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前編 第二章「アリスの旅行」

幕間:英雄と呼ばれた者達

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「引退よ」
「んぁ?」

 ガヤガヤと声が響き渡る食堂。ここは冒険者組合に併設された食事処だ。
冒険者登録を済ませてある人間で、その日に仕事をした証明書があれば割引が入る良心的なシステムも存在する。
 昔は冒険者登録をしてあれば誰でも割引をしていたのだが、食事目当てで仕事を行わない人間が増えたためになくなってしまった。
無論この二人には関係のない話だ。

「だから、ヴァジム。引退よ。引退しましょう」
「いきなりどうした、マリーナ? そのパスタ不味いのか?」
「ぱ、パスタは関係ないでしょう! ちょっと! 激辛ソースのついたスプーンで指さないでよ、味が移るじゃない!」
「だったら何だって言うんだよ??」

 女はうつむいてグチグチと喋りだした。夫婦にもなって長い付き合いだというのに、男はこうして〝取り扱い〟を誤ってしまう。

 ヴァジム・ラストルグエフと、マリーナ・ラストルグエフは夫婦である。
なおかつ、二人で英雄と呼ばれる超がつくほどの有名人だ。
それだけじゃなく、ちゃんと各方面から尊敬される愛嬌もある。
 だがしかしなんと言ってもその実力。ふたりともレベルは190と最高レベルに到達する勢いだ。
一般市民が20程度のレベルで、熟練の冒険者であっても100レベルが関の山。だがそれをゆうに超えるレベルに到達しているのである。

 ヴァジムは大剣の使い手で、その巨躯に合った大きな剣を振るう。その姿は一度見たら忘れないだろう。
見た人間は「どちらが魔物だったか忘れてしまう」と話すほどだ。
190レベルの男が放つ攻撃は、誰がどう見ても化け物並だろう。
 マリーナはそんな彼についていける数少ない魔術師。大魔術師だと国からのお墨付きすらもらっている、と言えば納得が行くだろう。
主に得意とするのは、水や氷系の魔術であるものの、彼女は大抵の魔術はそつなくこなしてしまうのだから恐ろしい。

「……あなたは最近、ブライアンと話してないの?」
「なんであいつが出てくるんだよ」

 この二人の会話に出てくるブライアンといえば、ブライアン・ヨースである。
パルドウィン王国で騎士団を率いる貴族・ヨース家。その現在の当主だ。
 頻繁に行われるパルドウィンとジョルネイダとの戦争では、多大なる貢献をしたとして更にその名を広めている。

 実力こそヴァジムには劣るものの、一流貴族出身で騎士団を率いている美丈夫であるブライアンだ。
別の意味で人気もある。
 ガサツで男らしいヴァジムと比較すれば、女性人気すら奪っていくのはどちらかなど分かりきったことだろう。
 比較され慣れている……と言えればいいが、実力で決着を決めたい脳みそまで筋肉で出来たようなヴァジムからすれば、容姿で比較されてしまうことは腹立たしいのだ。
 もっと言えば、マリーナからブライアンの名前が出てきた時点で不快――嫉妬してしまいそうになっているのだが、それはヴァジムもマリーナも気付いていないのである。

「やっぱり男同士じゃそんな話はしないの? それともヴァジムだから?」
「貶してないよな!?」
「貶してるわよ!」
「おい!」
「ふんっ!」
「ケッ!」

 このまま口論に持ち込むと思いきや、やけくそになりながらお互い残っていた料理を口にかっこむ。
汚いとも思われようが、ここは貴族の前でも王の間でもない。
テーブルマナーなど気にしないで良い、冒険者組合なのだ。
 兎にも角にも、口喧嘩を勃発するにしても目の前の暖かい料理に罪はない。とっとと食べきって戦えばいい。
お互いにお冷を一気に飲み干して、テーブルにドンと荒々しく叩きつける。
 先に口を開いたのはマリーナだったが、その口調は弱々しかった。

「そ、そろそろ……その、ヨース家の跡取りの問題を……って」
「! それって……」
「そうよ! ブライアンが騎士団を退いたのも、そういう理由だって!」
「……そうか……」

