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★ピタラス諸島第四、ロリアン島編★

550:回し蹴り

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 誰かが泣いている。
   シクシクって、声を押し殺すように泣いている。

「ごめんね。こんな体に産んでしまって……、ごめんなさい」

   真っ暗な中で聞こえるのは、知らない女の声。
   とても悲しそうに、何度も何度も、謝罪の言葉を繰り返している。

「ごめんなさい、ごめんなさい……。でも、必ず守るから。私が必ず、あなたを守り抜いてみせるわ」

   その言葉に、俺は目を開く。
   視界に映るのは、とても美しい、血のように真っ赤な鱗を持つ、紅竜人の女だった。
   そのツルンとした頭部には、金色に輝く小さなティアラが装着されている。

「大丈夫……。誰が何と言おうと、私はあなたを守る。チャイロ、私の愛しい子。あなたは私が、必ず守るわ」

   女の真っ赤な瞳から、一雫の涙が零れ落ちて、俺の視界はボヤけていった。








『……おい、起きろ。起きんか阿呆め』

   誰かの声が聞こえた。
   それと同時に、頭をコツコツと何かで突かれて、神経過敏な全身に衝撃が走り、俺は慌てて飛び起きた。

「ふぁあぁぁっ!?」

   頭の先から足の先まで、ゾワゾワとした最悪な感覚が駆け巡る。
   
   なんだなんだなんだぁあっ!??

   頭の突かれた部分を両手で隠し、キョロキョロと辺りを見渡す俺。
   随分と暗くて、目が慣れるまでしばらくかかったが……
   どうやらここは、チャイロの部屋のようだ。
   目の前には、バリアのようなビリビリとした黄色い光を放つ結界があり、その向こうにある窓の外には星が瞬いている。

   さっきのは、何だったんだ?
   夢だったのだろうか??
   夢にしてはリアルな感じだったが……
   あの紅竜人の女は、いったい誰なのだろう???
   
『いつまで気を失っているんじゃ、腑抜けめ。もう夜になってしもうたぞ、間抜けめ』

   聞き覚えのある声が、ボンヤリとしている俺を罵る。
   だけど、俺が知っている声よりも、口調が随分と偉そうになっているようだ。
   まさかと思い、恐る恐る振り返る俺。
   するとそこには……

「チャイロ……、え? チャイロ??」

   俺の真後ろには、チャイロの姿をした、別の何者かが立っていた。

   チャイロなのか?
   でも……、違う。
   背格好はそのまま、体表の黒い鱗、頭の羽もそのままなのだが、目が違うのだ。
   他の紅竜人よりもずっと大きなチャイロの目は、紅竜人特有の赤い瞳だったはず……
   なのに、今目の前にいるチャイロの瞳は、なんと虹色に変色しているではないか。
   それはまるでシャボン玉のように、窓から入り込む微かな星の光を受けて、キラキラと輝いている。
   
『気安く名前を呼ぶな、溝鼠どぶねずみめ。首を垂れんか、糞鼠くそねずみめ』

   可愛らしいお顔で、汚い言葉を吐くチャイロ。
   その表情は完全に、先程までのチャイロではない。
   それはまるで、まるで……、何者かに体を乗っ取られているかのような、チャイロの中に別の誰かがいるような、そんな感じで……

   はっ!? 
   もしかして、今目の前にいるのはっ!??
   夜言を発していた、チャイロの中にいるもう一人のチャイロなのではっ!?!?

「きっ!? 君が!?? もう一人のチャイロ!?!?」

   ドキドキしながら、興奮気味に尋ねる俺。
   すると、虹色の瞳をしたチャイロは、酷く顔を歪めて、かなり不愉快そうな表情でこう言った。

『黙れ、薄汚い獣め。我が名はイグ。ククルカンを生み出しし、旧世界の神じゃ、馬鹿者め』

   自らを神と名乗った虹色の瞳のチャイロを前に、俺は思考が止まるのを感じた。

   ……旧世界の神?

   ……イグ??

 ……ククルカンを、生み出した、だと???

「え? どういう……、こと?? チャイロ、神様だったの???」

 ちょっと待って、頭の中が整理出来てないぞ。
   え、神様ってみんな、瞳が金色なんじゃなかったっけ?
   何?? なんでレインボーなわけ???

   チャイロを指差しながら、首を傾げる俺。
   するとチャイロは……

『気安く名を呼ぶなと、言ったであろうが阿呆めぇえっ!!!』

「ほぐぁあっ!?」

   ワナワナと震えながら叫んだチャイロは、俺に回し蹴りをくらわせた。
   チャイロの小さな足が横っ腹にめり込んで、俺は鈍い悲鳴を上げた。

「ぐっ!? くぁっ!?? ……ゲホッ」

   いってぇえぇぇーーーーー!!!
   折れた? 肋骨折れた?? 
   俺のこのふくよかなボディーでも衝撃を抑えられず、骨にまで響くなんて、なんちゅう威力の蹴りだよおいっ!?!?

   むせながら、涙目でチャイロを見る俺。
   するとチャイロは、何やらとてつもなく悪そうな顔で、片方の口の端を引き上げて、ほくそ笑んでいるではないか。

   くっ……、くぅうぅぅ~~~。
   何なのっ!? 何なのさいったい!??
   こいつ、誰なのっ!?!?

   あまりの変貌ぶりに困惑しながらも、俺はキッ!とチャイロを睨み付ける。

   起きたばっかりの人に、回し蹴りなんてしちゃいけませんよっ!

   そう言いたいのを必死で堪えつつ、横っ腹の痛みが引くのを待つ俺。
   するとチャイロは、俺の目の前にドカッと腰を下ろし、偉そうに胡座をかいた。

『なんともまぁ、これほどまでに無知な小僧が世界を背負って立つとは……。いよいよここも崩壊の時を迎えたと見える』

   チャイロは、ニマニマと嫌らしい笑みを浮かべながら、俺をジロジロと観察する。
   その視線の巡らせ方が、エロ親父みたいで更に嫌だ。

『お前は知っておるのか? この下に何が埋まっているのか』

   唐突に質問してきたチャイロ。
   しかしながら、その質問の答えはおろか、何の話をしているのかさえ俺には分からない。

「この下って……? この下は……、書庫、ですよ??」

   また暴力を振るわれたら困るので、語尾を丁寧にする俺。

『かっ! 馬鹿めがっ!! それでも時の神の使者かっ!? 腑抜けめっ!!!』

   可愛かったはずのチャイロに、酒に酔って手に負えなくなった糞ジジィみたいな絡み方をされて、俺はなんだか泣きそうになる。
   だが、そんな俺には全く御構い無しなチャイロは、スッと表情を無くして、小さな声でこう言った。

『阿呆なお前に教えてやろう。この黄金の山の下には、神が埋まっておる。遥か昔に捕らえられ、憎しみに心を支配されたが為に、今まさに邪神と化そうとしておる、蛾神モシューラがな』

   ……え、埋まっている?
   蛾神が、邪神と化そうとしてる??
   それって、かなりヤバいんじゃないの???

   俺の脳裏に蘇る、二体の邪神の姿。
   かつての蟷螂神カマーリスと、蜥蜴神。
   どちらも恐ろしくデカくて、凶暴で、悪魔に負けず劣らずやばい奴らだった。

   そんな邪神が、ここに……、この金山の下に、埋まっているだとぉおっ!?!?

   その言葉、邪神というそのワードに、俺は嫌な汗が背中を流れていくのを感じた。
   
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