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要望書

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寮夫は、目を反らしながら和彦に言った。

「先生のお風呂の時間、悪いけど変えてもらえんだろか」

教師のみの入浴時間は原則的に六時からの七時の間。

七時からは生徒達の入浴時間になる。

教師の都合が悪ければ、早めに言えば好きな時間に変更できる。

和彦にとって、風呂の時間の変更など、さほど気にすることも無かった。

「いいですよ。何時になるんですか?」

気軽に言った。

「最後の十時半からにしてほしいんじゃが。先生に最後に入らせるのは、申し訳無いが、生徒達の頼みでな。なんでも、先生の入った後は汗臭くて、お湯に脂が浮いて汚いと言うんですわ。体育の先生だから汗をかいて当り前って言ったんだが、一人二人じゃなく、何人も言ってくるのでな。すまんな。あと、ご飯も部屋に運ばせてもらいます。先生の体臭で食欲落ちるらしいんですわ」

真面目で、融通の効かない寮夫。

言わなくていいことまでを和彦に告げた。

生徒との親睦の為と命じられた泊り込み。

自体は、悪くなるばかり。

部屋に帰ってすぐ寮夫が昼食を運んできた。

「これからは、食事をしたくなったら内線で電話をください。持ってきます」

食欲が無く、半分も食べられない。

これじゃ、イジメじゃないか・・・

和彦は、今までに知らない悪意にさらされている自分を感じた。

同僚達は、当てにならない。

それどころか、学年主任などは鬼の首を取ったように責め立ててくるだろう。

校長に泣きつくのも、大の男として情けない。

大体、泣きつくとして何と言う?

生徒が僕をいじめますとでも?

くくくっ

和彦は、自嘲的に笑った。

精神的にまいり始めた証拠だ。

ふと、藤崎竜之介の顔、姿が心に浮かぶ。

奴なら、俺を・・・守ってくれる・・・?

同時に、プールに飛びこむ彼の躍動的な後ろ姿、爽やかな笑顔を思いだす。

胸がザワッと揺れる。

水の中から、片手を上げた瞬間に露にされたまだ幼さの残る柔らかそうな腋毛がまぶしかった・・・

な、何を考えているんだ、俺は・・・
彼は、生徒だ。

それを・・・

とにかく、俺の問題に生徒を巻きこむわけにはいかない。

扉を通して、生徒達の足音や声が聞こえる。

それが、怖い。

風呂の湯が汚れる、、、

飯が不味くなる、、、

融通の利かない寮夫さんが嘘を吐くはずがない。

そんなに俺は嫌われているのか、、、

こみあげてくる吐き気を抑える。

監獄のような寮の部屋。

ここに居るのが怖い。

和彦は逃げるように寮を離れ、体育教官室へと向かう。

土曜は授業はなく、教師は事務整理が終われば帰って良い。

だが、部活の指導等で校内に居る教師も多い。

ただ、居るといっても部活の活動場所か教員室だ。

体育教官室には、まず誰も来ない。

和彦は生徒だけでなく、教師にも会いたくはなかった。

体育教官室の自身のデスクに座る。

だが、何もやることはない。

かつては、ここで教則本や教育用DVDを前にやる気に満ちていたが、今は、そんな気にならない。

逃げてきた体育教官室も無味乾燥だ。

学年主任に散らかっていると嫌みを言われ、体育科主任の号令のもと非常勤の体育講師の手も借り、大掃除をし、整理整頓したため、ガランとした雰囲気になっている。

気は晴れない。

和彦は脱力したように座っている。

つぅっと一筋の涙が目から頬に伝う。

ぽっかりと心に穴が空いている。

俺って、こんなに惨めな存在だったのか、、、?

