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前編 第一章「降臨」

サキュバスの集落3

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 ルーシー・フェルは堕天使――という設定である。
アリスという主人に創造された身にすぎず、実際の天使だとか悪魔だとかはよく分かっていない。
というより知識としては存在するものの、同個体に出会ったことがなかったのだ。

 今回サキュバスの調査に同行を命令されたとき、初めて近しい種族を見れるのだと思った。
命を受けてからたいして時間は経過していない身で、初めてなんて多数あるものだが。
 かくして初めて見た「サキュバス」というものは、思っていたものとは違っていた。ルーシーの肉体は、アリスが趣味を盛り込んで創り上げたものであったが故に、完璧に人間に近い見た目であった。
だがサキュバスというものは人間ではなかった。いや、上半身こそ美しい女をしていたが、下半身を見てしまえば人ではないのは明らかであった。

(もしかしたら、あーしはアリス様がお作りになった完璧な天使――堕天使ってやつ?)

 そうならば心が躍る。
もともとアリスの理想の女の子を反映した姿だと言われていてそれだけでも嬉しいのに、彼女の中の悪魔や天使の像の、完璧な姿が自分であれば更に喜ばしいことだった。

 *

「生け捕りにして」
「はーい」

 トロールの指揮をしていた者が逃げた。
透明化した存在がそこにいるのは見えていたが、アリスとは違ってルーシーにはいるということしか分からなかった。
 アリスにはその存在すら筒抜けて、普通に居るように見えているのだろうがルーシーにはそこまではっきりとは見えなかった。
この程度の魔術を解除するくらいなら出来るが、今は捕まえることが先だ。

 その者はそこそこのスピードで、森の木々の間を縫って逃げていく。ベルに比べれば大したことのないスピードだった。
 暇な空き時間にベルから「かくれんぼしよ」「鬼ごっこしよ」などと言われたときに比べれば簡単だ。
言われたときには絶望するしかない。見つからないし追いつけないのだ。
 そんなこんなで幹部最強の隠密と俊敏さを誇る友人に鍛えられたルーシーにとって、この程度の追いかけっこは楽勝であった。この時ばかりはベルに感謝をした。
 相手も追ってきているのに気付いたようで、そのスピードを上げる。

(バレてると分かったんなら、とっとと姿現せばいいのに。メンドイから、ちゃっちゃと終わらせよーっと)

 ルーシーが腰に下げていた杖を取り出したときだった。
後方で激しい爆発のようなものが起きたのだ。場所は先程アリスと別れた場所、トロールの居たところだ。
 そして一瞬時間をおいて、衝撃波がやってくる。
地面に亀裂が入り、足場が崩れ、木々が倒れる。鳥などの動物たちが一斉に逃げていく。
逃げ遅れた鹿や兎がクレーターと成り代わる地面に飲み込まれていくのを見た。

 そこでルーシーはハッとする。後方で起きていた事に気を取られすぎて、追っていた者から注意をそらしてしまったのだ。
急いで前方を向き直せば、その透明化した者は尻餅をついていた。――相手も同じく衝撃波に驚いていたようだ。

「チッ……! 〈炎の連矢フレイム・アローズ〉!」
「え、嘘……!」

 ルーシーが絶望に顔を歪ませると、やつはニヤリと笑った。炎を纏った矢が何本も彼女を襲う。これが直撃すればひとたまりもないだろう。
悲しいかなルーシーは防御魔術の展開が間に合わず、その大量の炎の矢を何秒にも渡って受けていた。

 辺り一帯が煙に覆われ、視界不良となる。しかしそこに居た女が無事であるということはないだろう。
あれだけの矢を受けて生き延びるだなんて、それこそ化け物だ。
見た目こそ普通の人間だった。避けるなんてもっと無理だろう。
 目障りだった追手を撒けて安心しきっていた。

