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51話、世話焼きな元執事
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「グッ……。なんだ、この頭の痛み、は……?」
いつの間にか寝てしまい、目が覚めたかと思いきや。頭が割れる様に痛いし、吐き気もする……。おまけに体が思うように動かない……。なんなんだ、このだるさは?
昨日、ヴェルインから強引に勧められた酒を飲んでから、記憶が一切無い……。寝てる間に魔物が襲来してきて、何かしらの攻撃でもされたのだろうか……?
「あっ、アルビスさん! ママ起きたよ!」
「む、やっとか」
今、サニーとアルビスの声が、四方から反響してきたような……? 言う事を聞かない瞼をこじ開けてみると、酷く波打っている景色の中に、歪んでいる半透明のサニーとアルビスが二人ずつ見えた。
一体、どんな攻撃を受けたんだ……? 私の知らない攻撃が、私か二人を襲っている。早く、アルビスに知らせねば……。
「アルビス……。私を置いて、サニーを連れて、逃げて、くれ……」
「なんだ、寝ぼけてるのか?」
「違う……。姿が見えない敵から、攻撃を、受けてるんだ……」
「攻撃?」
呑気でいるアルビスが、警戒しないまま辺りを見渡し始めた。よく見ると、ここは私の家の中だ……。という事は、私はベッドの上で寝そべっているのか?
「何を言ってるんだ? 魔物の気配は一切感じないし、平和そのものだぞ」
「そ、そんなはずは、ない。お前達が、二人ずつ居るし……、頭がズキズキする……。体もだるくて、思うように動かせないんだ……」
「余らが二人ずつ居るだと? ……ふむ」
逃げる素振りを見せないアルビスが、右手を顎に添える。そのまま何かを思案するかの様に、龍眼を右へズラすも、すぐに私へ戻してきた。
「よく分からんが、酒の副作用ではないか? 一睡もせずに貴様らを見ていたが、何も無かったぞ?」
「そう、なのか……?」
体全体の輪郭がとにかく定まらないアルビスが、不器用に頷く。『そんな馬鹿な』と言いたかったが、アルビスの「そうだ」という言葉が先に遮り、内懐を探り出した。
「ほら、余の分の秘薬だ。飲ませてやるから、上を向いて口を開けろ」
秘薬……。確かに、内懐から出てきたアルビスの手には、琥珀色をした何かがある。秘薬なら、私を襲っている何かを治せるかもしれない。
瞼を閉じ、言われるがまま指示に従う私。口を開けたと同時に、秘薬と思われる液体が口の中にポタポタと垂れてきたので、吐き気を我慢しながら飲み込んだ。
すると、頭を襲っていた鈍痛が瞬時に無くなり、体がスゥッと楽になっていく。恐る恐る瞼を開き、再びアルビスとサニーの姿を見てみると、二人はちゃんと一人ずつになっているし、体の輪郭がハッキリとしていた。
「……すまない、治ったみたいだ」
「ふむ。酒を飲むと、複数の副作用が出るみたいだな。厄介なものだ」
そうボヤいたアルビスが腕を組むと、「で」と続ける。
「アカシック・ファーストレディよ。酒は美味かったか?」
「酒?」
「そうだ、初めて飲んだのだろう? どんな味だった?」
やや食い気味なアルビスの龍眼が、私の返答を待っているかの様にしっかりと捉えている。味、美味しさ……。酒を飲んだ直後から記憶が飛んでいるから、あまり覚えていない。
「味は、とにかく苦かったような……? 私には苦手な飲み物だったな。もう飲みたいとは思わない」
「そうか、苦いのか……」
私の感想を聞いたアルビスが、残念そうに口元を手で覆い隠し、ブツブツと何かを言い出した。「まずそうだな」とか「やはり飲むのはやめておくか」とか小声で呟いている。
……そうだ。ぼーっとしてる場合じゃない。今が何時か分からないが、早くアルビスとサニーの朝食を用意せねば。そう慌てた私は、素早くベッドから下りた。
「すまない、二人共。今、朝食の準備をする」
腹をすかせているであろう二人に謝りを入れ、台所へ向かおうとした途端。「待て、アカシック・ファーストレディ」と私を呼び止める声が聞こえたので、アルビスの方に顔をやった。
「なんだ?」
「朝食どころか、昼食も済んだぞ。もう二時間もすれば、日が暮れてくるだろう」
「は?」
アルビスの不可解な言葉に、私の頭が一瞬真っ白になった。昼食も済んだ? もう少しで夕刻? ……私は一体、何時間寝ていたんだ?
