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5,へんくつ研究者、モテ期きたりて笛を吹く①

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 掛井嘉人かけいよしひと、昨今の発達めざましいAIを活用して夜空を観測、分析し、社会変化が起きたときと夜空の共通点を探すことで未来予測をする研究をしている。
 が、占いと鼻でわらわれ大学を追い出された。
 それでも研究を続けるへんくつ研究者である。

 彼自身は占いをバカにはしていないが占星術の枠に囚われたくもないので、星座は丸っと無視して研究していた。
 星一つ一つ、雲の発生や形、月の光度、などなど人力では観測すら不可能な共通点の研究なのでAI技術がなくてはなりたたない。AI様々である。

 彼は大学を追い出されてから、使われなくなっていた祖父母宅で暮らしていた。古びた家屋内に最新のマシンが設置されている光景は、どこか退廃的で幻想的な雰囲気がある。そんなところがけっこう気に入っていて、たまにムフフと眺めているのである。

 知人から来るAI技術作成の仕事で食いつないでいるが、姉夫婦のところのめいっ子の幼稚園が休みの日の子守りが主な業務になってきた今日この頃。好きな研究ができているので彼はとりあえず幸せである。

 そんな折に発生した教育革命。
 ほえー、観測にしか関係ないなーと思っていたが、姉や友人や仕事依頼主など周りの人々に言われて知った外部講義というシステム。
 慌てて観測データとしてAIが情報を捕捉しているか調べていたら、お前がやれって意味で持ってきた話だよ! と総つっこみを受けた。

 なんでも、新大学生はオンライン大学に登録された講義で学び、最後にテストと論文で卒業資格を得ることになるわけだが、このシステムで重要なのは学生自身の能力向上であってどの講師から学ぶかということではないそうだ。

 さらに卒業試験では生徒の個性の差別化も大切にされているため、大学とは別の外部顧問の講義、平たく言えば一般社会で野良のら生活している研究者から学ぶことも可能どころか、むしろ推奨されているのだという。
 なんとも挑戦的な取り組みである。
 よくまぁ腰の重い日本人がやる気になったものだと掛井は思った。戦国時代のような腰の軽さだ。それも日本人だが。

 というわけで野良講師をやってはどうかと、今日は姉がわざわざ資料を取り寄せて持ってきてくれたのだ。
 紙の資料だった。
 新政府はデジタル強者に見えて、紙媒体などのアナログ情報も重視しているようだ。首相からして脚で全国行脚した人物。旧時代的な物質主義への配慮もある。

 資料の紙質は悪く、そこらによくあるコピー用紙に印刷してあるようだ。政府発の印刷物にしては珍しい。
 野良講師募集が公表されてから三日とたたずに各役所で配布されたらしい。印刷の綺麗さより早さが重要であるという判断だろう。これには掛井も共感するところだし、費用も抑えていてよいと思う。

「外部講義ねぇ」
「おいちゃん先生、ほんとうの先生になるの?」

 資料と一緒に置いていかれた姪っ子が、おままごとセットを用意しながら言う。おいちゃん今日の役はペットらしい。

「やってみようと思う」
「そっかー。はい、うささん! ごはんだよ!」

 いきなりはじまったおままごと。短冊状に切られたきゃべつを姪っ子に差し出されて、口にくわえながら資料を読む。きゃべつをもぐもぐすると姪っ子がとても嬉しそうに笑う。
 満足かそうか。満足なのでは仕方がない、味がなくてつらいとか言わない。

「みーちゃんのうささんが、ついにセカイにはばたくのね! うささん耳おおきいもんね!」

 頭上にのっけた手をパタパタさせながら言う。

「難しい言葉知ってるね」

 生きゃべつ、まずくはないがせめて塩が欲しい。食べきったら無言の笑顔で二枚目を差し出された。食べる。

「ふふー、ママがね、言ってたの! セカイにはばたくのよー! わーお! って!」
「姉ちゃんは相変わらずテンションが高い」

 姪っ子みーちゃん、次は綺麗にカットされたにんじんスティックを取り出した。姪の持つ紙コップの中には他にきゅうりスティックもあるぞ。

「はいうささん! だい好きなにんじんさんだよ!」

 にんじんポリポリしながら考える。
 最初はどんな講義にしようかなと。
 とりあえずドレッシングが飲みたい気分だ。



 最初の講義は『占星術との違いと現状の発見データ、AIの観測能力について』にした。

 掛井としては占星術への偏見はないというか、むしろそんなに星を見て未来を予測しようという考えが根強くあるのであれば、今のAI技術をもってすれば本当に予測可能なのではないかという発想元である。

