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★ピタラス諸島第五、アーレイク島編★

637:白い果実

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 朝靄が辺りを包み込む白い景色の中で、俺は一人、ポツンと立ち尽くしていた。
 周りには騎士団のテントが複数立てられ、チラチラと残り火がくすぶる焚き火の後もいくつか見られる。
 だがいつもと少し違うのは、珍しく誰も見張りに起きていないらしく、とても静かだという事。
 頭上から聞こえるサワサワといった木々の騒めきを、俺は聞くともなく聞いていた。

 目の前に聳え立つ巨木、ユーザネイジア……、又の名を安寧の木。
 一口で死に至る程の猛毒の果実を付けるという、世にも恐ろしい大樹である。
 だがしかし、遥か頭上で生い茂る紫色の葉には、昨日感じたような毒々しさは無い。
 そして、そこに実る、朝日の光を浴びてテラテラと輝く白い果実にも、恐怖という感情は抱かなかった。

 ……きっと、怖いのはこの木じゃなくて、この木を利用しようとする者達の方だ。
 この木はただ、生きているだけ。
 一生懸命、ここで生きているだけなんだ。

 ぼんやりとした頭でそんな事を思っていると、背後でドサッという鈍い音がした。
 さして大きな音では無かったが、なにぶん辺りが静かである為に、突然の事に驚いた俺はびびって震え上がり、軽くジャンプした。
 ドキドキしながら振り返ると、俺のすぐ後ろに、白い果実が一つ落ちていた。

 おぅ、のぅ……
 なんというタイミングで降ってくるんだこの野郎。
 
 ツヤツヤとしたその果実を前に、俺は思わず後退る。
 何故なら俺は、今現在、絶賛悩み中だったのだ。
 このユーザネイジアの実を、採って帰るか否かを……

 セシリアの森の、ブラッドエルフの里にいる巫女様、グレコの母ちゃん、その名もサネコ。
 俺は彼女に、このユーザネイジアの実を採ってくるようにと、頼まれているのである。
 無論、彼女が彼女の意思で、彼女の命を終わらせる為に。

 ……うん、今更だけど、なんて事頼まれちゃってんだ俺ってばよ。
 これさ、明らかにさ、自殺幇助ってやつだよな?
 あの時は全く深く考えてなかったけど、ヤバイよそれは。
 前世だと、完全に刑務所行きの重罪だぞ??
 そんな罪を、俺は犯したくは無いのである。
 だがしかし……、頼まれた物を見つけたというのに、届けずにいるのは如何なものか???
 いやいや、それでグレコの母ちゃんの命が助かるのなら、その方がいいに決まってる。
 だけども、なんかこう、モヤモヤするんだよな……

 足元に転がる白い果実をガン見して、固まる俺。
 すると、サクサクという地面を踏み分ける軽い足音が、少し離れた場所から聞こえた。

 だっ!? 誰だっ!??

