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77話-9、噂は神をも殺す(閑話)
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天狐の楓による花梨の暴露話と、花梨の大絶叫が木霊する結婚式が終わりを迎えた、夜中の十二時前。
永秋の支配人室に戻ったぬらりひょんは、一人でキセルの煙をぷかぷかとふかしていた。
白い煙をふかす度に、結婚式の余韻が頭を過ぎり。その場面の映像が広がっていく煙に投影され、薄っすらと消えていく。
今日の結婚式を一通り思い返し、脳裏に全て焼き付けた後。ぬらりひょんは椅子の背もたれに倒れ込み、ふわりとほくそ笑んだ。
「いやあ、今日はなんとも素晴らしい日になった。実にめでたい」
「本当じゃ。誰かさんに引っ掻き回されたもんだから、疲労が絶えない一日じゃったよ」
「そうか。お前さんも苦労し……、ん?」
天井に向かい独り言を呟くも、居ないはずの誰かに文句を挟まれ、会話として成り立ってしまったせいか。
ぬらりひょんはごく自然に返してしまい、違和感を覚えるのに数秒遅れ。そのまま眉をひそめ、声がしたすぐ隣に顔を向けてみる。
目線の先には、腕を組んで立っている楓の姿があり、ぬらりひょんを蔑みを含んだ糸目で捉えていた。
「か、楓っ!? お前さん、どこから入ってきたんだ!?」
「どこって、窓からじゃが?」
「なに当然のように言っているんだ! 扉から入ってこんかい、扉から! ったく、驚かせおって」
一旦は体を波立たせて驚いたものの。至極当然に叱ったぬらりひょんが、腕を組んでから「で」と続ける。
「貴様、花梨にどこまで話したんだ?」
「なんじゃ。花梨の子の件で干からびていたかと思いきや、しっかり聞いておったか」
「当たり前だ。高校二年生の時だとか、ラブレターだとか、ごく自然に言いおって。花梨の反応から察するに、かなり前から何かを話していただろ?」
「まあの。じゃが、安心せえ。祖父の代わりをしていた事までは言っとらんよ」
「当然そこもだが、問題はどこまで話したかだ。包み隠さず、全てワシに話せ」
「花梨がこの温泉街に来る前から、人間に化けたワシと何度か会い、会話をした事がある。これぐらいじゃ」
「本当か? 他には何も言ってないのか?」
「本当じゃ、嘘はついとらん」
そこでぬらりひょんの尋問は止まり、妖々しく笑っている楓の真意を確かめるように、鋭く凍てついた眼差しで睨みつけた。
瞬きを一切せず、十秒、二十秒と睨み続けていると、ぬらりひょんはキセルに口をつけ、白い煙を大量に吐き出した。
「ふんっ、嘘は言っていないようだな」
「言っても仕方がないからのお。なんなら、花梨に確かめてみたらどうじゃ?」
「阿呆。もし言ったら、そこから怒涛の質問攻めが始まるに決まっとるだろうが」
「いいんじゃないかえ? 全てを話す切っ掛けにもなろう。ぬらりひょん、いや、だらしない語り部よ。いつになったら花梨に全てを話すんじゃ? いい加減、皆も痺れを切らしとるぞ?」
「むっ……」
一転してぬらりひょんが説教される側に回り、痛い所を突かれるや否や黙り込み、誤魔化すようにキセルの煙をふかす。
どうせ返ってくる言葉は『時が来たらな』と判断した楓は、ここへ来た本来の目的を果たすべく、「しかし」と反撃の狼煙を上げる。
「今回の結婚式を、よくもまあ散々引っ掻き回してくれたのお。二ヶ月以上も前から打ち合わせをして、綿密に決めていったというのに。狐の嫁入りの進路も前日に変更しおって。それに、あの演説もワシは聞いとらんぞ。全てがめちゃくちゃじゃ。根も葉もない噂が立ったら……、ぬらりひょん、お主だろうと決して許さんぞ?」
溜まっていた鬱憤を晴らさんとばかりに、怒りのこもった口調で楓が恨み言を垂れると、虚を衝かれたぬらりひょんが「噂?」とだけ返した。
