86 / 296
4つの点がそこにある。出来上がるのは三角形2
しおりを挟むそこからアベルという存在はただただ奮起した。
運動に努め、勉学に励んだ。
証拠に、中学で私立を進められ、余裕で通ることができるだろうといわれるくらいには優秀で、品行方正だった。
そのころには、目つきは悪いが見た目からも女子は高くなっていたが、当時のアベルはどちらかといえば家族の何かの一番になりたいと必死だったために、目を向けることはなかった。
それは、それで、幸いであったかもしれない。思春期の手の平返しというある種の残酷さまでは、目の当たりにせずにすんだのだから。
必至だからと、なぁなぁにではなく、できる限り優しく応対し、男子だからと区別することもなく、遠巻きにしていたことなど忘れて厚顔無恥に頼ってくるような蠅のような存在にさえ大変なら手を差し伸べて手伝う人間だった。
必然、人気は出た。
しかし、それもアベルの隙間を埋めてくれるようなものではなかった。
わかっていたからだ、どこかで。
これは、自分が望んだ1番につながるものではないと。
実際に、それはアイドルに向ける声援のようなものだった。
どうしても、薄っぺらで満足のいくものではない。
(1番に、なれない……)
アベルは、努力していた。
足りないを補い、才あるとされたところを伸ばすに努めた。
不幸なのは、それでも1番となれなかったこと。
それによって、1番になっても大して効果がないことも多いのだという事を知る機会はついぞなかったこと。
狙ったものは、常に他の1番が存在し続けたのだ。
勉学も、運動も。
アベルは確かに優秀であった。
しかし、それは尖った才能ではなかったのだ。その才覚は、いわば丸い、ボールのような形をしていた。そして、運悪くか運よくか、その地域にはアベルの円から突き出すような尖った才能を持った人間がいくつもいたのだ。いてしまったのだ。
アベルは、なりたい1番というものになれないままの男だった。
1番になるという感覚を知らず、神聖視しているといっても良い。それが大したものでないかもしれないなどとは想像もできない。
「よくやっている。そのままやれよ」
いつからか、父は張り付いた仮面のような顔をアベルに向けるようになっていた。
それは、笑顔に似ているが決してそうではない顔だ。
アベルはそれを見るのが嫌いだったが、その仮面の奥を見るのも怖くて何も言うことはできないままでいた。
「アベルさんはすごいですね」
亨恵も、同じような顔をするようになった。
奇妙な線引きがされている心地だ。
襲ってきたのは、恐怖。
励むのを止めるつもりはなかったが、励んでも結果がでないなら、捨てられてしまうのではないかという恐怖。
感情が見えないから、それ以外に価値を感じているように思えないから、その思考は加速していった。
欲しいものは何1つもらえないままに、ただ恐怖だけが蓄積されていった。
「……」
海が、いつからかアベルを憎しみを籠ったような目で見るようになっていた。
元から、あまりアベルには懐かない子供だったが、アベルの気付かない間にそういう目を向けるようになっていた。特別にアベルが何かしたような覚えというものはなかった。むしろ、ないがしろにされている中でアベルは優しくしようとずっとしていた。もちろん、叩いたことなどなかったし、怒って怒鳴るようなこともなかった。
しかし、向けられるのは恨みの目である。
会話もうまくできなくなっていた。理由がアベルには全くわからなかった。嫌われる理由が。その日まで。
『アベルさんはもう少しうまくやっていますよ』
『ぼくはアベルじゃない!』
『あの子にもできるんだから、海にだってできるでしょう?』
『ぼくだって頑張ってる!』
ある日、壁を挟んで声が響いていた。
亨恵と、海の声のようで、他に誰がいるとは思っていないのか、その声はよく届く。