台所に行くのは止め、窓へ向かう。やたらと透明度の高い綺麗な窓から空を覗いてみると、太陽は昇るどころか、夜に備えて下がり始めていた。
目線を下に持っていくと、家の前にある広場で、ヴェルインと仲間達が、大の字で寝ている姿が見えた。耳をすませてみると、かなり大きないびきが聞こえてくる。
「こんな時間まで、私は寝てたのか……。ん? 待てよ?」
アルビスはさっき、朝食と昼食が済んだと言った。その二食は、誰が用意したんだ? サニーは……、まだ無理だ。料理の作り方は教えていないし、凍らせたシチューを溶かす事が出来ない。
なら、クロフライムか? いや、これも違うだろう。そもそもの話、クロフライムは体が大きすぎて、家の中に入って来れない。ヴェルインは言わずもがな。……アルビスに聞いてみるとしよう。
「アルビス、さっき朝食と昼食が済んだと言ったな?」
「言ったな」
「誰が用意したんだ?」
「誰って、余しかおらんだろ?」
アルビスがさも当然のように言い放ったせいで、唖然として口が固まってしまった。私が次の言葉を発しないせいで、アルビスがそのまま続ける。
「貴様が起きるまで待っていようかと思っていたのだが……。小娘が腹をすかせてしまってな。余専用のシチューと、パンを与えておいたぞ」
「パンまで……、そうだったのか。すまない、私が寝てる間にサニーの面倒まで見てくれて」
「構わん、世話をするのは慣れてるからな。二食とも同じ物を出したから、夕食は別の物を作ってやれ」
「分かった、そうする。ありがとう」
まさか、半日以上もサニーの世話をしていてくれただなんて。今日はもう、アルビスには頭が上がりそうにもない。礼と詫びを兼ねて、二人の夕食を豪華にしてやらないと。
「それとだ」
「む?」
「部屋があまりにも不衛生だったから、全て掃除しておいたぞ」
「へ?」
あまりに予想外の言葉に、すかさず辺りを見渡してみた。硝子類は全て、そこにあるのか分からないほど綺麗に磨かれている。壁も汚れが一切無くなっていた。
本棚の上もそう。普段は埃をかぶっているのに対し、今はその姿が見受けられない。食器類も、テーブルも全て木材で出来ているのに、違和感のある光沢を放っている。……一体、どれだけ磨いたんだ?
まさか天井までとはと思い、上を向いてみた。私がここに住み始めてから、ずっとくすんだ灰色をしていた天井は、最早、削ったのかと疑う程に真っ白だった。
「……部屋全体が、明るい雰囲気になったな」
「これが元々の部屋の姿だ。貴様、掃除はちゃんとやってるのか?」
「一応、七日に一回はしてる」
「七日に一回、だと?」
逆鱗にでも触れてしまったのか、アルビスが圧のある低い声で返答をしてきた。表情は怒りを露にさせていて、蔑んだ龍眼で私を睨みつけてきている。
まずい、今のアルビスは非常にまずい。私はこのアルビスと、過去に幾度となく対峙してきている。互いに煽り倒し、大気が切り裂かんばかりの殺意にまみれた一触即発状態で、戦闘に入る直前のアルビスだ。
過去、飽きるほどに体験してきたせいで、反射的に杖を出そうとした直後。アルビスは瞬時に間合いを詰め、腕を組みながら私を見下していた。しまった、殺られ―――。
「いいか? 掃除は最低でも二日に一回はしろ」
「……え? 二日に、一回?」
「そうだ。劣悪な環境は、人を精神的に堕落させてしまう。貴様どころか、小娘にも悪影響を与えかねん。掃除はこまめにしろ、分かったな?」
過去の経験からして、アルビスに殺されると思ったが……。これは、説教をされているのか? 目の前に居るアルビスは、間違いなく攻撃を仕掛けてくる前のアルビスだ。
が、今はまったくそんな素振りを見せてこない。それになぜか、逆らう事が出来ない程の気迫さが龍眼に宿っている。顔を逸らしたいのに、体が微塵も動かせない……。私は今、アルビスに畏怖しているのか?