「そうじゃ。悪意のこもった拙い噂も千里を走れば、呪い染みた強大な力を蓄えて返ってくる。その力は、誰であろうとも跳ね返せん。神をも殺せるじゃろう」
「神をも殺す、か。確かに、言葉の力は偉大だ。状況によっては命を救われたり。たった一言二言で、そいつの命を脅かす可能性だってある。……お前さん、過去に何かあったな?」
「あったも何も。ワシはその噂のせいでとある目的を絶たれ、一度命を絶とうとした身じゃ」
多少の予想はしていたものの。想像以上の重い返しに、ぬらりひょんは眉間に深いシワを寄せ、口を噤む。
気まずい静寂が積み重なっていく中。ぬらりひょんは扉の方に顔を向け、背もたれに倒れ込んだ。
「楓よ。過去に何があったのか、ワシに話してくれんか? 事によっては、深く詫びを入れたい」
「事によらずとも詫びてほしいが、まあいい。ワシも花梨に言ってしまったし、適当な所まで話してやろう」
そこから赤い扇子で口元を隠した楓が、仲間の妖狐以外に打ち明けた事がない、己の過去を語り出した。
話は幼少の頃から始まり。仙狐の父と母の善行を見て、自分も万人に受け入れられるような仙狐を目指すべく、修行と善行を行っていった事。
五百年ほど行い、父と母が大往生した頃。慕ってくれている民が、自分の為に神社を設けてくれた事。
そして、貧乏神と疑うほど不幸体質の民が来て、己の願いを叶えてくれないと一方的に憤慨した民が、悪意のこもった噂を流した所まで。
語りは淡々と進んでいったが、遊郭の場面を過ぎた辺りから、楓の語る口が曇り出し。思わぬ形で仙狐になってしまった場面で、とうとう止まってしまい、口は固く閉ざされて開かなくなった。
支配人内に訪れるは、約千年分の想いが詰まった凄惨たる静寂。どんな慰めだろうとも、楓の千年は取り戻せるはずもなく。黙って耳を傾けていたぬらりひょんも、キセルを吸わずに天井を見据えたままでいた。
ただ視線を泳がせる事しか出来ない静寂の中で、やっとの思いでキセルの煙をふかせたぬらりひょんが、鼻からため息を漏らした。
「……参った。なんて言葉を掛けれてやればいいのか、まったく思いつかん。土下座だけでは済まされんな」
「よい、全てはもう過去に置いてきた。それに、素性を明かさなかったワシにも落ち度がある。一方的に責め立てた事を詫びよう」
「いや、お前さんには何の落ち度もない。あまりにも悲惨たる過去よ。そう易々と他人に打ち明けられるもんじゃない。よくワシに話してくれたな」
「お主には、ワシの仲間を匿ってくれた多大なる恩があるからの。その内にでも、明かすつもりじゃったよ」
「そうか」
楓の素性を知ってしまったが故に、事の重大さを改めて理解したぬらりひょんは、味がしないキセルの煙を細くふかす。
目の前を気ままに漂い、霧散していく煙を目で追った後。ぬらりひょんが「楓よ」と続けた。
「一つだけ聞きたい事がある」
「なんじゃ?」
「過去のお前さんの仲間についてだ。百年以上一緒に居たにも関わらず、噂で苦しめられていたお前さんに、愛想を尽かして見捨てていっただろ? その時の仲間は、どれだけお前さんの傍に居て、いつまで説得していたんだ?」
素性を明かしたのにも関わらず、楓の過去を抉り返すようなぬらりひょんの問いに、楓の糸目が不快気味にピクリと反応する。
「それを聞いてどうするつもりじゃ?」
「嫌なら答えなくていい。だが、これだけは言わせてくれ」
天井を見据えていたぬらりひょんの顔が、楓の方へと向く。
「ワシはお前さんの事を、見捨てるような真似は決してしないからな」
「……は? どういう意味じゃ?」
「お前さんの一生は目が眩む程に長い。今後も、過去に起きた悲劇が繰り返されんとも言い切れん。だからな、楓よ。お前さんが何度苦しめられようとも、ワシの声がお前さんに届かなくとも、ワシは絶対に諦めん。それに、温泉街に居る奴らも同じ事を言うだろう」
