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178話、その手厚さ、女神の如く

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「は……?」

 ヴェルインに期待には、絶対に応えないと決心してから約十分後。足を忍ばせつつ例の広場に戻って来た矢先。
 にわかに信じがたい光景を目にしてしまったせいで、渾身の呆れ声を発する私。
 広場では、奴隷姿のサニーが居るのかと思いきや。そのサニーはというと、純金の王冠をかぶり、王様が羽織っているような真紅の上衣を身に着け、先ほどゴブリンがふんぞり返っていた豪華な椅子に座っており。
 壁沿いで静観していたゴブリン達は、サニーを起点として何重の円を描いた形で正座をしていて、『女神様』と言いながら崇め奉っている。

 そして極めつけは。苦笑いが絶えないサニーの元へ運ばれていっている、煌びやかな黄金の大皿に盛られた、城の披露宴とかで出てきそうな豪勢たる料理群。
 私達の誕生日に出てくる、アルビス特製の料理が霞んで見えるほどに豪勢だ。一通りの料理を確認してみたけど、とにかくすごく美味しそうという感想しか浮かんでこない。
 しかも、全ての料理が出来立てなのか。どの料理からも熱々な白い湯気が昇っている。ああ、もうすごい。音楽隊が出てきたり、紙吹雪まで舞い始めた。

「……なあ、ヴェルイン? なんだこれ?」

「すっげえだろ? サニーちゃんが、ゴブリンの願いを三回叶える度に行われる慰労会いろうかいだ。見るのは二回目だけど、一回目より豪華だな」

「あの肉塊や野菜、『タート』の六階層以降でしか売ってない特級品じゃないか。よく買えたな」

 未だに私を背負っているアルビスが、やや声を弾ませて言う。

「六階層以降って、貴族の居住区がある層じゃないか。なら、相当高いんだろうな」

「ああ、肉塊だけでも金貨三百枚はくだらんぞ」

「き、金貨三百枚……?」

 金貨三百枚って、一階層で大きめの一軒家が建てられる額だぞ? ……少しだけでいいから、私も食べてみたいなぁ。あの黄金の肉汁が滴っている肉塊。

「あのー、ゴブリンさん。私の事はいいですから、そろそろ続きをやりましょう」

「ええっ!? もうよろしいのですか!?」

 サニーの気が引けていそうな提案に、辺りのゴブリン達が騒然とし出し、一斉にサニーの方へ向いた。なんだか、あからさまに大袈裟な反応だ。

「はい。料理もそんなにいっぱい食べらないので、ゴブリンさんが食べてください」

「おお、なんとお優しきお言葉を! 我々ゴブリン一同は、女神様の慈善心に触れられた事を光栄に思い、後世まで必ず語り継いでいきまする……!」

 サニーの親切心に当てられて、感極まり大粒の涙を流し始めたゴブリンを筆頭に。周りに居るゴブリンも『女神様ー!』と涙声を揃え、再びサニーを崇め奉っていく。
 慰労会というよりも、もはや一種の宗教に近い。というか、サニーの呼称は基本『女神様』なのか。なるほど。ゴブリン達も、そこだけはちゃんと理解しているようだ。うん、よろしい。

「それじゃあ、今度は俺様の願いを叶えてもらおうかあ?」

 意気揚々に名乗りを上げたのは、小柄なゴブリンに比べると、そこそこ筋肉隆々でガタイが良いゴブリン。強面な表情をしているけど、サニーは大丈夫かな?
 その強面なゴブリンが、ふてぶてしくサニーの正面に立ったが。なんだか、話し合っているようだ。互いに真剣な表情をして、時折うなずいたりしている。
 結構長く話し合っているけど、もしかして打ち合わせをしているのだろうか?