「返事は?」
「あ、ああ……、分かった」
「それに、なんだそのだらしない身嗜《みだしな》みは? 己の無様な姿を鏡で見てみろ」
アルビスの動けと言わんばかりの命令に、従う事しか出来ず、素早く鏡の元へ向かう私。鏡に映った私の姿は、アルビスの言う通りだらしないものだった。
艶を失った、寝ぐせだらけでボサボサな髪。ローブは着崩れを起こしていて、右肩があられもなく露出している。あるまじき姿だ、恥ずかしい。
慌ててローブを着直して右肩を隠すも、「髪の毛は洗わんと直らんぞ。今すぐ風呂に入ってこい」と追撃されたので、アルビスの方へ顔をやる。
その先ほどから苛立っている様にも感じるアルビスは、いつの間にかサニーに『ふわふわ』をかけ、ゆっくりと飛ばしていた。
「風呂……? 風呂は、寝る前に入るものだろ?」
「それはくだらん固定観念だ。風呂はいかなる時にでも入っていい」
「そう、なのか?」
「当たり前だろ。体が汚れた時はもちろんのこと。汗をかいた時、体を冷まそうとして水を浴びる時。嫌な事があり、心の傷を癒す時、などな」
なぜだろう、最後の理由には感情が乗っていた様な気がする。様々な理由を並べたアルビスが、私の真横に来ると、「それに」と小声で付け加える。
「貴様は女である以前に、小娘の母親ではないか。そんな無様な姿、小娘に見られ続けたいと思うか?」
「……いや、思わないな。こんなだらしない姿、サニーには見せたくない」
「そうだろ? 少しは、周りの目も気にした方がいい。貴様はかなりずさんで抜けた所がある。余は、そこら辺に関しては厳しいぞ? 逐一指摘をしてやろうか?」
「だ、大丈夫だ。これから気を付ける」
言い訳すら思い付かず、その場凌ぎで言うも、アルビスは全てを見透かしてる様な龍眼を送り、口角を緩く上げた。
「どうだかな。それはそうと、余が小娘の気を引いてるうちに風呂へ入ってこい」
「……分かった」
起きてからというものの、アルビスにずっと流れを持っていかれている。今日のアルビスは、どこか几帳面で丁寧だし、いつもと雰囲気が違い過ぎて別人にさえ思えてくる。
何かこう、呼び覚ましてはいけない者を起こしてしまった気分だ。非常に面倒臭い性格をしているが、なぜか逆らえない。
今のアルビスを例えるなら、厳しいながらも相手を想っている執事と言った所だろうか? そんな服装をしているから、もうそれにしか見えなくなってきた。
……まずい、探求心がだんだん膨らんできてしまった。ダメだ、もうこの探求心には抗えない。叱られる覚悟で、聞いてみるとしよう。
「アルビス」
「なんだ?」
「お前はこの地に来る前、誰かの元で仕えてたりしたのか?」
「ああ、仕えてたぞ」
言葉を濁す事無く、あっけらかんと返してきたアルビスに、思わず視野が広がる私。例えが本当になってしまった……。
「六十年以上も前。色々と理由が重なり、率先して執事をしていた時期があったのだ。それで、だらしない部屋と貴様を見てたら、久々にその血が騒いでしまってな。おっと、やってた理由はまだ聞くなよ?」
「そう、だったのか」
あのアルビスが、執事をしていただなんて。だが、それを知れたお陰で、今日の一連のやり取りが理解出来た気がする。
「だから、人並み以上には家事が出来るぞ。富裕層仕様だがな。その内、貴様の性根を一から鍛え直して、お嬢様に更生させてやろうか?」
「いや、それだけは本当に勘弁してくれ……」
私が当たり障りなく強めに否定すると、ずっとサニーに向けていたアルビスの顔が、私の方へ向き、凛とした笑みを浮かべた。
「冗談だ。とっとと風呂へ入ってこい」
「あ、ああ。そうさせてもらう」
おちょくられてしまった……。悔しいが、今のアルビスには口では絶対に勝てない。私には何もかもが不利だ。素直に言う事を聞いておこう。
しかし、この時間に風呂に入るのは初めてだな。髪の毛をちゃんと直したいから、長めに浸かるとするか。
いつの間にか寝てしまい、目が覚めたかと思いきや。頭が割れる様に痛いし、吐き気もする……。おまけに体が思うように動かない……。なんなんだ、このだるさは?