一呼吸置いたぬらりひょんが、口角を緩く上げる。
「だからお前さんは、安心してこの温泉街に居ろ」
まずは楓の心をなだめる為に、過去の出来事をここで断ち切るべく、絶対の安心感を与えようと試みるぬらりひょん。
しかし、楓は整った口をポカンとさせていて、呆気に取られている様子で、ただただぬらりひょんを見据えていた。
調子を狂わされ、頭が真っ白になっていた楓は何を思ったのか。赤い扇子で口元を隠し、クスリと笑う。
「なんじゃぬらりひょん? まだ結婚式の余韻に飲まれておるのか? ワシに恋心を告げるなど、千年早いぞ?」
「なっ!? 馬鹿っ!! なぜそうなるんだ!? ワシはお前さんを少しでも安心させようと―――」
「ほっほっほっ、シワだらけの顔を真っ赤にさせおって。冗談じゃよ」
「むうっ……!?」
よもや、このタイミングでおちょくられるとは夢にも思っていなかったぬらりひょんが、唖然として強ばっていた肩をストンと落とす。
開いた口が塞がらず、まるで狐につままれたような表情で数回瞬きすると、ぬらりひょんはドスンと背もたれに倒れ、あからさまなため息を吐いた。
「ったく、心配したワシが馬鹿だった」
「ふふっ、そう不貞腐れるな。少なくとも、今の言葉には心を深く打たれたぞ。心がおおらかになった。ぬらりひょんよ、誠に感謝する」
「ふんっ、どうだか」
狐の性が先に出てしまったせいで、嘘偽りのない本音を明かすも、ぬらりひょんの機嫌は戻ろうとしない。
が、楓の顔は普段よりも穏やかでいて、懐から二枚の葉っぱを取り出すと、艶やかな赤い盃に変えた。
「ぬらりひょんよ、酒はあるか?」
「むっ? 一応あるが……、なんだ? 飲みたいのか?」
「盃を交わそうぞ、ワシが注いでやる」
「は? さ、盃?」
「そうじゃ、今宵はすこぶる機嫌が良くなった。お主が満足するまで付き合ってやろう。先にも語ったが、ワシは遊郭に通い詰めておった時期があっての。酒を注ぐのも飲むのも上手いぞ?」
そう嬉々とし出した楓が、盃を両手に持ち「ほれ、ほれっ」と陽気に催促をする。
断りづらい催促に折れたぬらりひょんは、書斎机から超特濃本醸造酒を取り出し、楓から盃を貰う。
そして、注がれた酒を一気に飲み干したぬらりひょんは、楓に盃を返し、その盃に酒を注いでいった。
――――――結婚式後の花梨の日記
今日はとにかく濃密で目まぐるしく、すごく嬉しくもあり、喉が潰れそうになった日でもあった。
まずは、今日のお仕事から!
今日は妖狐神社のお手伝いだったんだけど、永秋で文字通り一番風呂に入り、身を清める所から始まったんだ。
なんでお風呂に入って、身を清めるんだろう? と思っていたけど。妖狐神社に行き、楓さんから仕事内容を聞いた後、その謎が何となく解けたんだ。
なんたって、かの有名な『狐の嫁入り』に私達も加わり、結婚する人を祝福する事だったからね。
流石に、狐の嫁入りぐらいは私も知ってたよ。天気雨の事でしょ? うん、知ってたよ。(詳しい事までは、ちょっと……)
そこから私とゴーニャも妖狐になり、狐の嫁入りを上手にやる為に練習を始めたんだけども、これがまた難しくってね。
完璧にこなせるようになるまで、二時間ぐらいは掛かったかな? 一秒の誤差を修正するだけで、これほど掛かるとは思ってもみなかったよ。
そして次に、嬉しかった事!
これはまったくの想定外でね。まさか結婚する人が、八吉さんと神音さんだったなんてなあ。
予想した直後に、私の前に現れては「今日結婚するんだぜ」と言われたもんだから、最初はビックリして頭の中が真っ白になっちゃったや。
それで、あまりに嬉しくなっちゃったせいで、八吉さん達の前で号泣しちゃった。だって、本当に嬉しかったんだもん。
何度も祝福の言葉を掛けたけど、一応ここでも。
八吉さん、神音さん。ご結婚、本当におめでとうございます! 末永くお幸せになって下さい!
いや~、いいなぁ。すごくお似合いの夫婦だ! (後日改めて、ちゃんとした贈り物をしないと!)
で、肝心の狐の嫁入りなんだけども……。緊張し過ぎたせいで、あまり上手く出来なかったよね……。(体が狐の嫁入り独特の歩き方を覚えていてくれて、本当に助かった……)
それにしても、祝福の規模が凄まじかったなぁ。なんせ、温泉街規模での祝福だったからね。私が知らない人も数人居たけど、楓さん曰く、温泉街の人達が全員集まっていたらしい。
猫又の莱鈴さん。件という妖怪さんである、未刻さん。この二人が知らない人だった。
なんでも、莱鈴さんは『骨董店招き猫』。未刻さんは『丑三つ時占い』というお店を受け持っているらしい。
そういえばこの二店、前にぬらりひょん様から行かなくてもいいって言われたお店だったはず。その内、こっそり行っちゃおうかな?
で、最後に喉が潰れそうになった事よ……。
事の発端は、直会殿に行った時の事だ。豪勢な会食をしてたんだけども、唐突に楓さんが私の暴露話を始めてね……。(もうそこからずっと、叫び倒してたよね……)
よもや、高校二年生の時に、ラブレターを貰った話をするだなんて……。家には持って帰ってなかったのに、なんでバレたんだろう?
まさか、千里眼で覗かれていた? それしかないよなぁ。と言うか、あの千里眼、どこまでの距離を覗けるんだろう……。
いや、問題はまだ沢山ある。楓さんはいったい、どれだけの頻度で私に会っていたとかね。今分かっているのは、小学生の時から高校二年生までの間。それだけでも、かなりの頻度で会っていそうだ。
楓さんは、なんで子供の頃から私を知っていたんだろう? そして、変化してまで会っていた理由も気になるや。
もしかして温泉街に居る他の人達も、子供の頃から私と会っていたりするんだろうか? う~ん、気になる。
明日は、極寒甘味処のお手伝いをする事になっているけど……。勇気を出して、雹華さんに聞いてみようかな?
永秋の支配人室に戻ったぬらりひょんは、一人でキセルの煙をぷかぷかとふかしていた。
白い煙をふかす度に、結婚式の余韻が頭を過ぎり。その場面の映像が広がっていく煙に投影され、薄っすらと消えていく。
今日の結婚式を一通り思い返し、脳裏に全て焼き付けた後。ぬらりひょんは椅子の背もたれに倒れ込み、ふわりとほくそ笑んだ。
「いやあ、今日はなんとも素晴らしい日になった。実にめでたい」
「本当じゃ。誰かさんに引っ掻き回されたもんだから、疲労が絶えない一日じゃったよ」
「そうか。お前さんも苦労し……、ん?」
天井に向かい独り言を呟くも、居ないはずの誰かに文句を挟まれ、会話として成り立ってしまったせいか。
ぬらりひょんはごく自然に返してしまい、違和感を覚えるのに数秒遅れ。そのまま眉をひそめ、声がしたすぐ隣に顔を向けてみる。
目線の先には、腕を組んで立っている楓の姿があり、ぬらりひょんを蔑みを含んだ糸目で捉えていた。
「か、楓っ!? お前さん、どこから入ってきたんだ!?」
「どこって、窓からじゃが?」
「なに当然のように言っているんだ! 扉から入ってこんかい、扉から! ったく、驚かせおって」
一旦は体を波立たせて驚いたものの。至極当然に叱ったぬらりひょんが、腕を組んでから「で」と続ける。
「貴様、花梨にどこまで話したんだ?」
「なんじゃ。花梨の子の件で干からびていたかと思いきや、しっかり聞いておったか」
「当たり前だ。高校二年生の時だとか、ラブレターだとか、ごく自然に言いおって。花梨の反応から察するに、かなり前から何かを話していただろ?」
「まあの。じゃが、安心せえ。祖父の代わりをしていた事までは言っとらんよ」
「当然そこもだが、問題はどこまで話したかだ。包み隠さず、全てワシに話せ」
「花梨がこの温泉街に来る前から、人間に化けたワシと何度か会い、会話をした事がある。これぐらいじゃ」
「本当か? 他には何も言ってないのか?」
「本当じゃ、嘘はついとらん」
そこでぬらりひょんの尋問は止まり、妖々しく笑っている楓の真意を確かめるように、鋭く凍てついた眼差しで睨みつけた。
瞬きを一切せず、十秒、二十秒と睨み続けていると、ぬらりひょんはキセルに口をつけ、白い煙を大量に吐き出した。
「ふんっ、嘘は言っていないようだな」
「言っても仕方がないからのお。なんなら、花梨に確かめてみたらどうじゃ?」
「阿呆。もし言ったら、そこから怒涛の質問攻めが始まるに決まっとるだろうが」
「いいんじゃないかえ? 全てを話す切っ掛けにもなろう。ぬらりひょん、いや、だらしない語り部よ。いつになったら花梨に全てを話すんじゃ? いい加減、皆も痺れを切らしとるぞ?」
「むっ……」
一転してぬらりひょんが説教される側に回り、痛い所を突かれるや否や黙り込み、誤魔化すようにキセルの煙をふかす。
どうせ返ってくる言葉は『時が来たらな』と判断した楓は、ここへ来た本来の目的を果たすべく、「しかし」と反撃の狼煙を上げる。
「今回の結婚式を、よくもまあ散々引っ掻き回してくれたのお。二ヶ月以上も前から打ち合わせをして、綿密に決めていったというのに。狐の嫁入りの進路も前日に変更しおって。それに、あの演説もワシは聞いとらんぞ。全てがめちゃくちゃじゃ。根も葉もない噂が立ったら……、ぬらりひょん、お主だろうと決して許さんぞ?」
溜まっていた鬱憤を晴らさんとばかりに、怒りのこもった口調で楓が恨み言を垂れると、虚を衝かれたぬらりひょんが「噂?」とだけ返した。
「そうじゃ。悪意のこもった拙い噂も千里を走れば、呪い染みた強大な力を蓄えて返ってくる。その力は、誰であろうとも跳ね返せん。神をも殺せるじゃろう」
「神をも殺す、か。確かに、言葉の力は偉大だ。状況によっては命を救われたり。たった一言二言で、そいつの命を脅かす可能性だってある。……お前さん、過去に何かあったな?」
「あったも何も。ワシはその噂のせいでとある目的を絶たれ、一度命を絶とうとした身じゃ」
多少の予想はしていたものの。想像以上の重い返しに、ぬらりひょんは眉間に深いシワを寄せ、口を噤む。
気まずい静寂が積み重なっていく中。ぬらりひょんは扉の方に顔を向け、背もたれに倒れ込んだ。
「楓よ。過去に何があったのか、ワシに話してくれんか? 事によっては、深く詫びを入れたい」
「事によらずとも詫びてほしいが、まあいい。ワシも花梨に言ってしまったし、適当な所まで話してやろう」
そこから赤い扇子で口元を隠した楓が、仲間の妖狐以外に打ち明けた事がない、己の過去を語り出した。
話は幼少の頃から始まり。仙狐の父と母の善行を見て、自分も万人に受け入れられるような仙狐を目指すべく、修行と善行を行っていった事。
五百年ほど行い、父と母が大往生した頃。慕ってくれている民が、自分の為に神社を設けてくれた事。
そして、貧乏神と疑うほど不幸体質の民が来て、己の願いを叶えてくれないと一方的に憤慨した民が、悪意のこもった噂を流した所まで。
語りは淡々と進んでいったが、遊郭の場面を過ぎた辺りから、楓の語る口が曇り出し。思わぬ形で仙狐になってしまった場面で、とうとう止まってしまい、口は固く閉ざされて開かなくなった。
支配人内に訪れるは、約千年分の想いが詰まった凄惨たる静寂。どんな慰めだろうとも、楓の千年は取り戻せるはずもなく。黙って耳を傾けていたぬらりひょんも、キセルを吸わずに天井を見据えたままでいた。
ただ視線を泳がせる事しか出来ない静寂の中で、やっとの思いでキセルの煙をふかせたぬらりひょんが、鼻からため息を漏らした。
「……参った。なんて言葉を掛けれてやればいいのか、まったく思いつかん。土下座だけでは済まされんな」
「よい、全てはもう過去に置いてきた。それに、素性を明かさなかったワシにも落ち度がある。一方的に責め立てた事を詫びよう」