 先日国内で大々的にニュースになったのは、今の今まで騎士団を率いてきたブライアン・ヨースの引退。
現役時代からここを見据えて副団長をしっかり育ててきていたので、組織内では大きく問題になることなどなかった。
 しかしながら戦争から街の小さな治安維持まで、一言で言えば国に愛されてきた貴族。それなのに彼は引退を決めて、少し王国首都とは程遠い自領にて生活をするというのだから驚くだろう。

 そしてブライアンと、ラストルグエフ夫妻だけが友人なのではない。
ブライアンの妻、ノエリア・ヨースも旧知の仲なのだ。
 しかもノエリアは、ただの貴族の箱入り娘などでもない。彼女も戦場に立ってともに戦う戦友でもある。
得意分野は支援魔術。回復やバフやデバフを得意としていて、策士としての才能もある。彼女がいる戦場は、勝ったも同然だと喜ぶ騎士たちもいる。

 そんな妻同士、定期的にやり取りをしているのだ。今回受け取った手紙に例の件が書いてあり、マリーナは驚いたのだろう。
そしてそれと同時に思ったのだ。
――ヴァジムとの子供を腕に抱きたいと。

「ねえ、だから、アレよ。ブライアン達が土地も屋敷も用意してくれる、って言ってたじゃない? 引退でも休業でもいいから――」
「引退しよう」
「そ、即決ね?」
「お前と俺の子を愛したい。この剣とお前の魔術を、その子に託したい」
「……ヴァジム……」

 元々豪快な男だったヴァジム。まだまだ引退なんて予定しておらず、世間一般としても働き盛りのいい年齢だ。
そんな何ら問題ない時だというのに、引退をすぐに決めてしまうほど彼はマリーナを愛している。
 命を預けられる戦友として、傷ついた心をお互い癒せる存在として。マリーナもヴァジムも、お互いを愛しているのだ。
だからそう考えれば、ヴァジムが即決したのも頷ける。

「だったら話は早いほうが良い。新規の依頼は受けてないし、もう行こうぜ」
「え!? 今から!?」
「良いだろ、俺たち大して荷物もないんだから」
「ブライアンたちが、私達を受け入れる準備とかあるでしょ!」

 マリーナが心配の声を上げると、ヴァジムが足を止めて目を見開いた。何を言っているんだ、と言わんばかりに驚くその表情。
どうして驚かれたのかわからないマリーナも、同じ表情を作る。

「はあ? それこそ聞いてないのか」
「え?」
「ヨース領にはもう俺たちの家があるんだぞ? 来るのを待って、使用人が常に待機してるって」
「は……? ええぇ!?」

 首都の外れにあるヨース領にて、いつ来るかわからない主人の帰りを待つ使用人たち。
純粋に考えて冒険者をやっている夫妻の帰りを待つだなんて、賃金の無駄だとも言えるだろう。だがブライアンとノエリアはそれをやってみせる。
 ヴァジムとマリーナがいつでも迎えられるように、誰も居ない屋敷をピカピカに保つよう頼んで。
やってきたその日から利用を出来るように。

「なんてこと……ブライアンってば……」
「そういうこった。じゃあとっとと荷物まとめて行こうぜ」
「せめて手紙を飛ばさせて! 気持ちだけでも!」
「しょうがねぇなぁ……。俺は組合と話し合ってくるから、その間にやれよ」
「分かったわ……」

 マリーナが手紙を書き始めると、ヴァジムが席を立った。

 受付に向かってくるブライアンを見ると、受付嬢が嬉しそうに微笑んだ。マリーナとヴァジムは組合にとって大切な存在だ。
誰もが匙を投げるような高難易度の任務ですら、彼らにかかれば朝飯前。滞る依頼と「まだ冒険者は派遣されないのか」と苛つく依頼主を一気に黙らせることが出来る。

「いらっしゃいませ! 本日はどうされますか?」
「引退手続きをしたい」
「……………………え?」
「だから、冒険者をやめる」
「しょ、しょしょ、ま、ぁ、少々お待ち下さぁ~~い!?!?」

 いつも丁寧で的確で冷静な対応を行ってきた受付嬢が、今まで聞いたことないような頓狂な声を上げる。
もちろんそれは受付嬢に始まった話ではない。
 ヴァジムの周囲に居た人間はみんな同じような声をあげた。
 受付嬢は「お待ち下さい」と言い残してカウンター裏へと消えていく。

「嘘だろ……」
「俺は今……幻を見せられたのか?」
「あのヴァジム・ラストルグエフが、冒険者をやめる……?」
「この世の終わりだ……」

 周囲ではそう呟いている人々が沢山いた。
ある人は武器の整備の手を止めて、ある人は依頼書を選ぶ手を止めて。
貴重なポーションをガシャンと落として割った人間だっていたが、それすら気にならないほど衝撃的な内容だ。
 だがヴァジムはそうではない。まだ見ぬ我が子を想像して、破顔しそうでたまらないのだ。

(男でも女でも可愛いんだろうな。マリーナと俺の子だ……想像しただけで嬉しいな)

 ニヤける顔を耐えているその表情は、余計に厳しい表情へと変わっていく。そんな険しい顔に、周りの考えは変な方向へと向かうばかりだ。

「まさか……直近の仕事で負傷したとか?」
「あのラストルグエフが!?」
「それって、危険なんじゃないか? ヴァジム・ラストルグエフに、害を為せる存在がいるって……」
「本当に世界が終わっちまうかもなぁ」

 だがそんな会話はヴァジムには届いていない。
子供が出来た時どうやって遊ぼうか、どうやって剣を交えようかと考えているので精一杯なのだ。

 そしてようやっと受付嬢が戻ってくる。冒険者組合会長と濃い時間を過ごしたのだろう。たった数分ではあったものの、その顔は何連勤もしたようなゲッソリ顔だ。
カウンターに入り、ヴァジムの顔を見ながら口を開く。
か細く今にも死ぬのではないかというほどの、疲労しきった声であった。

「……ご理由を……お伺いしても……」
「マリーナと結婚してから、いい頃合いだろう。そろそろ子供でもと思ってな」

 ヴァジムがそう伝えると、今までいろんな噂話や憶測で賑わっていた組合がシン……と静まり返った。
メンタルがボロボロになって戻ってきた受付嬢も、更に呆気にとられていた。

 しかしその数秒の静寂のあと、ワッと場が賑わった。あれだけ絶望していた面持ちがみな明るくなっている。
それもそうだ。稀代の英雄様が子をなす。そんな素晴らしいことは、これ以上にないだろう。
 ヴァジムが冒険者をやめるだなんて、この世の終わりだと落ち込んでいた。だがその発言で一気に持ち直した。

「おめでとう!」
「安定したら顔を見せに戻ってこいよ!」
「楽しみだな!」
「誕生日は国の祝日にするべきだ!」
「お、おい、待てよ。まだ生まれてすらないからな……」
「お、おめでどうございまずうぅううう!」
「うぉ!?」

 声に振り向けば、受付嬢が涙を流し鼻水を垂らしながら拍手しているではないか。いつもは美人で可憐だというのに、今日に限っては絶望したり感動したりと起伏が激しい。
カウンター裏の会長室にてこってり絞られたことを鑑みれば、納得のいけるのだが――ヴァジムはそれを知らないので、普通に引いている。

「ごれなら会゛長もなっどぐされまずぅう」
「わ、わかったから。まず鼻をかめ」
「はいぃいい」
「やめると言ってもたまに顔を出すさ。ヨース領にいるから、用事があればそこに連絡を寄越してくれ」
「がじごまりまぢだぁああ!」
「いや、逆にそっちが大丈夫か、本当……」

 受付嬢や荒々しい男達の汚い泣き声や激励に見送られ、ヴァジムはマリーナのいる食事処のブースへと戻ってきていた。

「何をしたの……」
「わからん……。子供のためにやめるって言っただけなんだが……」
「本当にぃ? こっちまで響いてたわよ。ちゃんと手続き出来たんでしょうね?」
「多分?」
「もう……。手紙はさっき出したわ。もう行く?」
「あぁ、行くか」





「あら?」
「おぉ?」

 首都から離れた場所にあるヨース領。
以前ラストルグエフ夫妻が訪れた際は、ヨース家の本邸と使用人の住む屋敷だけという――少し小ぢんまりとした領地だった。
 しかし今見た限りでは、小さな村落程度には家々が増えて人も増加している。まだまだ建設途中というのは明らかに見て分かる様子だったが、商人が売り買いし、明らかにヨース一族関係者ではない一般人が行き来している。

「思ったより人が増えてるわね」
「このまま行けば来年には、街とも呼べるんじゃないか?」
「ブライアンの手腕が為せる技なのかしら」
「人徳ってやつか」
「騎士団として首都でも愛されていたから、移住したがる人も多そうね」
「……良いことだな」

 首都に比べれば小さな村ではあるものの、その表情は明るい。あのブライアン・ヨースの管理する土地で働いて住めるという、その事実が嬉しいのだろう。
マリーナの言う通り、ブライアンは騎士団に居た頃から愛されていた。
 騎士団を率いて何度も戦争を勝利に導いてきたことと、彼の人柄の良さから誰もが彼を好いていたのだ。
それはヴァジムもマリーナも同じだ。ブライアンがいい人なのは知っているし、二人もブライアンが大好きなのだ。

「ヴァジム、マリーナ!」
「! ブライアン!」
「お久しぶりね。元気?」
「あぁ。手紙を貰ったときは驚いた。だがとても嬉しかったぞ。来るとは思ってなかったからな。屋敷に案内する、こっちだ」

 ブライアンに案内されてやってきたのは、小高い場所に建てられた屋敷だ。二人で住むには圧倒的に広すぎるその場所は、街を見下ろすという最高の景色が眺められる。
きっとこの領地がもっと栄えていけば、その眺めは最高のものになるだろう。
 既に話を聞いていた使用人達が、外で出迎えてくれている。
主人が帰る予定もない屋敷を守っていた、彼らの表情はとても明るい。なんと言っても、あのブライアン・ヨースだけではなく、英雄のラストルグエフ夫妻に仕えられるのだ。
 街で応募をかければ我こそは、と志願したがる人間がたくさんいるだろう。
そんな名誉ある仕事を出来るのだ。表情が明るいはずである。

「彼らが君達の使用人だ」
「何から何まで悪いな」
「君には世話になっているからね」
「助かるわ、ブライアン。……ところで、ノエリアは?」
「…………彼女なら、街のために働きまわっている。付き合いの長いお前達ならば、私よりもノエリアのほうが頭が回ることをよく知っているだろう」

 不本意そうにそう漏らすブライアン。ブライアンは慕われているものの、直接的な街の開発となると智将であるノエリアが引っ張りだこなのだ。
貴族であるブライアンを支えてきたということで、財政面にもそこそこ強いわけで。領地の予算案の検討から、新たな施設の建設、移民の受け入れなどなど。
 実際ブライアンが行っているのは、力仕事のようなものだ。今日はたまたま二人の接客という仕事をもらえたが、それがなければノエリアの手となり足となり働きまわっているのだ。

「てこたぁ、俺達も……」
「そうね。でも住まわせて貰っている以上、それくらいしなくちゃ」
「だな」
「二人がいてくれれば、作業も早く進む。助かるよ。……そうだ、今晩はうちで食事をするといい。使いを送る」
「そうだな。たまには四人で食うのもありだ」
「楽しみにしてるわ」



 それから目まぐるしい日々を過ごした。
ヨース領は首都から離れた場所にあるにも関わらず、どんどん発展していった。人口も着実に増えて、街では新たな都市になるんじゃないかと噂されるほどに。

 そしてラストルグエフ家とヨース家に、一人の男の子が生まれた。
それが未来で勇者と呼ばれるようになるオリヴァー・ラストルグエフと、その親友であり優秀な魔術師であるアンゼルム・ヨースである。
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