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14.この世の果てで
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14.この世の果てで
時折響く轟音が少しずつはっきりと聞こえてくる。
静まり返った崖の下で僕は空を見上げていた。
大丈夫……気は失っていない。しかし体を動かそうとした瞬間、左足に激痛が走った。
「あ……足が……っ」
骨が折れているのだろうか?額には冷たい汗が吹き出している。
もう少しなのに……。もう少しなのにどうして。
崖の高さは……たぶん。五メートルくらい。
近道を選んだのは間違いだった。迂回していればきっとこんなことにはならなかった……。
「もう……間に合わない」
轟く轟音が。鉄の焼ける匂いが。もうそこまで来ている。
落ちた衝撃で鞄の中身が散らばっている。その中には二つの干からびた種のようなものがあった。あれは……。
「ミクルの実」
それは僕がずっと前にスピカのために持って行こうとした物だった。
結局その時は約束を守れなかったな……。
僕は楽しみにしていたスピカの顔を思い浮かべる。
「貰ってばっかりで、僕はまだ何もスピカに返せていないのか」
そうだ。いつだってスピカは、落ちこぼれだった僕のことを認めてくれた。
ずっと前から……スピカに救われている。
僕は、君にずっと励まされていた。
たとえ間に合わなくても、諦めるわけにはいかなかった。
腕で這いずり、近くに落ちていた木の枝を拾い痛めた足に充てがう。
鞄からナイフを取り出し、肩紐を切り取って、木と足を固定した。きつく縛ると痺れるような激痛が走る。
「やっぱり、折れてる……けど」
これで何とか歩くことができる。滑り落ちた所は目的地の近くのはずだ。
「まだ間に合う」
崖を這い上がるとき二、三度滑り落ち、岩を掴む手が擦り切れた。血の跡を岩肌に残しながら、腕を伸ばし、己が身体を引き上げる。
空を掴むように喘ぎ、片足を引きずり、森の中を歩き、どんな顔をしてスピカに会えばいいかわからなかった。
それでも僕はスピカに会いに行かねばならない。
言わなければならない事がある。
それが何かは分からない。
分からないということはひどく怖いことだ。
きっと本当に大切な物を求める時、僕らはどうしようもなく傷ついてしまうのだろう。
空を沢山の光の粒が彩っている。光の尾が降り注ぎ、荒野の大地に落ちるたびに、無数の宝石が辺り一面に飛散する。
そして僕は、ナハスの森を抜けて、少女の名前を叫んだ。
何処かへ行ってしまわないように。強く、強く、叫んだ。
肩まで伸びた白銀の髪が、スカートと共にふわりと揺れ、彼女は振り返える。
初めて会った時と変わらない。大きな瞳を見開き、その目を水面のように揺らして……。
コップの水が溢れるように、涙が僕の頬を伝う。左足を引きずりながら、手を伸ばせば届く場所に、ずっと求めていた場所があった。
「スピカ!」
「ノエル……」
何を言えばいいか分からなかった。
避けようのない結末を前にただ立ち尽くす僕に向かって、一歩スピカが歩み寄る。
その体は淡い光を纏っていた。僕の姿が映り込む瞳は、決意と覚悟に満ち、曇りなく澄んでいる。
「ペテルギウスさんがね。私に言ったの。一番大切だと思う者の側にいてあげなさいって」
ぽそりとスピカはそう呟くように言った。
彼女が瞬くと、大きな瞳からぽろぽろと涙がこぼれ落ちる。
その雫を拭うこともせずに、双眸は静かに熱を帯びたまま、僕に向けられている。
「パパとママが居なくなったとき、これからずっと一人ぼっちなんだって思ってた……。でもね、ノエルと出会って……ペテルギウスさんが居なくなって気づいたの」
唇を微かに震わせながら、せり上がってくる想いに抗わねばならないのがもどかしかった。
彼女の体を透かして、彼方の地平線が見える。その向こうには重なるようにしてソルアが輝いていた。
「ノエル。私は……私たちは、一人じゃ生きていけないの」
その言葉を僕は噛み締めた。
本当はとっくに気が付いていたんだ。
僕たちは一人では生きていけない。
悲しい時や嬉しい時を誰かと共有し、時に仲を違えることがあっても、心に逆らうことはできないのだ。
人間の真似事だと厭いながらも、不安定で,危ういその感覚を僕たちは求めている。
それを失うことがたまらなく怖かった。
「僕は……」
「だって。こんなに苦しいもの……」
それは身体中の細胞が悲鳴をあげるような感覚だった。
確信は安堵に変わり、閉ざしていた心の扉は崩れ去る。
「スピカ。僕も同じだ……ずっと、君と一緒にいたい」
これだけだ。たったこれだけのことが分からなかった。伝えられなかったのだ。
空に浮かび上がる彼女の手を掴む。しっかりと、離さないように僕はその手を握った。
もう時間が残されていないのだと分かりながら。
それでも、どうにかしたら引き留める事ができるのではないかと願った。
確かに掴んでいたスピカの手の感覚が消えていく。