「ふん、追わなければ良いものを。馬鹿な女だ」
「確かにあーしは馬鹿だけどぉ、言われたくないんですケド」

 ゆらりと煙の中の影が揺れる。まさか、そんな馬鹿な。そういった気持ちが巡る。
炎の連矢フレイム・アローズ〉は魔術の階級こそ低いものの、術者の力量によっては酷く化ける魔術。先程の通り雨のような矢を降らせることだって可能だ。
だから弱い魔術だと侮ってはいけないが――

 先程ルーシーが見せた表情は間違いなく、絶望の表情であった。
だがそれは発動された魔術が〝弱すぎた〟からだ。
 本来の〈炎の連矢フレイム・アローズ〉を知っている魔術師であれば、あのように炎の雨を大量に生成できるのは驚くべきことだろう。
その使用者の魔術適性や攻撃力、魔力を敵ながら純粋に褒めてしまうほどに。
 しかしルーシーにとって、〝あの程度〟の魔術は大したことがなかったのだ。

 煙の中から無傷の少女が現れる。
ホコリすらついていないその様相に、攻撃を放った人物は震えた。いや、怯えたと言ったほうが正しいだろう。

 ――トロールが馬鹿とは言え、力だけでは並大抵の魔族は敵わない。そんなトロールを従えられる人物がいるならば、相当な力の持ち主である。
しかしそれを遥かに凌駕する存在が居るとすれば、この人物が知りうる中ではヴァルデマルだけだった。
そう、今までは。

「けほっ、ったく、きたねーし!」

 ルーシーが空中で手を軽く払えば、今まで周りに舞っていた砂埃が一瞬にして飛び散る。真横に浮いていたラインストーンでデコレーションされた杖を再び手に取ると、それを相手に向けた。
 ルーシーは素早く魔術を展開し、その透明化していた存在を捕縛した。
杖で男の頭をトントンと二度叩けば、その透明化は解除され一人の男が現れる。
匂いからして魔族なのは分かったが、アリスと同様に魔族やこの世界に関しての知識が乏しいルーシーには分からない存在だった。
 もう一度杖で叩けば、男の体がふわりと浮き上がる。驚いた男がジタバタと抵抗するが、そんな程度で魔術を解除できるはずがない。

 男を連れて衝撃の収まったクレーターの縁に立てば、中央に一人。
あの濃い紫のアオザイを着ているのは、この世界でただ一人――アリスだ。
つまるところこのクレーターはアリスの仕業というわけで。こんな強大な力を持っているのだと知ると、ルーシーは無意識に顔をほころばせた。

「きゃー! マジアリス様最高に格好良いんですケド! 超しゅき♡」
「…………」

 ルーシーが悶ていると、アリスが心配そうに周りを見回し始めたことに気づく。帰りの遅いルーシーを待っているのだろう。
ルーシーは我に返ると浮遊する男を連れて、アリスのもとへと急いだ。



「申し訳ありません、遅れました!」
「いいよ、いいよ。それより大丈夫だった?」
「ぜんっぜん問題ないです! 超尊敬しました!」
「え、いや……まぁいいか」

 アリスが申し訳なさそうにクレーターを指差す。するとルーシーは全開の笑顔を見せて話す。
アリス的には欲しかった答えではなかったが、部下が無事ならと流した。

 ルーシーの背後に浮遊しているのが今回の原因だろうとアリスは察する。
ルーシーに簡単に捕縛されているあたり、大した魔族でもないんだろう――と。

「さて、洗いざらい喋ってもらおうか」
「くっ……殺せ!」
「男から聞きたくないセリフだぁ……」

 どうせならばガブリエラのときに聞きたかった、とアリスは落胆した。
そしてこの魔族はそこそこのプライドの高さを持っているようで、中々口を割る気配がなかった。
尋問に関してはアリスは不得意だ。経験が無いのもそうだし、そもそもどうやっていいのか分からないからだ。
 であれば城で待機しているハインツに委ねた方が良いだろう。この男は連れて帰るとして、次の問題は救い出したサキュバス達だった。
 フィリベルトとガブリエラの治療があって、全快とは言わずとも歩ける程度には回復していたのだ。

