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52話、折れかけた心と“楽”しみに思える心
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「一人で風呂に入るなんて、久々だな」
過去に執事の経験があるアルビスの気迫に押され、頭と体を洗ってから風呂に浸かったものの。数年振りに一人で入ったせいか、色々と余計な事が頭に浮かんできてしまう。
例えば、お湯の温度が肌で感じ取れない事。一応、火の魔法で四十℃に調節してあるが、やはり温度が一切感じない液体に浸かっている気分にしかならない。
孤児だった頃の幼少期は、風呂は一つの楽しみだった。ピースと一緒に温かい風呂に入り、互いに背中を流し合い、笑いながら風呂のお湯をかけ合いしていたな。あの時は、とにかく全てが楽しかった。
今はサニーと一緒に入っているが、当時と比べると状況がまるで違う。お湯の温度は感じない。サニーに『気持ちいいね』とか『温かいね』と言われ、『そうだな』と嘘をつけば、左胸がチクリと傷む。
体に新薬の副作用が起きている今の私には、風呂は気持ちよくないし、温かくもない。全ての相槌が嘘になってしまう。
だからこそ余計に、この副作用をなんとかしたいのだ。今までの付けが全て回ってきたと諦め、受け入れるしかないのだろうが……。私の身勝手なわがままが叶うのであれば、昔の様なまともな体に戻りたい。
もし、まともな体のままでサニーと出会い、今の今まで過ごしてきたら、喜怒哀楽の『楽』の感情も、戻っていたかもしれないのに。
私は赤ん坊のサニーと出会う前の八十年間、全て間違った事をしていた。がむしゃらに魔物や獣を殺し、なんの作用があるのか分からない新薬を作り続けては、己の体で試していた。
中には禁薬も混じっていたはず。禁薬を作る行為は、街や国では重罪に値する。下手したら即刻死刑だ。迫害の地で作っていたからバレてはいないだろうが、神の目までは欺けなかったのだろう。
だから罪深い罪人である私はもう、まともな体には戻れないし、身近にある幸せをも掴み取れない。そして、大切な彼であるピースを生き返らせる事は、未来永劫出来ないのだろうな……。
「そんなの、嫌だなぁ……」
震えた小声の弱音が、天井に向かって昇っている白い湯煙に溶け込み、辺りに霧散していく。一人で居るせいか自暴自棄が止まらなくなり、考える事全てが悪い方向へ行ってしまう。
これ以上一人で居ると、自ら作った底無し沼に囚われた心が、折れてしまいそうだ……。
「……出るか」
完全に滅入った体で立ち上がり、熱くも冷たくもない風呂から出る。底無し沼に囚われたままの重い腕で体を拭き、ローブを着てからアルビス達が居る部屋へ戻った。
そのアルビスはというと、未だにサニーを『ふわふわ』であやしていて、私の気配に気が付いたのか、「む」と短い言葉を発した。
「ずいぶんと早いな。無様な髪の毛は元に戻ったのか?」
「……ああ」
「ん?」
返事をしたのか自分でさえも分からない程、掠れ切った声を出してしまったせいか。私の方へ向いたアルビスの龍眼が、不機嫌そうに細まっていく。
「髪の毛が戻ったかと思えば。それ以上に無様な顔になりおって」
「顔?」
「そうだ。余以外の者には分からぬ程の細かな変化だが、余の眼はそれに敏感でな。そうそう誤魔化せんぞ?」
顔。アルビスの言い方だと、ほとんど表情は変わっていないようだが……。沈み切った今の気持ちが、僅かながらに顔に出ているのだろうか?
「……だから何だって言うんだ?」
「ほう、この短い間で相当落ち込んだようだな。普通、風呂に入れば良い気分転換になると思うんだが」
「……お前には関係ないだろ」
ダメだ。アルビスの言う通り、私は落ち込んでいるのかもしれない。それに、今の返しはなんだ? ただの八つ当たりじゃないか。アルビスは何も悪くないというのに。
「ふむ。何か思い詰めていて、気に病んでる様にも見えるな。余に話してみろ、聞いてやる」
「お前が?」
「そうだ。今の余は、元執事の血が騒いでるからな。そういう輩を見過ごせんのだ。気に病んでる輩を無視するなぞ、執事にとっては言語道断。率先して話を聞き、心の世話までしてやるのも勤めの一つだ。それはアカシック・ファーストレディ、貴様も該当してるぞ」
「私も?」
驚いて普通の返答をしてみれば、アルビスは黙って頷いた。
「ああ。今後、貴様とは長く付き合っていくだろうから、多少なりの世話はしてやる。貴様が何で気に病んでるかまでは知らんが……。一人で抱え続けていると、その内心が潰れてしまうぞ?」
確かに。あの短時間で私の心は折れかけて、潰れそうになっていた。執事をやっていると、そこまで相手の気持ちが分かってしまうのだろうか?