「それでは女神様、僭越ながらよろしくお願い致します」

「わかりました! それじゃあ、指定の服に着替えてきますね」

「女神様。こちらに試着室をご用意致しましたので、よろしければどうぞ」

「わあっ、ありがとうございます!」

 一匹のゴブリンに誘われたサニーが、丁寧にお辞儀をしてから試着室とやらに入っていった。あの移動式の試着室、やたらと大きくないか? 数人が住めそうなほどの広さがあるぞ。
 サニーが試着室に入ったと同時。手の空いているゴブリン達が、豪華な椅子の正面にある道に、やたらとふわふわしていそうな土を敷き始めた。
 不自然さが出ないよう、念入りにならしているけども。まさかあの土、アルビスが言っていた土か? だとすると、サニーはまた鉄球付きの足枷を―――。

「着替え終わりました!」

 試着室から元気の良い合図が聞こえてくると、鉄球を両手で軽々と持っているサニーが出てきた。やはり、あの鉄球。どう見ても本物しか見えない。
 それのせいで、違和感が凄まじいんだ。もうサニーが、やたらと怪力そうな少女にしか見えない。服装もそう。先ほどと同じく、くすんだ灰色をしたボロボロの一枚布だけど。
 よーく見てみると、そういう風に編まれた毛糸の服だ。モコモコしているし、見た目以上に着心地が良さそうだぞ。

 そんな、待遇が手厚い奴隷と化したサニーが、鉄球付きの足枷を地面に置くと、一匹のゴブリンが慎重に装着していく。
 そして、また別のゴブリンが、赤い果実を乗せた銀色の四角いお盆を、サニーへ差し出した。

「どうぞ、女神様」

「ありがとうございます! ゴブリンさん、始めても大丈夫ですか?」

「は、はいっ! 俺様……、僕の事は気にせず、女神様のタイミングでお始めなさって結構です!」

 いつの間にか、背筋を立てて礼儀正しく座っていたガタイのいいゴブリンが、慌てて立ち上がり。わざわざ一人称を変え、土下座をする勢いで深々とお辞儀をした。
 少し前の、悠々とした態度はどこへ行ったのだろう。まるで、一仕事を終えたかのように汗をかき、ため息をつきながら手の甲でぬぐっている。

「それじゃあ、始めますね!」

「はいッ! よろしくお願い致しますッ!」

 気合の入ったゴブリンの言葉を最後に、広場は瞬時に濃い緊張と静寂に包まれた。耳鳴りだけが聞こえてくる、物音一つさえしない無音。
 その、眼球を動かす事すら躊躇ためらう静寂の中。サニーは深い恐怖に蝕まれているのか。
 両手で持っているお盆をカタカタと揺らし、口を固く噤んで鉄球を引きずりながら歩いている。

 表情は、あらゆる絶望に塗り潰されたかのような真顔。青い瞳に生気は無く、足取りも前へ行く事を拒んでいそうな程に重い。
 それにしても、ゴブリンが敷いたふわふわの土よ。いくらなんでも敷き過ぎじゃないか? くるぶしまで隠れているぞ。

 サニーがゴブリンの元へ近づいていく度に、体の震えが増していく。足取りも更に重くなった。鉄球と一緒になって、足跡ではなく線を築いている。
 そして、サニーの顔から血の気が無くなっていき、とうとうゴブリンが鎮座している椅子の前まで来た。
 あのゴブリン、いまいち役を演じ切れていないぞ。一見、ふてぶてしくふんぞり返っているけども。どこかそわそわしていて、背筋の正しさは未だに健在だ。

「……ゴブリン様、お食事をお持ちしました」

「うむ」

 掠れ切った声で喋ったサニーが、お盆を恐る恐る掲げた。ゴブリンが取りやすいよう、両手をちゃんと伸ばしている。サニーって、あんな演技も出来るのか。
 少しの間を置き、ゴブリンが赤い果実を雑に取る。その果実を荒々しく齧った途端、ゴブリンの首辺りに太い怒り筋が立った。

