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266話、あいつが許しても、私が許さねえ

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「こ、ここで正座、ですか?」

「そうだ。これは願いじゃなくて命令だ。早くやれ、私を待たせるな」

「あ、えと……」

 なぜだ? なぜ急に、正座を要求してきたんだ? それに、つい数秒前までとは、まるで人が変わったみたいな雰囲気になっている。
 頼りたくなる母性、心を抱擁してくる暖かさ、安心して信頼出来る眼は完全に無くなり。今は、身の毛がよだつ殺意、心の芯までキュッと冷たく引き締まる怒り。
 そして、まるで私を誰かのかたきのような深い憎悪を宿した眼になっている。私、この数秒の間に、ベルラザさんの癪に障る事なんて、特にしてないはずだが……。

「あ、アカシック。どこでもいいから、今すぐ遠くに逃げた方がいいぞ」

 何かを察したアルビルが、私達からやや離れた距離から、小声で話してきた。

「な、なんで……?」

「アルビス、余計な口出しすんな。おい、てめえ。言葉が通じねえ訳じゃねえだろ? 早くしろ」

「は、はい……。分かり、まひた……」

 ベルラザさんから発せられている殺意、怒り、恐怖に当てられた私は、だんだん震え始めた体をぎこちなく動かし。平坦な場所が無く、いびつで黒ずんだ火山灰だらけの地面に、正座をした。
 地面は突起物が多く、足に軽く刺さっている。それに火山灰も積もっているので、ローブが汚れてしまった。耐えらなくはないけれども、足が地味に痛い。

「べ、ベルラザさん。正座をしまし……、わっ!?」

 地面に合わせていた顔を見上げ、ベルラザさんに合わせるや否や。ベルラザさんは、私の胸ぐらを乱暴に鷲掴み、憎悪に染まった鬼気迫る表情を限りなく近づけてきた。

「よお、クソ魔女。よくもアルビスに、六十年以上もよろしくしてくれたなあ?」

「……よ、よろ、ひく?」

「しらばっくれてんじゃあねえ。シルフ共が、教会から巣立ったてめえの話を、露骨にしなかったもんだからよお。しつこく問い詰めてみたんだ。話すんだったら、全部話してくれってな。そうしたら、出るわ出るわ。てめえの悪行と、怒りで我を忘れそうになった話が、山ほどなあ」

「……ぁ」

 ……まずい。ベルラザさんが、いきなり怒髪天になったのは、私が“迫害の地”へ行った後の話を聞いたからだ!
 大人になった後の私って、そういう事だったのか! ……どうしよう。ベルラザさんが本当に怖過ぎて、視界が涙で一気に潤んできた。
 口も震えて、歯がカチカチ鳴っている。全身が死を手前にした恐怖で、完全に硬直していて、指先すら一切動かせない。

「しょ、しょのしぇつは……、本当に、しゅみまひぇん、でひた……」

「おい、ベルラザ! 余らの中では忘れた、当に決着が付いてる話だ! だから、蒸し返すのは止めてくれ!」

「そう、お前らの中では終わってる話だ。てめえが折れて、こいつがしてきた凄惨たる悪事を白紙にしたらしいじゃねえか。だがな、アルビス? 私とクソ魔女の間では、始まったばかりの話なんだよ。そうだよなあ? クソ魔女」

「ひゃ、ひゃい……。しょのとーりで、ございまふ……」

 全て事実だから、私は『はい』と返す事しか出来ない。いや、それしか選択肢がないんだ。下手に言い返せば、ベルラザさんの反感を買う事になるし。
 なによりも、私は生意気に意見を言える立場じゃない。だって私は、この場では絶対悪であり。ベルラザさんにとって、討つべき憎む相手なのだから。

「だよなあ? アルビスが許しても、私は絶対に許さねえ。今の今まで、何事も無かったかのようにのうのうと生きやがって。それ相応の報いは、当然受けてもらうぞ」

「頼むベルラザ! 今のアカシックは、余の大事な妹なんだ! それ以上見てられないから、脅すのはもう止めてくれ!」

「私は今の話をしてんじゃねえ! クソッタレな過去の話をしてんだよ! アルビス! お前は、私の我が子同然だぞ!? 愛する我が子を何千何万回も殺されそうになって、怒り狂わねえ母がどこに居るってんだ!? 私が納得する答えを今すぐ言ってみろッ!!」