「ルーシーはそいつを連れて城に戻ってくれる? ハインツに渡して、何をしていたのか吐き出させて」
「アリス様は?」
「この子たちの処理を考えるよ」

 本当に考えるだけだ。部下になるのを断られた場合、どうすればいいかまでなんて考えていない。
魔術による洗脳で無理矢理仲間にするのも手かもしれないが、アリスとしてはあまりやりたい手とは思えなかった。
 こういう時にもハインツなりいてくれれば助かるのだろうが、何でもかんでも部下に判断を委ねて甘えてばかりでは上司は務まらない。

「お一人で大丈夫ですか?」
「んー、じゃあハインツに渡したら戻ってきてくれる?」
「お任せください!」

 ルーシーは笑顔で返事すると、瞬間移動を用いて男ごと消えた。
 そしてこの場に残されたのは、フィリベルトとサキュバス達だ。
ガブリエラは隷属契約を結んだから、サキュバス達の答えがどう転んでもアリスについていかざるを得ない。
問題は他のサキュバス、インキュバス達だった。
 みな神妙な面持ちでアリスを見ている。彼女の強さを見て、どう出るか品定めでもしているのだろう。
 アリスは身内の部下に話すような砕けた喋り方をやめた。

「改めて――はじめまして。私は新しい魔王になった、アリス・ヴェル・トレラントだ」
「ガブリエラから伺いました。まずはこちらも彼女と我々を救っていただき、ありがとうございました」

 思っていたよりも礼儀正しい返答にアリスは感心する。
人を惑わす種族なのだから、もっとだらしなかったり礼儀がなかったりするものかと思っていたが、そうでもないらしい。
 それかもしくは、アリスの強大な力を目の前にして緊張しているのか。
どちらにせよ、アリスがまだ不快ではないのは確かだった。

「失礼ですが、アリス魔王陛下? どういった理由で私達をお尋ねに?」
「あぁ。勇者を殺すために、新たな魔王軍を構築しているところでな。散り散りになった魔族を召集しているのだ」
「……それでしたら、戦力外の私達なんて不要では」
「――つまりそれは、私の敵になると?」
「い、いえそういうつもりは……!!」

 アリスの軍に入らない魔族魔物は、全て敵である。
極端な思考ではあるが、不確定因子をそのへんに放っておけるほどアリスは優しくない。
互いの生死が関わる場となるわけで、そうなれば早々にはっきりと仲間かそうではないか白黒付けておきたいのだ。
 たとえ仲間になったとしても必ず戦闘に引っ張り出されるわけではない。彼らの惑わせる力があれば、外に出て戦うよりも情報収集などの内の仕事の方で重宝されるだろう。

「君達が弱いのはここに来るまで見てきて分かってるし、戦争になっても出すつもりはない」
「では何に……」
「今すぐ答えが必要なのか。それの結果で、軍に付く付かないが決まるのか」
「……それは……。その、少し話し合っても?」
「あぁ。――だが、ガブリエラは返してくれるかな。もう彼女は私のものだ」

 その場の空気がざわついた。アリスも「なにか語弊があったかな」と詳細を話した。
サキュバスを助けるために奴隷の契約を結んだこと、彼女は今後アリスが死なない限りアリスのために働き続けねばならないこと。
 しかし詳細に説明しても彼らは納得していなかった。
それもそのはず。ガブリエラはサキュバスの中でも弱い部類だったからだ。そんな弱いサキュバスを奴隷にして何になるのだ。
やはり、戦闘に参加する必要はないのか、と各々が口に出して疑問を浮かべる。

 正直アリスとしても奴隷というよりマスコットに近いだろう。可愛がるおもちゃのような。はっきり言えば弱いのは丸わかりだ。
疑問に思っている彼らですら、ガブリエラとレベルが10,20程度しか変わらないいわゆる雑魚だ。