「なんだぁ、この不味い食事はぁ? 腐ってやがんな? てめえ、わざと持ってきただろ?」

「そ、そんなはずはありません……! ちゃんと新鮮な食材を選び、ゴブリン様の為に丹精込めて作りました!」

「人間風情が、俺様に嘘をつくんじゃねえ!」

 耳を劈く怒号を放ったゴブリンが、勢いよく立ち上がる。が、そこで二人共停止した。

「一、二の三で、お盆を投げますね」

「はい、分かりました」

 何かボソボソと喋っているようだが、周りが静かだし洞窟内ともあってか、声がよく響いている。一句残らず全部丸聞こえだ。

「行きますね。せーの、一、二の三っ」

「ふざけやがってえッ!」

 サニーがそっと放り投げたお盆を、激しい轟音を立てながら地面へ叩き落とすゴブリン。けど、音だけだ。お盆はひしゃげていないし、無傷である。

「きゃあっ!」

「舐めやがってぇ、ぶっ飛ばしてやる!」

「い、いやぁぁああーーっ!」

 仰け反ったサニーが甲高い悲鳴を上げ、怒り狂ったゴブリンが右手を振りかざすも、そこでまた二人が停止した。
 いや、ほんの僅かだが。指先に虫が止まりそうな微々たる速度で、ゴブリンの右手がサニーに向かって動いている。
 ……あれ? ゴブリンの右手、よく見てみると爪が無いぞ。左手には、歪に曲がった半透明の爪が生え揃っているというのに。まさか、サニーを傷付けまいと、わざわざ切ったのか?

 一秒毎に、一cm動いているのか怪しい右手が、眠気を誘う速度でサニーへ近づいていく最中。サニーの背後に、ふかふかな羽毛布団が五枚ほど重ねられていく。
 あの、遠目から見ても厚手だと分かる羽毛布団。明らかに高級品だ。サニーの背後に敷かれたという事は、ゴブリンに引っ叩かれた後、吹っ飛ばされて羽毛布団に着地すると?
 アルビスとウィザレナに、念を押されて脅された事もあるのだろうが。サニーを絶対に傷付けないという配慮と安全策が、そこらかしこに張り巡らされている。

 羽毛布団が用意されてから、約一分後。ようやく、ゴブリンの右手がサニーの左頬に触れた。しかし、演技はまだ終わっていない。
 ちゃんと引っ叩かれた事を表現をしているようで、今度はサニーの顔がじりじりと動いている。
 あと、サニー達の近くに、膨れた紙袋を持ったゴブリンが居るけども、あいつは何をしているんだ?

「ほう、音まで用意するのか。あれも、どうにかして魔王ごっこに取り入れられないだろうか」

「音?」

 静寂をそっと切る、アルビスの関心し切った声に、思わず反応する私。

「ほら。頬を叩かれると、パンッという高い音が鳴るだろ? たぶんだが、その音を紙袋で代用するつもりでいるんだろう」

「ああ、なるほど。確かに、紙袋を破裂させると似たような音が鳴るな」

 アルビスが立てた予想の答え合わせをするかのように、ゴブリンが紙袋を叩き潰し、甲高い炸裂音を鳴らした。

「きゃあっ!!」

 その音を合図に、サニーが自らの足で後方へ飛び、無事に羽毛布団へ着地した。やはり、羽毛布団も置き過ぎじゃないか? サニーの体が完全に沈んでしまい、ここからだと姿がうかがえない。
 けど、そこにちゃんとサニーは居るようで。不味い飯を食わされて激怒したゴブリンが、羽毛布団に向かって指を差した。

「今すぐ作り直してこい!! 次、また不味い飯を出したら、ただじゃおかねえぞ!」

「ヒッ……! す、すみません、すみません! すぐに用意します!」

 どうやら、ここまでが一連の流れらしく。まばらに拍手の音が鳴り出したかと思えば、瞬く間に拍手喝采へと変わっていった。

「女神様! 大丈夫ですか!?」

 拍手の嵐を吹き飛ばさんと、血相を変えて羽毛布団に駆けていくゴブリン。あんな万策が備わった配慮が設けられているのに、何かあったらたまったもんじゃないぞ。

「私は大丈夫ですけど。ゴブリンさん、あれでよかったですか?」

「はいッ! 文句の付けようがない程、完璧な内容でした! 死んでも恥ずかしくない冥土の土産が出来たので、僕は大満足ですッ!」

「そ、そうですか。それならよかったです!」

 一連の感想を纏めると、ゴブリンが羽毛布団に手を差し伸べて、沈んでいたサニーを救出した。……いいんだ、あれで。

「どうよ、レディ。この、サニーちゃんへの忖度が極まった演劇はよ?」

「……まあ、あれでゴブリン達が満足するなら、いいんじゃないか?」

 やや無駄な気疲れした私は、アルビスの頭にアゴを置き、鼻から小さくため息を漏らした。
 無理をして悪役を演じるぐらいなら、やらない方がいい気もするけど。サニーも楽しんでいるようだし、あれがゴブリン達にとって立派な冥土の土産となるのであれば、やらせてやってもいいかな。
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