『あんなの、家族でもないくせに!』
『海、だめよそんなこと言っちゃ。お兄さんでしょう? 兄弟で、家族なんだから……』
『お母さんだって、お父さんだって、本当はそんなこと思ってないくせに! そうでしょ!?』
『そんなこと……』
『あるよ! だって、お父さんは言ってた、アベルは年々嫌なアレに似てくるな、本当に煩わしいって。だいたい、どっちにも似てないじゃないか。別の家の人なんじゃないの!? ぜんぜん、ぼくたちと同じじゃない! あんなの家族なんかじゃないんだ! なんで家族じゃないのに、比べられて、お父さんとお母さんが相手にしなきゃいけないの!? 子供はぼくでしょ!? 家族は、ぼくでしょ!?』
『ダメでしょ、そんなことを言っては……』
『――お母さんが、お父さんの事、鬱陶しいって、邪魔臭いって、何回も言ってたのも知ってるんだよ。ぼくは、ぼくは聞いてた。ぼくのことも、鬱陶しいの……? ぼくは、ぼくも、お母さんに必要ないの……? 邪魔なの? ぼくは、本当の子供なのに……あいつとは、違うのに……』
『ち、ちが……』
逃げた。
聞いていられなかった。
心臓に氷柱を直接刺された心地だった。
走るままにどくどくとなる心臓がサボっているのか、血の気はどんどん引くような気持ちで、冬の雪に全裸でいるように凍死でもしてしまいそうなくらい寒かった。
公園のベンチ。倒れるようにもたれかかる。
息を整える。
汗か、涙か、涎なのか。
よくわからない液体が落ちていく。
ああ、ああ、と、言葉にならない声が漏れた。
それは、とどめであった。
それだけではない。これだけなら、きっとアベルは耐えることができた。
蓄積されたものが、噴出したのだろう。見ないように頑張っていたもの。海にさらされたもの。海の憎悪。父の言葉。否定のない亨恵の反応。父に向けたそれすら嘘だったのかという絶望感。いつまでたっても、欲しいものが得られないままの人生。
おそらくは、この辺りでアベルという器は割れてしまったのだ。
それからは、アベルは家族を求めなくなった。
もうどうやったって得られぬという事を理解し、納得したというよりも、それは諦めだ。割れて流れ出す器に、情熱は注げない。
ただ、笑顔を張り付けて過ごした。からっぽの顔を、不審に思う存在は家にも周りにもいなかった。皮肉にもその表情は、2人にもよく似ていた。父と、義母と、同じよう。
海が、陥れるような情報を巻いて、評判を落とした時にも、もうアベルはなんとも思わなかった。くるくると回る手の平に、何を思う事もない。
高校を卒業すると同時に家を出た。
行先も告げないままに、家を出た。
そこにいたくなかったし、居ようと思えなかった。どうせ、追おうとも思わなかったろうとわかっている。むしろ、せいせいしたと思うだろうという確信。
ただ知らない場所にいって、その日暮らしのような生活を始めた。
日雇いのバイトをしながら、てきとうに過ごしたのだ。
そういうお店にはまったのはそのあたりだった。
そういう経験が亨恵くらいであり、それも終われば人気があろうと目を向けず、ずっと禁欲的に過ごしてきたといって良かった反動か、はじけていた。
欲がはじけていたと思っていた。少なくともアベル本人はそう思っていた。
食費を削るレベルで通い詰めていた。馬鹿といわれるレベルだ。そのうち破滅するとも、そう言われて仕方ないレベルで金をつぎ込んでいた。
はしごするようなやりかたではなく、1つに通い詰めていく。
気付いていながら、気付かないふりをして、考えたくないから頭を空っぽにして。
そうして、いつ終わってもおかしくないような生活を繰り返して行く中で――終わってしまう前に、いつの間にやらダンジョンという場所に、アベルは立っていたのだ。
0
お気に入りに追加
12
あなたにおすすめの小説