暫くぼうっと過ごす。

いや、ダメだ、、、ネガティブになっちゃダメだ、、、

和彦の中の潰されかけの矜持、男として、教師として、スポーツマンとしてのプライドが萎れかけている心を鼓舞する。

どんな時も負け意識を持っちゃダメだ。

こんな暗い部屋に居るのがいけないんだ。

こういう時は、身体を動かそう。

トレーニングで精神統一を図るんだ。

和彦は立ち上がる。

涙を拭う。

そして、キーボックスから鍵を取り出した。

ロッカーを開けかけ、着替え等の私物は一旦寮へ持ち帰ったのを思い出した。

学年主任が、私物をロッカーに置いておくのは禁止、さらに、体操着、タオルなどを置きっぱなしにしておくと不潔と言ってきたからだ。

まぁ、いい。

和彦は思う。

落ち込んでいた反動でヤケ気味になっている。

和彦はスーツ姿。

それでも良い、、、

と、思う。

体育館脇の階段を駆け上がり、普段は施錠されている屋上への扉を鍵で開ける。

屋上。

空が青い。

風も心地好く吹いている。

和彦は大きく深呼吸をする。

2度、3度。

ローファーを脱ぎ、さっと靴下も取る。

ジャケットは、体育教官室に置いてきた。

ワイシャツのボタンを開け、胸元をはだける。

そして、腕立て伏せを始める。

深く腕を曲げる。

ワイシャツの生地越しに和彦の二の腕が膨らむのが分かる。

和彦の鍛えられた身体は真っ直ぐに伸び、規則正しく上下する。

五回、十回、十五回、二十回、、、

回数を重ねていく。

和彦の額、首に汗が滲む。

やがて粒となり、屋上のコンクリートにポタポタと落ちる。

フゥーッ、、、

大きく息を吐くと和彦は立ち上がる。

爽やかに切り揃えられたうなじから汗が首へと流れる。

汗に濡れた肌にワイシャツの生地が張り付く。

一瞬、戸惑うように張り付いたワイシャツを眺めると、意を決したように和彦はワイシャツを脱ぎ捨てる。

タンクトップ姿。

肩から腕にかけてのただでさえ鍛えられた腕がパンプアップされて剥き出しになる。

初夏の日差しが、和彦の肌に浮かんだ汗を輝かす。

風が吹く。

空にはうっすらと白い雲もなびき爽快だ。

景色も良い。

3階建てで、それぞれの階が球技のために背が高く設計されているため、体育館の屋上が校内で一番高いところにある。

だから、遮るものがなく回りを見渡せる。

和彦は大きく深呼吸をする。

嫌なことは、今、忘れよう。

身体を動かし、自分自身を奮い立たせるんだっ!

“筋肉しか取り柄がない、、、”

“脳ミソもキンニク、、、”

急に生徒の悪意のある言葉が脳裏によぎり、和彦の顔がビクンと痙攣する。

心の傷が開きかける。

が、それを覆い隠すように別の声が思い出される。

“カズ先生、らしくないよ、、、すごく鍛えられた筋肉じゃないか、、、自信を持たなきゃ筋肉に失礼だよ”

藤崎竜之介の言葉。

和彦の肩に手を回し、グイッと引き寄せられた。

その笑顔。

男っぽい顔をクシャッとさせ和彦を見ながら笑った。

“カズ先生、近くで見るとスゴく太い腕だな。さわって良い?、、、やった!、、、いつも2年のヤツらが先生の腕とか筋肉を触ってるのをみて、僕も触りたかったんだ、、、”

その声、笑顔、そして、肩に回された腕の力強さ、腕を腹を嬉しそうに触った掌の暖かさ。

和彦の心に明かりを灯す。

傷が癒されていく。

そうだ、、、

自分で自分を否定してどうする。

俺は今まで体操に必死で打ち込んできたんだ。

恥ずべきことではない。

少しでも難易度の高い技をこなすために、少しでも高く、力強く跳ぶために、、、

必死のトレーニング。

その結果、身に付けた筋肉だ。

別にそれを誇ろうとは思っていない。

けれど、それしか取り柄がないと言うのなら、言わしておけば良い。

脳ミソがキンニク?

上等だ。

そう思うなら、そう思え。

和彦は、落ち込んでいた反動でハイになっていたのかもしれない。

急に襲った高揚感からタンクトップを脱ぎ捨てる。

上半身が露になる。

そして、スラックスも脱ぎ捨てて、パンツ一枚になる。

不思議な解放感が和彦を襲う。

そうだ、、、

俺は、こともあろうにホームルーム中に素っ裸にされちまった、、、

だが、くよくよしちゃいけないっ!

もう終わったことだ。

俺は、男だッ!

裸を晒して何が恥ずかしいっ!

パンツ一丁で運動して何が悪いっ!

