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前編 第一章「降臨」

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「アリス……」

 ポツリと兵士の誰かがつぶやいた。彼にとっては、聞いたばかりの単語を反芻するだけのことだった。
 しかし次の瞬間――その男の首が盛大に吹き飛んだ。ドッという重い音がして、後方の壁に吹き飛んだ首がぶつかる。
頭の乗っていない首から大量に血が吹き出し、そこでようやく周りの仲間も気が付いた。
 少しして首のない男の体がフラフラとよろけだす。前方にどたりと倒れると、中央で守られるように立っていたライニールの衣服へ血が飛ぶ。

 兵士達の血の気が引いた。普段の横暴なライニールであれば、彼が汚れただけで激怒しているのだ。
しかしながらそのライニールも、今回ばかりはそうはいかなかった。異国からわざわざ仕入れた民族衣装。そこに飛び散った血液を指で拭う。
汚れは取れることなく、ただ伸びて悪化するばかりだったが、彼は気にしなかった。

 もちろん攻撃の発生源はアリス達であった。そして二人のうちそれを行ったのは、今こうしてアベスカの者達に指先を向けていたハインツだった。
ハインツはその指を下ろすと、アリスに対して謝罪をした。

「申し訳ありません! アリス様! 人間風情が御尊名を軽々しく口にしたこと、それを止められなかったことを謝罪致します!!」
「別にいいよー」
「ありがとうございますッ」
「でも――見ろあれ! 私の住んでた国の民族衣装そのものだ! あれを扱う国があるのかな? 行ってみたいな」
「でしたら次はそちらへ襲撃されては?」
「ん~! 考えてみる!」

 ライニール達はアリス達が話しているのはわかったが、内容まで聞こえる距離ではなかった。
しかしながら頭を下げたハインツや、アリスに対して敬意を払うよおうな言動から、魔王という存在はあの少女の方だと理解した。

 ――でもどう動けば?
ライニールは困惑していた。下手すればこの兵士のように死にかねない。そもそも初手で攻撃を仕掛けたせいで、ライニール側は非常に不利だ。
誰かの顔色を窺って生きたことのないライニールにとって、非常事態であった。
 動かぬ頭で必死に思考を巡らせる。どうすれば最小の被害で抑えられるか。どうすれば無事に生きていられるか。

「アルヴェーンとニッカはどこにいるのだ! 集められた兵士はこれだけなのか!?」
「兵士団のほとんどは、城にはおりません。先日陛下が遠征を命じたではありませんか……!」
「ぐっ……くそ! 何故止めなかった! 防衛を考えるのが貴様の仕事だろう、ルーラント!」
「…………」

 ここを訂正するのであれば、ルーラントが止めなかったわけではない。
彼も仕事を全うして口を挟んだのだが、わがままなライニールはそれを拒んだ。
 元々ライニールは、お小言のように文句や反論をしてくるフィリップ・アルヴェーンを好んでいなかった。王の権限を利用してまで僻地へと飛ばし、面倒なことを言ってくる男を遠ざけたのだ。
 このアベスカにおいて数少ない高レベルの存在として、ライニール以外の上役達はフィリップの存在を買っていた。
しかしそれも自分を優先させる王の一言で変わってしまうのだ。

 そして悲しいかな。そんなライニールに追い打ちを掛ける。
 彼らのいる廊下。小さなモヤが生成される。それは次第に大きくなり、大人の男一人まるまる飲み込めるサイズへと変化する。
 アベスカの人間は魔術に疎い。だがそれでも知っている魔術はある。
特にこれは、この魔術はあの混乱の最中何度も目にした。あの災厄がやってくるときによく使った奇っ怪な魔術。

 ゆっくりとモヤの中から姿が現れる。
 見覚えのある漆黒の魔術師用ローブ。禁忌をおかして魔人と成り果てたくせに、その身に纏うは修道士のような衣服。老人のように白い髪にオッドアイ――誰がなんと言おうと、ヴァルデマル・ミハーレクだった。
 そして続くのは堕ちた神官、ヨナーシュ・イグレシアス。戦闘狂のフィリベルト・ドラパークもあとから続いてくる。

「ぐっ、囲まれたか! 兵士達!」
「はっ!」

 兵士達は持っていた槍や剣をヴァルデマル達に向けた。今までのヴァルデマルであれば、その態度に怒りを感じて即刻殺しただろう。
しかしヴァルデマル達は一瞬だけライニールを見ると、すぐに部屋の中に視線を移した。そして余裕綽々としていた表情は一瞬で凍りつく。
 ライニール達を押しのけて、部屋に強引に入っていく。転がっている首なし死体を一瞥すれば、その顔は更に恐怖に染まった。
――ああはなりたくない、と。

 あまりのことにライニール達は混乱を隠せなかった。あれだけ人間を滅ぼさんと動いていた魔王であるヴァルデマルが、一国の王を目の前にして何もなかったかのように歩き出したのだ。
 三人はアリスの前に出ると、そのまま慣れた様子でアリスに傅いた。頭を深く下げ、ヴァルデマルが代表して口を開いた。

