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終焉 吉宗のお捌き

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「彦四郎、余の考えを今から述べるが、今日は無礼公ゆえ、其れについて孫市 四郎右衛門、忠相 壱岐助も 皆が忌憚なき意見を述べよ、遠慮は無用じゃ、彦四郎其方も当事者として意見を言うのじゃ」


「奥越も神鶴も幕府に知られぬ事を、いい事に鬼怒ケ沢の砂金を藩の財政に水増し、中山道の宿場のある下前田より潤っていたやもしれぬ。それを示すのが、領民の暮らしぶりじゃ、しかし下前田は奥越、神鶴両藩より格段によい立地に領地が広がっているにもかかわらず、藩主亡き後は世継ぎが元服前の幼子をいいことに 私腹を肥やし、下前田の立地を生かす政を顧みず、他藩の内情の詮索に精を出しておった。その挙句が 今回のお家騒動と余は考えておるが、どうか?」
吉宗は 幕府最高権力者としての、私見を披露した。


「畏れながら…」

「孫市、言うてみよ」
吉宗の一声で一同が 加納久通を注視する。

「畏れながら、上様 大変申し上げにくきことながら、元禄の御代 あの狂乱の時勢、賂(まいない)が至る所で蔓延り、奥越、神鶴 両藩が正直に幕府に奏上して、果たして公方様まで届いていたか、はなはだ怪しき事と孫市、思い巡らせまする。然るに、両藩藩主は、その財を民百姓の暮らしぶりが豊かになるように用だてていたのではありますまいか!」

「ふむ…四郎右衛門  其方はどう思う?」

吉宗は有馬氏倫に意見を求めた。

「畏れながら、孫市の意見、確かに一理あると思われまする、しかし、それを是とし、見過ごせば、幕府の御威光は地に落ちまする。
やはり どのような沙汰が降りようと、領地の石高以上の収益があるのであれば、石高見直し、若しくは領地変えが御政道かと、存知ます。」

壱岐助っ何か言いたそうだな…」
吉宗は末席に座す小姓番組頭小笠原政登に意見を聴いた。

「はっ、上様、皆々様 この壱岐助 政事のいろはについては、とんと疎く全くの素人の意見と捨て置きくだされて、あえて述べさせて頂くならば、  奥越藩主結城勝兼様、跡取りなき後は奥越藩領地は幕府お召し上げを覚悟されていた由。僅かな望みは、上様がまだお若きころ綱吉公より拝領した葛野藩と隣接していることから、上様が由宇姫を娶って下されば、奥越も紀州藩の領地となり安泰と考えていたのでは無いでしょうか?その為何としても奥越の民百姓が潤い、領地としての価値を高めておく必要があったのでは?と浅はかにも思い至ったしだい…」

「うむ、壱岐助の話しはまんざら空けたはなしでもあるまい」

唯一吉宗が奥越藩へお忍びで下向した時加納久通は共の者として結城勝兼、由宇姫に会っていた。



「さて、彦四郎、其の方もこの幕閣重臣を前に思いの丈を全て述べれば良い、こやつらは余がまだ紀州の部屋住時代からの同胞である。今日は有馬の屋敷で一日、紀州に戻って自由気ままに 同胞と語りたいのじゃ。其の方が腹に思う事一切吐き出したとて、此奴らはそれを元に其の方等一党を裁くことは致さぬ。…」

吉宗は彦四郎に本音を尋ねる。

「下より、こうして上様はじめ、幕閣御重臣の方々を前に今更隠しだてすること何一つございませぬ。………」

神鶴藩国家老一派の不正蓄財が露見した背景を彦四郎が説明した。

国家老等は国表の於勢の方を誑かし藩主安藤直胤が乱心したと幕府に奏上し詮議する事もなく藩主に謹慎の命が下った。
背景に神鶴の砂金を巡り下前田江戸家老 先の幕閣間部詮房が結託していたことを突き止めた事で猿渡以下江戸詰の家臣が命を狙われるようになった。…


