。
 ふと、ガチャリと扉が開く音が聞こえた。玲は思わず部屋を出て階段から身を乗り出す。

「お、お嬢さま、いいかげん休んでください!」
「何言ってるの、平気よ。それにあのハゲ頭と顔を合わせるのも明日で終わり……」
「お嬢さま、本人の前でハゲと言ってはいけませんよ、気にしてらっしゃるんでしょうから……いやハゲはおいておいて早く寝てください」

 鏡花がふらふら、とかよに寄りかかる。ハゲ頭が気にかかるところではあるが、鏡花にキビキビ動いている普段の様子は見られない。思わず駆けつけそうになり、思い留まる。今自分が出て行ったところで彼女に余計な気を使わせてしまう。それならば少しでも彼女に睡眠不足を解消してもらった方がいい。こういう形の婚約を望んだのは自分だ。でも何もできないのは悔しくて、虚しい。

「俺にも何か、できないだろうか……」


 ***


「た、ただいま……」

 真夜中、しかも2時を回ったのではないだろうか。よろよろと帰宅した鏡花はそのまま玄関にへたり込む。無事商談はうまく行ったけれど、しばらくあのハゲ頭は見たくないと思った。話は長いし、毎日飲むのに付き合わされた。鏡花は年齢的に飲めないので酌をするだけだが。きつく締めた帯が痛い。身長を盛るためのヒールも痛い。それに睡眠不足も限界だった。ここで眠ってしまっても、誰かが寝室まで連れて行ってくれるだろうか。そうぼんやり思いながら瞼を閉じる。
 ふわり、と体が持ち上げられた感覚がした。横抱きにされてひどく丁寧に扱われている感覚。たくましくて、かよではないみたいだ。

「かよ、いつの間にそんなたくましくなったの……」
「……えっと、なぜかしら」

 変に掠れた声に鏡花は瞼を持ち上げた。そして、自分を持ち上げていたのがかよではないことに気がつき、目を丸くした。

「玲……さん?」
「すまない。あなたに変に気を遣わせないつもりだったのだが……」

「女性の声は出なかった」と眉を下げた玲に鏡花は目をぱちくりする。それから自分が横抱きにされていることを思い出し、なんとか降りようとする。

「心配しなくとも、夜に女性の寝室に行くことはしない。ソファまで運ぶ。そうしたら使用人を呼んでこよう」

 そう言われたらそれ以上どうすることも出来ず、鏡花は大人しくソファまで運ばれた。ソファに寝かされて、ヒールも帽子も脱がされた。恥ずかしかったけれど、抵抗するだけの気力もない。ふいに目線を隣のテーブルへ向けると、昨日まではなかった菓子類がたくさん置かれていることに気がついた。カステラや、チョコレイト、和菓子も置いてあれば流行りのスイーツまで置かれている。

「玲さん、これは……?」
「あ、ああ、それはだな……その、明日あなたが起きたらプレゼントしようと……でもあなたがどんなものを好きかさっぱりわからないから手当たり次第買ってきたのだが……」

 もごもごと玲が言うのを鏡花はぐったりしながら耳を傾ける。回らない頭でなんとか「優しいのね」と口にする。

「そ、それに最近は2人でお茶をすることも出来なかったから、一緒にと思って……ああ、そうだ少し待っていてくれ」

 何かを思いついたのか、玲は部屋の奥へはけていく。人を呼んできてくれるのだろうか、と菓子たちをぼんやり見つめていた。すると数分後、いい香りがただよった。ほわん、と甘い香りがして鏡花は上半身を起こす。

「これは、蜂蜜れもんね」
「疲れていたとき、母がよく淹れてくれたのを思い出したんだ。無理にとは言わないが、あなたは最近ろくに食べていないようだったから」

 そう言われて、鏡花は自分が最近暖かいものを口にしていなかったことを思い出す。鏡花はおもむろにマグカップを手に取る。両手で抱えるように持つと暖かさが伝わってきた。優しい蜂蜜の味が体に染み渡る。

「……ありがとう。本当に嬉しい。大好きなの、蜂蜜れもん」

 マグカップから視線を離し、鏡花は微笑んだ。今にも瞼が落ちてきそうな、とろんとした目で玲を見つめる。しばらく玲はその表情に釘づけになった後、手で顔を覆った。それから慌てて立ち上がる。

「よ、よかった。少し待っていてほしい。使用人をすぐに呼んでくるから」
「ありがとう、待ってるわ」

 そう言いながらも鏡花は眠ってしまった。すぐにかよと玲が戻ってきたが、眠る鏡花を起こすことはできず、さらにかよ1人の力で彼女を部屋へ連れて行くことは無理だ。ゆえに玲が横抱きで部屋まで連れて行くことになった。

「申し訳ありません、旦那さま」
「いや、いいんだ。彼女にはあなたが運んだと伝えておいてくれないだろうか」
「承知しました……それから、ありがとうございます」

 鏡花を部屋の前でかよに託すと、かよは鏡花を連れて部屋の中へ消えた。
 どっどっとうるさい心臓と、先ほどまで鏡花を抱いていた手を見つめ、玲はしばらく鏡花の部屋の前で呆然と突っ立っていた。
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