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暮れない駅と鳴鶏堂
しおりを挟む電車が走り出してしまった後で、私はようやくこの駅が自分の目的地ではない事に気がついた。
何度も確認したはずなのに、改札を出て目に入ったのは全く違う駅名。マップを調べるにも田舎過ぎるせいか、ネットが繋がらない。鼓動が早くなり、言いようのない不安に襲われる。取引先との待ち合わせの時間には余裕があるのだが、どうしてなのか顔から血の気が引いていくのを感じていた。
「大丈夫、まだ時間はあるわ」
寝不足から集中力が散漫になって、今までやらなかったようなミスをしてしまう事が多くなった。ストレスで食べ物もあまり受け付けない。ついに上司からは「少し休め」と言われ、新しいプロジェクトから外されてしまった。
激務に追われながら苦労してやっとチームをまとめ上げたのに、このまま左遷なのだろうか。
「切符……買わなきゃ」
ホームに戻るために券売機を探して少し歩いたが、見当たらない。私は改札の側にいる駅員に声を掛ける。
「すみません。券売機を探しているんですが」
「ああ、切符の購入ですね?ここから右にしばらく進めば鳴鶏堂という店があるので、そこで売ってますよ」
駅員の指の指す方に顔を向けると、確かに木造の古めかしい建物があり、鳴鶏堂と書かれた看板が見える。
「ありがとうございます」
「どういたしまして」
そう言うと駅員は踵を返し、改札の中へと戻って行った。
一人取り残された私は早歩きで鳴鶏堂とやらを目指す。
「なんで駅の側に券売機が無いのよ」
建物の前にたどり着くと、私は店の中を覗き込む。
「誰もいない」
レトロな店内の奥には、無人のカウンターが置かれていた。
「本当にここで切符が買えるのかしら」
壁の棚には色とりどりの石が飾られていて、とても券売所には見えない。
「すみませーん」
私はカウンターへ向かい、店員を呼ぶ。すると、どこからともなく返事が返ってきた。
「はーい」
間延びした女の子の声である。
「あの、次の駅に行く切符が買いたいんですけど」
「みよのふち行きでよろしいですか?」
なるほど、あの漢字は「みよ」と読むのか。ではこの駅は魅余の前駅と読むのね。
魅余の前駅に魅余の淵駅……
私は一体どこの田舎に来てしまったのだろうか。確かに目的地へと向かっていたはずだった。
それにしてもさっきから店員の姿が見えない。
痺れを切らして、カウンターに身を乗り出すと、そこには私を見上げる女の子の姿があった。
「子供?」
赤い和服姿で黒髪のおかっぱ頭。肌は白く、整った顔立ちの女の子だ。まさかこの子が一人で店番をしているのだろうか。
「子供は働きませんよ」
「ええ、でも……」
子供じゃん。
「人を見た目で判断するのはよくありませんね。私はあなたよりも遥かに多くの時間を生きています」
と言われても説得力がないのよ。どう見ても五歳くらいの子供だ。
「まあいいわ。とにかく、次の駅……そう、魅余の淵行きの切符が買いたいの。幾らかしら」
ここでもたもたしてる暇はなかった。笑顔を引き攣らせながら私は財布を取り出した。
「ずいぶんお急ぎのようですが、そんなに時間がないのですか?」
「そういうわけではないけど、私は急ぎたいの」
「と言われましても、次の電車が来るのは一時間後ですが」
視界が歪み私は額に手を当てた。信じられない!どこの田舎よ!あ、田舎だったわ……。
「とにかく……切符を買わせて」
「かしこまりました。では、あなたの過去を差し出してください」
「……幾らかしら?」
「あなたの過去です」
どうやら聞き間違いではないようだった。少女は当然のような顔で手を差し出す。
「ごめんなさい。あなたと遊んでる暇は無いのよ」
「切符はあなたの過去と交換です」
「ふざけないで!そんなもの持っていないわ!」
私は痺れを切らして声を荒げる。ああ、目の前にいるのは子供なのに……。
「いえ、持っていますよ。あなたの上着のポケットに」
「はぁ?」
苛立ちながら上着のポケットに手を突っ込むと、指の先に硬い物が触れた。取り出すとそれは青色の石の様な物だった。手に乗せるとずしりと重く、表面は磨りガラスの様な質感をしている。
「何よこれ」
「あなたの過去です」
不意に私は恐怖した。電車を降りてから何かがおかしい。さっきまで抱えていた怒りがしおしおと萎んでいく。
「失礼するわ」
短く呟いて私は店の入り口へと向かい、外に出た。
「どういうこと……」
「いらっしゃいませ」
外に出たはずなのに目の前には、さっきと同じ店内が広がっている。私は、後退りをして再び店を飛び出す。
「いらっしゃいませ」
確かに店を出たのに、また店の中に戻っている。
「過去を切符と交換しない限り、外へ行く事はできませんよ」
私は、その場にへたり込んだ。
「夢でも見ているのかしら」
「いえ」
少女はクスクスと笑う。
「あなたは一体誰?」
私は気を取り直して問いかけた。
「私への質問ですか?」
「そうよ」
少女は興味深そうにこちらを見る。
「せっかくあなたが驚いているのを楽しんでいましたのに。順応力が高いんですね」
「充分テンパってるわよ。あなたには私が落ち着いているように見えるのかしら?」
袖で口を隠しながら少女はまた笑った。姿形は子供なのに、その仕草は流れるように自然で、異常に大人びていた。
「私は、椿。烏見椿と申します。この店の店主をしております。親しみを込めて椿とお呼びください」
「一体ここはなんなの?」
「申し訳ありませんが、これ以上の質問に答えるには何か対価を頂かねばなりません」
「対価?お金かしら?それともこの石?」
「いえ……そうですね、例えばあなたの鞄の中に入っている物で、とても良い香りがする物がありますね」
「いい香り?」
香水か何か入れてたかしら?
