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★ピタラス諸島第四、ロリアン島編★

513:真っ赤な目玉

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   ひぃいいいいぃぃぃっ!!!!?

   目っ!? 目っ!!? 目がぁああぁっ!!??

   目の前の暗闇に突如として現れた、燃える炎のように真っ赤な目玉。
   そのあまりの衝撃に、俺は机の上から転げ落ちた。
   黒い床に尻餅をつき、柔らかな体がボヨンボヨンとバウンドする。
   それでも俺の視線は、その目玉に釘付けだった。

「いいいっ!? なんっ!?? えっ!?!?」

   お尻の痛みなど全く気にならないほど、俺の心は恐怖に支配されていた。
   今すぐここから逃げなければ! そう思うものの、腰が抜けてしまったのか、震える足は全く言う事を聞いてくれない。
   言葉にならない悲鳴を上げながら、全く予想だにしていなかったこの事態に、俺は驚愕していた。

   なっ!? 何なのっ!??
   どうして目玉がっ!?!?
   てか……、デカッ!!!??

   扉の隙間から、俺を観察するかのようにこちらを見ている、大きな大きな目玉。
   パチパチと瞬きをする様子から、どうやら作り物ではないようだが……
   その大きさは人並外れて大きく、とてもじゃないが、生き物だとは到底思えないほどに巨大だ。

「君は……、とても素直なんだね」

   先程と同じ声が聞こえて、俺の背筋に悪寒が走る。

   だっ!? 誰っ!??

   ガタガタと震える体。
   ガチガチと音を立てる前歯。
   荒く乱れる呼吸。
   ともすれば気絶してしまいそうなほどにパニックに陥った俺だったが……
   巨大な目玉は、それ以上は何もせず、何も言わずに、スッと奥へと引っ込んだ。

   ドキドキとうるさい心臓に手を当てながら、目玉がいなくなった扉の隙間を凝視する俺。
   しばらくの間そうしていたが、再び目玉が現れる事はなかった。

   ……いったい、何だったんだ?
   なんだってあんな大きな目玉が、チャイロ様の部屋に??
   それに、さっきの声はいったい……???
   え!? まさか……、あの目玉が、チャイロ様????

   サーっと血の気が引いていくのを感じながら、俺はトエトに言われた三つの心得を思い出していた。

   その一、部屋を明るくしてはいけない。
   その二、チャイロ様の命令は何が何でも絶対服従。
   その三、チャイロ様の姿を目にしても驚いてはいけない。

   もし、今の目玉がチャイロ様だったら?
   心得その三を、俺は破った事になるのでは??
   ……くっ!? やっべぇええぇっ!?!?

   今度は、違った意味でパニックになる俺。
   挨拶をするつもりが、その姿を目にした途端にビビって悲鳴上げて尻餅ついて腰抜かすなんて……、一番やっちゃいけない事を、俺はしてしまった気がする。
   冷や汗を大量にかきながら、またもやドキドキと音を立て始めた心臓に手を当てて、俺は深呼吸する。

   落ち着け……、落ち着くんだ、俺……
   
   部屋の中はしんと静まり返っており、耳鳴りがしそうなほどだ。
   それに、扉の向こう側からは、物音一つ聞こえてこない。

   本当に、この先にチャイロ様が居るのだろうか?
   そして、さっきの目玉は本当に、チャイロ様なのだろうか??
   チャイロ様は、目玉なのだろうか??? 
   ……いやいやいや、いくら何でもそれは無いだろう。

   困惑する思考を、自分でも訳の分からない予想を、俺は頭を横に振って払拭する。
   そして、なんとか呼吸を整えて、冷静に思案した。

   この扉の先はチャイロ様の部屋だ。
   トエトもティカもそう言ったのだから、そこは間違いない。
   ということはやはり、さっきの目玉はチャイロ様なのだ。
   かなり巨大な目玉だったけど……、あれがどういう事なのかは考えても分からないから、一旦置いておこう。
 問題は、心得を破ってしまった事である。
   チャイロ様の姿を目にしても決して驚いてはならない……、俺はその心得を、開始早々破ってしまった。
   果たして、それが今後、どのような影響を及ぼすか……
   まったくもって嫌な予感しかしないな。

   再度背中に悪寒を感じ、ぶるりと身を震わせる俺。
   自然と足が後ずさって、中部屋から侍女の待機部屋へと戻ろうとしてしまう。
   だが、ここで怖気付いて戻ってしまえば、二度とチャイロ様に会う事なんて出来ないだろう……、と、俺の心の片隅で誰かがそう言った。

   くぅ~……、勇気を出すんだ! モッモ!!

「しっ! 失礼っ!! ……しますっ!!!」

   俺は勇気を振り絞り、ゆっくりと、チャイロ様の部屋へと続く扉を押した。
   ギギギーっという鈍い音を立てながら、黒い扉が開いていく。
   そして、その先に続いていたのは、暗闇ではなくて……

「ん????」

   そこに広がっている光景、それは、薄暗くて、大量のおもちゃが散らかった、子供部屋だった。

   ……おや? おやおやおや??

