上 下
10 / 288

9話、無意識にこぼれるため息

しおりを挟む
 山岳地帯に行った時に比べ、半分以下の時間で家に戻り、静かに扉を開けて中に入る。扉を閉めた途端、行く前には聞こえなかった、サニーの荒い呼吸音が耳に入り込んできた。
 カゴの中を見てみると、顔には更に赤みが増していて、息を大きく吸っては、浅く吐いての繰り返し。見るからに悪化している。このままだと半日も持たないだろう。
 下手したら今すぐに呼吸を止め、死んでしまう可能性もある。それだけは駄目だ。全ての苦労が水の泡になる。早く秘薬ひやくを作らねば。

「まだ死ぬな、耐えろ」

 サニーにすら聞こえないであろう小さな声で、自分でも気が付かない内に言葉を漏らす。その言葉に疑問を持たぬまま鉄の大釜へ向かい、作業を再開する。
 炎は消さないで外に出たので、一定の温度を保っていて、黄色いヘドロ状の液体をふつふつと沸かせていた。効果は変わっていないと思うので、このまま使用してしまおう。

 ブラックドラゴンの『アルビス』から貰った二枚の黒い鱗を、テーブルの上に置く。あらかじめ凍らせておいた血を削り取り、別の容器に入れて保管。
 そこから、一枚の鱗は魔法で厚い氷で覆い、次に使用するまで保存しておく。もう一枚は芯まで凍らせて砕き、粉末状まですり潰していった。
 どんなに堅固で魔法の耐性があろうとも、私の手に掛かれば赤子同然だ。砕けぬ物は何も無い。

 ムラなく均等にすり潰していき、息を吹きかけて空中に舞う様になれば、これで作業は終了。一枚が大きいのでかなりの量になってしまったが、多い分に越した事はない。
 苦しそうに呼吸しているサニーに目を配りつつ、粉末状にした鱗を鉄釜の中に入れていく。
 すると、粉が触れた箇所から液体が透き通っていき、またたく間に広がっていった。

「ふむ、大丈夫そうだな」

 みるみる内に色を変える液体を確認してから、木の棒で丁寧にかき混ぜていく。残りの液体が全て透き通れば、これで秘薬の完成だ。
 魔法で灯した炎を消し、煮え立った秘薬を適当な透明の容器に移し、最終確認する。混入物は一切なく、綺麗な薄い琥珀色。
 昔作った秘薬とは比べ物にならないほど質が上がっている。流石はブラックドラゴンの鱗。私が求めていた物よりも遥かに良い。これならすぐにサニーの風邪が治るはず。

 原液は濃いと判断し、約三百倍に希釈。そして、もう作る事は無くなった粉ミルクと一緒に飲ませる為に、新しい鉄の大釜を二つ用意し、中に必要最小限の水を流し込む。
 一つは器具の煮沸消毒用。一つは粉ミルク用に分けて共に炎を灯し、温度を調節。まだ体が作り方や温度を覚えていたので、手際よくこなしていけた。
 
 煮沸消毒を終えた容器を清潔な布で水気を取り、粉状の乳を四杯入れる。三分の二までお湯を入れて蓋をし、振って粉を溶かしていく。
 完全に溶け切った事を確認し、希釈した秘薬を入れれば、サニーの風邪を治す粉ミルクの完成だ。粉ミルクが入った容器を振りつつ、早足でサニーの元に行った。
 そして、異常に早い深くて浅い呼吸を繰り返しているサニーに、容器の飲み口を近づける。

「サニー、飲め」

 私が催促する様に名前を呼ぶも、当然反応は無い。

「サニー」

 もう一度呼んでみるが、目を開く事すらなく、震えた深呼吸をし続けているだけ。

「……早く」

 ずっと開きっぱなしでいる口の中に、一滴だけ秘薬入りの粉ミルクを垂らす。やっと気付いたのか、サニーは弱々しく瞼を開き、口を動かしてチュパチュパと音を鳴らし出した。
 容器を口元まで持ってこいという指示なのか、意識が朦朧としていて、飲んでいるつもりでいるのか分からないが、飲み口を動かしている口の中にそっと入れる。
 そのまま粉ミルクを飲み始めるも、半分に満たない量で吸うのを止め、飲み口を口に入れたまま眠りに就いてしまった。