「ええ、とても良い桜餅の香りがします」
少女はうっとりした顔で鼻をヒクつかせている。
「ああ、これね。私は食欲がないし、いいわよ」
何か食べないといけないと思って途中で買っていた物だった。透明のパックに入った物を差し出す。余程のものを要求されると思ったのに、これでいいのだろうか。
「食欲がないのであれば、仕方有りません。頂きましょう」
椿はゴクリと喉を鳴らし、小さい手で桜餅に手を伸ばした。目を輝かせながら食べる様子に私は困惑する。
「こんな物を……食べれるなんて……あらははひわ……」
もちゅもちゅと口を動かしながら、三つあった桜餅を彼女はあっという間に平らげてしまった。
「食べてから喋りなさいよ」
「ふう……あとは焙じ茶などあれば良いのですが」
「お茶は無いわ」
「ではこの店の物で我慢しましょう」
椿は渋々といった具合にカウンターの下に潜り込む。
「あるんじゃない」
おそらく取引先との待ち合わせ時間にはもう間に合わない。外を眺めると、来る時には気が付かなかったが、オレンジ色の美しい空が広がっていた。
「安心してください。外の世界の時間は進んでいません」
彼女は急須にお湯を注ぎながら呟いた。踏み台に乗ってカウンターの上に二人分の湯飲みを用意する。しばらくすると、茶葉の香ばしい香りが漂ってきた。
「ここはあなたのいる世界とは切り離された場所です」
「それで?」
「見ての通り。その過去と切符を交換する場所ですよ」
椿はからかう様な口調でそう言った。
「この石ころが私の過去?」
私はさっきポケットから取り出した石をカウンターに置いた。
「そうですよ」
「じゃあこの店に並んでいる石は全部誰かの過去だって言うの?」
「ええ。試してみますか?」
「試す?」
「口で言うより、体感した方が理解しやすいと思います。お好きな物を手に取って撫でてみてください」
言われるがまま棚の石を選び出す。壁の棚には所狭しと色んな石が並んでいて、これが全て人間の一部だと思うと少し気味が悪い。
「じゃあ、このピンク色のにするわ」
自分のより軽く手触りも優しい。桃の香りでも漂ってきそうな淡いピンク色の石を私は選んだ。
「あら、趣味がいいですね」
「撫でればいいのね?」
「ええ、過去とは時々取り出して愛でるくらいがちょうどいいのです」
私は恐る恐る石を手に取ると、優しく表面を撫でた。
「いかがですか?」
冷静に考えるとバカバカしい行為だ。でも、暗示でもかけられた様に私の体は反応を示す。
「これは……とても切ないけど、嫌じゃないわ」
不思議と暖かい感覚に体が包まれる。この石を通して、持ち主と感情を共有しているみたいだった。
「それは過去の恋ですね。軽やかで透き通った色をしています」
ふと、この過去を手放したくないという思いに駆られる。理想的な恋の思い出なのだろうか。今の私には無縁の感情で、それが酷く羨ましい。
「ねえ椿。他にも触っていいかしら」
「かまいませんよ」
「じゃあ、あれを」
そう言って私は棚の中にある装飾の施された石を指差した。
「なぜあれを?」
「さっきの過去はとても素敵な気分になれたわ。あんなに煌びやかな物なら、もっと素敵な気持ちになれるはずよ」
お茶を啜りながら椿は気乗りしない表情を見せた。
「あまりお勧めできませんね」
「どうして?」
「あれは過去の栄光です。装飾自体にはなんの価値もありません。中身もちっぽけで泥の様に濁った石です」
「ボロクソに言うわね」
「過去にあげた成果や、権威のある他人との繋がり。そんな物をいつまでもひけらかしていなければならない様では、結局のところ、それを受け止めるだけの器ではなかったという事ではないでしょうか」
そう言われるとなんだか装飾も安っぽい感じがする。私はカウンターに乗せた自分の過去に目を落とした。
「ねえ。どうして私の過去は曇っているの?」
「それはあなたが過去を見えなくしてしまったからです。あなたにはとても素晴らしい過去があります。でも、その存在を今は忘れてしまっている……そういう方、結構多いんですよ」
確かに、ここに並んでいる過去は曇っている物が多い。
「自分の過去を見えなくしてしまっている?」
「心当たりはありませんか?」
「わからない。自分の過去に触れてみてもいいかしら?」
「どうぞ」
私はそっと自分の過去に手を触れた。
「……何も感じないわ」
自分の過去からは何も感じ取る事ができない。ただ、大切な物がそこにはあって、二度と手に触れる事ができない様に思えた。
「何も、ですか?」
「ええ」
「……では、あなたはどうして、泣いているのですか?」
気がつけば、自分の頬を涙が一筋伝っていた。鼻の奥がじんと痺れる。溢れる滴は瞳を焼くほどに熱い。過去から感じ取るものは何もない。ただ、私のほとんどが、この曇った石の中にある気がして、今の自分が空っぽに思えてしまったのだ。
椿は、やれやれとため息をつく。
「過去とは未来へ行くために存在しています。未来がなければ過去は存在しません。過去はとても大切な物ですが、未来へ持っていくことはできない。だから、できるだけより良い状態で残しておかなければなりません」
「何?説教臭くて意味が分からないわ」
私は鼻を啜りながら答える。
「あなたは、過去を忘れることにより未来も忘れていたのです。言ったでしょう?過去は時々、取り出して愛でるのが適当なのです。『今』に執着して魂を食い殺されない為には、大切な事ですよ」
「私の過去は曇ったままなのかしら」
「そんな事はありません。あなた次第です」
「……」
私は手の中の過去の重みを確かめる。
「桜餅の対価とはいえ、おしゃべりが過ぎましたね。さて、魅余の淵行きの切符はどうされますか?」
カウンターの上に置かれた過去の前に一枚の切符が差し出される。
「自分の過去をこのまま置いていくのはやめるわ。魅余の淵へは行かない」
「話、聞いてましたか?切符がないとここから出られないんですけど」
「なら、帰りの切符をちょうだい。駅のホームにいた時、確かに線路が二本あったのを覚えているわ」
行きの電車があるのだ。帰りの電車もあるに違いない。
「渡せません」
「渡せないという事はあるのね?よこしなさい」
「嫌です」
さっきまでの説法を垂れる姿は何処へ行ってしまったのだろうか。これでは見た目そのままの駄々をこねる子供である。
「なら仕方ない。せっかくここに桜饅頭が残っているのに……」
「なんですって?」
凄まじい食いつきようね……。
「さっき出しそびれたの。限定品らしいわ」
コホンと咳払いをして、椿は佇まいを直す。
「……いいでしょう。今回は特別です。帰りの切符を渡しましょう」
「椿。あんた少しチョロ過ぎじゃない?」
差し出された小さな手に桜饅頭を乗せる。
「うるはいれす……ここは……あなたのような人が……長居する場所では……ありまふぇん」
「だから食べながら喋るなっての」
一息つくと彼女はカウンターの下から切符を取り出して私に差し出した。
「これが帰りの切符です」
「ありがとう」
「戻ってくるんじゃありませんよ」
「それは出所する時のセリフね」
私は深呼吸をして、思い切って鳴鶏堂の外に足を踏み出した。
外に出れなかったらどうしよう……そう思いながら恐る恐る目を開くと、夕暮れの外の世界が広がっている。無事に鳴鶏堂を出れた事に私は安堵した。
「じゃあね。椿」
振り返ると店の中のカウンターに人影はない。それどころか、何年も使っていなかったみたいに店内は埃をかぶっている。
狐に摘まれたような感覚を覚えながら私は駅へと向かった。誰もいない改札を通りホームへと進む。
とっぷりと日が暮れ、闇に包まれていく線路の先に明かりが見えた。電車がゆっくり近づいて来るのを確認して、私は一歩後ろに下がる。
そして次 の瞬間、電車の警笛が轟音となって私の体を跳ね上げた。
「あなた!大丈夫!?」
気がつくと私は知らない女性に肩を揺すられていた。警笛を鳴らした電車が目の前を通り過ぎていく。
「私は……」
「あなた今、線路に飛び込もうとしていたのよ!」
「私は……確かに魅余の前駅にいたはず。ここは一体……」
周りにいる数人が驚いた顔で私の事を見ている。夢から覚めるように、私は今の状況を把握しようと頭を働かせた。
「とても顔色がわるいわ。救急車を呼びましょう」
「いえ、少し立ちくらみがしただけです」
「本当に?」
「すみません。もう大丈夫です」
「ならいいんだけど……気をつけた方がいいわ」
私は適当な言い訳をして彼女を追い払った。
「そっか。戻ってきたのね」
駅のホームのベンチに座って大きく深呼吸をすると少しずつ体の感覚がはっきりしてくる。
我に返ると、いつの間にか空腹になっている事に気がついた。鞄を開くと、さっき買ったはずの桜餅と饅頭が無くなっている。私は売店で同じ物を買い、自販機でペットボトルのお茶を買った。
「しばらく、ゆっくりしようかな」
会社に仕事を休む連絡を入れて、大きく背伸びをする。
空には高く青空が広がっていてとても気分がいい。行くあてもなく歩くには丁度いい日だ。
電車が線路の向こうに消えていくのを見届けて、私はホームを後にした。
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