(諜報活動も頼めるか怪しいくらいに弱そうだもんなぁ……)

 しかし弱いとて成長が全く見込めないわけではない。アリス率いる幹部の手にかかれば、弱い彼らでも何かしらの成長はあるだろう。
たとえそれが諜報活動でなくても、戦争参加でもなくとも、今後アリスが居なくなったときに彼らの役に立つ何かを身に付けられるはずだ。

「あの、アリス様」
「うん?」
「あたしはもう仲間の元へ帰れないんですよね?」
「まぁー……そうだね。お別れしてくる?」
「はい」
「じゃ、こっちのことは何も喋らないこと。命令ね」

 命令と言われてガブリエラの体が強張る。ここで逆らえば死ぬかも知れないほどの激痛をみることになる。
緊張した面持ちで仲間の元へ走っていくガブリエラを見送ると、今度はフィリベルトが横に立った。

「さっきの男についてなんだが、いいか、ですか」
「うん」
「恐らく高位の悪魔だ。軍で一度、あんな感じの男を見たことがある。悪魔の中でも特に力が強く、魔術にも長けて頭も切れる。プライドが高いのがめんどくさかったな」

 敬語が面倒になったのか、フィリベルトは普通に喋り始めた。それ以前にここまでちゃんと考えて喋れるんだな、とアリスは感心する。

「つまり?」
「俺達の支配から外れただろ? あいつらのことだ。新たな王になるとか言うかもしれねーし、もしかしたら邪魔な奴らをこうして潰して回るかもしれない」
「面倒だね……」

 アリスが取り込もうとしている中、それを破壊しようとしている輩がいる。
となればアリスにとっては、勇者への道を塞ごうとしている邪魔者でしかない。
つまりそれは、確実な敵だということだ。




 ルーシーが城から戻った頃には、サキュバスたちの話し合いの結果が出ていた。

 結論から言えばサキュバスとインキュバスの二種族はアリス陣営につくことに決めたのだ。
アリスについていれば守られるという約束が決め手だったらしい。あのままどっちつかずのフラフラとした立ち位置にいれば、また別の魔族に襲われていたことだろう。
懸命な判断だと言えよう。

 二種族は、死んだ仲間を弔うと言ってあとから城へ向かうと話した。

「え~、隙を狙って逃げる系? アリス様! 監視する魔術を――」
「誰が逃げられます? この世界にいる限り、あなた方からは逃げられないのでしょう」

 ルーシーが警戒をして聞けば、長らしき人物からそう声が上がる。逃げる気などさらさらないらしい。
 別にアリスとしても逃げるだけなら良いのだ。勇者側や勇者への道を阻むものと手を組んで、アリスの目的を邪魔しない限りはどうでもいい。
ただし、邪魔した場合は完全な敵とみなして全力で対処するだけだ。

「やめろ、ルーシー。――死者の埋葬などしてもらって構わない。そうだな、三日あればいいか?」
「十分です。魔王城に行けばよろしいですか?」
「そうだ。それまでに今後のお前たちの処遇を考えておく」
「はい、ありがとうございます。では失礼します」

 いそいそとアリスの前から去っていくサキュバスとインキュバス達。
横では不満そうにルーシーがアリスを見上げていた。

「アリス様はもう少し、厳しくてもいいと思いまーす」
「そう? 味方だから優しくしたんだけど、威厳がないかな」
「ぜんっぜん! 最高に格好いいです!」
「どっちなのよ……」
「サキュバスの件は片付いた、ですし、帰りましょうぜ」
「片付いた……のかなぁ……」

 新たな課題が増えたのだ。
 部下――軍の拡張を邪魔するものが現れたのだ。勇者に出会えなくなる可能性がある、今一番の問題だ。
 恐らく尋問中であるハインツに、アリスは期待を込めて城へ戻ることにした。
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