光の粒となって消えてしまう瞬間、スピカは微笑みながら言った。
「ノエル……ありがとう」
時折響く轟音が少しずつはっきりと聞こえてくる。
静まり返った崖の下で僕は空を見上げていた。
大丈夫……気は失っていない。しかし体を動かそうとした瞬間、左足に激痛が走った。
「あ……足が……っ」
骨が折れているのだろうか?額には冷たい汗が吹き出している。
もう少しなのに……。もう少しなのにどうして。
崖の高さは……たぶん。五メートルくらい。
近道を選んだのは間違いだった。迂回していればきっとこんなことにはならなかった……。
「もう……間に合わない」
轟く轟音が。鉄の焼ける匂いが。もうそこまで来ている。
落ちた衝撃で鞄の中身が散らばっている。その中には二つの干からびた種のようなものがあった。あれは……。
「ミクルの実」
それは僕がずっと前にスピカのために持って行こうとした物だった。
結局その時は約束を守れなかったな……。
僕は楽しみにしていたスピカの顔を思い浮かべる。
「貰ってばっかりで、僕はまだ何もスピカに返せていないのか」
そうだ。いつだってスピカは、落ちこぼれだった僕のことを認めてくれた。
ずっと前から……スピカに救われている。
僕は、君にずっと励まされていた。
たとえ間に合わなくても、諦めるわけにはいかなかった。
腕で這いずり、近くに落ちていた木の枝を拾い痛めた足に充てがう。
鞄からナイフを取り出し、肩紐を切り取って、木と足を固定した。きつく縛ると痺れるような激痛が走る。
「やっぱり、折れてる……けど」
これで何とか歩くことができる。滑り落ちた所は目的地の近くのはずだ。
「まだ間に合う」
崖を這い上がるとき二、三度滑り落ち、岩を掴む手が擦り切れた。血の跡を岩肌に残しながら、腕を伸ばし、己が身体を引き上げる。
空を掴むように喘ぎ、片足を引きずり、森の中を歩き、どんな顔をしてスピカに会えばいいかわからなかった。
それでも僕はスピカに会いに行かねばならない。
言わなければならない事がある。
それが何かは分からない。
分からないということはひどく怖いことだ。
きっと本当に大切な物を求める時、僕らはどうしようもなく傷ついてしまうのだろう。
空を沢山の光の粒が彩っている。光の尾が降り注ぎ、荒野の大地に落ちるたびに、無数の宝石が辺り一面に飛散する。
そして僕は、ナハスの森を抜けて、少女の名前を叫んだ。
何処かへ行ってしまわないように。強く、強く、叫んだ。
肩まで伸びた白銀の髪が、スカートと共にふわりと揺れ、彼女は振り返える。
初めて会った時と変わらない。大きな瞳を見開き、その目を水面のように揺らして……。
コップの水が溢れるように、涙が僕の頬を伝う。左足を引きずりながら、手を伸ばせば届く場所に、ずっと求めていた場所があった。
「スピカ!」
「ノエル……」
何を言えばいいか分からなかった。
避けようのない結末を前にただ立ち尽くす僕に向かって、一歩スピカが歩み寄る。
その体は淡い光を纏っていた。僕の姿が映り込む瞳は、決意と覚悟に満ち、曇りなく澄んでいる。
「ペテルギウスさんがね。私に言ったの。一番大切だと思う者の側にいてあげなさいって」
ぽそりとスピカはそう呟くように言った。
彼女が瞬くと、大きな瞳からぽろぽろと涙がこぼれ落ちる。
その雫を拭うこともせずに、双眸は静かに熱を帯びたまま、僕に向けられている。
「パパとママが居なくなったとき、これからずっと一人ぼっちなんだって思ってた……。でもね、ノエルと出会って……ペテルギウスさんが居なくなって気づいたの」
唇を微かに震わせながら、せり上がってくる想いに抗わねばならないのがもどかしかった。
彼女の体を透かして、彼方の地平線が見える。その向こうには重なるようにしてソルアが輝いていた。
「ノエル。私は……私たちは、一人じゃ生きていけないの」
その言葉を僕は噛み締めた。
本当はとっくに気が付いていたんだ。
僕たちは一人では生きていけない。
悲しい時や嬉しい時を誰かと共有し、時に仲を違えることがあっても、心に逆らうことはできないのだ。
人間の真似事だと厭いながらも、不安定で,危ういその感覚を僕たちは求めている。
それを失うことがたまらなく怖かった。
「僕は……」
「だって。こんなに苦しいもの……」
それは身体中の細胞が悲鳴をあげるような感覚だった。
確信は安堵に変わり、閉ざしていた心の扉は崩れ去る。
「スピカ。僕も同じだ……ずっと、君と一緒にいたい」
これだけだ。たったこれだけのことが分からなかった。伝えられなかったのだ。
空に浮かび上がる彼女の手を掴む。しっかりと、離さないように僕はその手を握った。
もう時間が残されていないのだと分かりながら。
それでも、どうにかしたら引き留める事ができるのではないかと願った。
確かに掴んでいたスピカの手の感覚が消えていく。
光の粒となって消えてしまう瞬間、スピカは微笑みながら言った。
「ノエル……ありがとう」
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