「……ふう」

 無意識にため息を吐く私。起こさない様に飲み口を遠ざけ、サニーの寝顔をうかがってみる。先ほどまでの荒い呼吸はしていなく、穏やかになっている。
 寝顔もそう。いつもの元気な寝顔だ。秘薬の効果は抜群である。効きすぎて、何かしらの副作用が起きないか勘繰ってしまう程に。

「風邪は治ったな。しかし……」

 冷静になり、周りがよく見える様になってきた目を大釜に向ける。目線の先には、ふちギリギリにまで満たされた秘薬が入った大釜。
 量にして、約五十kg以上ある。慌てていたせいか、そこら辺はまったく考えずに作ってしまった。一生掛かっても使い切る事はないだろう。

「あるに越したことはない、念の為全部保存しておくか。……あとは」

 今日はやたらと鈍色が映える窓に顔をやる。明日以降から、知性のある魔物共がここへ来る事に違いない。全員の目的は、もちろんサニーだ。
 それと、捨て子であるサニーを拾った私を嘲笑いに。どちらにせよ、ちょっかいを出して来る輩は、迎え撃つのみ。慈悲なく氷漬けにし、霧状にまで砕いてやる。

 そう決めた私は、後片付けを始めた。残っている粉ミルクは、温めたら再び飲めるだろうか? いや、腹を壊すかもしれない。その時になったら、また新しい粉ミルクを作ればいい。
 離乳食は、三日ほど与えるのをやめておこう。衰弱した体で食べさせると、胃が受け付けてくれなく、吐いてしまうかもしれない。

 また粉ミルクの生活に逆戻りか。今ではぐずる事もなくなったが、少々物足りなさを感じる。こんな事を思ってしまうのも、サニーがいる生活に毒され過ぎたせいか。
 サニーと共にした一年という月日が、私の心境を変え始めているのかもしれない。この変化が、良いのか悪いのか私にはまったく分からない。
 どちらにせよ、七十年以上も同じ日々を巡ってきた私にとって、新しい刺激になっている。新薬と新たな魔法の開発は、一向に前へと進まないでいるが。

「新薬を開発する為に使う材料が足らなくなってしまったな。採取しに……、いや、今日はやめておこう」

 今日は精神的に疲弊してしまった。無い眠気すら覚える程に。疲れを癒す為、今日は何もしないでおこう。
 もう一度ため息を吐いた私は、寝てるサニーの元に静かに歩み寄り、近くにある木箱にそっと腰を下ろした。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

婚約破棄の後始末 ~息子よ、貴様何をしてくれってんだ! 

タヌキ汁
ファンタジー
 国一番の権勢を誇る公爵家の令嬢と政略結婚が決められていた王子。だが政略結婚を嫌がり、自分の好き相手と結婚する為に取り巻き達と共に、公爵令嬢に冤罪をかけ婚約破棄をしてしまう、それが国を揺るがすことになるとも思わずに。  これは馬鹿なことをやらかした息子を持つ父親達の嘆きの物語である。

《勘違い》で婚約破棄された令嬢は失意のうちに自殺しました。

友坂 悠
ファンタジー
「婚約を考え直そう」 貴族院の卒業パーティーの会場で、婚約者フリードよりそう告げられたエルザ。 「それは、婚約を破棄されるとそういうことなのでしょうか?」 耳を疑いそう聞き返すも、 「君も、その方が良いのだろう?」 苦虫を噛み潰すように、そう吐き出すフリードに。 全てに絶望し、失意のうちに自死を選ぶエルザ。 絶景と評判の観光地でありながら、自殺の名所としても知られる断崖絶壁から飛び降りた彼女。 だったのですが。