   そこかしこに、いろんな人形や、積み木らしき丸みを帯びた様々な形状の木片、お飯事ままごとで使いそうな小さな鍋やフライパンや食器など、子供向けのおもちゃらしき物が大量に、無造作に転がっている。
   天井からは星や月、太陽を模したオブジェが吊り下げられていて、真っ黒な壁にはキラキラと輝く塗料で七色の虹が描かれていて……
   入ってすぐの場所、扉の隣には、俺の身長の二倍ほどの高さにまで積み上げられた、歪な絵本の塔が立っていた。

   これはいったい、どういう事なんだろう?
   子供の、部屋??
   まさか、チャイロ様はお子様なのか???

   そういえば、チャイロ様の年齢、大人なのか子供なのかという事を、俺は誰にも聞いていなかった。
   というか、誰もチャイロ様の歳の事なんて、俺に教えてくれなかったのである。
   だから俺の頭の中では既に、トゲットゲの、ギラッギラの、恐ろしい化け物のような、巨大な怪物チャイロ様の像が出来上がっていて……
   とてもじゃないが、こんなおもちゃだらけの部屋に住んでいるなんて、思いもしていなかったのである。
   なんなら、部屋の中は怪物チャイロ様が暴れ回ったせいでボロボロの廃墟と化しているのでは!? とか、 血とか涎とか、汚い体液が撒き散らされているのではっ!?? なんて考えていたくらいだ。
   だが、実際はどうだ。
   ここは少し薄暗いものの、ちょっぴり散らかった、可愛らしい子供部屋だ。
   正直、予想外すぎて訳がわからない。
     
   壁際には大きな窓があって、そこには分厚く黒いカーテンが垂れ下がり、外からの光を遮っている。
   しかしながら、閉じられたカーテンの隙間から微かに漏れ入る光で、部屋の中は真っ暗闇とは違った薄暗さを保っていた。

   そんな薄暗い部屋のほぼ中央に、巨大なベッドが一つ設置されている。
   天蓋のあるそのベッドは、薄いカーテンで覆われており、そこにいる者の姿をやんわりと隠していた。   

   ドキドキドキドキドキドキ

   ベッドの上には、明らかに何か……、誰かがいる。
   小さいながらも、生き物らしき影を俺は確認した。

「君は、目が良いんだね」

   先程と同じ声がまた、ベッドの上から聞こえてきた。
   さっきはパニックに陥っていて、全く気付かなかったけど……
   その声は高く澄んでいて、怪物の唸り声とは程遠い。

   もしかして、チャイロ様って……、怪物じゃないのかしら?
   でも……、なら、さっきの目玉は何??

「ねぇ、名前はあるの?」

   不意に問い掛けられて、俺はハッと我にかえる。
   
「あっ! もっ……、モッモと申しますっ!!」

   背筋をピンと伸ばし、両手をビシッと体の側面にくっつけた、気をつけいっ! の格好で、俺はそう言った。
   すると、ベッドのカーテンがそっと開かれて……

   うっ!? やっぱり目玉がっ!!? ……んんん???

   カーテンの向こう側から現れたのは、二つの大きな目玉……、を持つ小さな顔だ。
   その真っ赤な目玉は、顔面の三分のニを占めるほどに大きく、とても瑞々しくて、窓から漏れる薄明りを反射してキラリと輝いている。
   そしてその顔には、小さな穴が空いただけの鼻と耳が確認できた。

   そろりとカーテンを開いて現れたその姿はとても小さく、体の大きさ、背の高さは恐らく俺と大差ないだろう。
   暗がりの為に色はよく分からないが、お顔が鱗に覆われているのは確かだ。
   つまり、そこにいるのは、目だけが異常に大きい、紅竜人の子供だった。

   おお、子供だ。
   やっぱり子供だった。
   目は大きいけど……、いや、大き過ぎるけど……、子供だな。

   けど……、んあ? あれれ??
   この姿って……???
   
   大きな目を持つ紅竜人の子供は、ゆっくりとベッドから降りて、おずおずと俺に近付いてくる。
   距離が縮まるに連れて、その姿の全貌が明らかとなっていく。

   鱗の色は、普通の紅竜人のそれとは違って、夜の闇のように真っ黒。
   そして頭のてっぺんには、見た事のある、オレンジ色と緑色が入り混じった、美しい羽が数枚生えている。

「僕はチャイロ。よ……、よろしく、ね?」

   そう言って、彼は大きな瞳を潤ませながら、恥ずかしそうに、ぎこちなく笑って、真っ黒な手を差し出した。

「よっ!? よろしくっ!! ……お、お願いしますっ!!!」

   条件反射のように、慌てて握手をする俺。
   ギュと握り締めたチャイロの手は冷たくて、とても小さかった。   
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