そして、その場でバク宙をする。

続いて連続バク転を三回軽やかに決める。

両腕で身体を支え、両脚をVの時に開きバランスを取る。

その体制から下半身を垂直に上げ、ピンと倒立を決めた後、脚を水平に開脚する。

その体勢でキープする。

腕が、腹が、脚が、プルプルと痙攣しても、体勢を崩さない。

血管が浮き上がる。

顔を真っ赤にして必死の形相だ。

まるで自身の忍耐に挑戦するよう。

今日の和彦が履いているのは若者らしいデザインのブリーフだ。

白が基調で、赤の鮮やかなラインで彩られているファッションブリーフ。

前部はボリュームたっぷりに盛り上がっている。

両腕でのバランスを終えた和彦は鮮やかに身体を翻しスックと立つ。

ここ数日の心労で脂肪が落ちたのだろう。

見事にシェイプアップされ、筋肉の筋が美しく浮き上がっている。

両掌を組み、空に向かって伸ばす。

只でさえ絞り上げられていた筋肉がさらにしなやかに伸び、浮き立つ。

まるで太く頑丈なロープを紡ぎ合わせ、さらに表面を滑らかにコーティングしたような身体だ。

青空に伸ばした身体が気持ち良かったのか、和彦は脚の、背筋の、腕のストレッチを入念に行い始める。

最後は片足に手を添え、上半身にくっつくほどにピンと伸ばし高く上げ、もう一方の足で身体を支えるY字バランスだ。

体操選手ならではの身体の軟らかさを見せつけるようだ。

脚も、上半身もくっきりと分厚い筋肉が浮かび上がっている。

そして、再び、床運動の軽い試技を行い始めた。

その肉体鍛練は夕方まで続いた。

                                              *

生徒達が校舎を去り、寮の各々の部屋に戻った頃、和彦はそっと寮の部屋に戻った。

身体を動かし、良い汗をかき、スッキリとしたが、体育教官室に戻り、高揚が収まると、軽い自己嫌悪に陥った。

ハイになってしまっていた。

自棄糞やけくそに近い異常なハイテンション。

衝動的に身体を動かしたくなり、下着一枚で運動してしまった自分。

だが、ここ暫くの間、感じることが出来なかった解放感を味わったのも事実だ。

汗まみれの肌に脱ぎ捨てたワイシャツを素肌に羽織り、スラックスを履く。

すぐに汗が生地に染みる。

だから、汗臭いって言われるのか、、、

とぼとぼと階段を降りた。

軽くシャワーを浴びるか?

だが、タオルがない。

身体を動かしたいのなら、一度、寮に帰ってジャージと着替え、タオルを持ってくれば良かったのだ。

自分を責める負のループが戻ってくる。

私物を持って帰ったために、タオル類は体育教官室に置いていない。

生徒達が寮に戻るのを伺い、体育教官室を出た。

教師用の部屋は玄関の近くだ。

人が居ないときを見計らってさっと入るのだ。

本当ならすぐに人風呂浴びたかったが、入浴は最後にしろと言われている。

部屋に入り、服を脱ぎ捨てる。

そして、乾いたタオルで身体をゴシゴシ拭う。

何度も匂いを嗅ぐ。

臭いと言われたのを気にしている。

寮夫さんに電話をして食事を持ってきて貰う。

その時も、自身から、そして、部屋から汗臭い匂いがしていないか気にしていた。

夕食は半分程度しか食べられなかった。

テレビを見る気にもならず、スマホをいじる気にもなれない。

暗澹としながら、ようやく和彦の入浴時間が来る。

汗の残る肌を早く洗いたかったが、、生徒に会いたくなく、気配が消えるのを待ち、時間を遅らせて浴場に向かう。

しかし、脱衣場には、複数の生徒が居た。

規則違反だ。

「す、すまん。入っていいか?」

それなのに、堂々としていていいはずの和彦が遠慮した態度をとってしまう。

生徒は、来ちまったというような顔で、急に黙り、服を着て、教師を無視したまま、外に出る。

最後の生徒が出掛けに振り返る。

「先生」

藤崎以外で彼に話し掛けた生徒は久しぶりだ。 

「な、なんだ?」

思わず笑みを作り、すがるように聞く。

「そこに、先生当ての手紙が張ってあるぜ。読んどきな」

ギャハハハハ、、、

馬鹿にしたような他の生徒の笑い声が続く。

無礼な態度だ。

和彦には、その態度をとがめる気力も無い。

浴場につながるすりガラスに、確かに紙が貼ってある。

                                                *

                                             要望書

杉山和彦キンニクぶた殿

                                               差出人           生徒一同

貴殿は、汗臭く、暑苦しく、鬱陶しい。

よって以下のことを要望する。

1.廊下で我々とすれ違うときは、十分な距離をとっていただきたい。

2.食堂の使用は、我々の居ない時間にしていただきたい。

また、テーブルに、臭く汚い汗が残らぬよう気をつけていただきたい。

残った場合は拭くこと。

3.入浴は、我々の後にしていただきたい。

また、入浴後は貴殿の脂の浮いた残り湯は、不衛生なためすぐに流していただきたい。

4.生徒が恥ずかしくないまともな下着を身に着けていただきたい。

体しか自慢が無いことは理解できるが、破廉恥な透けた下着を身につけ、
事もあろうに教室でその姿を晒すことは、今後一切止めていただきたい。

醜悪である。

                                                                    以上 

                                        *

脱衣場で和彦は呆然と立ち尽くす。

顔は絶望に歪んでいる。
  
                              
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