月とガーネット[下]

雨音 礼韻

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■Ⅷ■WITH GARNET■

[3]形勢逆転の夜

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「やっべぇ……これ以上してたら──」

 ──これ以上のことがしたくなる……。

 クウヤは思わずそう言いそうになったが、メリルの過去が真実だとすれば、そんな露骨な男の欲望など、彼女の前で口にするのははばかられた。

 二人はもうどれくらいそうしていたのかも分からないほど寄り添い立ち尽くしていた。が、クウヤのそんな呟きを機に、メリルの身体がフラリとクウヤの元へ向け脱力した。

「メリル……? もしかして、まだ調子悪いのか?」

 彼女の脚は精巧な義足なのだから、クウヤが耐えられる程度の時を立っていられない訳はない。クウヤは慌ててその身を支えたが、微かに見える彼女の頬はいつになく真っ赤に染められていた。

「い、いえっ、すみません……えと、腰が……抜け、ました」

「え? あっ……悪い、ちょっと夢中になり過ぎた」

 メリルにしてみれば口づけなど、両親との挨拶以外に記憶はなく、ましてやこれほど情熱的で濃厚な接吻など、生まれて初めての経験に違いなかった──のだから、腰くらいは抜かすこともあるかもしれない。

「きゃ」

 突然フワリと身体が浮き上がり、メリルは思わず小さな悲鳴を上げた。

「これでようやく「される側」から「する側」になれた」

 苦笑混じりにクウヤが言ったのは、もちろん「お姫様抱っこ」のことである。

「あ、あのっ、わたくしの義手と義足は大変重いので……」

「そうかぁ? それじゃ上手く『ムーン』の浮力が活用出来てるんだな。むしろ軽いくらいだ」

 クウヤは恥ずかしそうに俯くメリルに笑いかけて、住宅のエントランスへ歩み出した。

「お腹は? 食事は済ませてきたのか?」

 メリルが手を伸ばして開いた扉の隙間に、器用にメリルごとすり抜けて問う。

「あ、はい。移動中に戴きました……実はシャンカール様の邸宅に『ムーン・バイキング』が戻ってきてくださいまして」

「二人共、無事だったのか!?」

 驚きの報告にクウヤは思わず立ち止まった。

「ご報告が遅れまして申し訳ございません。ガブリエル様もワンソック様もご無事でございます。『ムーン・バイキング』にはシド様のウサギ型ロボットも同行されておりましたので、リモート操作によって修理いただきました」

「だからこんなに早く戻って来られたのか……」

 ムンバイのラヴィ邸から更にその上空のシド邸を経由していたのなら、おそらくもう一日は掛かっていただろうと、クウヤも安堵と共に納得した。

「あ、あの……もう歩けますので、これ以上は」

 再び歩き出したクウヤを気遣って、メリルは弱々しく申し出たが、

「別に重くなんかないからいい。二階の真ん中がメリルの部屋だろ? もちろんこれ以上邪魔はしないから、今夜は良く休めよ。やっと明日の朝から一緒に飯食べられるんだなー! あんなサプリじゃ味気なかっただろ? リクエストがあるなら、味は保証しないがそれなりに作るぞ」

「いえ、そんな……恐縮でございます」

 クウヤは自分の胸の中で益々縮こまってゆくメリルを愛おしそうに見下ろして、ゆっくりと階上を目指した。

 前夜の夕食時、メリルの右手の甲から見つけ出したカプセルは、もちろん圧縮された機械オイルなどではなかった。中身は一食分の栄養とエネルギーがまかなえるサプリメントのたぐいであったのだ。となれば「メリル=人間」の構図が自然と浮き彫りになるのであるが、上空に独りきりとなったクウヤが、万が一この住居内で食糧を調達出来なかったことをかんがみて用意された可能性もあると思えば、昨夜はまだ「メリルがアンドロイドでない」との判断を完全には出来ずにいたのだった。