「いや、お前さんには何の落ち度もない。あまりにも悲惨たる過去よ。そう易々と他人に打ち明けられるもんじゃない。よくワシに話してくれたな」
「お主には、ワシの仲間を匿ってくれた多大なる恩があるからの。その内にでも、明かすつもりじゃったよ」
「そうか」
楓の素性を知ってしまったが故に、事の重大さを改めて理解したぬらりひょんは、味がしないキセルの煙を細くふかす。
目の前を気ままに漂い、霧散していく煙を目で追った後。ぬらりひょんが「楓よ」と続けた。
「一つだけ聞きたい事がある」
「なんじゃ?」
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素性を明かしたのにも関わらず、楓の過去を抉り返すようなぬらりひょんの問いに、楓の糸目が不快気味にピクリと反応する。
「それを聞いてどうするつもりじゃ?」
「嫌なら答えなくていい。だが、これだけは言わせてくれ」
天井を見据えていたぬらりひょんの顔が、楓の方へと向く。
「ワシはお前さんの事を、見捨てるような真似は決してしないからな」
「……は? どういう意味じゃ?」
「お前さんの一生は目が眩む程に長い。今後も、過去に起きた悲劇が繰り返されんとも言い切れん。だからな、楓よ。お前さんが何度苦しめられようとも、ワシの声がお前さんに届かなくとも、ワシは絶対に諦めん。それに、温泉街に居る奴らも同じ事を言うだろう」
一呼吸置いたぬらりひょんが、口角を緩く上げる。
「だからお前さんは、安心してこの温泉街に居ろ」
まずは楓の心をなだめる為に、過去の出来事をここで断ち切るべく、絶対の安心感を与えようと試みるぬらりひょん。
しかし、楓は整った口をポカンとさせていて、呆気に取られている様子で、ただただぬらりひょんを見据えていた。
調子を狂わされ、頭が真っ白になっていた楓は何を思ったのか。赤い扇子で口元を隠し、クスリと笑う。
「なんじゃぬらりひょん? まだ結婚式の余韻に飲まれておるのか? ワシに恋心を告げるなど、千年早いぞ?」
「なっ!? 馬鹿っ!! なぜそうなるんだ!? ワシはお前さんを少しでも安心させようと―――」
「ほっほっほっ、シワだらけの顔を真っ赤にさせおって。冗談じゃよ」
「むうっ……!?」
よもや、このタイミングでおちょくられるとは夢にも思っていなかったぬらりひょんが、唖然として強ばっていた肩をストンと落とす。
開いた口が塞がらず、まるで狐につままれたような表情で数回瞬きすると、ぬらりひょんはドスンと背もたれに倒れ、あからさまなため息を吐いた。
「ったく、心配したワシが馬鹿だった」
「ふふっ、そう不貞腐れるな。少なくとも、今の言葉には心を深く打たれたぞ。心がおおらかになった。ぬらりひょんよ、誠に感謝する」
「ふんっ、どうだか」
狐の性が先に出てしまったせいで、嘘偽りのない本音を明かすも、ぬらりひょんの機嫌は戻ろうとしない。
が、楓の顔は普段よりも穏やかでいて、懐から二枚の葉っぱを取り出すと、艶やかな赤い盃に変えた。
「ぬらりひょんよ、酒はあるか?」
「むっ? 一応あるが……、なんだ? 飲みたいのか?」
「盃を交わそうぞ、ワシが注いでやる」
「は? さ、盃?」
「そうじゃ、今宵はすこぶる機嫌が良くなった。お主が満足するまで付き合ってやろう。先にも語ったが、ワシは遊郭に通い詰めておった時期があっての。酒を注ぐのも飲むのも上手いぞ?」
そう嬉々とし出した楓が、盃を両手に持ち「ほれ、ほれっ」と陽気に催促をする。
断りづらい催促に折れたぬらりひょんは、書斎机から超特濃本醸造酒を取り出し、楓から盃を貰う。
そして、注がれた酒を一気に飲み干したぬらりひょんは、楓に盃を返し、その盃に酒を注いでいった。
――――――結婚式後の花梨の日記
今日はとにかく濃密で目まぐるしく、すごく嬉しくもあり、喉が潰れそうになった日でもあった。
まずは、今日のお仕事から!
