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前編 第一章「降臨」

アフターケア2

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 男の名をデリック・フッテンと言った。
アベスカ中心都市から数キロ離れた村で生まれ育ち、今は難民として城下町に住んでいる。
 デリックが難民として城下町に来る前は、街には自分の住む場所すらないと思っていた。
だが都市部も都市部で人間を失い、郊外の村々の人間がすっぽり入るくらい過疎が進んでいた。
 生き延びて流れ着いてきた人間の目は暗く、その瞳に写った絶望と愛する者の死を教えてくれる。

 デリックは恋愛結婚などという幸せな家庭ではなかった。いわゆるお見合いというものだったが、それでもお互いに認めあい夫婦として暮らしてきた。
 そしてそんな仲を更に深めるように、妻の懐妊を聞いたのが少し前。ちょうど、戦争が始まる直前だった。
 恋愛結婚ではないとはいっても、長らく生活していく中で妻を愛していた。だからその妻との間に子供が出来たことを、心から喜んだ。

 しかしそれを全否定するように、デリックの妻は死んだ。

 魔王が降参したところで、愛する人間が戻ってくるわけではない。
ならばなぜ、どうしてあの勇者と呼ばれた少年は、魔王などという外道を生かしておいたのか。
 あの場で殺しておいてくれれば、デリックを始めとする家族を失った人間が少しは報われたと言うのに。

(……神は見ているだけだ)

 デリック自身はアリ=マイアの自由派と呼ばれる、いわゆるカジュアルな教徒だ。それが祟ったのか、神に祈りが通じなかったのか。
彼の願い――妻に会いたいという願いは、は聞き届けられなかった。

――今日までは。

 それは悪魔の契約さながら。
死んだ人間の生き写しを作れるというのだ。知人があの場に同席していなければ、二つ返事で了承していたかもしれない。それほどに、デリックの精神は蝕まれていた。
 悪魔に魂を売ってでも良い。あの魔王が奪った妻を取り戻せるのならば……。

(だが、ただではないはずだ)

 どうにも話がうますぎたのだ。自分を呼んできたくせに、知人の兵士は警戒をしたまま。
 あの錬金術師の正体が、アンデッドだと聞けばそれも納得するだろう。〝ゾンビ〟と呼ばれる種族だと言っていたが、その割には死臭が漂っていない。
どころか微かに良い香りがするのだ。まるで誰かに気を遣っているみたいに。

 しかしそれとて元魔王軍を乗っ取り、再びアベスカを侵攻してきた輩達だ。
 なんの魔族なのか分からない少女を筆頭に、見たこともない服の少女や腐臭の漂う錬金術師、妖艶な美女、おかしな服を着た男、などなど。
 ヴァルデマルとは比にならないというのも、一般人のデリックが見て分かるような容姿だった。
 条件がどうであれ、おいそれと了承していい話ではない。デリックは再び頭を悩ませた。

「申し訳ありません。おまたせしました」
「! いえ」

 三人のメイドが現れる。
デリックに声を掛けた女性が先頭に立っている辺り、教育者とその部下だろう。
 にこやかに微笑む女性とは違い、後ろに立っている二人は恐ろしいほどに無表情だった。しかしデリックと目が合うと、柔らかく微笑む。

「平民の俺の案内に、三人も?」
「あぁ、彼女達のことは気にしないで下さい。ホムンクルスという、パラケルスス様がお作りになった〝人もどき〟です。今は教育中なんです。仕事はできるんですけど、表情がねぇ……」

 どうやらこのメイドおしゃべりのようで、聞いていないことまでペラペラと喋りだす。
 しかし一番驚いたのは、あの二人が例のホムンクルスだということだ。ただの少し愛想のない少女だとは思っていたが、ここまでに完璧な人間になるとは思いもよらなかった。

 デリックの中の不安の一つである「本当に人の形なのか」というもの。それは一瞬にして掻き消された。
仕草、形、何もかもがただの人間だ。

「……私の妻も、こんなように?」
「……! デリック様は、その件でお越しだったのですね。彼女らは更に低位のホムンクルスです。表情は二の次に設定されていますから、デリック様の奥様は……もう少し人に近いカタチを取られるかと思いますよ」

 城で働き、ホムンクルスの育成をするにあたって、必要な情報は叩き込まれているのだろう。しかしそれを考慮したところで、本来メイドが知るべきではない情報がスラスラと出てくる。
 デリックは不思議に思った。それが顔に出ていたのか、メイドはその答えを綴っていく。

「……私は住み込みのメイドです。戦争以前から孤児で、郊外の孤児院で働いていました。でもそこも無くなって、途方に暮れていたところを採用してもらったのです」
「……それは」
「あぁ、ここで働いているのは、アリス様がいらっしゃる前ですよ。じゃなきゃ人に教えるほど仕事は出来ません」

 メイドはピタリと足を止め、目の前のドアを指差した。この部屋が今晩デリックの寝室となるのだろう。
 城に泊まるなんて思ってもみない贅沢だったが、それを許す魔王側もだいぶ寛大だ。
考えたいと申し出たはいいものの、実際幾日で彼の中の決心が定まるのか不明だった。かといって何日もこの城で寝泊まりするなど失礼だし、向こうも選択を急かしてくるだろう。
 落ち着かない心を無理矢理冷静に保つ。

「常時この二人が廊下で待機していますので、何か必要があれば声を掛けて下さい」
「え……」
「あぁ、ご心配なく。見習いとは言え最低限の仕事は出来ますから。分からないことがあれば、魔術での遠距離会話も可能ですので――」
「そうではなく……休まなくて大丈夫なのですか?」
「? 彼女達はホムンクルスですよ?」

 何を言っているのだ、この男は。
そういう視線が投げつけられる。人と何も変わらぬ容姿に惑わされていた。彼女達は見た目こそ人間であるものの、中身は魔物なのだ。
 頭では理解していたつもりだったが、まだ奥まで浸透していないようだ。

 半ば押し込められるように部屋に入れられれば、広い寝室に一人の時間が訪れる。
 ――妻がいれば喜んでいただろうに。
 ロマンチストというわけではなかったが、城での豪華な生活をしてみたい、と言っていたこともあった。
村での生活が必要最低限だったからこそ見た夢だったが、今こうして一人でいる城はちっぽけに見えた。
 どれだけ豪華な食事やもてなしにあったところで、今は一人だ。やはり彼にとって妻を失ったことは大きかった。
こういったふとした孤独に襲われたときに、他愛もない笑顔がフラッシュバックするのだ。

 彼はフラフラとベッドへ赴いた。夕飯はまだであったが、廊下に待つメイドを呼び止めて用意してもらうほどではない。
こんな広い部屋でたった一人で食べる夕飯は、心細いことだろう。妻ならば、妻がいれば、彼女となら、なんて考えてしまう。

 忘れていたはずの感情が、この数ヶ月で押し込めていた感情が溢れ出てくる。



 そんな一人の寂しい夜を過ごし、彼がOKを出すには時間を要さなかった。
翌朝起きて一番にパラケルススの元へ走ると、彼は開口一番に「お願いします」と叫んだ。
 パラケルススは思ったよりも遥かに早い返事をもらい、目を見開いていた。すぐに冷静さを取り戻したが。

「まぁお座り下さい。それにあたって、注意事項や誓約書をお書きいただきますぞ。ちゃんと目を通してくださいね」
「え、あぁ……はい」

 興奮していた彼は、冷静に対処されたことで少し驚いた。
初めに面談したときと同じソファに腰掛けると、パラケルススがいそいそと資料なりをローテーブルに置き始める。

「いいですか、まずホムンクルスは貴方の本当の妻ではないと、理解して欲しいのです。しかし本来の奥様に近付けるよう魔術式を組み込みます故、日を重ねるごとに近付いていくはずですぞ」
「そんなことが……」
「このパラケルススにかかれば容易いこと。他にも注意点は様々とありますが、誓約書をしっかり読み通してサインをくだされ。そして最後に――」
「…………」

 デリックがごくりとつばを飲み込む。パラケルススが妙に真面目なトーンで、真面目な顔で言うのだ。
魂を抜かれる? 生贄にされる?
様々な恐ろしい考えが、デリックの脳をよぎる。

「あなたの周りの二人にだけ、ホムンクルスのことを明かしてください」
「………………え?」

 出てきた言葉は予想外だった。
あれだけ秘密だの言ってきた彼が、こう言ったのだから当然ではある。

「な、なんで……」
「そうですなぁ……」

 パラケルススは理由を話し始めた。アリスのため、住民からの信仰を上げるという点は伏せておいて。
 国民全員に通達を出して、一気に家族を奪われた人全員に対してホムンクルスを作っていては、パラケルススの身が持たないのだ。
量産型の簡素なものならともかく、学習能力あり身内に激似の超高性能、かつ戦闘能力は持たないとなる。そうなるとパラケルススもとい魔王軍になんのメリットもない。
 それなのにパラケルススは休みもなく、住民のために働き続けねばならない。それは避けたいのだ。
だからこうして、〝受診〟した人間に直接次の〝患者〟を勧誘してもらうよう頼むことにしたのだ。

「ただし本当に、貴方のように苦しんでいる方のみですぞ。何でもかんでも受けていては、自分の体が持ちませんからな」

 ――まぁゾンビだから体力とか関係ないけど。なんて心で笑う。
 デリックは、パラケルススに提示された資料を隅から隅まで読み通し、署名をした。
パラケルススはそれを受け取ると、デリックを一瞥し迷いがないことを確認した。後から騙されただの色々と言われるのは面倒だ。

「では午後からでいいですかな」
「え?」

 魔術の分からない一般人であるデリックが聞いても、パラケルススのやろうとしていることの壮絶さは理解できている。
だから相当な準備が掛かるものだと思っていたのだが、パラケルススまるで「これから飲みに行く?」みたいに言うものだから驚いた。
 デリックとしても早いことには越したことはない。それが終わるまでは城から出られないのだから。彼は一庶民。こんな豪華絢爛な場所で長居して、ソワソワしないほうがおかしいのだ。

「言い方が悪かったですな。午後から行いましょう。それまでに必要なものを持ってきていただきたい」
「必要なものですか」
「ええ。あるのでしたら、奥様の遺品を。それがなければ、繋がりを感じられるものを」
「……分かりました」
「あぁ、あと。申し訳ないのですが、終わるまで貴方に、私のホムンクルスを付けさせてもらいます。助手として使うのも構いませんぞ」

 パラケルススとしては監視の名目だが――正直このデリックという男は何もしないとは分かっているが、他の幹部が見たときに同じように思うかというのは別だ。
こちらの技術や情報を流しておいて、テリトリーから出すのだから万が一に備えるべきだとお叱りを受けるかも知れない。
……特にあの緑スライムや、声の大きな軍人もどきから。

 念には念を、と伝えた監視役。デリックは一瞬嫌な顔をしつつ、相手が魔王だったことを思い出す。
一般市民とは全く違う感性を持っているのだ。なんといってもただの人間を信用するには短すぎる。
 だからデリックは何も言わずにそれを受け入れたのだった。



 デリックはパラケルススとわかれると、自宅へ向かった。黙ってついてくるホムンクルスに気味悪さを感じながらも、街なかを歩く。
 街の外から来たデリックは完全によそものだ。同じ国に住んで同じ宗教を信じていようが、この街で生まれ育っていないだけで知らない場所に来たみたいだった。
もちろん同じく家族を失った身として、優しくしてくれるところはある。だがそれでも、虚しさは消えることはない。

 デリックの家は集合住宅の小さな一室。村を奪われて大した金銭も持ち合わせていない男一人が暮らすには十分な部屋だ。
とはいっても、仕事が終わって寝るだけの部屋。無駄な家具も味気もないが、一室の隅にポツンと箱がある。これには妻の遺品が詰められているのだ。
 ようやっとで持ってきたもので、30センチもしない小さな小箱だった。それが唯一の家族との繋がり。
 箱を優しく持ち上げて、そっと撫でる。辛い時はこの中身を見て気を紛らわせたものだ。

「戻りましょう」
「……」

 返事はない。ただ静かに頷かれた。
 一応手伝いという名目で付いてきたホムンクルスは、デリックの持っていた箱を「代わりに持つ」と言わんばかりに手を差し出す。
しかしながらデリックも、こればかりは他人に任せたくない。「自分で持つよ」と断ると、それもまた返答はなかった。



 ――城に戻り、パラケルススの作業が開始されるとそれはすぐ終わった。
とは言うものの、デリックは作業を見ることが出来ず、深い眠りに落とされたため、起きてからさほど時間が掛からなかったと聞いたのだ。
そう、妻の口から。

 天蓋付きのベッドの上で眠っているのを確認すると、覗き込んできたのは死んだはずのデリックの妻だった。――瓜二つだった。
彼が起きたことに微笑んだのか、その笑顔もそのままだ。まるで、記憶から引っ張り出してきたような。

「ごめんなさい、まずはあなたに謝りたいの」
「……な、何を……」
「私はパラケルスス様から創造された身。もしもあなたが契約を破るようなことをしたら、報告の義務がある。勝手に消えないけど――そうね、上司がパラケルスス様だと思ってくれればいいわ」
「……そうか……」

 デリックは少し複雑だったが、妻が、妻の代わりがそこにいるだけで十分だった。一人では十分すぎる部屋も、これからは少し狭く感じるのだろう。
 起き上がろうとするデリックを、彼女は押し倒した。にんまりといたずらに微笑むのは、よく知る彼女の表情そのままだった。

「今日一日はこの部屋を借りられるのよ? ふかふかのベッドで眠りましょう。私がいなかった間のお話を聞かせて?」
「わ、わかった」

 ニコリと微笑むデリックの妻。
デリックの鼻をかすめるのは、彼女が好んでいた香水だった。
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