2 / 6
僕たちはずっと同じ時間の中で、ずっと同じ幸せを感じることができる
しおりを挟む「僕たちは、常に同じ時間の流れの中にいられるわけじゃないんだ」
彼が、私に向けてそう言ったことは、これまでに2回あった。
1回目は、ディナーの帰り、冬の冷たい小雨の中、小さな傘の下で、ワインとタバコの苦い味のするキスの後で。私にそう告げて、「それでも、できる限り、君と一緒の時間の中にいたい」と愛を口にしてくれた。深く被ったハットのツバの奥に見える瞳には、彼の見ている世界が、外灯の光に照らされ、克明に映し出されていた。氷が溶けていくように徐々に広がる瞳の中には、私しかいなかった。
「ねえ、今何時?」
「待ってね。えっと、夜の10時15分になったところだよ」
「ちょっと、その懐中時計、私にも見せて」
「ああ、どうぞ」
「10時15分。よかったわね、今のところ、私たち同じ時間の中よ」
懐中時計を握った手を、彼のコートの内ポケットに滑り込ませながら、私は背伸びをして、彼に唇を重ねた。それに彼が驚いて、目を見開くと、持っていた傘を落とした。それでも、私たちは、すぐに傘の下に隠れることはしなかった。顔を近づけた状態のまま、ゆっくり夜空を見上げると、降り続けていた細かい雨が、雪に変わり始めていたことに気づいた。それに私が、見惚れていると、今度は、私が彼の懐中時計を落としてしまった。地面に落ちたそれは、何よりも確かな存在感を、私たち二人の間に戛然と示した。
「あ、ごめんなさい。本当に、そんなつもりじゃなかったの」
膝を曲げて、懐中時計を拾う彼に、私は手で口元を覆いながら謝罪した。その懐中時計が、彼の父親の形見だと知っていたために、私は非常に申し訳ない気持ちになった。壊してしまっていたらどうしよう、と不安になった。どうかこれまで通り時間を刻んでいておくれ、と願うばかりだった。そう私が時計の無事を祈る先で、彼は、静かに立ち上がり、それをこちらに向けて、「今何時かな?」と言った。私は、隅が涙でぼやけた視界の中央に、その文字盤を見た。時刻は、10時15分。あれから何も進んでいなかった。そして、それは、しばらく待っても(確実に1分が過ぎたとしても)、針を動かすことはなかった。
「アイリン、もう謝らなくていいよ。泣かなくたっていいよ。僕は全然怒っていないし、傷ついてもいない」
「本当?」
「ああ。むしろ、感謝しているよ」
私は、潤んだ目で、それはどうして、と彼に訴えかけた。彼は、私の頭を撫でながら、あるいは、頭に積もった雪を払いながら、微笑み、こう言った。
「これで、僕たちはずっと同じ時間の中で、ずっと同じ幸せを感じることができる」
その日がきっかけで、私たちにとって10時15分という時間が、大切な記念時間となった。それから、私たちは、その10時15分を盛大に祝ったり、細やかに祝ったり、ときには何もすることなく、日々を暮らしていった。
0
お気に入りに追加
0
あなたにおすすめの小説
校長室のソファの染みを知っていますか?
フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。
しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。
座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る
あなたの子ですが、内緒で育てます
椿蛍
恋愛
「本当にあなたの子ですか?」
突然現れた浮気相手、私の夫である国王陛下の子を身籠っているという。
夫、王妃の座、全て奪われ冷遇される日々――王宮から、追われた私のお腹には陛下の子が宿っていた。
私は強くなることを決意する。
「この子は私が育てます!」
お腹にいる子供は王の子。
王の子だけが不思議な力を持つ。
私は育った子供を連れて王宮へ戻る。
――そして、私を追い出したことを後悔してください。
※夫の後悔、浮気相手と虐げられからのざまあ
※他サイト様でも掲載しております。
※hotランキング1位&エールありがとうございます!
政略結婚の約束すら守ってもらえませんでした。
克全
恋愛
「カクヨム」と「小説家になろう」にも投稿しています。
「すまない、やっぱり君の事は抱けない」初夜のベットの中で、恋焦がれた初恋の人にそう言われてしまいました。私の心は砕け散ってしまいました。初恋の人が妹を愛していると知った時、妹が死んでしまって、政略結婚でいいから結婚して欲しいと言われた時、そして今。三度もの痛手に私の心は耐えられませんでした。
夫の色のドレスを着るのをやめた結果、夫が我慢をやめてしまいました
氷雨そら
恋愛
夫の色のドレスは私には似合わない。
ある夜会、夫と一緒にいたのは夫の愛人だという噂が流れている令嬢だった。彼女は夫の瞳の色のドレスを私とは違い完璧に着こなしていた。噂が事実なのだと確信した私は、もう夫の色のドレスは着ないことに決めた。
小説家になろう様にも掲載中です
元婚約者様の勘違い
希猫 ゆうみ
恋愛
ある日突然、婚約者の伯爵令息アーノルドから「浮気者」と罵られた伯爵令嬢カイラ。
そのまま罵詈雑言を浴びせられ婚約破棄されてしまう。
しかしアーノルドは酷い勘違いをしているのだ。
アーノルドが見たというホッブス伯爵とキスしていたのは別人。
カイラの双子の妹で数年前親戚である伯爵家の養子となったハリエットだった。
「知らない方がいらっしゃるなんて驚きよ」
「そんな変な男は忘れましょう」
一件落着かに思えたが元婚約者アーノルドは更なる言掛りをつけてくる。
寝室から喘ぎ声が聞こえてきて震える私・・・ベッドの上で激しく絡む浮気女に復讐したい
白崎アイド
大衆娯楽
カチャッ。
私は静かに玄関のドアを開けて、足音を立てずに夫が寝ている寝室に向かって入っていく。
「あの人、私が
家に帰ると夫が不倫していたので、両家の家族を呼んで大復讐をしたいと思います。
春木ハル
恋愛
私は夫と共働きで生活している人間なのですが、出張から帰ると夫が不倫の痕跡を残したまま寝ていました。
それに腹が立った私は法律で定められている罰なんかじゃ物足りず、自分自身でも復讐をすることにしました。その結果、思っていた通りの修羅場に…。その時のお話を聞いてください。
にちゃんねる風創作小説をお楽しみください。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる