その部屋に残るのは、甘い香りだけ。

ロウバイ

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ハジメ視点

遅すぎる

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 今日は朝から散々だった。後輩のミスで休みのはずだった一日が出勤になり、通勤中に焦って準備したせいでスマホを忘れたことに気付く。会社用のスマホはまた別で渡されていたから仕事に支障はでなかったものの、それ以外で気になる大切な一つのことがあった。

結局、朝イチでシュウに謝ることができなかったこと。
スマホが無かったからシュウに一言告げることもできず、きっと心配させているだろうと思い、帰路を急ぐ足がより早さを増す。シュウが口にしてたケーキという言葉が浮かんできて、道にあった小さなケーキ屋でショートケーキを二切れ頼んだ。お詫びには足りないかもしれないが、喜んでくれるだろう。

少し乱暴になりながらも、鍵を差し込み扉を開ける。いつもと違って、扉は解錠の状態になる。
なんだか嫌な予感が体を駆け巡って、それを振り払うようにして勢いよく扉を開ける。今日はシュウの仕事も休みの日だから、彼は絶対に中にいるはずだ。そう信じて。

扉を開けるとともに、いつも通りの暖かい光と珍しくキャラメルを煮詰めたような甘い香りが出迎える。その事にホッと安心して、急ぎ気味で革靴を脱いだ。

「すまん!急なクレーム処理で出勤になったんだ!」

そうシュウに話しかけながら、ダイニングキッチンへとつながる扉を開く。同棲を始めた頃から帰ってくるときには大体キッチンにいるシュウが今日も出迎えてくれると思ったのだ。
話しかけてはいるものの、シュウからの返事がない。キッチンには灯りと甘い香りが漂うのみで、彼の姿はなかった。
ついさっき消えたばかりの焦燥感が再び芽を出す。

「…シュウ?」

俺の声と、電化製品たちの静かな唸り声だけがどこか広くなったような部屋に木霊する。
違和感を覚えて部屋を見渡してみると、シュウどころかシュウの身の回りのものまでごっそりとなくなっていて、ようやくすべてを受け入れた。
鼻にむしろ毒々しいほど鮮明に甘い香りが充満している。手からケーキ屋の箱が滑り落ち、ぐしゃりと地面で生ゴミへと化した。

ーーーようやく俺は思い出す。

この甘い香りは、かつて彼とともに何度も嗅いだ甘いあのスイーツの香りだということを。
俺はシュウが好きだったケーキの種類すらも忘れてしまっていた。机の上には、光を反射してツヤツヤと輝くフロランタンに添えるようにして、一枚の紙が置かれていた。

『ハジメも悪いんだからね。大好きだったよ。』

俺は崩れ落ちた。
ようやく、全てが手遅れだったことに気づいた。

 
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