「遅れてしまい、申し訳ございません」
「別にいいよ。もいるみたいだしね」
「……?」
「あぁいや、こっちの話」

 アリスがライニールの方を一瞥すると、その瞳にはゆらりと揺れる透明な影が映る。
誰にも気付かれず瞬時についてくる。こんな芸当やってのけるのは、彼女の持つ部下では一人。
特に言及することはないが、ヴァルデマルが遅かったのも何かしら一悶着あったのだろう。だから〝彼女〟がここに付いてきているのだ。

 アリスだけではなく、ハインツもその彼女の存在をわかっていた。
自分だけでは足りないと思われていたことに少々腹を立てたが、彼女がいれば問題も大きくならないことはハインツもよく理解していた。
 それ以前に、アリスが組んだ人員だけでは事足りないのだと思われていたようで、その点についても少しの怒りがあった。

「まぁ……。エンプティの考えだろうね。あの過保護スライムは、全く……」
「いえ。私一人では力が及ばないのも事実です!」
「んー、ハインツは大戦向きだからね。それに今回は偵察だけの予定だったから、気にしないでよ」
「はっ! 寛大なお心遣いありがとうございます!」
「さて――一人も逃がすな、ベル」

 ヴァルデマルについて来ていたのは、ベル・フェゴールだった。
戦争向けのハインツとは違い、単体での戦闘、隠密や暗殺に特化したのは彼女である。
とはいえ魔王城を破壊した通り、一般人と比べると異常で尋常じゃないパワーを持っているが――まあ、他の幹部と比べたらどうでもないレベルなのだ。
 本来であれば彼女の習得している魔術「透明化」と虫特有の静かな歩きを利用した殺しを得意としている。そしてなんといってもスピードも幹部の中ではトップを誇る。
逃げ惑う雑兵どもをササッと始末するにはもってこいの幹部だ。

 透明化しているため返事は出来なかったが、アリスには頷いているのが分かった。
それに完璧に作ったつもりの幹部だ。失敗することもないし、裏切ることもないだろう。
あったときはアリスが責任を持って、全力で葬るだけである。

 さて、相変わらずここの国王はアリスを睨んでいるままだ。せっかくなら廊下じゃなくて玉座に座って会話したいと考えていたが、アリスがど真ん中にいるせいでそれもかなわない。
 アリスとしては初めての襲撃で初めての謁見だ。何か間違いをおかさないよう頑張るつもりだが、そもそも会話にすらならない時点でそれもぱあだ。
どうすれば現状を打開できるだろうか。とりあえずあちらが喋らないなら、こちらから話しかければいいとアリスは考え口を開くことにした。
 幹部達には素のままで喋ってはいるが、ここは王と王の会話。引けを取らぬよう、王っぽく喋るのがベストだろう、と言葉を選ぶ。

「廊下では窮屈だろう。そこの椅子に座るといい。お前達の返答次第だが――悪いようにはしない」

 アリスが喋ると途端にその場で会議が始まる。
 その様子を見てアリスは嘆息した。少し前まで魔王に脅かされていたのだから、もう少しこういう緊急事態に備えて色々と対策しておくべきではないのか。
それとも勇者が退治してくれたから、もう二度とこういったことは起こらないと思っていたのか。それであればなかなかに平和的脳みそだ。

 そもそも魔王が死んでないのだからもう少し危機管理というものを持つべきだろう。アリス――もとい園麻子の生きていた問題なく平和に生きていける世界ではないのだから。
 大層暇そうにしているアリスを一瞥すると、ハインツが喋る。

「ここまでアリス様をおまたせしているとは、無礼にも程があります! いっそのこと滅ぼされては!?」
「ん~、まぁ土地借りたりするだけだし……最終手段かな」
「はっ! ではその場合もあると考慮して、行動に移させて頂きます!」
「恐れ入ります。アリス様。お時間あるようでしたら、城から言伝を賜っておりまして」

 ヨナーシュが口を挟む。この街にきてヴァルデマルの説明を聞いていた間は、さほど時間は経っていないと感じていたが――魔王城では着実に進展していたらしい。
ヨナーシュも色々と自分に与えられた仕事があったはずだが、伝言役を頼まれているのは一緒に残っていたフィリベルトが役立たずだからである。

「いいよ~、なに?」
「ありがとうございます。まず――」

 エンプティの城改造の案に関して、エキドナの防衛、ルーシーとパラケルススの自室の件、などなど。よくぞ覚えられたなと褒めたい程の情報がアリスに流れてくる。
せっかくヨナーシュが頑張って覚えてきた内容も、あまりの量の多さに最初の方は殆ど忘れてしまった。
後で本人達にきこう……とアリスは心に刻んだ。

 ヨナーシュからの報告が終わったところで、ライニール達も意見がまとまったらしく声を上げてきた。
この結果がどうであれ進展するのだ。暇から開放されるアリスは少し喜ぶ。