 階段から廊下へ折り返し、クウヤは部屋の手前足を止めた。

「あのマリーアもどきの音声AIは、メリルの仕業だったんだろ? 俺と一緒に戻って来られれば、特に必要のない演出だったのだろうけど……あんな程度の警告で俺が入室しないと思ったか?」

 クウヤがツッコミを入れたのは、昨夕奥の部屋から聞こえてきた少女の声のことである。

 「伯父上」の見解としては、クウヤ独りで入巣することになってしまった故の応急処置だったのだろうとのことだった。

 メリルに「主人」がいると聞いている以上、クウヤがその人物を捜索するのは目に見えていた。

 もちろん「伯父上」と連絡を取り、クウヤと合流してくれるよう手配をすれば良い話であったが、メリル抜きのこの状況で侵入者が現れた場合、これまで隠してきた「伯父上」の存在が露呈しかねない。「彼女はそれを危惧して、私に連絡をよこさなかったのだろう」と、「伯父上」は微かに苦笑した。

 そんな何者かに常日頃狙われている重要人物VIPである。姪御メリルの外出中は決して隠し部屋を出ないようにと、普段からきつく言い渡されているのだそうだ。

 あれは元々そのような対侵入者用に仕掛けられたトラップだった。

 実際あの電流は重傷を負わせられるほど強力に設定されていたが、クウヤが触れてしまうことを案じて、メリルは救出されてすぐ変更操作をしていた。

 お陰で怪我を負わずに済んだわけだが、彼女の苦労も虚しく首謀者の居場所を特定してしまったクウヤは、危うく脳ミソを吹っ飛ばされそうになったのだった。

 スッカリお見通しのクウヤに対し、メリルは更にモジモジとして、

「……思春期の少女の声で拒否されれば、さすがに覗き込むことはないかと……」

 こちらもバレバレであったかと、ひたすら萎縮し恐縮した。

「だったらもう少し綿密にやらないとな~! 人間の声は顔が動くから、音の出所がもっとブレるんだって。その点スピーカーから流れてくる音声は一辺倒に一地点から来るからな。まったく俺も随分見くびられたもんだ」

「そういう……つもり、では……」

 実際のところマリーアの拒絶から頭に血が上って、無理矢理侵入したのではなかったか? ──そんな事実はひとまずナイショにして──クウヤはニカっと笑い、メリルに勝ち誇った表情を見せた。

 下手をするとクウヤよりも高い知能レベルと思われるメリルだが、外見通り必要以上に大人びた一面を持ちながら、あたかも幼い子供のような世間知らずの一面も持ち合わせている。両親を亡くした十四歳──まさに子供と大人の狭間とも言える年齢だが──それ以降置かれた特異な環境が影響して、まともな人間関係が構築出来なかった所為だろうか? やたらと素直で他人を疑うことを知らない……バンコクのカオサン・ロードで様々な勧誘を無下に出来なかったのもそんな所以ゆえんかもしれない……そうした無垢な人格が今までの行動にも時々見え隠れしていたのを、クウヤは何とも複雑な心持ちで振り返った。

 再び進んで扉を開く。僅かに生活感のあったシンプルな内装だが、此処がメリルの自室であった。

「ありがとうございました、クウヤ、様……」

「同級生だと分かったんだから、メイド口調も「様」付けも、少しずつでいいから直してくれよ。俺も……どっちがいい? メリルと鞠亞と……マリーアと、どれで呼ばれるのが一番嬉しい?」

 窓際に置かれたベッドに優しく腰掛けさせ、クウヤは床に膝立ちしてメリルの戸惑う瞳を見上げた。

「はい……えと……今まで通りメリルが、良いです。両親からも呼ばれていたミドルネームですので」

 メリルはその名がケルト語で「海の輝き」を意味し、ブルーグリーンの瞳の色から、名付けられた愛称なのだと教えてくれた。

「そっか……愛されてたんだな。倉石の時は俺とおんなじ黒目だったけど、今の方が似合ってると思う。黒髪は……母さんからの遺伝子だろ? この赤毛は父親譲りってことか?」