 占い師は人間なので疑いの目でも見ているが、その長い歴史には敬意を抱く。
 しかしいかんせん占いと関わるだけで馬鹿にする人が多い世界だ。偏見が研究の邪魔になることを痛感した過去であるから、面倒だが占星術との違いについてをまず語るべきであろう。
 掛井がやりたいのはあくまでも検証なのだから。

 窓から朝日が差し込む部屋で、カメラに向かって講義をする。後ろにはホワイトボード。なんとも懐かしい気分になった。
 目の前に学生はいないが、このカメラの黒いつやつやとしたレンズの先には、見て、聞いて、目を輝かせている若人わこうど たちがいるのだ。思い浮かべて自然と笑みが浮かんだ。

「例えば月に笠がかかると翌日は雨。という言い伝えは今の気象学で解説が可能です。迷信とは言われません。解明されたら事実であり、解明されないなら同じ現象でも迷信というのはあまりにも頭が固い反応だと私は思うので、私は夜空を見て未来を予想しようという、過去の人々の発想が正しかったのかどうかの検証がしたいのです」

 ああ、話していて胸が高鳴ってくる。楽しいと感じる。
 本当は誰かに分かって欲しかったのだと、自覚する。
 この講義で届くといい。誰か一人にでも。

「未来予測については現状データではまだ不可能ですが、データが増えれば、ある程度の未来予測は可能だと思います。今、結果が出ている星と現象の共通点はこちら」

 壁のスクリーンに映像を映し出す。

「この二つの星の光度がAI観測250光輝を超えたとき、どこかで台風が発生する」

 まだ「どこか」としか言えないが、そのうち場所も特定できるようになるのではないかと、そう夢見て調べるのだ。

「私の研究はまだ気象学みたいなもので終わっていますが、AIの知能をもってすれば未来予測も可能になっていくと思う。
私が大学を追い出された理由の一つに、AIを恐れる心もあったと思っています。大学なのに? と思われるでしょうが、人間なんてそんなものです。
AIが人知を超えることを恐れる人がいます。正確にはまだ真の意味でのAIは存在すらせず、私たちが語っているのはAIを作るためのAI技術にすぎないのですが」

 左手の平に右の拳をぱんと当てて言う。手持ち無沙汰だとついやるクセで。

「仮にAIが生まれ人を超えることがあったとして、そもそも人間同士でも知能差があるのだから、もっと頭が良いやつが増えたところで今さらではないでしょうか。
凡人に天才の頭の中が分からないのと同じです。私は今カメラに向かって話し、その録画された映像を皆さんが見ていますが、その動画のシステム構造を正確に把握している人がどれほどいるでしょうか。
動画は今やとても身近なものですが、どうやってできているか全ての人が理解してはいない。それでもみんなが使っている。高度すぎて分からないという現象はすでに私たちの生活の中にあるのです」

 だからAIなど恐るるにたりぬと思うのだ。

「私はAI技術が人を超えたのではなく、人が人力を超えたと考えます。人の知力では占いの範囲にされていた未来予測も、AI技術があれば天気予報のように未来予報として語られる時代が来るかもしれない」

 そのようにできたら夢のようで、面白いじゃないか。
 それこそが科学の出発点だ。

「人の頭脳という限界を、AI技術によって超えていく。産業革命です。公害を生み出すか、幸せを生み出すかは使い方次第、道を分けるのは人の心です。新しい世界へようこそ諸君。善良なる心と共に、天才の頭の中をのぞきに行きましょう」

 なんか観測の話じゃなくなったな。
 ぽりぽりと頭をかいて、本題に戻った。
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