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206話、闇産ぶ谷へ

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 なんだ、あの全身が黒いアカシック・ファーストレディは!? 仄暗い液体に満たされた奥底に、本物のアカシック・ファーストレディを引きずり込んでいっている。
 どうする? 得体の知れない空間だが、付いていってみるか? しかし、今は傍にサニーが居る。不思議と呼吸が出来るものの、余一人で行くべきか? それとも、サニーを守りつつ―――。

「ああ、クソッ! 穴が狭まってきた!」

「わっ!?」

 視界から黒いアカシック・ファーストレディが、闇に溶け込んだ矢先。奥の方から空間が閉じてきたせいで、慌ててサニーを抱きしめながら外へ体を出す。
 危ない。変に決断してしまい、あのままサニーを連れながら突入していたら、空間に潰されて余諸共圧死していた。
 あいつらが空間に飛び込む瞬間。アカシック・ファーストレディを連れ攫った物体の一部は、なんとか掴んで引き千切れたが……。あいつめ、目もくれず行ってしまった。

「……クソッ! 余の平和ボケが、ここまで進んでたとは……」

「そんな……、おかあ、さん……」

 純白の花に染まった沼地帯で、魔物が出現しなくなってから七年以上。新参者に対する警戒心も薄れていて、完全に油断していた。まさかサニーの目の前で、母親が連れ攫われてしまうなんて。
 今のアカシック・ファーストレディは、魔法が使えないただの子供。連れ攫った張本人は、正体不明の黒い何か。
 魔物、とはまた違う。余の左手の中で蠢いているこいつから、微かながらも精霊独特の魔力を感じる。属性は、余も馴染みが深い闇属性。
 まさか? しかし、現時点でそれ以外ありえない。目撃情報は一切無く、生息域も不明だが……。

「こいつ、闇の精霊か?」

「えっ……? アルビスさん、何か知ってるの!?」

 視界外から激しく余を打ち付けてくる、縋る思いに満ちたサニーの声。そうだ。今サニーは、母親が連れ攫われてしまい、未曾有の不安に駆られているはず。
 まずは、サニーの気を少しでも逸らして、なだめてやらねば。

「まだ分からんが。もしかしたら、奴から情報を聞き出せる可能性がある。なので、サニー。すまないが、余の右手から手袋を外してくれないか? 詠唱を省いた変身魔法を使いたい」

「変身魔法? ……なんで?」

 か細く震えたサニーの質問に応えるべく、握りしめた左拳を差し出す。

「この拳の中に、奴の体の一部がある。そいつを、変身魔法で作った蓋付きの空き瓶に閉じ込めて、尋問をするんだ。手伝ってくれるか?」

「え、あっ……。う、うんっ、分かった!」

 いまいち、事の流れを理解してくれていないようだが。光を失いつつあったサニーの青い瞳に、希望という名の活力を取り戻しながら、余の手袋を外してくれた。
 すかさず余は、近くにあった手頃な大きさの石に向かい、指を鳴らす。すると、石の下から小さな魔法陣が出現し、難なく直視出来る虹色の光が石を隠していく。
 数秒後。光が瞬きながら薄くなり、魔法陣と共に消滅。どうやら、変身魔法は無事に発動してくれたようで。石があった場所には、木栓付きの透明な空き瓶が置かれていた。

「サニー、あの空き瓶を持ってきてくれ」

「はいっ!」

 瞳だけではなく、声にもいつもの元気さが宿ってきたサニーが、駆け足で空き瓶の元まで行き。次のお願いをする前に、木栓を開けた空き瓶を差し出してきた。

「ありがとう。ついでに蓋もくれ」

「はいっ!」

 貰ったばかりの空き瓶を地面へ置き、右手に木栓を持つ。とは言いつつも、空き瓶の中で例の空間を出現させて、逃げられたらそこで終わりだ。後はもう、シルフ様頼みになってしまう。
 念の為、左手に居る奴を気絶させる意味を込めて、一回握り潰す。そのまま、左手を空き瓶入れて、素早く取り出して木栓を締め、空き瓶を顔を高さまで持っていく。

「……黒い液体、みたいですね」

「そうだな。む、形が変わってくぞ」

 モゾモゾと蠢く液体が、飛び跳ねたかと思えば。先ほどよりかなり小さいが、親指ほどの黒いアカシック・ファーストレディに姿を変えた。
 逃げ出そうとはせず、余らに顔を合わせては、ばつが悪そうな苦笑いをし出した。
 どうやら、体の一部であろうとも、感情は持ち合わせているようだ。それならば、話は早い。

「貴様、闇の精霊だろ? 率直に言う。貴様が連れ攫った子供に、掠り傷を一つでも付けてみろ? この世から、闇の精霊を一匹残らず根絶やしにしてやる。余は本気でやるぞ、覚悟してろよ?」

 殺意を含めて脅そうとも、闇の精霊は、首を必死に左右へ振るばかり。そことなく必死さが伝わってくる首振りよ。それが目的ではないと?
 なら、この闇の精霊は一体、何の為にアカシック・ファーストレディを攫ったんだ?

「貴様、何の目的で子供を攫った?」

『体が小さすぎて喋られないから、アルビスお兄ちゃんとは直接話してあげるね』

「むっ……!」

『あっ、声を出しちゃダメだよ! サニーお姉ちゃんにバレちゃうでしょ?』

 突然、アカシック・ファーストレディ本人の声が、頭の中から響いてきたせいで、思わず声を漏らしてしまったが……。どこか違和感のある喋り方だし、声の主はこいつと見ていいだろう。

『私に喋り返す時は、ウンディーネ様と喋る要領で話せばいいよ』

『……こうか?』

『そうそう! ああ、でも、声を出してる質問は続けてね。ここからは、私達だけでお話をしようよ!』

 余らだけで話? 突拍子もない流れに、頭があまり付いていけていない。だがこいつは、余やサニー、ウンディーネ様の名を知っていた。
 ならばこいつは、我々や大精霊様方と、なんらかの関りを持っているはず。初対面である、余とサニーの名を知っているのがいい証拠だ。

『まずは確証を得たい。貴様の名を言え。どうしてアカシック・ファーストレディを攫った? 貴様の目的はなんだ?』

『わわっ! いっぺんに言い過ぎだよ~。えと、私の名前は闇の精霊『プネラ』! 二つ目と三つ目の質問は、アカシックお姉ちゃんを治療する為だよ』

 プネラと名乗ったこいつが、闇の精霊だという予想は付いていた。肝心の連れ攫った目的は、アカシック・ファーストレディの治療。
 だとすれば、こいつはウンディーネ様とシルフ様の遣いか? しかし、まだこいつの口から、シルフ様の名は出ていない。そこを注意しつつ、話の真偽を詰めていこう。

『治療という事はだ。貴様はウンディーネ様の命により、アカシック・ファーストレディを連れ攫ったと?』

『連れ攫っていうのは、いまいち聞こえが悪いけど。まあ、アルビスお兄ちゃんやサニーお姉ちゃんからしたら、そう見えちゃうもんね。ごめんなさい、勝手にアカシックお姉ちゃんを連れて行っちゃって』

 プネラの声色から、確かな罪悪感がある所を察するに。本音を交えた謝罪、と受け取っていい。
 これを演技でやっていて、余を欺こうとしているのであれば、かなり芸達者な奴だ。

『謝罪は、余と直接会ってからでいい。まずは質問に答えろ』

『ああ、ごめん! ウンディーネ様とシルフ様も関わってるけど、アカシックお姉ちゃんを『闇ぶ谷』に連れて行ったのは、お父さんのお願いでだよ』

 あえて避けていたのだが。プネラがシルフ様の名を出してきた事により、こいつの言っている情報に信憑性が増し、ある程度の確証も得られるようになった。
 それに、こいつが口を開くと新たな情報が多々と増えていく。聞き出したい情報でもあったので、こちらとて好都合だ。話の流れが作りやすくて助かる。

『やみうぶたに? 父の願い?』

『うん! 『闇産ぶ谷』は、私の故郷だよ。闇の精霊が生まれる唯一の場所なんだ。お父さんもね、アカシックお姉ちゃんを治療したいらしくて、ここへ連れて来てくれってお願いされたんだ』

『だったら何故、わざわざアカシック・ファーストレディを単独で攫い、闇産ぶ谷へ連れて行った? 余らの前に出てきて、説明すればよかったじゃないか』

『私もね、最初はそう思ってお父さんに言ったんだけど……。二回目の治療に支障をきたすからとしか、言ってくれなかったんだよね』

『二回目の治療?』

『そうだよ。一回目は私がやって、二回目にお父さんがするんだ。でね、アルビスお兄ちゃん! 一つだけお願いがあるんだけど、いいかな?』

 この期に及んで、余にお願いだと? ようやく確証を得られたというのに、なんだか雲行きが怪しくなってきた。

『なんだ?』

『二回目の治療には、アルビスお兄ちゃんとサニーお姉ちゃんの協力が必要らしいんだって。だから悪いけど、闇産ぶ谷まで来てくれないかな?』

『は?』

 余とサニーの協力が必要だと? いよいよきな臭くなってきた……。いや、この考え方は早計だ。
 プネラの言い分からするに、こいつも全てを知らされていなく、ただ父の連絡役として使われている可能性だってある。次は、そこを探ってみるか。

『プネラ。貴様は、どこまで事の経緯を知ってるんだ?』

『え~っと……、どこまでだったっけ? アカシックお姉ちゃんが子供になっちゃったのは、自分で調合した薬をノーム様に飲まされちゃったせいだって、昨日お父さんから聞いたでしょ? 治療の仕方については、私の分は教えてくれたけど。お父さんの分については、頑なに教えてくれなかったんだよね。でも、アルビスお兄ちゃんとサニーお姉ちゃんの協力が必要らしいよ』

『ふむ……』

 アカシック・ファーストレディが子供になってしまった経緯は、ほぼ合っている。が、何故プネラの父は、二回目の治療について、全容を明かそうとしない? そこが引っかかる。
 そして、何もかもが未知数な闇の精霊が生まれる地にへなんて、サニーを連れて行ける訳がない。交渉の余地無しだ。

『すまないが、プネラよ。二回目の治療内容を明かさない限り、サニーは連れて行かない。余一人で行く』

『……ああ。やっぱり、そうなっちゃうよね? 本当にダメ?』

『駄目だ。それに、闇産ぶ谷とはどこにあるんだ? 余に用があるなら、貴様が余を連れて行けばいいだろ?』

『それについては、ごめん。もうアカシックお姉ちゃんの治療を始めちゃったから、私動けないんだ』

『なんだと?』

『本当にごめん! でも、道案内はしっかりするから、それで許して欲しいな』

 とどのつまり、プネラはアカシック・ファーストレディの治療をしながら、余と会話をしていると。大丈夫なのか? それ。
 アカシック・ファーストレディの体に、変な負担が掛かっていなければいいのだが。

『一回、質問を戻す。闇産ぶ谷とは、どこにあるんだ?』

『え~っと、アルビスお兄ちゃんが今居るのが、沼地帯でしょ? そこから海を越えて、雪原、雪山、『常闇地帯』を超えた先にあるよ』

『ゆ、雪山地帯の更に先だと?』

 余が休まず限界速度で飛んで行こうとも、海を越えるだけで十日以上は掛かる。それに加えて、ほぼ未踏の雪原と雪山を抜けて、初めて耳にする『常闇地帯』をも超えていけだと?
 あまりにもふざけている。この地は、血に飢えた魔物が蔓延る“迫害の地”だぞ? 沼地帯と花畑地帯、山岳地帯の一部を除けば、安全な場所なぞ、どこにも存在しない。
 一昼夜、無傷で過ごせたら奇跡と言ってもいいだろう。そんな危険を極めた地で、サニーと長旅をすれば、どのような結果を招くかは明白だ。

『アルビスお兄ちゃんだけだったら、難なく突破出来るでしょ? だから』

『貴様、ふざけるのも大概にしておけよ?』

『え?』

『貴様は最初、余とサニーの協力が必要だと言ったな?』

『う、うん。言ったよ』

『そして貴様は、余ら自らの足で『常闇地帯』へ来いと言ったな?』

『そうだね』

『サニーは人間の子供だぞ? ここから雪原地帯へ行くだけで、十日以上掛かる。しかもだ、海や海上には魔物も居るだろう。当然、襲撃は避けられない。更に、往復の事も考慮すると、約三十日間以上分の水と食料を持っていかねばならない。それらを踏まえた上で、危険な雪原と雪山、そして何もかもが未知数な『常闇地帯』へ、貴様はサニーも連れて行けと言ったな?』

『……あっ』

『貴様、サニーを殺すつもりで―――』

『アルビス、それ以上はやめてくれ』

 突然、なんともしおらしいシルフ様の声が割って入ったせいで、視界が限界まで広がり、余の口が強張ってしまった。

『し、シルフ様』

『すまねえ、アルビス。プネラも、言われた事をそのままお前に伝えてるだけなんだ。そう邪険に扱わないでやってくれ』

 この土壇場で、シルフ様の登場。余をなだめようとしている所を見ると、プネラとの会話を全て聞いていらっしゃったな?
 しかし、これでプネラとシルフ様達の関係は完全に透けた。プネラが今まで言ってきた事は、全て正しいと見ていい。
 だからこそ、気になる点がいくつか浮かんできた。何故シルフ様は、情報をちぐはぐにしか与えられていないプネラを仲介させ、自身は潜んでいたんだ?
 何もかもが分からん。あの方達は一体、裏で何をしている? 解呪方法を探すと言い、余らの家を飛び出してから、何をしていた? シルフ様は、我々に何を隠しているんだ?

『すみません、シルフ様。お言葉ですが、色々と納得がいってません。一から説明してもらえないでしょうか?』

『ああ。やっぱり、そうなるよな。正直、俺は話したくねえ。お前が分かりましたと言ってくれれば、俺はすぐにでも消えるつもりだ。でもお前は、それを許しちゃくれねえだろ?』

『はい。余に隠している事も含めて、洗いざらい吐いて頂けると助かります』

『後悔するぞ? いいのか?』

『事の経緯を知らないままでいるよりかは、遥かにマシです。さあ、シルフ様。逃げずに教えて下さい』

 引き下がらずに催促を続けるも、次なるシルフ様の返答は来ず。この渋りよう、何か嫌な予感がしてきた。
 余が聞いたら、後悔する内容。アカシック・ファーストレディの、容態についてか。それとも、二回目の治療内容についてか。はたまた。

『……分かった、言ってやる。けど、大精霊という立場上、言えねえ事がいくつかある。それだけは勘弁してくれ』

『はい、分かりました。では、お聞かせ願います』
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