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38.夕月花

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 領主様は多忙のため、なかなか面会できない。そうごまかし続けて数日、ヴァレンは気晴らしに散歩でもしようと、エイブを海岸に誘った。
 当然ながら、黒髪のカツラを着用して、守り神にも付き添ってもらっている。
 この海岸で守り神と出会った日から、今回の事件は始まった。そう考えれば、決着をつけるのにふさわしい場だとも思える。

「あなたにとって夕月花って、何?」

「私の全てです。僭越ながらお慕いしていたカレンマリス様と愛しい妻、そして今となっては領主様も……大切な方々が遺していった、大切な子供のようなものでもあります」

 ヴァレンが問いかければ、エイブは穏やかに答える。眩しそうに海を眺めて、目を細めた。

「夕暮れ時、夕月花は黄金色の花に朱がさして、あなたの髪のような色になります。それは見事な眺めなのです」

「夕月花のためなら、何でもする?」

「はい、もちろんです」

 迷いなく答えるエイブ。口調はゆったりと落ち着いていた。
 ヴァレンは足を止めて、まっすぐにエイブを見つめる。

「俺を殺して、花に捧げることも?」

 はっとした様子でエイブは立ち尽くす。驚愕に覆われた表情だったが、瞳は哀しげにも見えた。

「あなたの奥さん、ローダンデリアの庶子だったんだってね。正確にいえば、庶子の子か。奥さんが亡くなったとき、夕月花の種のところに埋めてくれと遺言を残した。それで埋めたところ、芽が出たというわけだ。ローダンデリア家の血を引く者の血肉で、夕月花は芽を出したと思ったんじゃない?」

 ヴァレンの問いかけに、エイブは耐えかねたように目を伏せる。その姿は肯定の証に見えた。

「夕月花は生贄を必要とする花。かつてローダンデリアで夕月花が絶えたのは、領主一族が生贄を捧げ続けるのに嫌気がさしたためじゃないかってね」

 ミゼアスからの手紙に書いてあったことだ。
 夕月花は生贄を捧げ、生贄の血族が世話をすることによって育つ花だという。定期的に生贄を捧げなくては、花は枯れてしまうそうだ。

「あなたの奥さんの血肉と領主の世話で夕月花は花を咲かせてきた。でも、最近収穫量が落ちてきた。いよいよ危ないくらいに。新しい栄養が必要だとあなたは思った。違う?」

 さらにヴァレンは問いかけるが、エイブからの返事はない。

「ローダンデリア領主はもし自らが亡くなれば、夕月花の咲く場所に埋めてくれと遺言を残していたそうだね。でも、遠い地での事故で、ローダンデリアに帰ってこられたのは髪束だけだった」

 もし、ローダンデリア領主の遺体があれば、それを花に捧げていたのだろう。そうすれば、花も栄養を得ることができて問題はなかったのかもしれない。
 しかし、そうはならなかった。

 生贄とはいうが、実際は病死した人間を埋めたら芽を出したのだ。領主がもし自らが亡くなれば、と遺言を残していたように、老衰なり病気なりで亡くなった血族を埋めればどうにかなると考えていたのではないだろうか。
 ところが、遺体の残らない領主の死によって、あっさりとその目論見は打ち砕かれたのだ。
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