冷めない恋、いただきます

リミル

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【Lesson.1】

寂しい心を埋めて1

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「お疲れさまです」

本日二回目の二時間の講義を終え、多希たきはタイを緩めながら自分のデスクに座った。講義前の準備も合わせれば、三時間程は立ちっぱなしだったので、腰が少し重い。多希が受け持つ生徒は、ほとんどが子育てを一段落終えた主婦達だ。「今度友達も誘ってみようと思って」と言われれば、さすがに無碍にはできない。

今日も無償サービスの三十分を捧げて、多希は講師陣のデスク部屋に戻ってきた。

他の講師陣は事務作業を終え、すでに帰る支度を始めている。

「今から飲みに行きません? 新しくできたイタリアン」
「あー、いいですね! ……由衣濱ゆいはまさんも、よければどうですか?」

義務的に一応声をかけた、という気配りに、多希は笑顔で答える。

「まだ事務作業が残っているので、気にせず皆さんで行って来てください。いつもすみません」
「い……いえいえっ! 由衣濱先生、人気で忙しいですもんね」

そして、彼女達が行ってしまう前に、見せつけるように多希はタイムカードに打刻する。

「えっ。押しちゃうんですか?」
「生徒達とかなり喋ってしまいましたし。それで残業つけるのは怒られそうで」
「由衣濱先生って真面目ですねぇ。口コミとか紹介で入ってきてくれる方もいるし、仕事のうちじゃないですか。残業つけちゃってもいいと思いますけど」
「すみません。あ、新しいイタリアン、どうだったかまた教えてくださいね」
「はーい」

金曜日の今日は、どうしても外せない用事がある。その用事と週末の飲み会はよく重なるため、誘いをほとんど断ってしまう。

午後九時、事務所の戸締まりをした後、多希は夜の街へと繰り出した。

数年前に上京して驚いたことの一つが、都会には何でも揃っているということだ。ないものを探すほうが難しいのではないかと思う。

多希が生まれ育ったのは、市街の中華料理店だった。父方の祖父の代から続く店は、近所の常連客が訪れ、小さいながらもそれなりに繁盛していた。そして自分も両親の跡を継いでいくものだと思っていた。しかし、多希には兄がおり、多希よりも見込みがあった。

『お兄ちゃんは心配してないからね』

勤勉で素行も真面目だった兄が高校を卒業したことで、店は自然と兄が継ぐことになった。もちろん多希も兄と同じ道を進むことになると思ったのだが、それを口にしたとき、両親は気まずそうに口を揃えて言った。

『多希は無理してここに残らなくてもいいのよ』

多希は当時、高校生だったがそれは息子を思いやってというものではなく、跡を継ぐのは二人もいらないという両親の本音を感じ取った。両親がことあるごとに、多希に進学を勧めてきたからだ。学費も出してくれるという。兄もそれに対して、特に多希に文句を言ったりはしなかったし、「兄ちゃんが稼いでやるから心配するな」と、むしろ激励された。

本音こそ家族には打ち明けられなかったが、都会の専門学校にも通わせてもらい、おかげで手に職をつけられた。

卒業した後も実家には何だか近寄りがたい気がして、東京で働くことを決めた。

「お待たせ」

駅前で目当ての男を待っていると、頭上から声が降ってきた。何日か前にマッチングアプリで意気投合し、写真を交換した男が、多希の目の前にいる。

「ううん。待ってない」

顔をまじまじと見つめられたが、多希は気にしないふりをして安心したように笑ってみせた。照れたような笑いが返ってくる。自分よりも少し背の高い男の横に並び、二人はホテル街を目指した。

あらかじめ下調べしておいた、無人のホテルへと入る。先にシャワーを浴び、スマホをいじるのに夢中になっていると、大きな影が降ってきた。多希の項に、水滴が落ちる。

「何してんの」
「別に。暇だったから」
「冷たくない?」

すぐ後にくすっとからかうような笑い声を漏らす。手首を絡め取られ、頭上で一纏めにされる。いきなり何をするんだと抗議しようとしたら、唇を塞がれた。わざと音を立てて吸いつかれ、奥底に眠る情欲のスイッチが入る。

新しい恋人はつくらない。男同士の恋愛に本気になって、もう痛い目は見たくない。痛くないはずの失恋の古傷が、時折幻想のように浮かび上がっては、多希を苦しめる。

深入りはしたくないけれど、適度にセックスは後腐れなく楽しみたい。身体の関係だけを求める多希にとって、マッチングアプリは便利なツールだった。

売りをしているわけではないが、今まで会った相手には見た目も相性も期待以上だったと、言われることが多い。相手の気をよくする褒め言葉は、多希には面倒なだけだった。もう一度したいほど嵌まる相手もいなかったし、次を期待されるのが重い。

リアルの付き合いのない相手は、ブロックボタン一つで関係が切れる。心も痛まないから楽だ。

「あ……ん」

他のことに思考を巡らせていた多希を叱るように、男の手が下肢のものに触れる。先端がぬるついてくると、男は手際よくそれを使って後孔を指で広げていく。
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