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75話、幼い勇者は生かして帰す

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「私は何をすればいいんだ?」

「そうだな~。とりあえず体を家の方に向けて、うつ伏せで寝てくれ。そうすりゃあ、サニーちゃんの姿がよく見えるだろ?」

「なるほど、分かった」

 ヴェルインに言われるがまま、家がある方へ向き、その場でうつ伏せになる私。数年前までここら一帯は、ぬかるみが絶えない沼地帯だったものの。
 今はゴーレム達に踏み固められ、数多の花を植えてくれたお陰か。青々しい草が生え揃っているので、寝っ転がっても服が汚れる事はない。
 そよ風に遊ばれている草を目で追っていると、不意に腰辺りに柔らかな衝撃が走り、重みを感じる様になった。
 顔を後ろにやってみると、両頬部分がだらしなく垂れ下がっているヴェルインが、私の腰の上に乗っていた。
 ちょうどいい重さだ。もしかすると、そこで跳ねてくれたら気持ちが良いかもしれない。

「こうすれば、襲われてるように見えるだろ?」

「確かにそうだな。ヴェルイン、ちょっと何回か跳ねてみてくれないか?」

「ん? こうか?」

 私のわがままが篭っている指示に、素直に従うヴェルイン。跳ねられる度に、心地よい振動が腰を刺激してくる。弾力があるから、まったく痛くない。

「お、お、おっ、おっ、おおっ、おおっ」

「おい。変な声が漏れてるけど痛いのか?」

「だ、だいじょーぶだ、痛くにゃい……」

「今度は、ずいぶん腑抜けた声だな。跳ねるのやめるか?」

 跳ねるのをやめる? 一体何を言っているんだ、こいつは? やめるだなんて以ての外だ。逆に、もっとやってほしいというのに。

「いや、続けてくれ」

「続ける? なら、サニーちゃんを呼んだ方がいいんじゃねえの?」

「そ、そうだな……」

 はぐらかす様に相槌を打ち、黙り込む私。早くサニーに助けてもらいたいが……。もっと腰を刺激してほしいと願っている自分がいる。
 というか私、腰が酷く凝っているんだな。まったく意識していなかったから、気が付かなかった。だから、こんなにも気持ちが良いのか。一生やっていてほしい。

「レディ? なに黙ってんだよ?」

「だいじょーぶぅ、だいじょーぶだからぁ……」

 まずい、至福の振動のせいで呂律が回らくなってきた。そろそろ不審に思われそうだ。

「何が大丈夫なんだ?」

「あのー、だなぁ……」

「なんで言葉に詰まってんだよ? それに俺は、いつまでこうしてりゃあいいんだ?」

「……ずっとぉ」

「ずっと? ……あ、てめえ!」

 とうとう私の目論見に気が付いてしまったのか。ヴェルインが声を荒げたと同時に、後頭部が急に重くなり、顔が勝手に地面へと向く。
 すぐに軽くなったものの、目の前がふっと暗くなったので、顔を恐る恐る上げてみる。すると視界に満遍なく、しかめっ面をしているヴェルインののっぺり顔が映り込んだ。
 距離は、おおよそ五cmあるかないか。……凄まじい威圧感だ。スライムの姿には似つかない牙を覗かせている所を見ると、間違いなく怒っているな。

「あのよ? 俺はほぐし屋じゃねえんだよ。早くサニーちゃんを呼べ」

「す、すまなかった……。今から呼ぶ」

 名残惜しみながら謝ると、ヴェルインが私の頭の上に乗ったかと思いきや。すぐに頭は軽くなり、今度は腰周りが重くなった。
 本当なら、満足するまで跳ねていてほしかったが……。ヴェルインの好意を、これ以上無下には出来ない。仕方ない、本来の目的を果たそう。

「サニー、ちょっと来てくれ」

「おい、馬鹿かてめえは?」

「む?」

 サニーを呼んだというのに、背後から焦りを含んだヴェルインの暴言が聞こえてきた。不思議に思った私は、視野を狭めつつ後ろへ振り向く。

「何か、間違った事でも言ったか?」

「最初から全部間違ってんだよ! てめえは今、魔物に襲われてるっつーのに、なーに普通にサニーちゃんを呼んでんだ! 悲鳴を上げろッ!」

「あ、そうか」

 そうだ。この場面だと、私は悲鳴をあげなければならないんだ。……悲鳴か。迫害の地に来てからこの方、魔物に襲われたとしても、悲鳴なぞ一度も上げた事が無い。
 悲鳴、悲鳴……。『キャー』とか『ウワー』と叫べばいいんだ、よな? そんな恥ずかしい叫び声を、素の状態で上げないといけないのか。

「ったく、次は真面目にやれよ?」

「わ、分かった」

 まずい、ヴェルインが呆れ返ってきている。一応真面目にやっているつもりだったが、もっとちゃんとやらねば。
 顔を前に戻し、深呼吸をする。小さく咳払いをして喉の調子を確かめた後、もう一度息を大きく吸った。

「うわー」

 よし、普段よりも大きめの声が出せた。手応えありだ。これならサニーも私の声に気が付き、家から飛び出して来るだろう。
 が、十秒待てども、サニーは家から出て来ない。なぜだ? なぜ出て来てくれないんだ?

「声が小せえよ。もっと腹から出せ」

「なに?」

 ヴェルインの信じ難い文句に、再び後ろを向く私。

「今のでも小さいのか?」

「お前にしちゃあ大きかったけどよ、まだ小せえな。家から二十mぐらい離れてんだぞ? 流石に聞こえねえだろ」

「むう、そうか……。少し家に近づいてもいいか?」

「そうだな。そうした方がいいだろ」

 ヴェルインから許可を得られたので、自分の体に『ふわふわ』をかけ、寝そべったまま移動を開始する。
 約五mほど進んでからヴェルインの反応をうかがってみるも、体を左右に振った。まだ遠いのか。なら、もう五m近づいてみよう。

「うっし、ここなら聞こえるだろ」

「家からかなり近いな」

 距離にして約十m前後。すごく近い。しかし、これで私の悲鳴もサニーの耳に届くはずだ。地面にゆっくりと下り、『ふわふわ』を解除する。

「よし、叫ぶぞ」

「おお、思いっきり叫べよ」

 念を押されてしまったが、無論そうするつもりだ。ヴェルインが満足する悲鳴を上げてやる。私だってやれば出来る所を見せてやろうじゃないか。
 先ほどよりも深く息を吸い込み、吸い込んだ以上に吐き出す。目を瞑り、己に強く叫ぶんだと言い聞かせ、覚悟を決めてから目を開けた。

「うわあーっ」

「お、さっきよりかはマシだな。これならサニーちゃんにも聞こえるだろ」

 私の迫真の叫びに、感銘を受けたような感想を述べるヴェルイン。当たり前だ、渾身の叫びだからな。もうこれ以上の悲鳴は出せない。
 ヴェルインが腰の上で跳ね出したと同時に、家の扉が乱暴に開き、サニーが飛び出してきた。
 そのまま右側をバッと向き、こちら側に顔を向けた途端、サニーの表情が驚愕したものへと変わる。

「お、お母さんっ!? コラーーっ!」

「ぐぇっへっへっへっ。オラオラァ! もっと痛め、ぶふぉっ!?」

 腰の上で跳ねていたヴェルインが、駆けて来たサニーに両手で押し出され、柔らかい楕円の体が文字通りくの字になり、後方へ飛んでいく。
 てんてんと転がっていくヴェルインを眺めていると、鼻をふんすと鳴らしているサニーが視界を映り込み、心配している表情を私に合わせてきた。

「お母さん、大丈夫っ!?」

「ああ、お陰でな。助かった」

「本当に? どこも痛くない?」

 むしろ、気持ち良かっただなんて言えるはずもなく。滑りそうになった口を紡ぎ、小さく頷く。
 無言で体の状態を伝えると、サニーは懐から秘薬入りの容器を取り出し、私に差し出してきた。

「これ、サニーの秘薬! 飲んでちょっと待っててね!」

「待ってて? 何かするつもりなのか?」

「うん! あのスライムさんを叱ってくる!」

 やや怒り気味に声を張ったサニーが、体勢を直し切れていないヴェルインの元へ走って行く。
 倒すや殺すといった物騒な解決法ではなく、叱るという選択を選んだか。サニーらしい、とても平和的な解決法だ。
 とりあえず秘薬を飲み、全快したていを装いつつ体を起こし、サニーが居る方へ体ごと向けて、その場に座り込んだ。

 目線の先には、ヴェルインの体を引っ張っているようで。背中を見せているサニーの両脇腹から、伸びに伸びているヴェルインの体が見えている。
 かなり伸びているが……。なるほど、客観的に見ると痛そうだな。

