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前編 第三章「動き出す歯車」

自己犠牲

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 パラケルスス達が逃げ込んだ小屋の周囲は、マイラが応援を要請した兵士――特に手練が囲っていた。
攻撃を仕掛けることもなく、ただ二人を警戒している。
 包囲されていることに、パラケルススは気付かなかった。
否、気付ける余裕もないほど衰弱していたのだ。普段の彼であればありえないことである。

「……〈無上なるインヴィンシブル復活・リカバリー〉」

 パラケルススが唱えたのは、彼の持っているスキル。彼がヒーラーとしての効果を最大に発揮できるものだ。
 たとえ瀕死だとしても、たとえ食らった攻撃がXランクの魔術だとしても。それら全てに対して有効で、〈無上なるインヴィンシブル復活・リカバリー〉はどんな状態からでも完全回復を可能とする。
 範囲回復は不可能であれども、単体向けに特化した最高級の回復スキルだ。

 そしてパラケルススは、〈無上なるインヴィンシブル復活・リカバリー〉をユータリスへと使用した。

 ユータリスに刺さっていた矢は自身で抜いたとしても、傷は残ったままだった。
しかしスキルを使用することによって、その傷も体の疲労も、魔力も全て回復した。

「……何を、為さってるんですか?」
「これ、は……自分の回復……スキルですぞ」
「そんな事存じております! 何故、今、私に、と聞いているのです!」

 自分よりも上の存在であるパラケルススに、声を荒らげるなどと言うのは無礼な行いだろう。
ユータリスがそれを一番分かっている。
 だがそんなことを差し置いて叫んでしまうほど、状況が理解できない。今の戦況を考えれば、先に回復すべきなのはパラケルススだ。
光属性の矢に直撃したパラケルススは、時間を追うごとに衰弱していく。
 アリスにとって必要とされるのは、知識か回復か。修道女か錬金術師か。レベル180かレベル200か。考えれば分かるはずだ。
それに知識は元々、ヴァルデマル達から得ていた。ユータリスは誰かの代わりでしかない。

 だがヒーラーは? ホムンクルスは?
もちろん魔術を得意とするルーシーでも可能だろう。だが彼女もいずれ別の仕事を、魔術専門の仕事を頼まれる。
 それに何と言っても、治癒と錬金術に特化したパラケルススと、魔術を知っているだけのルーシーでは差が開いてしまう。
 そもそもアリスがわざわざそこを分けて生んだ、という以上はパラケルススは必要不可欠な存在だということなのだ。

「このスキルは……自分に使えば、クールタイムが発生します。その間に満身創痍のあなたは生きて……いられますかな?」
「……ッ!」

 パラケルススの言う通りだ。
ユータリスの怪我は彼よりも軽いとはいえ、元々のステータスはユータリスが下。このまま待機していては死んでしまう。
 まだパラケルススが生きている以上、下手に自身に使うのはいいことでは無い。

「――良いですか。あなたは、アリス様に……連絡を取るのです」
「……はい、ですが……」

 ちらりとパラケルススを見やる。
冷や汗をかいて、血が滴り、明らかに普段よりも顔色が悪い。強気に振る舞っているものの、〝時間〟が近いのは丸わかりだ。
 だが心配をかけまいと、気丈に振る舞っている。自分よりも弱い存在を、不安にさせないように。

「悪魔のあなたが心配だなんて、天地がひっくり返りますな。この程度、治療せずとも自分は死にませんぞ、いやむしろ死んでおりますな! アンデッドですから、ヌハハハ」
「……わか、りました。少々お待ち下さい」

 震える声を我慢しながら、ユータリスは連絡を取る。
すぐに出てくれと祈りながら、アリスが応答するのを願いながら。

『ほいほーい、アリスだよーん』
「も、あ……申し訳、ありません」
『――どうしたの』

 何も知らないアリスは、いつものお気楽なトーンで連絡に応じた。
しかしながら抑えきれていない震えるユータリスの声を聞いて、すぐにそういう場合ではないと察する。
 真面目なトーンで返事をしたアリスに、ユータリスは少しだけ安心感を覚えた。
この状況をも打破してくれる、ユータリスにとっての神なのだと。

「勇者の襲撃に、あいました。私の……せいです」
『どうしてユータリスが連絡してるの。パラケルススはどこ』
「側におりますが、その……酷く怪我を負っております」

 ユータリスがそう告げると、少しだけ沈黙が降りた。しばらくしてアリスが続ける。

『……そう。まだ耐えられそう?』
「本人はそう仰ってます……。あ、あの方は! あの方は、死ぬ危険があると分かって――」
『もういい。分かったよ、ユータリス』
「……っ、アリス様……」