 慌てて視線を向けた俺の目に映ったのは……

「モッモ、何をしている?」

 怪訝な顔で俺を見つめる、ロビンズだった。
 その手には焚き木に使う為の小枝を沢山抱えている。

「ろっ!? おっ、……おはよう!!!」

 とりあえず挨拶する俺。
 ドギマギし過ぎてかなり不自然だろうが、クールなロビンズはスルーしてくれた。

「まだ夜明け前だ。何故起きた?」

 ロビンズは、一番近くにあった焚き火の残骸の上に小枝を積みながら、こちらを見ずに尋ねてきた。

「え? あ、と……、勝手に目が覚めて」

 素直に答える俺。
 それ以上説明のしようがない、本当にそうなんだから。

「ふん。さすがの時の神の使者も、かの墓塔を前に武者震いか?」

 片眉を上げて笑うその仕草は、一見すると相手を小馬鹿にしているようにしか見えないが、これがロビンズの平常運転なので気にする事は無い。
 
「分かんないけど……。ロビンズこそ、どうして起きてるの?」

「私は今朝の炊事担当だからだ。先程までは見張りのエクリュが一緒だったが……、かなり寝惚けていたのでな、テントに戻らせた。やはり、奴はまだまだだな」
 
 そっとエクリュをディスりつつ、積み上げた小枝の上で、火付け石をカンカンと鳴らすロビンズ。
 その動作があまりに古典的で、面倒臭そうで……
 
「魔法、使わないの?」

 俺は思わず尋ねていた。
 カービィなら、焚き火に火を付けるのなんて、杖も魔導書も無しにパッとやってしまう。
 だから、魔導師はみんなそんなもんなんだと思ってたけど……

「馬鹿を言うな。私の魔力は氷属性だ、炎属性の魔法など使えん」

 ちょっとばかし不機嫌そうにそう言って、ロビンズは火付け石を鳴らし続ける。
 たぶん、その火付け石も魔道具の類なのだろう、いとも簡単に、すぐさま焚き火に火が付いた。

 そういや、前にちょろっと聞いた事あったっけ、魔力の属性の話。
 正直、全然覚えてないし、覚えていたとしてもちんぷんかんぷんだったろうけど……

 ポケーッとする俺を前に、ロビンズはふ~っと息を吐く。

「魔力の無いお前が、全属性の魔力を有するカービィさんと一緒にいると、魔導師はさぞ万能に思えるのだろうが……、そうではない。魔導師は、個では無力に等しい。故に助け合うのだ。それが、我々が騎士団である所以だ」

 なんだか小難しい事を言われた気がするけど……、なるほど、そうなのね。

「時にモッモ、その足元の物をどうする気だ?」

 ロビンズの鋭い視線に、俺はドキッとする。
 言わずもがな、俺の足元にあるのはユーザネイジアの果実。
 
「まさかとは思うが……、持ち帰るつもりか?」

 ひぃ~!? ば、バレてるぅっ!!?
 ……い、いや、まだ持ち帰るって決めてないけどさっ!!!!

「えと……、その……、実は、人に頼まれてて、あ、うんと……」

 返答に困って、ワタワタする俺。
 するとロビンズは、頭上に生茂るユーザネイジアの木を見上げながら、遠い目をして話し始めた。

「ユーザネイジアが、世連(世界共和連合の略)の方針でアンローク大陸全土より根絶されたのは、およそ二百年前。その当時、安楽死とは名ばかりの大量自殺が立て続けに起きていた種族がいてな、社会問題となっていたそうだ。その種族というのが……、我々ムーンエルフだった」

 ……えっ!? ムーンエルフが!!? 大量自殺!!??

「ムーンエルフは、他の亜種エルフとは少々異なる種族でな。巷にいるフラワーエルフ、リーフエルフ、ウォーティーエルフ、チェリーエルフなど、これらの亜種エルフは全て、純血なるハイエルフと他種族との間に生まれし混血種族なのだ。つまり、姿形こそエルフではあるが、その性質、体質は、ハイエルフとは似て異なる。顕著なのが寿命で、亜種エルフは長くても五百年ほどしか生きられぬが、ハイエルフは通常千年、長くてその三倍は生きられると聞く。そして我々ムーンエルフは、他種族との混血無くしてハイエルフより派生した種族……。聖なる月の加護を受けし、純血のハイエルフなのだ」

 うっ!? なっ!!? 何の話っ!!??
 ……ごめんなさい、さっぱり理解出来ませんです、はい。

「我々の先祖が、何を思ってハイエルフと自らを区別したかは謎に包まれているが……、およそ三千年ほど前には完全に分化したと歴史には残っている。そして、遥か南の大陸よりアンロークに移り住み、今日の国へと至った。お前は知っているか? アンローク大陸に現存するムーンエルフの国、その名もルナジェナ国を」

 ロビンズの問い掛けに、俺は首を横に振るう。
 アンローク大陸にあるムーンエルフの国なんて、世間知らずの俺が知っているわけがない。

「我が故郷ルナジェナには、その昔、およそ一億の国民が暮らしていた。無論、皆私と同じムーンエルフだ。しかしながら、私が生まれる少し前に、国民の大量自殺が起き、国民の九割がこの世を去った。その誘因が、国の中央に位置する国立公園に群生していた、ユーザネイジアの果実だったのだ」

 国民の九割って、つまり……、えぇえっ!?
 九千万人のエルフが、ユーザネイジアの実で自殺したって事!??
 なんちゅう恐ろしい出来事だよおいぃっ!!??