間部詮房は元禄狂乱の世財政逼迫した幕府を立て直すため、諸藩に少しでも不正が疑われる事案が露見すると直ぐ藩を取り潰し、領地を、召し上げていった。

奥越、神鶴両藩のお家の不祥事は幕府にとっては格好の両藩の取り潰しの餌を与えてしまった。

「彦四郎、其方達の脱藩後の足取りも 本日其の方から聴いた事は、余が紀州から連れて参った余が最も信頼しておる薬込め役等が調べあげた内容と相違ない。但し、あくまでも奥越 神鶴両藩への裁きは前の幕閣共が決定した事で、今余がそれを覆せば、徳川幕府を否定した事になる。そうなれば、幕府の威光は地に落ち再び争い起きるやも知れず、それは 避けなければならぬ。わかるか?彦四郎」

吉宗も正義を貫き真実を公にしたいが、其れができない立場でもあった。

「畏れながら、上様におかれましては、我ら元神鶴藩士はこの事実を公に広めよう等とは毛頭考えてはおりませぬ。下より幕府御正道に異を唱えるものでもありませぬ。…ひとえに、我が主人 安藤直胤の潔白を幕府に知っていただきたかったが為、…此度新しき公方様が御決まりになられ、我ら同士皆が動きの監視の気配が薄れた事に懸念を持っておりました。果たして新しき公方様は、どのような御差配をされるのか…と、」

彦四郎は無礼を承知で吉宗に同志皆の心情を伝える。

「ほう、そうであるか、その懸念を感じさせたわ、余の差配もまだまだよの……のう…左馬之助っ………左馬っ 参れっ」

御庭番衆として常に吉宗の影となり表に出る事の無い影の者
普段は江戸城内 正にその名が示す〝御庭番〟として警護の役回りをする最下層の役人であるが、吉宗直々に御下命が降ればその諜報活動
は、全国通津浦々に及んだ享保年間から幕末までもっとも恐れられた組織だった。

下段廊下から正装で現れた新田左馬之助は、下段之間に控えて座礼し平伏した。

「左馬之助っ 面を上げよっ 今日は無礼公じゃ」



「さて、顔触れが揃ったところで、此度の神鶴藩への沙汰申しつける…… 神鶴藩五万石は領地召し上げの〝改易〟とする」

水埜彦四郎は全身が、総毛立つほど、安堵した。改易即ち、多い事例は 藩、藩主の許されざる重罪ではなく、跡継ぎ不在、若しくは藩主の心身の問題で、藩の運営が出来ないと判断された場合の措置だった。

「藩主正室於勢の方は、藩主を乱心と偽りの訴状を幕府に奏上し、挙句国家老と不義密通、この罪状は死罪に値する。しかしながら、女子の弱みにつけ込んだ国家老国部伊織、その背後の下前田藩江戸家老岩井弾膳の格好の餌食にされたとも言える。よって於勢の方は罪いっとうを免じて、剃髪仏門にて蟄居、残りの生涯は亡き夫安藤直胤の御霊の安寧を生涯かけて仏に祈り続けるが良かろう。」

吉宗の沙汰は、この場に同席の大岡越後守から配下に伝わり即刻刑罰が実施される。

「さて、彦四郎よ、其の方の今後であるが、望むところは無いのか?」
水埜彦四郎が下前田を継承すると望めばそのように取り計らう腹づもりだった。


「上様、我が神鶴藩に寛大な御沙汰、水埜彦四郎これ以上望むこと一切ありませぬ。」

水埜彦四郎は吉宗に向かい再び畳に額を押し付けんが如く平伏した。

「では、吉宗に任せると言うのだな、…もう一度問。其の方の自出は
既に明らかになっているとおり、下前田の正統な世継ぎである。其の方が望むならば、下前田の所領減封し、今の藩主から其の方に継承するは容易いが、如何に?」