「あ、いえ……」

 その質問にメリルはやや視線を逸らして、照れ隠しのようにはにかんだ。

「父の髪色はブラウンでした。この赤みは父方の先祖をさかのぼって見つけ出した色です」

「ん? じゃあ何でわざわざ赤毛にしたんだ?」

 染髪では後々髪が伸びるに従い地色が出てきてしまうため、アンドロイドと偽るのなら確かに地色のままであった方が問題は生じづらい。だがそうまでして赤毛にする理由が、クウヤには皆目見当もつかなかった。

「クウヤさ、ま……いえ、あの……。クウヤ、くん、が……鉱石の中で一番、赤いガーネットが好きだと……言って、いた、から──」

「メリっ──」

 そんな一途に可愛いらしいことを言われてしまったら!

 もちろん今一度、唇を奪わずにいられる筈もないクウヤであった──!!


 ◆ ◆ ◆


「すみません……遅くなりました」

 それからしばらくして、クウヤは「伯父上」の隠し部屋をノックした。

 もちろん今回は銃を突きつけられることもなく、にこやかに室内へ通される。

 数時間前に数時間ほど会ってはいたが、帰還した姪御メリルの様子も気になるということで、(メリル本人が来られなければ)報告に来てくれと頼まれていた。

「いや、鞠亞も無事に戻ってきたようで良かった。話し出したら長くなってしまうからね、君も含めてあの子とは明日ゆっくりと……鞠亞はもう寝たのかい?」

「あ、はい」

 まさかあれからキスの嵐の後、自分の胸の中で眠ってしまったとは、もちろん母親の兄である「伯父上」には言語道断であると苦笑した──が、しかし。

「君……襟元、口紅付いとるぞ」

「──えっ!?」

 大慌てで襟ぐりを引っ張るクウヤ。視界の端に僅かに赤いいろが見える。

「別に怒ったりせんよ……もう二人共立派な大人だからね」

 「伯父上」もまた違った意味での苦笑いをしたが、その眼差しは二人を見守るように温かかった。

「いえ、すみません……そういうことは、しっかり胸張って言える仕事を見つけてからにすべきでした」

 恥ずかしそうに頭を下げるクウヤの肩を、「気にするな」と言うようにポンと叩き、

「君が無職同然になったのには私にも責任がある……あの時は本当にすまなかったね。お詫びの代わりになどというつもりはないし、同情からの提案でもないのだが……君には今後私の研究を手伝ってもらいたいから、それを受け入れてくれるのなら、明日からまた君は一人前の社会人だよ」

 と、クウヤにとっては願ってもない申し出をした。

「教授……?」

 クウヤが唯一『教授』と呼ぶ男性とは!? ──そう! メリルの伯父上は、あの四年前に亡くなった筈の「高科たかしな教授」であったのだ!!

「「責任」というのはまた長い話になるので追々話すがね……何はともあれ、鞠亞が生きることに前向きになったのは君のお陰だ。本当に感謝しているよ」

「自分が、ですか?」

 簡易キッチンで注いだお茶をダイニングテーブルに運び、教授はクウヤを席へ促した。

「あの子の時間は十四歳で止まってしまった……両親を亡くしたあの時にね。それまでの人生で一番楽しかった想い出が、君と話した三日間だったのだと思うよ……オンケル──ドイツ語で伯父である私のことだが──みたいに地面の石を好きだという友達が出来たって、たった三日の登校だったが、帰宅するたび瞳をキラキラさせて君のことを話していた。きっと……初恋でもあったのだろうね」