「なっ!? なんで!?? そんなっ!!??」

「寿命の短いお前には理解し難いだろうが……。千年、もしくは二千年でも、生きようと思えば寿命が続くハイエルフと、その血を引く我らムーンエルフにとっては、死とは尊く遠いもの。平和な時代なら尚の事、自ら迎え入れねばなかなか訪れる事の無い終わりなのだ。その当時、国に一億という民が溢れ返っていたのは、長年国が平和であり、その半数が既に長い寿命を生きた者達だったからに他ならない。しかしながら、千年、或いは数千年生きた者は、自然と己の死を望むようになる。己の生を精一杯生き抜いて、辿り着く答えが死であるからだ。故にあの大量自殺は、起こるべくして起きたと私は考えている。……例えば一人が、死を望む思想に至ってしまえば、それはまるで伝染病の如く周囲に広がっていく。考えてもみろ、家族や友人の一人が、もう充分生きたと死を望むとする。そうなると、共に逝きたい者、残される事を拒む者が必ず現れる。そして、自らの生を振り返り、その余りの長さに絶望する……。当時の者達は気付いてしまったのだろう、余りに長い生に、果たして意味はあるのか?と。それが少しずつ、少しずつ広がって……」

 うぅう~、なんちゅう話だよぉおぉ~~。
 こんな薄暗い朝靄の中で聞くような話じゃないよぉおぉ~~~。

「ただ、ここで問題となるのが、その逝き方だ。それまでは、絶命するにはそれなりの苦痛が伴っていた。故に、当時のムーンエルフ達にとって、死に向かう事への恐怖は他種族と変わらず大きかったはずだ。しかし、ユーザネイジアの果実の効能が明らかとなった事で、それが一変した。苦しまずにこの世を去れるという事実が、結果として、国民の大量自殺へと繋がったのだ」

 な、なるほどぉ……
 なんか、話の内容がヘビー過ぎて、俺の小ちゃな脳味噌では処理しきれません、プシューーー。

「だが私は、それで良かったのだと思っている」

 ……は? 今なんと??

「当時の世連は、豊かで平和なルナジェナでの大量自殺を問題視したようだが……、当事者達にとってみれば、余計なお世話だっただろう。ルナジェナは、ユーザネイジアの根絶に最後まで反対した、たった一つの国であったからな。しかし、他国にも少なからず影響が及んでいた為に、大陸全土における伐採は施行される事となった。勿論、ルナジェナに存在していたユーザネイジアも、今は跡形も無い。おかげでルナジェナは、この二百年で国民総数が二千万まで回復したが……、当時を知る者の中には、あの時逝かずに残った事を後悔している者も多数いると聞く。幸いにして、私はその後に生まれたからな、これまでにそのような思いは抱かずに済んではいるが……、これから先何百年、或いは何千年生きた後、彼等と同じ思いを抱く日が来るかも知れないと、心の何処かで考える事もある」

 なんというか、気の遠くなるお話で……
 てかさ、何故こんな話をしてるんだ?
 普段はクールで言葉数少ないロビンズが、朝っぱらからこんなペラペラと……、何故??

