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54.再び

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 靄の中から現れたミゼアスに駆け寄り、たとえ夜明けの霧が作り出した幻影でも構わないとばかりに、ヴァレンは抱きつく。しかし、幻影ではありえない温もりがヴァレンを包み込み、そっと手が添えられた。

「ヴァレン……よかった、間に合ったみたいだね」

 優しい声が、ヴァレンのすぐ傍で響く。

「ミゼアス兄さん……」

 話したいことはいくらでもあるはずなのだが、ヴァレンは何も言うことができなかった。ミゼアスの胸に顔を埋め、ただミゼアスの名を呼ぶ。

「夜明け前に目が覚めたんだけれど、しばらくしてきみがいないことに気づいてね。昔からきみは海岸が好きだったし、もしかしたら……と思って来てみたんだ。でも、もう島に戻るんだね」

 ミゼアスはヴァレンの頭を撫でながら、穏やかに語りかける。

「はい……ご挨拶に行かなきゃいけなかったのに、申し訳ありません……」

「いいんだよ。きみには、何か事情があるんだろう? きみのほうが大変なんだから、僕に気を遣う必要なんてないよ。僕は、きみにお礼を言うべき立場であって、文句など何も言えやしないよ」

 そのまま、しばしヴァレンはミゼアスの温もりを味わった。
 ミゼアスは余計なことを尋ねることもなく、ヴァレンのことを信用してくれている。言葉などなくとも、ヴァレンはミゼアスの心が伝わってくるようで、何も言うことなく温もりに包まれた。

「ああ……そうだ。アルン、ブラム、コリンに手紙を書いたんだ。渡しておいてもらえるかい?」

 やがて名残惜しく思いながらもヴァレンが身を離すと、ミゼアスは四通の手紙を取り出してヴァレンに渡す。

「はい、わかりました。でも、一通多くないですか?」

 受け取りながら、ヴァレンは首を傾げる。
 見習い三人衆に宛てたものならば三通のはずだと思いながら手紙の宛て先に視線を走らせると、一通はヴァレンの名が記されていた。

「ひとつは、きみ宛てだよ。まあ、たいしたことは書いていないけどね」

 ミゼアスはくすりと笑う。

「……ありがとうございます」

 胸の奥が静かに震えるのを感じながら、ヴァレンは手紙をそっと服のかくしにしまう。
 連絡事項としての手紙は、ミゼアスが島にいる頃から幾度となくもらったことがあるが、そうでないものは初めてだ。何が書いてあるのだろうかと、不安と高揚感に包まれる。

「さて、そろそろよいか?」

 重々しい声が、時間切れを告げる。
 ヴァレンは後ろ髪を引かれる思いだったが、いったん目を閉じて気持ちを切り替える。
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