私の全てを見透かしていそうなアルビスが、「で」と続けた。
「何があったんだ?」
「……今は、まだ誰にも話したくない内容なんだ」
「なるほど。その気に病んだ原因は、これまでで何回もあったのか?」
「いや……、今日が初めてだ。久々に一人で風呂に入ったせいか、色々と考え込んで自暴自棄になってた」
「結果、気に病んでしまったと」
そう言ったアルビスが、空いてる手を顎に添える。
「風呂に入るよう促した余のせいでもあるみたいだな。それについては謝ろう、すまなかった」
「いや、お前は何も悪くない。全ては私が悪いんだ。私が、最初から全て間違えた事をしてたから……。全てに行き詰って、諦めそうになってた……」
「そうか、ならいい。貴様にも追い求めてる夢みたいなものがあるんだな。意外だったぞ」
「夢というよりも、夢物語みたいな感じだ。この世で誰も成し得た事がない、空想論でしか語れない、雲を掴むような領域の夢だ。まるで話にならない」
「夢物語、ねえ。途方にもなく大きな夢だな。その夢、叶えられる算段はあるのか?」
「……ない。叶えられるまでの道筋が、まったく見えてこないんだ。どうすれば叶えられるのか、何をすれば正解なのかさえも分からない」
そう。八十年以上も追い求め続けてきたが、結果はほぼ皆無。何も進んじゃいない。目に見えた成果と言えば、体に副作用を起こしただけ。
それと、無意味に強くなってしまった事ぐらいだろうか。本来の夢であるピースを生き返らせる事については、一歩たりとも進んじゃいない。私はこの八十年もの間、一体何をしてきたんだ……?
「なら、その夢を諦めるのか?」
「夢を、諦める?」
「そうだ。追い求めてる夢が大きければ大きいほど、超えるのが困難な壁にぶつかり、心が折れてしまいそうな思いをするだろう。今の貴様がそうだ。まだ折れてはいないものの、もうひと押しで折れてしまうような状態だ」
語り出したアルビスが、一呼吸置く。
「夢の種類にもよるが、叶えるのは困難を極め、数多の時間を必要とする場合がある。だが、諦めるのは非常に簡単だ。思考を放棄し、追い求めるのを止めるだけでいい。ほんの僅かだろうが、気も楽になる。貴様には、別の夢はあるのか?」
「別の夢?」
「そう、別の夢だ。まさか、追い求めてる夢が一つだけではなかろう?」
「……ある。サニーを幸せにしてやる事だ」
「ほうっ。実に母親らしい、素晴らしい夢ではないか」
「そうだろうか?」
「そうだ。当たり前な事だと思っていても、案外労力を有して大変なんだぞ? 後は、その夢を諦めずに叶え続けるだけだな」
夢を叶え続ける……。そうだ。サニーを幸せにしてあげる夢には、終わりが無い。口で言うなら簡単だが、実際やってみるとなると、かなり大変な事だろう。
それに今、サニーが幸せを感じているのかどうか、私には分からない。聞いてみる必要がある。……聞くには、それ相応の覚悟と身構える必要があるな。
サニーの返答次第では、私の心が折れてしまう可能性がある。……いや、この心だけは折ってはいけない。何度折れてしまっても関係無いんだ。
私は、サニーを幸せにしてやると決めたんだ。この夢と決心だけは、絶対に諦めてはいけない。もし諦めてしまったら、私という存在意義が本格的に無くなってしまう。
ピースを生き返らせるという夢だってそうだ。この夢に向かっている歩みも、決して止めてはいけないんだ。道筋が見えないからなんだっていうんだ? 道筋が無いのであれば、私自らが作ればいいんだ。
それをする為に迫害の地に来て、八十年以上も追い求め続けてきたんじゃないか。……そうだ、心を折ってる暇なんてない。その夢を叶える為に、また歩み始めなければ。
「でだ、アカシック・ファーストレディよ。もう二つだけ、余から質問がある」
「質問? なんだ?」
「まず一つ目。まだ答えを聞いてないやつだ。貴様は、先ほどの夢を諦めるのか?」
先ほどの夢。内容までは伝えていないものの、これはピースを生き返らせる為の夢だ。
もう答えは決まっている。いや、決める以前の問題だ。元々一つしかない。諦めるだなんで、以ての外だ。
「いや、諦めない。成し遂げるまで追い続けてやるさ」
「ほほう、いい返事だ。なら、最後の質問といこう。貴様は今、気に病んでるか?」
「え? ……あっ」
アルビスに言われるまで気が付かなかったが、不思議と心が軽くなっている。苛立ちもなくなっているし、むしろ気分が良い。
おもむろに左胸に手を当て、自然とアルビスの方へ顔を向けた。すると、柔らかい笑みを浮かべているアルビスの顔と合った。
「その様子だと、気に病んでないようだな」
「あ、ああ。ずいぶん楽になった」
「よろしい。どうだ? 悩みの一部を他人に打ち明けるだけでも、かなり気が晴れるだろ?」
「そうだな。ここまで変わるだなんて……」
そう素直に告げると、アルビスの顔がサニーの方へ戻る。
「よかったな、余がここに居て。ヴェルインやクロフライムでは、貴様の気の病みは払拭出来なかっただろうな」
二人には申し訳ないが、確かにと思ってしまった。あの二人だと、私の僅かな表情の変化にさえ気が付かないだろう。
だが、アルビスは違う。変化があったのかすら分からない程の僅かな違いに気付き、本質に近づかず離れ過ぎず質問を繰り返し、頼んですらいないのに、私の気の病みを払ってくれた。
これは、感謝してもし切れない。もしアルビスがここに居なかったら、遅かれ早かれ私の心は折れ、立ち直る事すら出来なかっただろう。
「たぶん、そうかもしれないな」
「あの二人だと、貴様に八つ当たりされた時点で身が凍りつくだろう。それに」
一旦語る口を止めたアルビスが、再び私の方へ顔をやってきた。
「やはりほんの僅かな変化だが。貴様の今の表情は、夢を実現させてやると言わんばかりに、生き生きしてるぞ」
「本当か?」
「ああ、活気に満ち溢れてる。心ある者は壁にぶつかって挫折を知り、そこから立ち直ると更に強くなる生き物だ。余は、貴様が強いのを大いに知ってる。だから、もうその件で気に病む事は二度とないだろ」
「気に病んでる暇もないさ。必ず夢を実現させてやる」
そう。諦める気も無ければ、挫折してる場合でもない。私はどんな事があろうとも、必ずピースを生き返らせる。
そしてサニーと共に暮らし、八十年以上も前に狂った時を正して、本来掴み取るはずだった幻となった幸せを、この手で掴み取ってやるんだ。
「その意気だ。貴様の夢の内容は未だに知らんが、この余が応援してやろう。頑張れよ?」
「まさか、お前に応援される日が来るとはな。だが、とても励みになるし心強い。ありがとう」
「感謝される程の事はしてないさ。まあその内、貴様の夢とやらを余に教えてくれ。かなり興味があるからな」
やや楽し気に問い掛けてくるアルビス。ここまでの事をしてくれたんだ。アルビスには教えてやってもいいかもしれない。
私の生い立ちや、幼少期の頃に決めた決心。そして、迫害の地に来た理由を全て包み隠さず、アルビスに語り尽くしてやろう。
「分かった、時が来たら教えてやる。その時になったら、お前の事も色々教えてくれ」
「よかろう。余の過去話はつまらん上に長いぞ? 覚悟しておけ」
「いや。私もお前の過去について気になってる事がいくつもあるから、ちゃんと真面目に聞くさ」
「いい心構えだ。その時が来るまで楽しみにしていよう」
そう言って全てを語り終えたアルビスの意識が、サニーへ集中していく。それは私も同じだ。いつ来るか分からない時が来るのを、“楽”しみにしていよう。
「……“楽”しむ、か」
私は確かに今、“楽”しみにしていようと思った。まさか、こんなきっかけで喜怒哀楽の“楽”が戻ってくるだなんて……。
いや。たぶんサニーと過ごしている間にも感じていたが、ただ気付いていなかっただけなのかもしれないな。
もしかしたら残りの“喜”と“怒”も、知らず知らずの内に出ていた可能性がある。これからは、少し意識して自分の感情を見てみるとしよう。
過去に執事の経験があるアルビスの気迫に押され、頭と体を洗ってから風呂に浸かったものの。数年振りに一人で入ったせいか、色々と余計な事が頭に浮かんできてしまう。
例えば、お湯の温度が肌で感じ取れない事。一応、火の魔法で四十℃に調節してあるが、やはり温度が一切感じない液体に浸かっている気分にしかならない。
孤児だった頃の幼少期は、風呂は一つの楽しみだった。ピースと一緒に温かい風呂に入り、互いに背中を流し合い、笑いながら風呂のお湯をかけ合いしていたな。あの時は、とにかく全てが楽しかった。
今はサニーと一緒に入っているが、当時と比べると状況がまるで違う。お湯の温度は感じない。サニーに『気持ちいいね』とか『温かいね』と言われ、『そうだな』と嘘をつけば、左胸がチクリと傷む。
体に新薬の副作用が起きている今の私には、風呂は気持ちよくないし、温かくもない。全ての相槌が嘘になってしまう。
だからこそ余計に、この副作用をなんとかしたいのだ。今までの付けが全て回ってきたと諦め、受け入れるしかないのだろうが……。私の身勝手なわがままが叶うのであれば、昔の様なまともな体に戻りたい。
もし、まともな体のままでサニーと出会い、今の今まで過ごしてきたら、喜怒哀楽の『楽』の感情も、戻っていたかもしれないのに。
私は赤ん坊のサニーと出会う前の八十年間、全て間違った事をしていた。がむしゃらに魔物や獣を殺し、なんの作用があるのか分からない新薬を作り続けては、己の体で試していた。
中には禁薬も混じっていたはず。禁薬を作る行為は、街や国では重罪に値する。下手したら即刻死刑だ。迫害の地で作っていたからバレてはいないだろうが、神の目までは欺けなかったのだろう。
だから罪深い罪人である私はもう、まともな体には戻れないし、身近にある幸せをも掴み取れない。そして、大切な彼であるピースを生き返らせる事は、未来永劫出来ないのだろうな……。
「そんなの、嫌だなぁ……」
震えた小声の弱音が、天井に向かって昇っている白い湯煙に溶け込み、辺りに霧散していく。一人で居るせいか自暴自棄が止まらなくなり、考える事全てが悪い方向へ行ってしまう。
これ以上一人で居ると、自ら作った底無し沼に囚われた心が、折れてしまいそうだ……。
「……出るか」
完全に滅入った体で立ち上がり、熱くも冷たくもない風呂から出る。底無し沼に囚われたままの重い腕で体を拭き、ローブを着てからアルビス達が居る部屋へ戻った。
そのアルビスはというと、未だにサニーを『ふわふわ』であやしていて、私の気配に気が付いたのか、「む」と短い言葉を発した。
「ずいぶんと早いな。無様な髪の毛は元に戻ったのか?」
「……ああ」
「ん?」
返事をしたのか自分でさえも分からない程、掠れ切った声を出してしまったせいか。私の方へ向いたアルビスの龍眼が、不機嫌そうに細まっていく。
「髪の毛が戻ったかと思えば。それ以上に無様な顔になりおって」
「顔?」
「そうだ。余以外の者には分からぬ程の細かな変化だが、余の眼はそれに敏感でな。そうそう誤魔化せんぞ?」
顔。アルビスの言い方だと、ほとんど表情は変わっていないようだが……。沈み切った今の気持ちが、僅かながらに顔に出ているのだろうか?
「……だから何だって言うんだ?」
「ほう、この短い間で相当落ち込んだようだな。普通、風呂に入れば良い気分転換になると思うんだが」
「……お前には関係ないだろ」
ダメだ。アルビスの言う通り、私は落ち込んでいるのかもしれない。それに、今の返しはなんだ? ただの八つ当たりじゃないか。アルビスは何も悪くないというのに。
「ふむ。何か思い詰めていて、気に病んでる様にも見えるな。余に話してみろ、聞いてやる」
「お前が?」
「そうだ。今の余は、元執事の血が騒いでるからな。そういう輩を見過ごせんのだ。気に病んでる輩を無視するなぞ、執事にとっては言語道断。率先して話を聞き、心の世話までしてやるのも勤めの一つだ。それはアカシック・ファーストレディ、貴様も該当してるぞ」
「私も?」
驚いて普通の返答をしてみれば、アルビスは黙って頷いた。
「ああ。今後、貴様とは長く付き合っていくだろうから、多少なりの世話はしてやる。貴様が何で気に病んでるかまでは知らんが……。一人で抱え続けていると、その内心が潰れてしまうぞ?」
確かに。あの短時間で私の心は折れかけて、潰れそうになっていた。執事をやっていると、そこまで相手の気持ちが分かってしまうのだろうか?