愛された側妃と、愛されなかった正妃

編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。 夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。 連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。 正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。 ※カクヨムさんにも掲載中 ※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります ※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。

愚かな父にサヨナラと《完結》

アーエル
ファンタジー
「フラン。お前の方が年上なのだから、妹のために我慢しなさい」 父の言葉は最後の一線を越えてしまった。 その言葉が、続く悲劇を招く結果となったけど・・・ 悲劇の本当の始まりはもっと昔から。 言えることはただひとつ 私の幸せに貴方はいりません ✈他社にも同時公開

前回は断頭台で首を落とされましたが、今回はお父様と協力して貴方達を断頭台に招待します。

夢見 歩
ファンタジー
長年、義母と義弟に虐げられた末に無実の罪で断頭台に立たされたステラ。 陛下は父親に「同じ子を持つ親としての最後の温情だ」と断頭台の刃を落とす合図を出すように命令を下した。 「お父様!助けてください! 私は決してネヴィルの名に恥じるような事はしておりません! お父様ッ!!!!!」 ステラが断頭台の上でいくら泣き叫び、手を必死で伸ばしながら助けを求めても父親がステラを見ることは無かった。 ステラは断頭台の窪みに首を押さえつけられ、ステラの父親の上げた手が勢いよく振り下ろされると同時に頭上から鋭い刃によって首がはねられた。 しかし死んだはずのステラが目を開けると十歳まで時間が巻き戻っていて…? 娘と父親による人生のやり直しという名の復讐劇が今ここに始まる。 ┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈ 全力で執筆中です!お気に入り登録して頂けるとやる気に繋がりますのでぜひよろしくお願いします( * ॑꒳ ॑*)

大好きな母と縁を切りました。

むう子
ファンタジー
7歳までは家族円満愛情たっぷりの幸せな家庭で育ったナーシャ。 領地争いで父が戦死。 それを聞いたお母様は寝込み支えてくれたカルノス・シャンドラに親子共々心を開き再婚。 けれど妹が生まれて義父からの虐待を受けることに。 毎日母を想い部屋に閉じこもるナーシャに2年後の政略結婚が決定した。 けれどこの婚約はとても酷いものだった。 そんな時、ナーシャの生まれる前に亡くなった父方のおばあさまと契約していた精霊と出会う。 そこで今までずっと近くに居てくれたメイドの裏切りを知り……

義母に毒を盛られて前世の記憶を取り戻し覚醒しました、貴男は義妹と仲良くすればいいわ。

克全
ファンタジー
「カクヨム」と「小説家になろう」にも投稿しています。 11月9日「カクヨム」恋愛日間ランキング15位 11月11日「カクヨム」恋愛週間ランキング22位 11月11日「カクヨム」恋愛月間ランキング71位 11月4日「小説家になろう」恋愛異世界転生/転移恋愛日間78位

虐げられた令嬢、ペネロペの場合

キムラましゅろう
ファンタジー
ペネロペは世に言う虐げられた令嬢だ。 幼い頃に母を亡くし、突然やってきた継母とその後生まれた異母妹にこき使われる毎日。 父は無関心。洋服は使用人と同じくお仕着せしか持っていない。 まぁ元々婚約者はいないから異母妹に横取りされる事はないけれど。 可哀想なペネロペ。でもきっといつか、彼女にもここから救い出してくれる運命の王子様が……なんて現れるわけないし、現れなくてもいいとペネロペは思っていた。何故なら彼女はちっとも困っていなかったから。 1話完結のショートショートです。 虐げられた令嬢達も裏でちゃっかり仕返しをしていて欲しい…… という願望から生まれたお話です。 ゆるゆる設定なのでゆるゆるとお読みいただければ幸いです。 R15は念のため。

処理中です...