「……」

 クウヤ自身もあの三日間のことは憶えていない訳ではなかった。

 隣の席にやって来た黒髪おかっぱの可愛い転校生。伯父が地質学者だということまでは、彼女が話すことはなかった筈だが、何かをキッカケにして石の話で盛り上がったのに違いない。そんな楽しい会話、興味を示さない他の生徒とはほとんどしたことがなかったから、クウヤにとっても良い記憶として残っている。しかしようやく見つけた「同志」がたった三日で再び転校してしまったことが、クウヤにとっては結構な衝撃であったのか、濃厚な三日間の内容自体は心の片隅に押しやられ、時が経るにつれて褪せてしまっていた。

 だが昨夜、胸にいだいたメリルの右手の『エレメント』が、クウヤの首元の『エレメント』に触れたのだろう。毎晩見た消化不良の夢とは違い、自分の話に笑みを向ける鞠亞の表情が鮮明に映し出された。そのあどけない笑顔は眠りについたメリルの面影をほのかに残していて……クウヤはメリル自身が鞠亞であったのだと、目覚めた時にはかなりの確信を得ていたのだった。

「あの……もしかして、教授が自分をスカウトしてくださったのは、彼女が起因しているのですか?」

 それから六年後、超高速で大学まで卒業したクウヤを見出したのは、高科教授本人であったが──

「君を知ったキッカケは鞠亞であるけどね。君を引き抜くことに決めたのは私個人の見解だ」

 真っ直ぐ視線を合わせて答えた教授の心には、忖度そんたくを行なったという雰囲気は皆無だった。

「君は優秀であったし、何より熱心だった。本当に地球上の鉱石が好きなのだと、ちょっと話をしただけでも十分分かったよ。だが面白いことに地球外からの鉱物には一切興味がないようだった。だから『エレメント』や『ムーン』よりも、『スピネル』のような地下鉱脈の研究を勧めた訳だが……」

 高科教授はそこまで話して言葉を濁した。先に再会した時もメリルとの関係を訊き出すくらいがやっとで、あのニセモノの葬儀さえも「研究に没頭したかったため」としか教えてもらえずにいた。核心に触れられぬまま此処までどうにかやり過ごしたが、今も「余り話したい状況ではない」という感情がひしひしと伝わってくる。となれば、明日どのような驚愕の事実が明かされるのか、好奇心よりも不安感の方がついまさってしまう。

「は、い」

 あい対するクウヤはクウヤで、地球外の鉱物に興味を示さないのは「天文学者であった父へのわだかまり」だとは言えずにスッキリとしない返事になった。

「ところで……その後、君の『エレメント』は特に問題ないかい?」

「はい、変わりはないようです」

 もちろんクウヤはいの一番に首元の『エレメント』を教授に診てもらっていた。

 『エレメント』の第一人者とも言える高科教授であるのだから、人体と一体化する『エレメント』には、さすがに興味を持ったようだった。しかし感心こそすれ、思ったほど驚く様子もないのは……メリルや啓太から事前に報告されていたからだろうか?

 お次に質問したのは(いや実際は質問ではなく、追及したのだが)もちろん『イタズラ』を仕掛けた理由であった──何故自分に『エレメント』を呑み込ませたのか!? ──これについては冷静になりきれず感情を高ぶらせて詰問したが、残念ながら教授の答えは「自分の指示ではない」とのことだった。

 とすると、嘘をついているのは啓太と教授、果たしてどちらでどういった理由からなのだろう?

 メリルに右手を返してしまうと此処へ来るための「鍵」がなくなるので、クウヤは首元の『エレメント』に移された鍵の情報を、自分の通信端末メディアへ一時保管してもらっていた。カードの一部を隠し扉のボタンに触れさせることで解錠することが出来る。そうした操作にも今のところ不具合は出ていない。

「それなら良かった。わざわざ来てもらって申し訳なかったね。さて、残る疑問は明日全て解消しよう。今日は君も疲れただろう、ゆっくり休みたまえ」

「……はい。では、失礼します」

 後ろ髪引かれる思いで教授の部屋を後にする。

 「全ての疑問」──明日判明したら、自分は今後どうなるのか──?


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