昨日、ヴェルインから強引に勧められた酒を飲んでから、記憶が一切無い……。寝てる間に魔物が襲来してきて、何かしらの攻撃でもされたのだろうか……?
「あっ、アルビスさん! ママ起きたよ!」
「む、やっとか」
今、サニーとアルビスの声が、四方から反響してきたような……? 言う事を聞かない瞼をこじ開けてみると、酷く波打っている景色の中に、歪んでいる半透明のサニーとアルビスが二人ずつ見えた。
一体、どんな攻撃を受けたんだ……? 私の知らない攻撃が、私か二人を襲っている。早く、アルビスに知らせねば……。
「アルビス……。私を置いて、サニーを連れて、逃げて、くれ……」
「なんだ、寝ぼけてるのか?」
「違う……。姿が見えない敵から、攻撃を、受けてるんだ……」
「攻撃?」
呑気でいるアルビスが、警戒しないまま辺りを見渡し始めた。よく見ると、ここは私の家の中だ……。という事は、私はベッドの上で寝そべっているのか?
「何を言ってるんだ? 魔物の気配は一切感じないし、平和そのものだぞ」
「そ、そんなはずは、ない。お前達が、二人ずつ居るし……、頭がズキズキする……。体もだるくて、思うように動かせないんだ……」
「余らが二人ずつ居るだと? ……ふむ」
逃げる素振りを見せないアルビスが、右手を顎に添える。そのまま何かを思案するかの様に、龍眼を右へズラすも、すぐに私へ戻してきた。
「よく分からんが、酒の副作用ではないか? 一睡もせずに貴様らを見ていたが、何も無かったぞ?」
「そう、なのか……?」
体全体の輪郭がとにかく定まらないアルビスが、不器用に頷く。『そんな馬鹿な』と言いたかったが、アルビスの「そうだ」という言葉が先に遮り、内懐を探り出した。
「ほら、余の分の秘薬だ。飲ませてやるから、上を向いて口を開けろ」
秘薬……。確かに、内懐から出てきたアルビスの手には、琥珀色をした何かがある。秘薬なら、私を襲っている何かを治せるかもしれない。
瞼を閉じ、言われるがまま指示に従う私。口を開けたと同時に、秘薬と思われる液体が口の中にポタポタと垂れてきたので、吐き気を我慢しながら飲み込んだ。
すると、頭を襲っていた鈍痛が瞬時に無くなり、体がスゥッと楽になっていく。恐る恐る瞼を開き、再びアルビスとサニーの姿を見てみると、二人はちゃんと一人ずつになっているし、体の輪郭がハッキリとしていた。
「……すまない、治ったみたいだ」
「ふむ。酒を飲むと、複数の副作用が出るみたいだな。厄介なものだ」
そうボヤいたアルビスが腕を組むと、「で」と続ける。
「アカシック・ファーストレディよ。酒は美味かったか?」
「酒?」
「そうだ、初めて飲んだのだろう? どんな味だった?」
やや食い気味なアルビスの龍眼が、私の返答を待っているかの様にしっかりと捉えている。味、美味しさ……。酒を飲んだ直後から記憶が飛んでいるから、あまり覚えていない。
「味は、とにかく苦かったような……? 私には苦手な飲み物だったな。もう飲みたいとは思わない」
「そうか、苦いのか……」
私の感想を聞いたアルビスが、残念そうに口元を手で覆い隠し、ブツブツと何かを言い出した。「まずそうだな」とか「やはり飲むのはやめておくか」とか小声で呟いている。
……そうだ。ぼーっとしてる場合じゃない。今が何時か分からないが、早くアルビスとサニーの朝食を用意せねば。そう慌てた私は、素早くベッドから下りた。
「すまない、二人共。今、朝食の準備をする」
腹をすかせているであろう二人に謝りを入れ、台所へ向かおうとした途端。「待て、アカシック・ファーストレディ」と私を呼び止める声が聞こえたので、アルビスの方に顔をやった。
「なんだ?」
「朝食どころか、昼食も済んだぞ。もう二時間もすれば、日が暮れてくるだろう」
「は?」
アルビスの不可解な言葉に、私の頭が一瞬真っ白になった。昼食も済んだ? もう少しで夕刻? ……私は一体、何時間寝ていたんだ?
台所に行くのは止め、窓へ向かう。やたらと透明度の高い綺麗な窓から空を覗いてみると、太陽は昇るどころか、夜に備えて下がり始めていた。
目線を下に持っていくと、家の前にある広場で、ヴェルインと仲間達が、大の字で寝ている姿が見えた。耳をすませてみると、かなり大きないびきが聞こえてくる。
「こんな時間まで、私は寝てたのか……。ん? 待てよ?」
アルビスはさっき、朝食と昼食が済んだと言った。その二食は、誰が用意したんだ? サニーは……、まだ無理だ。料理の作り方は教えていないし、凍らせたシチューを溶かす事が出来ない。
なら、クロフライムか? いや、これも違うだろう。そもそもの話、クロフライムは体が大きすぎて、家の中に入って来れない。ヴェルインは言わずもがな。……アルビスに聞いてみるとしよう。
「アルビス、さっき朝食と昼食が済んだと言ったな?」
「言ったな」
「誰が用意したんだ?」
「誰って、余しかおらんだろ?」
アルビスがさも当然のように言い放ったせいで、唖然として口が固まってしまった。私が次の言葉を発しないせいで、アルビスがそのまま続ける。
「貴様が起きるまで待っていようかと思っていたのだが……。小娘が腹をすかせてしまってな。余専用のシチューと、パンを与えておいたぞ」
「パンまで……、そうだったのか。すまない、私が寝てる間にサニーの面倒まで見てくれて」
「構わん、世話をするのは慣れてるからな。二食とも同じ物を出したから、夕食は別の物を作ってやれ」
「分かった、そうする。ありがとう」
まさか、半日以上もサニーの世話をしていてくれただなんて。今日はもう、アルビスには頭が上がりそうにもない。礼と詫びを兼ねて、二人の夕食を豪華にしてやらないと。
「それとだ」
「む?」
「部屋があまりにも不衛生だったから、全て掃除しておいたぞ」
「へ?」
あまりに予想外の言葉に、すかさず辺りを見渡してみた。硝子類は全て、そこにあるのか分からないほど綺麗に磨かれている。壁も汚れが一切無くなっていた。
本棚の上もそう。普段は埃をかぶっているのに対し、今はその姿が見受けられない。食器類も、テーブルも全て木材で出来ているのに、違和感のある光沢を放っている。……一体、どれだけ磨いたんだ?
まさか天井までとはと思い、上を向いてみた。私がここに住み始めてから、ずっとくすんだ灰色をしていた天井は、最早、削ったのかと疑う程に真っ白だった。
「……部屋全体が、明るい雰囲気になったな」
「これが元々の部屋の姿だ。貴様、掃除はちゃんとやってるのか?」
「一応、七日に一回はしてる」
「七日に一回、だと?」
逆鱗にでも触れてしまったのか、アルビスが圧のある低い声で返答をしてきた。表情は怒りを露にさせていて、蔑んだ龍眼で私を睨みつけてきている。
まずい、今のアルビスは非常にまずい。私はこのアルビスと、過去に幾度となく対峙してきている。互いに煽り倒し、大気が切り裂かんばかりの殺意にまみれた一触即発状態で、戦闘に入る直前のアルビスだ。
過去、飽きるほどに体験してきたせいで、反射的に杖を出そうとした直後。アルビスは瞬時に間合いを詰め、腕を組みながら私を見下していた。しまった、殺られ―――。
「いいか? 掃除は最低でも二日に一回はしろ」
「……え? 二日に、一回?」
「そうだ。劣悪な環境は、人を精神的に堕落させてしまう。貴様どころか、小娘にも悪影響を与えかねん。掃除はこまめにしろ、分かったな?」
過去の経験からして、アルビスに殺されると思ったが……。これは、説教をされているのか? 目の前に居るアルビスは、間違いなく攻撃を仕掛けてくる前のアルビスだ。
が、今はまったくそんな素振りを見せてこない。それになぜか、逆らう事が出来ない程の気迫さが龍眼に宿っている。顔を逸らしたいのに、体が微塵も動かせない……。私は今、アルビスに畏怖しているのか?