どこかで見たような異世界物語
PIAS
ファンタジー
現代日本で暮らす特に共通点を持たない者達が、突如として異世界「ティルリンティ」へと飛ばされてしまう。
飛ばされた先はダンジョン内と思しき部屋の一室。
互いの思惑も分からぬまま協力体制を取ることになった彼らは、一先ずダンジョンからの脱出を目指す。
これは、右も左も分からない異世界に飛ばされ「異邦人」となってしまった彼らの織り成す物語。
魔人に就職しました。
ミネラル・ウィンター
ファンタジー
殺気を利用した剣術の達人である男、最上 悟(さいじょう さとる)。彼は突然、異世界に転移してしまう。その異世界で出会った魔物に魔人と呼ばれながら彼は魔物と異世界で平和に暮らす事を目指し、その魔物達と共に村を作った。
だが平和な暮らしを望む彼を他所に魔物達の村には勇者という存在が突如襲い掛かるのだった―――
【ただいま修正作業中の為、投稿しなおしています】

半分異世界
月野槐樹
ファンタジー
関東圏で学生が行方不明になる事件が次々にしていた。それは異世界召還によるものだった。
ネットでも「神隠しか」「異世界召還か」と噂が飛び交うのを見て、異世界に思いを馳せる少年、圭。
いつか異世界に行った時の為にとせっせと準備をして「異世界ガイドノート」なるものまで作成していた圭。従兄弟の瑛太はそんな圭の様子をちょっと心配しながらも充実した学生生活を送っていた。
そんなある日、ついに異世界の扉が彼らの前に開かれた。
「異世界ガイドノート」と一緒に旅する異世界

【ヤベェ】異世界転移したった【助けてwww】
一樹
ファンタジー
色々あって、転移後追放されてしまった主人公。
追放後に、持ち物がチート化していることに気づく。
無事、元の世界と連絡をとる事に成功する。
そして、始まったのは、どこかで見た事のある、【あるある展開】のオンパレード!
異世界転移珍道中、掲示板実況始まり始まり。
【諸注意】
以前投稿した同名の短編の連載版になります。
連載は不定期。むしろ途中で止まる可能性、エタる可能性がとても高いです。
なんでも大丈夫な方向けです。
小説の形をしていないので、読む人を選びます。
以上の内容を踏まえた上で閲覧をお願いします。
disりに見えてしまう表現があります。
以上の点から気分を害されても責任は負えません。
閲覧は自己責任でお願いします。
小説家になろう、pixivでも投稿しています。

俺のスキルが無だった件
しょうわな人
ファンタジー
会社から帰宅中に若者に親父狩りされていた俺、神城闘史(かみしろとうじ)。
攻撃してきたのを捌いて、逃れようとしていた時に眩しい光に包まれた。
気がつけば、見知らぬ部屋にいた俺と俺を狩ろうとしていた若者五人。
偉そうな爺さんにステータスオープンと言えと言われて素直に従った。
若者五人はどうやら爺さんを満足させたらしい。が、俺のステータスは爺さんからすればゴミカスと同じだったようだ。
いきなり金貨二枚を持たされて放り出された俺。しかし、スキルの真価を知り人助け(何でも屋)をしながら異世界で生活する事になった。
【お知らせ】
カクヨムで掲載、完結済の当作品を、微修正してこちらで再掲載させて貰います。よろしくお願いします。

日本帝国陸海軍 混成異世界根拠地隊
北鴨梨
ファンタジー
太平洋戦争も終盤に近付いた1944(昭和19)年末、日本海軍が特攻作戦のため終結させた南方の小規模な空母機動部隊、北方の輸送兼対潜掃討部隊、小笠原増援輸送部隊が突如として消失し、異世界へ転移した。米軍相手には苦戦続きの彼らが、航空戦力と火力、機動力を生かして他を圧倒し、図らずも異世界最強の軍隊となってしまい、その情勢に大きく関わって引っ掻き回すことになる。

やさしい異世界転移
みなと
ファンタジー
妹の誕生日ケーキを買いに行く最中 謎の声に導かれて異世界へと転移してしまった主人公
神洞 優斗。
彼が転移した世界は魔法が発達しているファンタジーの世界だった!
元の世界に帰るまでの間優斗は学園に通い平穏に過ごす事にしたのだが……?
この時の優斗は気付いていなかったのだ。
己の……いや"ユウト"としての逃れられない定めがすぐ近くまで来ている事に。
この物語は 優斗がこの世界で仲間と出会い、共に様々な困難に立ち向かい希望 絶望 別れ 後悔しながらも進み続けて、英雄になって誰かに希望を託すストーリーである。

大和型戦艦、異世界に転移する。
焼飯学生
ファンタジー
第二次世界大戦が起きなかった世界。大日本帝国は仮想敵国を定め、軍事力を中心に強化を行っていた。ある日、大日本帝国海軍は、大和型戦艦四隻による大規模な演習と言う名目で、太平洋沖合にて、演習を行うことに決定。大和、武蔵、信濃、紀伊の四隻は、横須賀海軍基地で補給したのち出港。しかし、移動の途中で濃霧が発生し、レーダーやソナーが使えなくなり、更に信濃と紀伊とは通信が途絶してしまう。孤立した大和と武蔵は濃霧を突き進み、太平洋にはないはずの、未知の島に辿り着いた。
※ この作品は私が書きたいと思い、書き進めている作品です。文章がおかしかったり、不明瞭な点、あるいは不快な思いをさせてしまう可能性がございます。できる限りそのような事態が起こらないよう気をつけていますが、何卒ご了承賜りますよう、お願い申し上げます。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる