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結ばれた手と手

掲げられたもの・17

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「レイ君……」

 勇者が口を開いた。

「確かに、魔族と和解するんは、難しいと思う。この人と話して、うちがどんだけ無茶なこと言っとるか、分かった。でも……」

 生まれ持った価値観の違いはそう簡単には覆らない。それでも。

「魔族と和解すんのは難しくても、この人と、その子供達とは、和解できると思う」

 今は全てでなくても構わない。ただ、目の前の彼女らとなら手を繋げるはずだ。

「こいつらは馬車を襲った。幸い死者は出なかったが、ここに至るまでにも人を襲っているだろう。それで誰も殺していないとは思えない。そんなやつらと和解できると?」

「うちらも殺した。それに、やられたからやり返す。そんなことを繰り返してたら、いつまでも争いはなくならん。誰かが、どちらか一方がまず相手を殴る手を止めなあかん。その手に持った武器を降ろさなあかん。怒りをぐっと抑えて、もうええよって言わな、争いはなくならん……」

 怒りを飲み込むこと、憎しみを忘れること。言葉にするのは簡単でも、それがどれほど難しいことか。人間同士でさえままならないというのに、元いた世界でもそれはよく分かっていただろうに、それでも彼女はそれを口にする。

 全ては争いは善くないことだと信じているが故。そのためならば自分の命すら惜しくない。人の命を奪うことは善くないことだと言いながら自身の命は省みない、屈折した平和主義。

 それがユウという少女。心に大きな傷を負った、恐怖を失った勇者。

 年老いた母オールドゴブリンが、その身体を支えていた杖を手放してひざまずいた。ともすれば雨の音でかき消されそうな小さな声で何事か呟く。

 雨音の中に、三つ音が響いた。小鬼族ゴブリン達が手にしていた粗悪な棍棒を手放した音だった。

 武器を持った人間の前で、魔族が自ら進んで武器を捨てる。そのあり得ざる光景にレイは息を飲んだ。

 いまだその手の長剣ロングソードは高く掲げられている。振り下ろせば枯れ木のような年老いた母の首など簡単に身体と分かたれるだろう。うつむいて跪いている姿は自ら進んで首を差し出しているようにすら見える。

 だと言うのに、なぜ。その手を振り下ろせない。

 自分の魔族へと恨みはこんなものだったのか。こんな少しばかり魔族が人間らしい情愛を見せただけで刃が鈍るほどのものだったのか。人間と魔族との隔たりはこんな些末な出来事でなくなるようなものなのか。

 レイは葛藤した。今さら魔族に情けをかけるなど、そんなことが許されるわけがない。今までいったいどれほどの魔族の首を落したのかもはや分からないというのに。

 ――どちらか一方がまず相手を殴る手を止めなあかん。その手に持った武器を降ろさなあかん。怒りをぐっと抑えて、もうええよって言わな、争いはなくならん……。

 先ほどユウが言った言葉が頭を過る。小鬼族達は先に武器を降ろした。目の前で仲間が殺されているのにも関わらず、その怒りを収めた。

 ――結局、振り上げられた長剣は、そのまま背中の鞘へと納められた。一の騎士団ナイツ・オブ・ザ・ワンを退団することになるかもしれないとレイは思った。

「……一月、ここで待て。その間、近くの人間にはこの一帯に近づかないように言っておく。再び俺達が戻ってくるまでに、人間を襲ったり、ここから逃げたのなら、必ず見つけ出してその首を落す」

「――感謝スル」

 そして騎士はきびすを返した。魔族に感謝された者を人間にとって対魔族の象徴である騎士と呼んでいいのかは疑問だが。

 しかし、レイの信じる騎士道では、武器を持たない者は斬らない。少なくとも彼の信じる騎士道は貫かれた。

「ありがとう……レイ君……」

 そう呟いて安堵したユウは、またあの微笑みを浮かべた。緊張感の欠片もない、あのとろんとした笑顔を。

「セッちゃんも、ありがとう。ごめんなぁ、何も言わずに出てきてしまって」

 脱力したユウの身体を支えていたセラは、その笑顔を、その壊れた笑顔を直視することができなかった。

 華奢きゃしゃな身体を抱きしめる。雨で濡れた少女の身体を温めるように。

「どうして……どうしてこんなことをするの……!私達が間に合わなかったら、殺されていた……」

「ごめん……でも、大丈夫やったから……」

「今回は大丈夫だったけど、次はこうはいかないわ……。相手がもっと危険な魔族だったら?一瞬で殺されるか、最悪、なぶり殺されるかもしれない……」

 魔族の中には人間を痛めつけることをたのしむような連中も少なくない。そういった手合いに捕まった人間の末路は悲惨だ。殺してくれと自分から懇願するようなことになる。

 それがどうしようもない現実だ。

「自分の命が大切に思えないなら、私達の事を思い出して。貴女が死ねば、私とレイはあの御姫様に首を刎ねられるのよ……!」

 彼女らしい言い方だった。本当は自分達の首が刎ねられることなど何も心配していない。心配しているのはユウのその身だけ。震える声がそれを雄弁に物語っている。人の感情の機微に敏感なユウがそれに気付かないわけがない。

「お願いだから……貴女を心配する人がいることを忘れないで……!お願いだから、もっと自分を大切にして……ッ」

 痛いほど、ユウの身体が強く抱きしめられる。ユウは抵抗せずに彼女が離すまでジッとしていた。

「……ごめんな、セッちゃん。ごめん……」

 ユウは、自分の肩に雨ではない物が染み込んでいくのを感じていた。

 温かなそれが、ユウの内面へと染み込んでいく。彼女の心の傷へと入り込んでいく。それが染みて、もう痛みを感じなくなっていたはずの傷がずきずきと脈打った。それでも自身からそれが溢れることはなかった。

 その痛みは決して不快なものではなく、むしろ心地よいとさえ思った。

 流された雫が一滴一滴、彼女の天秤の上皿へと溜まっていく。いまだその天秤は彼女の命を高く掲げていたが、それがほんの少し、下がった。
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