私の全てを見透かしていそうなアルビスが、「で」と続けた。
「何があったんだ?」
「……今は、まだ誰にも話したくない内容なんだ」
「なるほど。その気に病んだ原因は、これまでで何回もあったのか?」
「いや……、今日が初めてだ。久々に一人で風呂に入ったせいか、色々と考え込んで自暴自棄になってた」
「結果、気に病んでしまったと」
そう言ったアルビスが、空いてる手を顎に添える。
「風呂に入るよう促した余のせいでもあるみたいだな。それについては謝ろう、すまなかった」
「いや、お前は何も悪くない。全ては私が悪いんだ。私が、最初から全て間違えた事をしてたから……。全てに行き詰って、諦めそうになってた……」
「そうか、ならいい。貴様にも追い求めてる夢みたいなものがあるんだな。意外だったぞ」
「夢というよりも、夢物語みたいな感じだ。この世で誰も成し得た事がない、空想論でしか語れない、雲を掴むような領域の夢だ。まるで話にならない」
「夢物語、ねえ。途方にもなく大きな夢だな。その夢、叶えられる算段はあるのか?」
「……ない。叶えられるまでの道筋が、まったく見えてこないんだ。どうすれば叶えられるのか、何をすれば正解なのかさえも分からない」
そう。八十年以上も追い求め続けてきたが、結果はほぼ皆無。何も進んじゃいない。目に見えた成果と言えば、体に副作用を起こしただけ。
それと、無意味に強くなってしまった事ぐらいだろうか。本来の夢であるピースを生き返らせる事については、一歩たりとも進んじゃいない。私はこの八十年もの間、一体何をしてきたんだ……?
「なら、その夢を諦めるのか?」
「夢を、諦める?」
「そうだ。追い求めてる夢が大きければ大きいほど、超えるのが困難な壁にぶつかり、心が折れてしまいそうな思いをするだろう。今の貴様がそうだ。まだ折れてはいないものの、もうひと押しで折れてしまうような状態だ」
語り出したアルビスが、一呼吸置く。
「夢の種類にもよるが、叶えるのは困難を極め、数多の時間を必要とする場合がある。だが、諦めるのは非常に簡単だ。思考を放棄し、追い求めるのを止めるだけでいい。ほんの僅かだろうが、気も楽になる。貴様には、別の夢はあるのか?」
「別の夢?」
「そう、別の夢だ。まさか、追い求めてる夢が一つだけではなかろう?」
「……ある。サニーを幸せにしてやる事だ」
「ほうっ。実に母親らしい、素晴らしい夢ではないか」
「そうだろうか?」
「そうだ。当たり前な事だと思っていても、案外労力を有して大変なんだぞ? 後は、その夢を諦めずに叶え続けるだけだな」
夢を叶え続ける……。そうだ。サニーを幸せにしてあげる夢には、終わりが無い。口で言うなら簡単だが、実際やってみるとなると、かなり大変な事だろう。
それに今、サニーが幸せを感じているのかどうか、私には分からない。聞いてみる必要がある。……聞くには、それ相応の覚悟と身構える必要があるな。
サニーの返答次第では、私の心が折れてしまう可能性がある。……いや、この心だけは折ってはいけない。何度折れてしまっても関係無いんだ。
私は、サニーを幸せにしてやると決めたんだ。この夢と決心だけは、絶対に諦めてはいけない。もし諦めてしまったら、私という存在意義が本格的に無くなってしまう。
ピースを生き返らせるという夢だってそうだ。この夢に向かっている歩みも、決して止めてはいけないんだ。道筋が見えないからなんだっていうんだ? 道筋が無いのであれば、私自らが作ればいいんだ。
それをする為に迫害の地に来て、八十年以上も追い求め続けてきたんじゃないか。……そうだ、心を折ってる暇なんてない。その夢を叶える為に、また歩み始めなければ。
「でだ、アカシック・ファーストレディよ。もう二つだけ、余から質問がある」
「質問? なんだ?」
「まず一つ目。まだ答えを聞いてないやつだ。貴様は、先ほどの夢を諦めるのか?」
先ほどの夢。内容までは伝えていないものの、これはピースを生き返らせる為の夢だ。