 何が「もういい」のか。何が「わかった」のか。
ユータリスには表情が見えない今、その言葉全てが不安に思える。
 ユータリスが理由で死にかけていること?
パラケルススがユータリスを優先してスキルを使用したこと?
 生まれたばかりでこんな危機に直面してしまったユータリスには、何もかもが恐ろしく怯える対象になっていた。

 きっと叱られるだろう、きっと罰を受けるだろう。
しかしそんなことはどうだっていい。罪だとわかっているのだから、喜んで受ける。
だが問題は、己の不甲斐なさのせいで仲間が死に至ることだ。

 しかしそんなユータリスの不安をよそに、アリスの言葉は全てを溶かした。

『確かにパラケルススは、シスター・ユータリスを除いた中で幹部最弱だ。でも、彼らには到達の出来ないたった1レベルの大きな壁がある。なんたって彼はゾンビだよ。そう簡単には死なないし――私が、絶対に。死なせない』
「……っ」

 心強いアリスの言葉に、ユータリスは震え、涙を堪える。
アリスが強い言葉で、〝絶対〟とまで使って誓った――安全。
パラケルススを心配させないためにも、ここで泣いてしまってはいけないのだ。

『…………でもね、ユータリス。無理はしないで。だけど――死なないで』
「はい……」

 通信はそこで切れた。
アリスには報告を上げた。あとはアリスが良いように動く。それを願うしかない。

「……スカベンジャー」

 ユータリスは通信が切れると、すぐにそう呟いた。すると空間が歪み、人間のような何かが現れる。
 ふわふわと浮いてあるそれは、成人男性と形容するべきか。
ガリガリに痩せ細った肉体は、器用に折りたたまれている。巨大な丸い腫瘍のような肉塊が体の隅々に付着しており、それらは顔すら覆っている。
 そしてなんと言っても不気味なのは、腫瘍だけではない。その人の男らしきモノは、体の至る所に臓器のようなものも巻きついているのだ。

 彼の名はスカベンジャー。ユータリスの部下の一人だ。
拷問官としての立場もあるユータリスにとって、それを補佐する役割を担っている。
 ユータリスに限らず、補佐をする為に部下を貰っている幹部が何名かいる。
アリス達に比べるとレベルも能力も劣るが、その主人を助けるには十分な性能を誇っているのだ。

「はい、ユータリス様。スカベンジャーはこちらにおります」
「周囲の警戒を頼みます。私はパラケルスス様に付き添いますので」
「私は戦闘不向きですが、構いませんか?」
「警戒だけでいいわ。何か起きたらすぐに教えて、隠れてくれればいいです」
「了解致しました、我が主」

 そう言ってスカベンジャーは、小屋の外を見張り始めた。
 ユータリスがアリスとの会話を終えたと分かると、休んでいたパラケルススが声をかける。
その声は普段エンプティを馬鹿にしたりするような覇気すらなく、ただこれから死に向かっている者の声だ。
 パラケルススはアンデッドであるゆえに、既に死んでいるのだが――活動が止まるとでも言うべきか。

「どうでした、かな……」
「恐らく、来て頂けるかと……」
「………………そう、ですか」
「パラケルスス様!?」

 パラケルススはふらりとよろめいた。咄嗟にユータリスがそれを支えると、ユータリスに寄り掛かりながらゆっくりと座り込んでいく。
 小屋の中には何も無く、上手く寝かせてやることも出来ない。所々草が見られる汚い床に、そっとパラケルススを寝かせるしかなかった。

「大丈夫ですぞ、少々……眠る……の、で……」
「は、はい……。おやすみなさいませ」

 ユータリスがそう言えば、パラケルススはそっと目を閉じて眠り出す。
睡眠など必要のないゾンビ。睡魔が訪れるのは、一体どういう意味なのか。
 ユータリスが聞ける勇気もあるはずがない。
ただひたすら自分が重荷になってしまったのだと、己を責めるしかなかった。

「うぅ……お願い……死なないで……お願い……」

 苦しそうな寝息を立てるパラケルススに寄り添いながら、ユータリスは咽び泣く。
ステータスを見なくとも、目の前の錬金術師が弱っていくのは誰もがわかる事だった。

(私の魔術ではもう……アリス様、どうか……!)
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