水埜彦四郎を野に放つには惜しい器と吉宗は感じていた。下前田でしばらく藩主としての手腕を見て先は幕閣に召し上げても、遜色無いだろうと考えていた。

「はっ、上様の御心遣い、水埜彦四郎、畏れ多くそのお尋ねの儀にたいして、どう御返事申し上げたものか…上様の御気分を害しますれば、我が一命としてお詫び申し上げまする、して我が望むところは、現藩主、我が腹違いの弟 池田斉彬様に引き続き下前田藩をお任せいただきたくお願い申し上げまする。我が弟 長年岩井め等の悪事になすすべなく、苦しんでまいりました。幕府に直訴すれば、当時の幕閣と関わりある岩井が必ず我が弟の失脚を画策し、池田の血筋絶やされたやもしれず、畏れながら 〝必ず悪事は正しく裁かれるからそれまではどのように誹りをうけようと堪忍するよう〟に 私めが弟に言い聞かせて参った所存。別邸で静養中と岩井一派を欺き 我が弟には
儒学 律令 兵法など藩主として必要とする教養を身につけて参らせました。望むところは、下前田藩存続と現藩主の復権にほかなりませぬ。我が身は捨てられし時点で亡き存在とわきまえておりまする。」


この場の詮議に同席していた、有馬屋敷当主 幕府御側御用取り継ぎ
有馬氏倫は 「あっぱれっ水埜彦四郎」と扇でパンッと膝を、打ち鳴らした。

「これっ四郎右衛門っ 上様の、前ぞっ控えろ!」
年長の加納久通が 四郎右衛門を、叱責する。

「 あい判った、下前田藩は、〝減封〟領地半分を幕府取り上げに、処す。加納 下前田の召し上げる領地は下前田がこの後も立ち行くよう心して吟味いたせよ!」

「はっ、ははぁ 上様 この孫市に、お任せ下さりませ、決して下前田が、この先困窮するような事無きように召し上げ領地の検分いたしまする。」

加納久通に下前田藩の処理を任せた吉宗は、

神鶴藩は取り潰しとなったが、神鶴藩下屋敷で留め置かれた元藩士は
復職地位保全の上 他の藩への召し抱えを幕府が後ろ盾となりあっせんするよう有馬氏倫に命じ 一部は吉宗直属 御庭番衆に召し抱えられる運びとなった。


「さて、わざわざ 四郎右衛門の、屋敷まで出向いた一番の目的を果たそうぞっ 姫を連れて参れっ」


      …………



有馬氏倫の奥方が駒の右手に手を添えて、下段之間開け放たれた縁側廊下に現れ、二人してその場に座して三つ指をついて座礼した。


「駒姫 近こう参れ、」
吉宗の入室の許しを得て、有馬氏倫の奥方は、

「さ、駒姫様 上様御側近くまで参りましょう…」

下段之間より入室し、新田左馬之助 小笠原政登の座す前を通り、水埜彦四郎の座す前で駒の歩が止まった。


     …お、おんつぁん…

彦四郎は畳に平伏しているが駒には 何故か、その背中が 懐かしい弥比古だと確信した。


上段之間中央に座る吉宗の面前、下段之間で歩みを止めてしまった駒の無作法に、有馬氏倫、その奥方は焦って、駒を動かそうと、添えた手を握り返す。

その緊迫した様子を愉快気に見ていた吉宗が、助け船を出した。

「よい よいっ 彦四郎っ 駒を抱きしめてやれ 其の方が由宇姫、猿渡亡後 駒を育てたも同然じゃ 駒 遠慮はいらぬ。養父に甘えてよいのじゃ!」



     「おんつぁんっ!」


  …………「お駒…」


二人はその場の幕府重臣 時の将軍徳川吉宗の見ている面前であっても、千年山桜の膝下の炭焼小屋でもそうだったように〝おんつぁん〟〝お駒〟と呼びあい 親子同然の抱擁を交わした。


「お駒、父上、母上の言いつけを良く守り、賢き女子に成長してくれたな…」

綺麗に髪を結い上げられ、有馬氏倫の奥方が駒姫の為にわざわざつくらせた銀の簪も愛らしい駒の背中を水埜彦四郎は愛しみを込めて撫でさすった。



  ………お駒と今生で会えるは、今日が最後……
    駒姫様…どうぞお健やかに…

駒の背を撫でる彦四郎の大きな手のひらが僅かに震えていた。

















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