「うっ……! そ、それは……」

 休火山が眠りから覚めそうな大咆哮が、私の心を深く抉っていく。そんな悪魔みたいな母親、世界中を隅々探しても見つかる訳がない。
 けど私は、アルビスにそれ以上の所業を、長くに渡って繰り返し行っていた。確かに、私とアルビスの間では、六年ほど前に終わった話だ。
 けれども、積み重ねてきた罪は、私の生涯を掛けても償い切れるものじゃない。アルビスの六十年に血生臭い傷をつけた罪は、それほどまでに重い。

「……ベルラザ。過去のアカシックは、今のアカシックと余と共に、最上位の魔法で殺している。そして、過去の余とも決別がついている。だから、貴様が憎むべきアカシックは、当の昔にこの世から消え去っているんだ」

「その話も聞いた。この地に来た新参者を、過去のこいつに見立てて消滅させたんだろ? ハッ! 私から言わせてもらうと、それは自己満足にしか過ぎねえぞ」

「自己満足、だと?」

「そうだ。サニーが新参者に殺され掛けた。その新参者が、自分の子をぞんざいに扱ってた。心が闇に堕ちてて、サニーを適当に扱ってた頃のこいつと似てる。じゃあ共闘して、過去のアカシックを殺して、過去に起きた出来事を全部清算しよう。それは、元凶が言い出した事だ。お前もその話に乗って、過去のアカシックに見立てた新参者を消して満足した。これが、自己満足以外のなんだと言えるんだ?」

 サニーを殺し掛けた新参者、山蜘蛛の一件か。私達にとっては、互いに憎むべき過去の私を殺せて、少なからず気分が清々した一件だったというのに。自己満足だと一蹴されてしまった。

「アルビス。お前、騙されてんぞ? 殺すべき相手を、雑にすり替えられただけだからな?」

「ベルラザ、言い過ぎだ。流石の余も、貴様に対して怒りを覚え始めたぞ」

 腕を組んだアルビスが物申した瞬間。ベルラザさんも黙り込み、ものすごく気まずい沈黙が流れ始めた。
 呼吸を一回するのすら躊躇う、あまりにも耐え難い一触即発な空気の中。アルビスとベルラザさんは、ピクリとも動かず、睨み合いを続けていく。
 私の涙が熱さで蒸発し出し、十秒、二十秒と無音の世界を刻んだ後。先に無音を破いたのは、ベルラザさんのため息だった。

「そうか、悪かった。いきなり現れた私が、お前らの中にずけずけ入り込み過ぎちまったな。私の悪い癖だ、許してくれ」

「それは百も承知だ。とりあえず、アカシックから手を離してくれないか?」

「分かったよ」

 口角を緩やかに上げたベルラザさんが観念し、掴んでいた私の胸ぐらを離したと同時。アルビスが急いで駆け付けてきて、地面に吸い込まれていく私の上体を、そっと抱えてきた。

「アカシック、大丈夫か?」

「……む、むりぃ。どこも、動かせにゃい……」

「だろうな……。余が支えててやるから、落ち着くまで安静にしてろ」

「あ、ありがとう……」

 私を心配してくれたアルビスが、凛とほくそ笑むと、小さくため息を吐きながら肩を落とし。呆れ気味な表情になると、その顔をベルラザさんへ移した。

「ったく。戦慄するほど殺意剥き出しだったのに、やけにあっさり引き下がってくれたな」

「当たり前だろ? 可愛い我が子と孫に嫌われたくねえもん」

 素直に引き下がってくれた理由を明かしたベルラザさんが、無邪気な笑顔を浮かべ。正直過ぎる理由に、アルビスの横顔が強張り出した。
 感情の起伏は激しいけど、切り替えがあまりにも早いせいで、まったく付いていけない……。体だって、そう。ベルラザさんに対しての恐怖は衰えておらず、震えが増していく一方だ。
 しかし、それは全て私が悪い。後日、改めてベルラザさんに謝り、清算し切れない罰をしっかり受けなければ。
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