「何故こんな話をするのか? とでも言いたげだな」

 俺の思考を見透かした様に、ロビンズが笑う。
 はい、仰る通り、そう言いたいですよ。

「ユーザネイジアの果実は、世連の条例によって、アンローク大陸への持ち込みは禁止されている。アンローク大陸には、ムーンエルフを始めとし、長寿の種族が数多く存在する故だ。しかしワコーディーン大陸は別だ。元々ユーザネイジアの発生が確認されていないワコーディーン大陸では、特段の禁止条例は敷かれていない。加えて、ワコーディーン大陸に暮らす種族はさほど寿命の長い者達では無い。つまり……、ワコーディーン大陸へのユーザネイジアの果実の持ち込みは、犯罪では無い」

「えと……、え? 何が言いたいの??」

 ロビンズの意図が分からず、俺は首を傾げる。

「それを持ち帰ればいい」

 へぁ???

「えっ!? これをっ!!? ……で、でも」

 さっきの話を聞いた後で、その選択肢を勧められるとは思ってもみなかったぞぉっ!?
 てっきり、俺を思い留まらせる為に話してくれたんだと……
 ロビンズ、いったい何考えてんだよっ!!?

「お前が心配しているのは、それを持ち帰った事によって、その頼んだ相手とやらが自殺しないかどうか、という部分なのだろう?」

 ロビンズの問い掛けに、俺はこくんと頷く。

「しかしお前の事だ。頼まれたからには持って帰らねばと、無駄な親切心の為に悩んでいたのだろう?」

 悔しいけど合っているので、俺は再度こくんと頷いた。

「だったら、持ち帰って、頼まれた相手に手渡せばいい。それでお前の任務は終了だ。その後相手が生きるか死ぬかは、勝手にすればいい話だろう」

 なんっ!?
 なんちゅう事を言うんだこの野郎っ!!?
 
 ビックリし過ぎて声も出せず、口を半開きにしたまま、目をパチパチする俺。
 だがロビンズは、淡々と話を続ける。

「言っただろう? 私は、二百年前に起きたムーンエルフの大量自殺を、悲劇だとは思ってないんだ」

 そっ!? そもそもそれが謎なんだけどっ!??
 人がいっぱい死んだ事の、何が悲劇でないとっ!!??

「我々ムーンエルフにとっての死と、他種族における死とは、恐らく違うものなのだろう。しかし私は、心から死を望む者がこの世にいても良いと、考えている」

 ふぁーーーー!?
 問題発言! 問題発言だぞぉっ!!
 仮にも命を救う立場の白魔導師が、そんな事言っちゃっていいのぉおっ!??

「私が言いたいのは、物事には、複数の見方があるという事だ。一方で悲劇に見える出来事でも、他方から見れば平和的解決である場合もあるという事だ」

 ……いや! それは同意出来ないぞっ!!
 そんな、自殺しても良いなんて、そんな事には同意しないぞ俺はっ!!!

 口を真一文字に結び、頑として首を縦に振らない俺。
 するとロビンズは、ふっと微笑を漏らした。

「そこまで頑なに拒むのなら、もう悩む必要は無いだろう? モッモ……、お前はそれを、拾うべきじゃ無い」

 ……はっ!?!??

「えっ!? ま、まさか……、僕を試したのっ!??」

 嘘だろっ!?

「そのまさかだ」

 マジかよぉおっ!!?

「ひっ!? 酷いよっ!!?」

 狼狽える俺を前に、クスクスと笑うロビンズ。
 その表情が、これまでになく美しくて、俺はもうどうしたらいいのか分からなくなって……
 だけどロビンズは、出会ってから一番の、優しげな笑みを俺に向けてこう言った。

「大丈夫。そこまで悩んで出した答えなら、相手も理解してくれるはずだ。だが一つだけ覚えておいてくれ。物事の考え方には、絶対的な正解などない。私が言いたかったのは……、それだけだ」

 そう言うとロビンズは、勢いよく燃え上がり始めた焚き火をそのままに、近くのテントの中へと入って行ってしまった。
 俺は再度、足元の白い果実へと視線を落とし……

「グレコの母ちゃんには謝ろう……、うん」

 ポツリとそう呟いて、それを拾う事なく、仲間がいるテントへと戻ったのだった。
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