もう答えは決まっている。いや、決める以前の問題だ。元々一つしかない。諦めるだなんで、以ての外だ。
「いや、諦めない。成し遂げるまで追い続けてやるさ」
「ほほう、いい返事だ。なら、最後の質問といこう。貴様は今、気に病んでるか?」
「え? ……あっ」
アルビスに言われるまで気が付かなかったが、不思議と心が軽くなっている。苛立ちもなくなっているし、むしろ気分が良い。
おもむろに左胸に手を当て、自然とアルビスの方へ顔を向けた。すると、柔らかい笑みを浮かべているアルビスの顔と合った。
「その様子だと、気に病んでないようだな」
「あ、ああ。ずいぶん楽になった」
「よろしい。どうだ? 悩みの一部を他人に打ち明けるだけでも、かなり気が晴れるだろ?」
「そうだな。ここまで変わるだなんて……」
そう素直に告げると、アルビスの顔がサニーの方へ戻る。
「よかったな、余がここに居て。ヴェルインやクロフライムでは、貴様の気の病みは払拭出来なかっただろうな」
二人には申し訳ないが、確かにと思ってしまった。あの二人だと、私の僅かな表情の変化にさえ気が付かないだろう。
だが、アルビスは違う。変化があったのかすら分からない程の僅かな違いに気付き、本質に近づかず離れ過ぎず質問を繰り返し、頼んですらいないのに、私の気の病みを払ってくれた。
これは、感謝してもし切れない。もしアルビスがここに居なかったら、遅かれ早かれ私の心は折れ、立ち直る事すら出来なかっただろう。
「たぶん、そうかもしれないな」
「あの二人だと、貴様に八つ当たりされた時点で身が凍りつくだろう。それに」
一旦語る口を止めたアルビスが、再び私の方へ顔をやってきた。
「やはりほんの僅かな変化だが。貴様の今の表情は、夢を実現させてやると言わんばかりに、生き生きしてるぞ」
「本当か?」
「ああ、活気に満ち溢れてる。心ある者は壁にぶつかって挫折を知り、そこから立ち直ると更に強くなる生き物だ。余は、貴様が強いのを大いに知ってる。だから、もうその件で気に病む事は二度とないだろ」
「気に病んでる暇もないさ。必ず夢を実現させてやる」
そう。諦める気も無ければ、挫折してる場合でもない。私はどんな事があろうとも、必ずピースを生き返らせる。
そしてサニーと共に暮らし、八十年以上も前に狂った時を正して、本来掴み取るはずだった幻となった幸せを、この手で掴み取ってやるんだ。
「その意気だ。貴様の夢の内容は未だに知らんが、この余が応援してやろう。頑張れよ?」
「まさか、お前に応援される日が来るとはな。だが、とても励みになるし心強い。ありがとう」
「感謝される程の事はしてないさ。まあその内、貴様の夢とやらを余に教えてくれ。かなり興味があるからな」
やや楽し気に問い掛けてくるアルビス。ここまでの事をしてくれたんだ。アルビスには教えてやってもいいかもしれない。
私の生い立ちや、幼少期の頃に決めた決心。そして、迫害の地に来た理由を全て包み隠さず、アルビスに語り尽くしてやろう。
「分かった、時が来たら教えてやる。その時になったら、お前の事も色々教えてくれ」
「よかろう。余の過去話はつまらん上に長いぞ? 覚悟しておけ」
「いや。私もお前の過去について気になってる事がいくつもあるから、ちゃんと真面目に聞くさ」
「いい心構えだ。その時が来るまで楽しみにしていよう」
そう言って全てを語り終えたアルビスの意識が、サニーへ集中していく。それは私も同じだ。いつ来るか分からない時が来るのを、“楽”しみにしていよう。
「……“楽”しむ、か」
私は確かに今、“楽”しみにしていようと思った。まさか、こんなきっかけで喜怒哀楽の“楽”が戻ってくるだなんて……。
いや。たぶんサニーと過ごしている間にも感じていたが、ただ気付いていなかっただけなのかもしれないな。
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