今日は妖狐神社のお手伝いだったんだけど、永秋で文字通り一番風呂に入り、身を清める所から始まったんだ。
なんでお風呂に入って、身を清めるんだろう? と思っていたけど。妖狐神社に行き、楓さんから仕事内容を聞いた後、その謎が何となく解けたんだ。
なんたって、かの有名な『狐の嫁入り』に私達も加わり、結婚する人を祝福する事だったからね。
流石に、狐の嫁入りぐらいは私も知ってたよ。天気雨の事でしょ? うん、知ってたよ。(詳しい事までは、ちょっと……)
そこから私とゴーニャも妖狐になり、狐の嫁入りを上手にやる為に練習を始めたんだけども、これがまた難しくってね。
完璧にこなせるようになるまで、二時間ぐらいは掛かったかな? 一秒の誤差を修正するだけで、これほど掛かるとは思ってもみなかったよ。
そして次に、嬉しかった事!
これはまったくの想定外でね。まさか結婚する人が、八吉さんと神音さんだったなんてなあ。
予想した直後に、私の前に現れては「今日結婚するんだぜ」と言われたもんだから、最初はビックリして頭の中が真っ白になっちゃったや。
それで、あまりに嬉しくなっちゃったせいで、八吉さん達の前で号泣しちゃった。だって、本当に嬉しかったんだもん。
何度も祝福の言葉を掛けたけど、一応ここでも。
八吉さん、神音さん。ご結婚、本当におめでとうございます! 末永くお幸せになって下さい!
いや~、いいなぁ。すごくお似合いの夫婦だ! (後日改めて、ちゃんとした贈り物をしないと!)
で、肝心の狐の嫁入りなんだけども……。緊張し過ぎたせいで、あまり上手く出来なかったよね……。(体が狐の嫁入り独特の歩き方を覚えていてくれて、本当に助かった……)
それにしても、祝福の規模が凄まじかったなぁ。なんせ、温泉街規模での祝福だったからね。私が知らない人も数人居たけど、楓さん曰く、温泉街の人達が全員集まっていたらしい。
猫又の莱鈴さん。件という妖怪さんである、未刻さん。この二人が知らない人だった。
なんでも、莱鈴さんは『骨董店招き猫』。未刻さんは『丑三つ時占い』というお店を受け持っているらしい。
そういえばこの二店、前にぬらりひょん様から行かなくてもいいって言われたお店だったはず。その内、こっそり行っちゃおうかな?
で、最後に喉が潰れそうになった事よ……。
事の発端は、直会殿に行った時の事だ。豪勢な会食をしてたんだけども、唐突に楓さんが私の暴露話を始めてね……。(もうそこからずっと、叫び倒してたよね……)
よもや、高校二年生の時に、ラブレターを貰った話をするだなんて……。家には持って帰ってなかったのに、なんでバレたんだろう?
まさか、千里眼で覗かれていた? それしかないよなぁ。と言うか、あの千里眼、どこまでの距離を覗けるんだろう……。
いや、問題はまだ沢山ある。楓さんはいったい、どれだけの頻度で私に会っていたとかね。今分かっているのは、小学生の時から高校二年生までの間。それだけでも、かなりの頻度で会っていそうだ。
楓さんは、なんで子供の頃から私を知っていたんだろう? そして、変化してまで会っていた理由も気になるや。
もしかして温泉街に居る他の人達も、子供の頃から私と会っていたりするんだろうか? う~ん、気になる。
明日は、極寒甘味処のお手伝いをする事になっているけど……。勇気を出して、雹華さんに聞いてみようかな?
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