「お前――あなた方の要求はなんだ!」
「この国」

 たった数語の短い言葉だったが、そこに含まれた本気の度合いは彼らもわかった。
 数分しかない話し合いだったが、先程の会議とは比にならない濃厚なものだった。今まで憶測だった情報がここまでクリアになったのだ。
 一番は、勇者に屈したヴァルデマルが跪いたこと。つまり、あの勇者を凌駕する存在がそこにはいるということだ。
 実際兵士一人を的確に狙った射撃も、天井を吹き飛ばしたあの攻撃も、勇者と比べたら化け物のようなものだ。あの勇者を赤子の手をひねるように殺してくれるだろう。
そんな本当の魔王を見た彼らが、どうしようというのだろう。欲しい物を受け渡さねば、恐らくあの兵士――天井のように砕かれるに違いない。

「くっ……国を手にしたらどうする? 我々を殺すか?」
「軍の拡張に土地を使う。敵意や反乱がなければ民の命は保証しよう」
「ど、どうやってその言葉を信じろというのだ! 先程の攻撃といい……!」
「じゃあもっと言っておこう。私の目的は勇者を殺すこと。それを邪魔すれば誰だろうと殺すし、国を滅ぼすことも辞さない。それになるかならないかは、お前達の判断に掛かっているだけだ」

 道端のアリを踏み潰すように人を見るその目。わがままな国王であるライニールも、この時だけはわかった。
周りの言うことを聞いて、彼女の思うままに従うべきだと。

「い、いやだ……こんな化け物……お、俺は逃げる!!」

 兵士の一人が悲鳴を上げて廊下を走る。それに感化されて2,3人が続けて同じように逃げていく。しかしそれは叶わなかった。

 一定距離走ったところで、兵士達の体がスッパリと切り刻まれたのだ。剣戟によってではなく、予め用意されていた罠にかかったかのように。
細切れになった体はボトボトと床に落ち、床を汚している。
 幹部かアリスであれば、そこには無数のピアノ線のような糸が張り巡らされていたのを分かっただろう。アリスの言ったとおり誰も逃さないためだ。
あとは逃げ道は背後にある窓から飛び降りることだが、そこそこの高さがあるこの最上階。落ちて無事で済む人間は、ここにはいない。

「玉座へどうぞ。まだお前のものだろ? だ。現在の王――あぁ、名を聞いてなかったか」
「……ライニール・ニークヴィスト六世だ」
「ニークヴィスト殿」
「……俺は貴女をなんと呼ぶべきかな?」
「アリス・ヴェル・トレラントだ。好きに呼ぶといい」
「………………ではトレラント殿と」

 退路は絶たれた。ここで玉座への誘いを断れば、また恐ろしい目が待っているかもしれない。大臣達との会議などせず、ライニールは足を進めた。
 これほどまでに玉座までの道のりが長いと思ったことはなかった。
アリスはライニールの道を妨げぬよう端に避けてくれたが、ヴァルデマル含む側近たちからの視線が刺さる。
震える足を何とか動かし玉座に座る。本当ならば座りたくもない。
 今までだらしなく座ることが多かった玉座だが、この時ばかりは真面目に着座した。衣服が粉塵や血液で汚れていたが、それを気にせず座り込む。
数段高い位置に設置された玉座ゆえに、必然的にアリス達を見下ろす形になるのだが、ここまで見下ろすことに抵抗を覚えることは今後ないだろう。

「で、では聞こう。なぜ我が国なのだ?」
「近かった」

 簡潔ではっきりとした返事。他意も悪意すらも感じられない。
そこにあったから。そんなような。

「……………そ、そうか」
「本当は軍を整えてくるつもりだった。だが先にをさせてもらっていてな。このまま攻め込んでも大丈夫だと踏んだからお邪魔した次第だ」
「…………………………そ……うか………」

 ライニールの顔は絶望を隠しきれていなかった。もとより何かを取り繕う性格ではなかったが、それがもっと顕著に出ていた。
この場で、終わったあと。どちらでも関係ないが、大臣達がなんと言おうと今ここで延命するとすれば、彼女の話を信じて国を明け渡すのが吉だろう。
 こんなことになるのであれば、もっと早く他国の技術を取り入れたりすればよかったのだ。今更後悔したところでこの処刑のような謁見がなくなることはない。

「……しつこいようで申し訳ない。本当にあなた方は、我々に危害を加えないか?」
「何度も言うがそちらが攻撃してこなければ何もない。こちらで勝手に攻撃をするようなものがいれば、即刻殺す。信じられぬのならば書面にでもするか?」
「い、いやっ! そ、その必要はない! あなたを信じよう、トレラント殿!」
「アリス様に何度も同じことを言わせるな、人間がッ! 頭の足りない貴様らにもう一つ教えてやろう!! ――先程のようにアリス様を愚弄するような発言があれば、その者の命はないッッ!!!」
「ひぃっ! で、では住民に、つ、伝えておこう……」
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