「コラっ! お母さんをイジメるなっ!」

「ご、ごめんなじゃい、ごめんなじゃーい……」

 今の声は、ヴェルインの物か? やたらと甲高かったし、少女を思わせる幼そうな声だったぞ? あいつ、あんな声を出せるのか。

「なんでお母さんをイジメたの!?」

「つい、出来心で……」

「出来心でも、お母さんをイジメちゃダメっ! イジメるのはとっても悪いことなんだよ!? それと、他の人もイジメちゃダメだからね! わかった!?」

「はい、はい……。ずみまぜんでじだぁ……」

 どうやら叱り終えたのか。サニーが、ヴェルインの体を掴んでいた両手をパッと離した。
 そのせいでヴェルインの姿は、ここからでは完全に見えなくなり、地面に落ちたであろうヴェルインを追うように、サニーもしゃがみ込んだ。

「む~っ」

「ひ、ヒィッ……」

 片や、可愛い唸り声。片や、甲高い女々しい怯え声。現在のやり取りを横から見てみたい。
 サニーは一体どんな表情で怒っているのか。ヴェルインは、あの顔でどんな怯え方をしているか、ものすごく気になる。

「本当にもう、イジメたりしない?」

「はい、二度としません……」

「本当に本当っ?」

「はい、本当に本当です……」

「絶対に?」

「絶対にですぅ……」

 サニーの執拗な確認に対し、ヴェルインの声がだんだんと涙声になってきた。あいつめ、あんな演技も出来るのか。
 暫し、ヴェルインの嗚咽が木霊した後。サニーが茂みに向かい、すっと指を差した。

「じゃあ、もうお家に帰りなさいっ」

「はいぃ、すみません……。ありがとうございますぅ……」

 やっとの思いで帰宅する事を許されたヴェルインが、サニーの影から飛び出し、跳ねながら茂みの奥へと消えていった。
 少しだけ横顔を見れたが……。涙を流していて、鼻水を豪快に垂らしていたな。演技で涙を流せるとは、なかなかすごいじゃないか。
 視線を茂みからサニーへ戻すと、サニーも茂みに顔を移していた。勇敢な横顔だ、キリッとしている。間違いなく勇者の面立ちだ。
 その勇者サニーは鼻をふんすと鳴らし、私の元へ戻って来ては、ふわりと満面の笑みを送ってきた。

「お母さん、もう大丈夫だよ! ちゃんと叱っておいたから安心してね」

「ああ、ずっと見てた。助けてくれてありがとうな、サニー」

「お母さんを守るって決めたからね! 当然のことをしたまでだよ! ……でも」

 途中で語る口を濁らせたサニーが、私の体に飛びついてきて、強めに抱きついた。

「ちょっと、怖かったかも」

 本音を漏らしたサニーの声は、若干震えている。そりゃそうだ。魔物を素手で相手をするだなんて、相当怖かっただろうに。
 先ほどまでは確かに勇者だったけど、今はいつものサニーだ。心を落ち着かせてやらないと。そう決めた私は、サニーの頭をそっと撫でた。

「すまないな、怖い思いをさせてしまって」

「怖かったけど……。お母さんは、私以上に怖かったでしょ?」

 サニーの返しに、言葉が詰まる私。だんだんと罪悪感が湧いてきた。この一連の流れは、ヴェルインが私に気を利かせて提案してきたものであり、私もそれに即答で乗ってしまっている。
 私を守ってくれたものの……。結果的にサニーを怖がらせてしまった。冷静に考えてみると、全員でサニーをイジメた事になるんじゃないか?
 そういう答えに行き着いたせいで、左胸がチクリと傷んだ。

「ああ、そうだな。本当にすまなかった」

「なんでお母さんが謝るの?」

「私が弱かったせいで、サニーを怖がらせてしまったんだ。私ももっと強くならないとな」

「ううん、無理して強くならなくてもいいよ」

 そう言ったサニーが、私の体から顔を離し、頼り甲斐のある笑みを浮かべる。

「だって、私がお母さんを守ってあげるんだから」

 なんとも力強く、私の心に深く響いてくる言葉だ。未だに残っている罪悪感ごと吹き飛ばし、また甘えたくなるような魅力がある。
 本当はここで断るべきなのだが……、もう一度だけ甘えてしまおうか。

「……そうか。それじゃあ今後も頼むぞ、勇者サニー」

「うんっ、任せてっ!」

 ああ、私はなんて駄目な母親なんだ。六歳児の愛娘に甘えてしまうだなんて。サニーに甘えるのは、あと一回だけだ。それ以上は決して甘えてはいけない。あと一回だけ、あと一回……。
 己に言い聞かせる様に反芻はんすうを続ける私は、サニーを抱っこしたまま立ち上がり、茂みの様子を見てから家に戻って行った。
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