「返事は?」
「あ、ああ……、分かった」
「それに、なんだそのだらしない身嗜《みだしな》みは? 己の無様な姿を鏡で見てみろ」
アルビスの動けと言わんばかりの命令に、従う事しか出来ず、素早く鏡の元へ向かう私。鏡に映った私の姿は、アルビスの言う通りだらしないものだった。
艶を失った、寝ぐせだらけでボサボサな髪。ローブは着崩れを起こしていて、右肩があられもなく露出している。あるまじき姿だ、恥ずかしい。
慌ててローブを着直して右肩を隠すも、「髪の毛は洗わんと直らんぞ。今すぐ風呂に入ってこい」と追撃されたので、アルビスの方へ顔をやる。
その先ほどから苛立っている様にも感じるアルビスは、いつの間にかサニーに『ふわふわ』をかけ、ゆっくりと飛ばしていた。
「風呂……? 風呂は、寝る前に入るものだろ?」
「それはくだらん固定観念だ。風呂はいかなる時にでも入っていい」
「そう、なのか?」
「当たり前だろ。体が汚れた時はもちろんのこと。汗をかいた時、体を冷まそうとして水を浴びる時。嫌な事があり、心の傷を癒す時、などな」
なぜだろう、最後の理由には感情が乗っていた様な気がする。様々な理由を並べたアルビスが、私の真横に来ると、「それに」と小声で付け加える。
「貴様は女である以前に、小娘の母親ではないか。そんな無様な姿、小娘に見られ続けたいと思うか?」
「……いや、思わないな。こんなだらしない姿、サニーには見せたくない」
「そうだろ? 少しは、周りの目も気にした方がいい。貴様はかなりずさんで抜けた所がある。余は、そこら辺に関しては厳しいぞ? 逐一指摘をしてやろうか?」
「だ、大丈夫だ。これから気を付ける」
言い訳すら思い付かず、その場凌ぎで言うも、アルビスは全てを見透かしてる様な龍眼を送り、口角を緩く上げた。
「どうだかな。それはそうと、余が小娘の気を引いてるうちに風呂へ入ってこい」
「……分かった」
起きてからというものの、アルビスにずっと流れを持っていかれている。今日のアルビスは、どこか几帳面で丁寧だし、いつもと雰囲気が違い過ぎて別人にさえ思えてくる。
何かこう、呼び覚ましてはいけない者を起こしてしまった気分だ。非常に面倒臭い性格をしているが、なぜか逆らえない。
今のアルビスを例えるなら、厳しいながらも相手を想っている執事と言った所だろうか? そんな服装をしているから、もうそれにしか見えなくなってきた。
……まずい、探求心がだんだん膨らんできてしまった。ダメだ、もうこの探求心には抗えない。叱られる覚悟で、聞いてみるとしよう。
「アルビス」
「なんだ?」
「お前はこの地に来る前、誰かの元で仕えてたりしたのか?」
「ああ、仕えてたぞ」
言葉を濁す事無く、あっけらかんと返してきたアルビスに、思わず視野が広がる私。例えが本当になってしまった……。
「六十年以上も前。色々と理由が重なり、率先して執事をしていた時期があったのだ。それで、だらしない部屋と貴様を見てたら、久々にその血が騒いでしまってな。おっと、やってた理由はまだ聞くなよ?」
「そう、だったのか」
あのアルビスが、執事をしていただなんて。だが、それを知れたお陰で、今日の一連のやり取りが理解出来た気がする。
「だから、人並み以上には家事が出来るぞ。富裕層仕様だがな。その内、貴様の性根を一から鍛え直して、お嬢様に更生させてやろうか?」
「いや、それだけは本当に勘弁してくれ……」
私が当たり障りなく強めに否定すると、ずっとサニーに向けていたアルビスの顔が、私の方へ向き、凛とした笑みを浮かべた。
「冗談だ。とっとと風呂へ入ってこい」
「あ、ああ。そうさせてもらう」
おちょくられてしまった……。悔しいが、今のアルビスには口では絶対に勝てない。私には何もかもが不利だ。素直に言う事を聞いておこう。
しかし、この時間に風呂に入るのは初めてだな。髪の毛をちゃんと直したいから、長めに浸かるとするか。
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