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4つの点がそこにある。出来上がるのは三角形
しおりを挟むアベルという存在は、ずっとなりたいと望んだ1番になれなかった存在である。
「クソ! あの女、子供だけ置いて――」
アベルは、きっと、父だと思ってる存在は善良な人間だったと確信している。彼はよくアベルに悪態をついたが、それでもそうだと。
でなければ、だれが血のつながりのない置き去りにされた托卵の子の面倒を見ようなどと思っただろうかと、そう考えるからだ。
しかし――そこに、無償の愛はなく。1番であることなどありえなかった。
そこにあるのは、仕方ないという妥協であり、さすがに捨てるのはという己と良心が戦って良心が勝ったという結果にすぎないことも、アベルは理解していた。
そういうことを理解したのはもう少し先の話で、その時はまだまだ子供のアベルであったが、自分が捨てられて、父親が少しだけ、でもたどり着けない距離に離れてしまったのだという事だけは、理解してしまっていた。
アベルの父は、アベルを連れて今いるところを離れ、日本に行くことにした。アベルの父は日本人であって、ここにいるのは仕事と、妻であった存在がいたからにすぎなかったからだ。
だから、忌まわしい思い出を切り替える意味でも、里である場所に変えることにしたのだ。
そうして、移動すれば、アベルの存在は子供の中で目立つ存在だった。
アベルはハーフではない。
子供というのは、自分と違う存在に対して時に直情的に反応する。
しかし、アベルはことを荒立てるタイプの子供でもなかったため、特にいじめられるという事はなかった。体格が良かったことも、うまく作用している。
ただ、なじむことができないままだった。体が大きく、力が強く、目つきが鋭く――違うことが、そして、アベル自身関わるということに少し恐怖を覚えていたことが、いいように作用しなかったからだ。
「アベル、挨拶をするんだ」
少しだけ時計の針を進めた後、なじむことができないが平和な時間を過ごした後、1人の女性に挨拶することになった。
母になる人だ。
その意味はよく理解できなかったが、アベルはよく覚えていない存在だったため、嬉しく思った。
「アベル君、チョコレートが好きなの?」
アベルの父の再婚相手であるアベルの父よりもいくつか若いらしい亨恵という女は、アベルに優しくしてくれる人だった。
自ら子供好きと語る程度に子供を相手することを好んでいるらしいことも影響して、たいそうアベルの心を温めた。きっと、著しく悪い方向に傾くことがなかったのは、優しさというものに触れることが少しでもできたからだとアベルは大きくなった後に思う。それだけ、自らに優しさを長く向けてくれる存在というものがいなかったのだ。
アベルにとって生みの親である母は、アベルをゴミのように見ていた。製造元である男のほうは顔すら知らない。
父であると思っている存在は、善良ではあったが、親の愛情を注いではいなかった。
友人は、できなかった。
どこにいても、アベルという子供は愛情を注がれない子供だった。
だから、それが母の愛ではないことを理解していても――その女が、実際は子供好きという陰に隠れたそういう趣味だったとしても。
アベルは、優しくしてくれることが嬉しかったのだ。
初めて優しくしてくれたから、それがもっと欲しかった。
色々な初めてが与えられていた。初恋も恐らくはそうだった。
それが虐待等と呼ばれる行為であることだとは、後で知ることにはなったものの、悪しき感情はついぞアベル自身が思う事はなかった。そう思える幸福な下地がないからだった。
「弟が生まれるんだよ」
そういった義母が大きくなった腹を見せてくるとき、兄弟ができるのかという嬉しさと共に、嫌な予感というものも確かに存在していた。
子供だからだ。
それは、はっきりと自分にない、血のつながりというものがある子供だから。
――兄弟だろうか?
と、アベルに疑問の種が落ちる。
――兄弟だと思ってくれるだろうか? 彼は、自分を一人っ子だと思うのではないだろうか?
と、その種は育ち続ける。
――だって、僕は誰とも血のつながりがなくて、誰とも家族らしいことはないのに。
家族というものが、一般的にどういうものなのか、知る程度には大きくなっていた。
アベルは、どちらかといえば優秀な人間である。
知識を蓄えるのも容易かった。
褒められるべきそれは、ただ自身の不安を肯定してしまうだけだったけれど。
「海っていうんだよ」
アベルにとって、弟が。
アベルの父と母にとっての、初めての子供が生まれた。
その海と呼ばれた赤ん坊は、父と母の目と同じ黒をしていた。
「……お前の目を見ると、アレを思い出すな」
と、呟かれたことをずっと覚えている。そうでなくとも苦々しい顔をされるからアベル自身も嫌いになった、青い瞳と違う黒い瞳。
海という響きで、ふと、どこかで聞いたか見たかした『アベルとカイン』というものを思い出した。
あぁ、でも、少し違うし、逆だなと、そんなことを思いながら。
自分は弟ではなく、実際には兄弟とは呼べない存在だけれど、愛されるなら殺されたって良かった。
と、そんな事を少しだけ考えた。
「ごめんね、海の世話があるから」
「亨恵に迷惑をかけるな、アベル」
義母は優しくなくなったわけではないが、相手をするようなことはなくなっていた。それから、接する時間も少なくなった。一人でいることが、遠くで見ていることが、多くなっていった。アベルの父は、元からそうアベルの事を相手にしない。
母性に目覚めたのだろうか、海を愛しげに見ていたこと、それを綺麗にも思ったこと、それが強烈にアベルの記憶に焼き付いている。
気付いたのか、それとも気付いていなかったままの感情の流れか、アベルの父がそのあたりからアベルが亨恵や海に近づくことを厭うようになったことも、亨恵と接する時間が減った原因だ。
アベルが、アベルの父が、親の顔をしているところを初めて見たのはこのあたり。
驚愕であり、納得でもあった。
(父さんの、父さんである、親の1番は海。亨恵さんの、相手の1番が父さんで、母である1番は、海――あぁ、そうか。1番は席は1つじゃないけど、数が決まってて、それに座れないと、1番じゃないと、愛情というものはもらうことができないものなのか)
そうして、アベルに極端な理論が根付いてしまったのは、そのあたり。
特別に暴力を振るわれたわけではない。
特別に何か食事を抜かれたりしたわけでもない。
何か必要な道具等が与えられないということもない。
しかし、それでも。
アベルの心はずっと風にさらされて、冷めていくばかりだった。
産まれてから、ずっと。
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